第63話 宴
お風呂の話をしている間に食事の時間が近づいてきたこともあって、部屋を出て指定されたフロアに2人で向かう。
「要さんって会社にお土産買って帰ります?」
宴会場に続くまでの廊下で土産物コーナが目に入って、会社にもお土産を買って帰るべきかと思い立つ。会社では金曜日に有休を取ることだけは連絡しているけど、旅行に行くまでは伝えていなかった。
「周囲に配るだけは買って帰ろうと思ってるよ」
「じゃあ、私も何か買って帰ろうかな」
「叶野さんと国仲さんには一緒に何か買わない?」
「そうですね。いつもお世話になりっぱなしなのに、何もお礼できていませんし」
こんな時でないと受け取って貰えなさそうだし、要さんと一緒に買ったと言えば断られないだろう。
今荷物を増やしても邪魔になるので、それは明日のどこかで買うことに決めて、宴会場に入った。
宴会場には黒いダイニングテーブルがいくつも並べられていて、予約した人数によってテーブルがくっつけられているのだろう。
要さんと私は2人なのでテーブルが1つだけのエリアを探して、「楠見様」と書かれた札が置かれたテーブルを見つける。
向かい合って配置されたイスに座って、まず目に行ったのがテーブルに並べられた料理だった。
「ほんと、蟹づくしだね」
「とりあえず写真に撮っておきます」
誰に見せるでもないけど、見たこともない料理を目にすると写真に収めたくなるのは人間の摂理だ。
だって、こんな豪華な料理なんて、人生の中で後何度遭遇できるか分からない。
スマートフォンで料理を撮った後に、要さんにもカメラを向けると笑顔を見せてくれて、シャッターボタンを押す。
「要さんは撮らないんですか?」
要さんは見ているだけでスマホはテーブルに置いたままだった。
「わたしは後で紗来ちゃんが蟹を頬張っているところを撮ろうかな」
「それは駄目です。お上品に食べられる気がしません」
食べやすそうにカットはされていそうだけど、蟹ってちょっと残ってる部分が気になって熱中してしまうのだ。そんな姿を撮られるのはちょっと恥ずかしい。
「だからいいんじゃない」
「要さんって趣味悪いですよね」
そんな文句を言いながら、2人でいただきますをして蟹に手をつけた。
蟹を食べている時って、人は無口になる。
食べても食べても減った気がしなくて、半分くらいに手をつけたところで、いったん休憩をしようと箸を置いた。
要さんはいつの間にか冷酒を頼んでいて、呑みながら摘まむモードに入っている。
「私、蟹をこんなにたくさん食べたのは初めてです」
蟹って精々1品でついてくるとか、かに鍋で食べるくらいだった。でも、今日の料理は全てが蟹づくしで、1匹分は少なくともある気がする。
「わたしは小さな頃に家族旅行で蟹を食べたことがあった気がするけど、ほとんど覚えてないから、実質初めてかな」
向かいでにこにこしている要さんは、お酒も入っていることもあってか、いつもより色っぽさがある。本人はきっと気にしてないだろうけど、他人もいるスペースでは誰にも見られてないことを願ってしまう。
だって、私の要さんなのだから。
「美味しいものを食べると幸せですよね」
「紗来ちゃんの幸せそうな顔を見るだけで、わたしは幸せだよ」
「要さんはさらっとそういうこと言わないでください」
「だって、わたしは紗来ちゃんの幸せそうな顔を見るのが楽しみだから」
「酔っ払ってるからってことにしておきます」
素面でも要さんがこういうことを言うのは知ってるけど、今日は多めに見ておこうと聞き流すことにした。
蟹を食べることに夢中で、宴会場から出た頃には時刻は21時近くになっていた。18時に入ったはずなのに、3時間近くも蟹と格闘していたらしい。
「流石にお腹いっぱい過ぎて、お風呂はもうちょっと後がいいですね」
蟹は量が多くても、そんなにお腹に溜まらないんじゃないかと思っていたけど、そうでもなくて、体を伸ばして休憩しないと動けなさそうだった。
「そうだね」
「23時まではお風呂は開いてるそうなので、22時になったら行きましょう」
「諦める気はないんだ」
「ないです」
お腹がいっぱいで満たされてはいるけど、折角温泉地に来たのだから2人で温泉も楽しみたい。
諦めの悪い要さんに駄目出しをしながら部屋に戻って、目に入ったのは奥の部屋に並べて敷かれた布団だった。
旅館なんだしそれが普通だろうけど、布団が並べられているだけで艶めかしく見えてしまう。
「わたしはこのまま紗来ちゃんをそこに誘いたいよ?」
「さっき行くって約束しましたよね?」
逃げられないと判断したのか、要さんは諦めてくれたようで、とりあえず休憩、と座椅子に腰を下ろした。
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