第61話 雪国
新幹線を降りるとそこは雪国で、雪には慣れていない要さんも私も機動力があるはずがなくて、バスやタクシーを使って少しだけ観光名所を巡った。
カートは駅のロッカーにいったん預けてきたので、自分が歩くことには集中できたけど、滑らなさそうな道を選ぶだけでも一苦労だった。
最低限の部分は人が歩けるように整備されている。
でも、深く考えずに溶けかけた雪の上に足を踏み入れて、思わず要さんの腕を掴んだ。
「私、雪国では暮らせなさそうです」
「いいところもあるだろうけど、生まれ育ったじゃないと慣れるのが大変そうだよね。でも、周りに認められなかったら、2人だけで人里離れたところで生きるのもありかなって思ってるんだけどどう?」
「絶対無理です。要さん一人で行ってください」
家には引きこもれるけど、それはスーパーやコンビニが近くにある前提でできることだった。それに電波が通じないとか、インターネットが見られないとかは死活問題だ。
「え〜 わたしへの愛情は?」
「要さんだけ山に籠もって、時々会いに出て来てくれたらいいですよ」
「紗来ちゃん、たくましくなったよね」
「要さんにいろいろ鍛えられましたから」
「隣に住むで、ぎりぎり我慢できているくらいだから、それ以上離れたら死んじゃう」
隣でぎりぎりって、要さんの我慢レベルは低すぎないだろうか。
「でも、要さんは私と初めて会った日のこと覚えていませんよね?」
もう言ってもいいかな、と初めて会った時のことを口にする。
「国仲さんと一緒に打ち合わせをした時のことは覚えてるよ。見た瞬間にフラグ立ったもん」
「それより前にマンションの廊下で一度すれ違ってるんです。土曜か日曜の午後で私は買い物から帰ってきたところで、要さんはどこかに出かけるようでした。『こんにちは』ってすれ違いざまに挨拶しただけですけどね」
「覚えてない」
「そうかなって思ってました。気にしないでください」
「それ、本当にわたしだった?」
要さんはわたしなら気づくはず主張を続ける。
「要さんみたいな美人がそう何人もいるわけないじゃないですか」
「すれ違っただけでも、紗来ちゃんだったら覚えてると思うんだよね」
「別に責めてませんよ?」
あの時はまだマンションの1住人同士で見知らぬ存在だったのだ。すれ違っても挨拶するのが精々で、顔なんかしっかり見ないだろう。
「…………それ、姉の方だったんじゃないかな」
「お姉さんって要さんの部屋に来られたことあるんですか?」
「時々義兄さんに星那を任せて、うちに来てたから。まあ主婦業と育児のストレスを発散しにだけどね。わたし、紗来ちゃんを誘ってる時以外は休日は夜しか部屋を出ないよ」
「そんな駄目人間宣言を堂々としないでください。でも、私には要さんに見えました。もうぼんやりとした記憶しかないですけど、マンションの廊下ですれ違ったちょっと後に要さんと会社で会って、あの時の人だってすぐ分かったくらいですから」
要さんが自分のスマートフォンを操作して、しばらくしてから私に画面を見せてくる。
「どっちがわたしか分かる?」
「……左ですけど、右はお姉さんですか?」
その問いに要さんは頷きを返す。
姉妹そろっての写真は、雰囲気は少し違うものの顔立ちはよく似ていた。流石に要さんがどっちかは分かったけど、初めて合ったのがどちらかと聞かれれば自信はない。
「でも、絶対に要さんじゃないと言い切れるんですか?」
「だって、さっき言ったでしょう? 紗来ちゃんなら見た瞬間にフラグ立つって」
「私は平凡な容姿ですけど……」
「わたしには紗来ちゃんはすごく可愛いよ」
背後から手を回してきた要さんに肩を掴まれて、そのまま引き寄せられる。耳元で囁かれた言葉にフリーズする。
「要さん!」
「もうバスが来るよ。急ごう」
悪びれなく要さんは笑顔見せる。
私の心臓はこの旅行の間保つんだろうか。
新幹線を降りた駅に戻るバスの中で一番奥の座席に並んで座る。こっそりキスしよう? という要さんを何とか制したものの、腰に回された手だけは避けきれなかった。
「知り合いがいるわけじゃないからいいじゃない」
「その保証ないですからね」
駅に着いて、ロッカーからカートを出した後は、ホテルの送迎用のバスに乗って、今日の宿泊先に向かった。
蟹のシーズン中ということもあってか、バスの中は友人同士だろう女性の集団、年配の夫婦らしき人たちで8割方埋まっている。
私と要さんも他の人から見れば友人同士に見られるだろう。強いて言いふらすことでもないけど、要さんはそれでいいんだろうか、と横顔に視線だけを向ける。
「眠い?」
要さんはいつも私の視線にはすぐに気づいて、緩んだ目で私を見返してくれる。
「慣れない雪の上を歩いたので、ちょっと疲れてます」
「ホテルまで少し時間が掛かりそうだし、寝たらいいよ。着いたら起こすから」
「要さんは寝ないんですか?」
「紗来ちゃんの寝顔を見るのが楽しそうなんだもん」
小さく文句を言ったものの、疲れが急激に襲ってきて要さんに体を預けながら目を閉じた。
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