第52話 楓佳さんの恋人
「ワタシは高校の先生にずっと片思いをしていたんだ。付き合い出したのは、教育実習で母校に戻ったことがきっかけだけどね」
楓佳さんが話し始めた内容は、ちょっと衝撃的だった。
学校の先生に片思いって、思春期の通過儀礼みたいなものだけど、時々本当に結婚したという話も聞いたことはあるにはある。でも、ここはビアンバーで、楓佳さんがノーマルという可能性はなくはないとしても、
「えと……女性の先生にってことですよね?」
「そうです」
やっぱり思った通りの答えだった。
「今もその先生とお付き合いされているんですか?」
それにも頷きが返される。
学校の先生が恋人で、女性同士で、なんかすごく禁断めいた響きがある。
「でも自分は千波さんが好きなだけで、ビアンだってそんなに自覚ないよね、楓佳って?」
「そう言われたら、受け入れるしかないかなって思ってるけど、ただ千波を愛してるだけだから」
楓佳さんはすごく純粋で一途な人だとは分かった。
楓佳さん程の一途さはないかもしれないけど、私も要さんだから付き合ったなので、梓さんが近いと言ったのはそういうことだろう。
「迷いなく一人の人をずっと愛し続けられるってすごいですね」
高校時代に先生が好きになって、今が仮に30歳くらいだとすれば、10年以上も一人の人を思い続けていることになる。結婚すると何十年という単位で一緒にいるものだけど、私はまだ要さんと付き合い始めて3ヶ月なので、ずっといることのリアリティが薄い。
「好きな気持ちは変わってないけど、付き合い続けるのは難しくて、2回別れてそれでも戻っただからどうかな」
「喧嘩をして別れたなんでしょうか? すみません。興味本位で聞いてしまって……答えたくなかったら言ってください」
初対面の相手のプライベートに踏み込むことは分かっていたけど、自分と重なるような理由があるかもしれないと興味が湧いて聞いてしまった。
「いいよ。別れたのはよくある理由だから。1回目は、女性同士でいることに自信をなくしてで、2回目は彼女の人並みの人生を奪う権利はないと気づいて」
言葉としては受け止められたものの、言葉以上の想像が膨らまなくて、言葉を出せずにいると楓佳さんが説明を付け加えてくれる。
「ワタシも千波もビアンだって自覚があったわけじゃなく、ワタシが千波を好きになって、千波は迷いながらもそれに応えてくれたで始まったんだ。
でも、愛し合っていても、周囲の目は気になる。特に千波は教師だから、どこで知り合いに繋がるかわからない。そういう小さなストレスで、千波からも笑顔が消えていって、これ以上は無理させたくなくて別れたんだ。
1年くらいでやっぱり一緒にいたいって、縒りは戻しちゃったけどね。2回目は千波が友達の出産祝いに行って、めちゃくちゃ落ち込んだのがきっかけだったな。千波も子供が欲しいんだと気づいて、ワタシがそれを埋めてあげられるわけじゃないから、男性と付き合って普通の結婚をしてって別れたんだ」
「でも、今お付き合いされてるってことは、また縒りを戻されたんですよね?」
「ちょっとイレギュラーなことがあってね。千波がワタシと一緒に生きるって言ってくれたんだ。それで迷いがなくなるわけじゃないのは分かってるけど、今は一緒に住んでるし、何かあっても手を離さないでおこうって思えるようにはなったかな」
「好きな気持ちだけでは一緒にいられるわけじゃないってことですよね」
要さんを好きという気持ちさえあれば大丈夫じゃないかって思い始めていたけど、一途に相手を思い続けている楓佳さんでも2回も別れたのだから、想いだけで上手く行くのはそれだけ難しいんだろう。
「結婚しようって言えない分は男女の場合と差はあるけど、でも付き合うってことは多かれ少なかれ、そういうことをどう2人で乗り越えて行くかじゃないかなってワタシは思ってる。まあ、今だから言えるんだけどね」
要さんに視線を向けると視線が合って、要さんの口元が緩んだのが分かった。
これは一緒に考えて行こうってことだろう。
私は人に感化されやすいけど、要さんが隣にいてくれて迷い道に入ろうとする私を引き留めてくれる。
「楓佳が1回目に別れた後なんか、もう千波さんのことは忘れるからって、ビアンバーに来るくせに声掛けられても全然誘いに乗らないの。お通夜みたいな表情して、縒り戻すまでずっとめそめそしてたよね」
「そんなにすぐに切り替えられるわけないでしょ。梓ならできるでしょけど」
「人を遊び人みたいに言わないで」
「遊び人じゃないの」
今まで黙って話を聞いてた要さんが追い打ちを掛けるように突っ込んでくる。
「要、あなただって、一時期ワタシと一緒にここでいろんな女の子に声を掛けまくっていたよね?」
「梓、その話は紗来ちゃんの前ではしちゃだめ」
要さんも遊び人だったんだ。
ちらっとだけ横目で要さんを見る。
「そんな付き合うのを考え直そうかなって目で見ないで紗来ちゃん。本当に若い頃の話だから」
「要さんはいろいろ手慣れてるので、それなりに経験はあるんだろうとは思っていましたけど、私が思ってるよりももっとたくさんの人とお付き合いしていたんですね」
叶野さんと国仲さんが要さんを初めすごく警戒していたって聞いたし、私が知らない要さんはまだまだあるのかもしれない。
「お付き合いって言うのかな、あれ」
「梓! ややこしくしないで。えと……紗来ちゃん。ほとんど楽しくお酒を飲んでいただけだからね」
でも、要さんは美人だしもてないはずがないだろう。
分かっていても落ち込みはある。
「紗来ちゃん黙らないで〜 今は紗来ちゃん一筋だから」
要さんが腕を回してくるけど、視線は合わせてあげない。
「それはゆっくり考えさせていただきます」
「紗来さんは、要さんと付き合うの怖くなかった?」
冷静な楓佳さんの声に、私は姿勢を正す。楓佳さんの言葉は一言一言の重みが違う気がする。
「私は初めてお付き合いをしたのが要さんで、私の気持ちを要さんはすごく大事にしてくれたので、そこまで不安に思ったことはなかったです。最近、世間に認められる関係じゃないんだって気づいたくらいで不安になったりはしてますけど、要さんといるといつも安心できます」
「要ってそんなキャラじゃなかったよね?」
「それだけ紗来ちゃんに本気なの」
「要さんを見てると、ワタシにはそれほどの覚悟がなかったのかもって思えちゃった。ワタシの話をしたけど、人は人だからワタシの話に紗来さんが引きずられる必要ないからね」
楓佳さんの言葉に頷きを返す。
結局要さんと私がどうあるかなんだろうけど、楓佳さんの話を聞けたのは少しだけど視野が広まったように感じられた。
多分、それは自分だけじゃないって思えたからかもしれない。
その後は梓さんと要さんの過去の弾けていた頃の話を聞いて、2人にお礼を言って別れた。
梓さんとの連絡先交換は要さんに止められたけど、楓佳さんならいいとOKをもらって連絡先を交換する。
梓さんも楓佳さんも今日一日だけ出会いにはしたくないと、そう感じて。
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