第62話 要さんのポリシー

今日の宿は老舗のホテルで、10階以上はある建物は見上げても迫力がある。


家族旅行はもう10年くらいは行っていないので、和の雰囲気のするホテルも久々だ。まだこういう場所があるのだと不思議な感じがした。


チェックインを済ませて、仲居さんの案内でカーペットの敷かれた広いフロアの奥にあるエレベータに乗り込む。


案内された階で降りて、宿泊する部屋に入ると、入った瞬間に畳の匂いが届く。


畳もまだ青さが残っているので、交換してからまだ日は浅いのだろう。


仲居さんが館内の説明をしてから部屋を去って、肩の力を抜くように息を吐き出す。


「緊張してたんだ、紗来ちゃん」


「だって、今までこういう所って親と来るだったので、20代で泊まるなんて、生意気に見えないかなって気になるんです」


「別にお金を払っているんだから、ホテルの人はそれに応じたサービスをするだけじゃない? ここ、特別高い部屋でもないしね」


部屋は2間あって、手前の部屋には木目のローテーブルとL字型の簡易な座椅子が2つ向かい合っている。奥の部屋は寝室になるのだろう。2人部屋なので広くはないけど、2人で寝るには十分な広さだろう。


「そうかもしれませんけど……」


夕食の時間にはまだ少し早くて、このまま部屋でゆっくりするのもありだけど、折角だからお風呂に行かないかと要さんに提案をする。


「うーん……わたしはまだいいかな。ちょっと疲れたし、時間までゆっくりしたい。紗来ちゃんだけ行ってきて」


私はバスの中で寝たけれど、要さんはずっと起きていたみたいだし、要さんの言うことにも納得が行った。折角だから要さんと一緒にお風呂にも行きたいけど、後でもう一回行けばいいか、とまずは私だけで大浴場に向かった。


温泉は冷えた体を温めるには丁度良くて、温もった体で部屋に戻った。


要さんは私が部屋に戻るまでは寝ていたようで、寝起きの声でお帰りを言ってくれる。


「お風呂どうだった?」


「すごく温まりました。でも、ここは内湯と露天風呂は場所が別らしくて、今行った場所には内湯しかありませんでした。ご飯食べた後に、露天風呂の方に行きませんか?」


「うーん」


珍しく、要さんの反応は鈍い。


「もしかして、今お風呂に入れなかったりします?」


要さんの生理の日は大体知っていて、今は違うはずだけど、早くなったり遅くなったりするのはよくあることだ。急にということも考えられる。


「紗来ちゃん、わたしは大勢の人が入るお風呂は苦手で入らないようにしてるんだ」


「潔癖症とかですか?」


「そう見える?」


緩くだけ首を横に振り返す。要さんは人にはわりと気軽に触れてくる方で、潔癖症だと疑ったことは今まで一度もない。


「じゃあ、何故入りたくないか分かる?」


要さんの体に古傷があるとかではないことは触れていて知ってるから、要さんが入りたくない理由は想像が付かない。


「分かりません」


「まあ、そうだよね。紗来ちゃん。わたしの性欲の対象になるのは女性だけでしょう。だから、公言もしないくせに、こっそり紛れるなんてしたくないんだ」


言われてみて、やっと理解ができた。


要さんはレズビアンで、今まで女性としか付き合ったことがないとも聞いている。でも、それを目の保養だと紛れ込めないのは、要さんの真面目さだろう。


要さんは私に優しいだけじゃなくて、自分が生きる上でのポリシーはしっかり持っている人だった。


「だから、部屋にシャワーがあったからそれでいいよ」


「それ、どうして計画を立てる時に言ってくれなかったんですか。それなら温泉つきの部屋にすることだってできたのに」


私も考えなしだったけど、事前に言ってくれていれば他の手段だって考えられたはずだった。


私だけが楽しんで、要さんは楽しめないことには納得がいかない。


「でも、紗来ちゃんはわたしと2人で入るのは恥ずかしいでしょう?」


何度か一緒にお風呂に入ろうと誘われたことはあるけど、私はそれを断り続けている。だから、私が悩まないようにわざと要さんは言わなかったということだ。


要さんの優しさは嬉しいけど、もやもやが残ったままだった。


「折角来たので要さんにも温泉に入って欲しいです」


家族風呂はないだろうか、とフロントに電話をしてみたけど、今日は予約で一杯ということだった。


「もういいから」


他に何か案がないかを考えてみる。


部屋にあるのは流石に温泉ではないし、そうなると大勢が入れるお風呂しかない。


「要さん、夕ご飯の後、露天風呂の方に行きませんか?」


「だから紗来ちゃん、わたしは行かないって」


「要さんは目を閉じていてください。見えなければいいですよね? 私が手を引っ張って行きますし、サポートします。

折角要さんと旅行に来たのに、要さんと一緒にお風呂に入れないなんて悲しいです。一緒に入ってくれないと、もう二度と要さんと旅行にも行きませんし、お風呂にも入りませんからね」


「…………それはちょっと困るかな」


「じゃあ、いいですよね?」


視覚がなくてもお湯の感覚や匂いは感じ取れる。自己満足かもしれないけど、要さんと一緒にお風呂に入った記憶が欲しい。


後から文句を言われるかもしれないけど、私は一人で旅行を楽しみたいんじゃなくて要さんと一緒に楽しみたい。


「分かった。でも、紗来ちゃんのお願いを聞いた分は、夜にわたしのお願いも聞いてもらうからね」


何をさせられるんだろうと思いながら頷きを返した。

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