【バレンタインSS】巷で噂の可愛い奥さま
冬が本格化してしばらくが経ったが、まだまだ本番はこれからというような様子で冷たい風が窓に当たる。
一層強い風が吹く今日は誰かがいたずらで揺らしているかのように、窓は大きく音を立てていた。
王宮で執務中であるエルヴィンも外の様子を見ては、少しの間だけ頬杖をついて休憩する。
すると突然エルヴィンの視界にぬんとカットインしてニコリと微笑む幼馴染の姿が映り込んだ。
「今日も暇そうな顔してるな」
「暇そうな顔って何さっ! どーせエルも『シャルロッテは浮気をしていないだろうか』とかなんとか心配で早く帰りたかったんだろう?」
「シャルロッテは浮気なんてしない」
エルヴィンの妻を信用しきった言葉を聞くと、クリストフはちょっと面白がるようにわざとらしく右手を仰ぎながら嘘くさい言い方で語る。
「どうかな~。シャルロッテ嬢は最近社交界で噂になってきてるからね。『あの冷血公爵にはもったいない!』って言う人も出てきてるみたいだし」
「……」
ピクリと眉を動かしながらも幼馴染の声に真剣に取り合うことなくペンを進めるエルヴィンの様子を横目で楽しみながら、クリストフは言葉を続ける。
「君も知っているだろう、フリード伯爵」
「ああ、領地が隣だからな」
「フリード伯爵なんかもさ、この前の会議で横にいたレイドン子爵とシャルロッテのことについて話してて」
「…………」
「フリード伯爵夫人の主催する茶会にシャルロッテ嬢が行った時に、伯爵がハンカチを落としたそうなんだ」
「それで?」
先ほどまで興味がなさそうに聞き流していたエルヴィンがクリストフの話に耳を傾けたことに、クリストフは内心ガッツポーズをした。
エルヴィンが自分の知らない妻の様子を聴きたくて仕方ないといった素振りを彼は面白がりながら、話を続ける。
「その落としたハンカチを拾ったシャルロッテ嬢はどうしたと思う? 普通なら渡して、はいおしまいだろう?」
「ああ、そうだな」
「だが、シャルロッテ嬢は伯爵夫人にそっと渡したそうなんだよ」
その内容にエルヴィンは手を顎の下にあてて考え事をするようにしてペンを止める。
クリストフはついにエルヴィンの興味を勝ち取った!と勝利宣言したい気持ちをぐっとこらえて、先が気になるであろう彼のほうへと近づき机に手を置いて語った。
「伯爵夫人曰く、そのハンカチは夫人が伯爵に結婚10周年を記念して送ったもので、さらに夫人がそのハンカチをよく見ると端のほうがほつれていたそうだ」
クリストフはエルヴィンの傍らにあるティーカップを奪い取って一口飲むと、はあと一息ついてペンを持った彼の肩に手を置く。
「伯爵の生まれ故郷の国では、身に着けたもののほつれは「不幸の始まり」とされている。だから、彼の服や靴はいつも綺麗に保たれている。そしてそれを献身的に繕ったりしているのは夫人だよ」
その言葉を聞いたエルヴィンは、クリストフの言わんとすることがわかった。
シャルロッテはおそらくその伯爵の生まれ故郷の風習を知っており、さらに伯爵夫人が修繕を毎回していることを知っていたのだ。
それを知っていて、信心深い伯爵のため、そして夫想いな夫人のためにそっとハンカチを手渡した。
「実際、伯爵夫人にシャルロッテ嬢は伯爵の生まれ故郷の名産の菓子を届けたそうだ」
その言葉を聞き、先ほどまでの仕事モードの顔つきではなく妻を好きで仕方ない恋人を想うような表情を浮かべるエルヴィンにクリストフがニヤリとして囁く。
「さすが俺の妻だ、とか思ったでしょ?」
「ああ」
「はあ……その素直なところがなんというか、もうこっちに嫉妬の気持ちも湧かないよ」
だが、クリストフはあ、っと思い出したように言葉を紡いだ。
「そういえば……なんかその話を聞いたレイドン子爵がやたらシャルロッテ嬢のことを聞いてたな」
「なに?」
「何が好きかとか、いついらっしゃるか、とか」
その言葉を聞いたエルヴィンは次第に焦りとも怒りともつかない表情を見せていく。
「あ、なんか今日家を訪ねてどうとかって……」
そう言った瞬間にエルヴィンは机を手で叩きつけながら立ち上がると、そのままコートを取ってドアのほうへと向かっていく。
「え……?」
クリストフは目を見開いて唖然とするも、エルヴィンは振り返らずに彼に声をかけた。
「私は帰るから今日までの申請書の確認は頼んだ、クリストフ」
見るからに早足で去っていき、そのまま扉は大きな音を立てて閉まる。
「申請書って……まだ五十枚はあるじゃないかっ!! エル、待てっ!!」
幼馴染の叫びはもはやエルヴィンの耳に届いておらず、コートを羽織りながら廊下を進んでいく。
御者が馬車の扉を開けて待っており、「ありがとう」と告げながら乗り込むと、エルヴィンは急いで家路についた。
執務室に取り残されたクリストフは、まだぬくもりを保っている椅子に腰を掛けると頭を抱える。
「ちょっとからかいすぎたか」
もうすっかり冷めてしまった紅茶を飲んで曇っている窓の外を眺めて思う。
「そりゃ、あんな可愛くて真っすぐな妻がいたら心配になるか。はあ、俺も奥さん欲しい……」
クリストフは幼馴染夫婦の幸せそうな様子を受けて、なんとも人恋しくなった──
◆◆◆
一方シャルロッテはというと、曇り空を眺めながら温かいハーブティーを飲んでいた。
「シャルロッテ様、今日は一段と冷えますね」
「ええ。ラウラ、今日はエルヴィンさまは遅くなるっておっしゃってたわよね?」
「はい、そのように伺っております」
「そうよね……」
うつむきがちになり、じっとハーブティーを眺めるシャルロッテの様子を見て、ラウラはワゴンから追加でクッキーの乗った皿を取って、テーブルに置く。
「旦那様から借りていた本を読んで過ごしたら、すぐに帰ってきますよ」
「え……?! どうして私が寂しいってわかったの?」
「それはもうこのラウラ、ずっとシャルロッテ様を見ておりますから。手に取るようにわかりますよ」
口元に手をやってくすりと笑うラウラと目が合うと、シャルロッテは顔をわずかに赤くして目を逸らす。
「恥ずかしいです……」
「そんな素直なところが奥様の素敵なところですよ」
褒められてむずがゆくなるシャルロッテは、照れながらティーカップを持って口をつける。
すると、玄関のほうから音が聞こえて何やら騒がしくなる。
ラウラはドアのほうに目を向けて耳を澄ませると、ゆっくりと廊下に出て確認に向かう。
「う~ん……。帰って来ないわね」
数分待ってみるが、ラウラが戻ってこない。
シャルロッテは不思議に思い椅子から立ち上がると、何かあったのかと心配するように不安げな表情で玄関のほうへと向かう。
玄関のドアが見えてもあたりに誰もいない。
「ラウラ? どうかしたの?」
シャルロッテが玄関の前に差し掛かった時、夕方で暗くなってきた玄関の外にはエルヴィンが立っていた。
「ただいまシャルロッテ」
「エルヴィンさま!? 今日は遅くなるはずでは」
「おや、何か私が早く帰ってきて都合が悪いことがあったのかい?」
「えっ?! そのようなこと……ただ私はエルヴィンさまに早く会えてうれしくて」
焦りながらも素直な心を打ち明けるシャルロッテに、エルヴィンは目の前にいる妻が愛おしくて仕方なくなり、玄関の階段を駆け上って抱きしめる。
「エルヴィンさまっ?!」
「なんて可愛いことを言うんだい。プレゼントをしようと思っていたのに、私がもらってしまったね」
「プレゼント?」
「ああ、こちらを向いてごらん」
エルヴィンはそっとシャルロッテを解放すると、彼女より二段下に下がって右手を差し出す。
すると、そのタイミングに合わせて玄関の脇にあった木々や花壇が輝き始めた。
「わぁ……きれい……」
ライトで何色にも照らされた花壇や植木は美しく煌々としている。
「気に入ってくれたかい?」
「はい、でもどうして……」
「今日はバレンタインといってね、恋人に贈り物を届ける日なんだ。これは私からのシャルロッテへの感謝の気持ちと愛する気持ちだよ」
植木や花壇の陰にはこっそりとライトの準備を手伝ったラウラやレオンがしゃがんでおり、二人の様子を見守っていた。
やがて完全に夜の暗さが訪れたとき、シャルロッテの鼻に何か冷たいものが降り立った。
「冷たいっ…!」
その様子を見てエルヴィンはそっと手の平を空の方へと向けると、そこにふわりと白く冷たい結晶が解ける。
「雪か……」
シャルロッテもその様子に気づいたように辺りを見回して、そして空を見上げる。
幼い頃に離れの小窓から見たことはあったが、触れるのは初めてだった。
「これが……雪……」
その時、シャルロッテの頬に何か温かいものが触れた。
「──っ!」
「隙だらけだよ、シャルロッテ」
咄嗟に温かいものが触れた頬を触りながら、意地悪そうな顔をするエルヴィンを見上げる。
またしてやられたシャルロッテは、恥ずかしさで顔を赤くするも、嬉しさがこみあげてきて遠慮がちに微笑んだ──
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