第39話 待ち合わせ

仕事始めの日、要さんの一緒に通勤しようという誘いを断って、私は少し早めに会社に向かった。


だって、昨晩の余韻を引きずりすぎていて、人目があるのに要さんに甘えてしまいそうで、ちょっとだけ自分を引き締めたい。


久々の満員電車は休暇が終わって日常が戻ってきたことを知らせる。


今年は仕事始めからいきなり5連勤で、休みの日までが長いのだ。


体保つかなぁと思いながら出勤して、フロアにいた国仲さんに目が留まる。


「おはようございます」


昨日年始の挨拶はしたので、いつもと同じ言葉を掛ける。


「おはようございます」


国仲さんもいつもと変わらない挨拶で、昨日の話は夢だったのではないかとすら思ってしまう。


「叶野さんはまだなんですね」


「叶野さんは今日は客先の挨拶に行ったから、戻りは10時過ぎじゃないかな」


叶野さんはPM、つまりプロジェクトの中では一番偉い人なので、お客さんへの年始の挨拶の為に直入りしたらしい。


私の担当するお客さんは、グループのリーダが挨拶に行くことになっているので、私は精々電話で新年の挨拶をするくらいでいい。


「いつもは一緒に通勤してるんですか?」


これは流石に小声で質問する。


「日によるかな。タイミングが合えば一緒に出るくらい」


叶野さんと国仲さんの関係は長年で培われたものか余裕が見えて、要さんと私みたいなばたばた感がない。


「一緒に来てるの?」


「来てません。えと……嫌とかじゃないんですけど」


国仲さんは察してくれたのか、くすくす笑っている。


デートをする時はいいとしても、会社に行くときに一緒にいると切り替えができなくて困るのは、私がまだ未熟だからだろう。


「初々しいよね」


経験値がなさすぎて、私は笑い返すくらいしかできなかった。叶野さんと国仲さんはきっともっと大人な関係なんだろうと想像しながら私は席についた。





年始の仕事は、問い合わせが多くてばたばたしている内に1日が過ぎた。


翌日からは調査に時間が掛かりそうなものに取りかかって、要さんからは相変わらずのメッセージが飛んできていた。


付き合い始めた頃よりも最近は甘えるような言葉が増えていて、それだけ距離が縮まったからだとは思っている。

会いたい気持ちはあって、実際隣に住んでいるのだから、会おうと思えばいつでも会えるんだけど、どうするのがお互い負担にならずにやっていけるのかが気になってしまう。


今週は水曜日の定時後にデートをしようと約束しているので、まずはそれまで我慢することにする。


仕事始め3日目にもなると、長めに正月休みを取っていた人も仕事に戻って、いつも通りになる。


自席から国仲さんと叶野さんが話をしているのを見かけると、恋人同士なのか、とつい思い返してしまった。


とりあえずの目標としては、叶野さんと国仲さんのような自立した大人の関係に、要さんとなることかな。


そんなことを考えながら届いたメールを開く。


それは部門の教育担当者からのもので、資格取得にチャレンジする人の募集メールだった。



私でもできそうか、要さんに相談してみようかな。



募集が掛かっているのはクラウド関係の資格で、要さんの得意分野だった。


メールの回答は明日にしようとPCを閉じて帰り支度を始める。


今日は要さんとのデートの日で、クリスマスイブに買い物をしたターミナル駅のコーヒーショップで待ち合わせをしている。


お互い定時きっちりに終わるとは限らないし、会社の入っているビルの1階で待ちぼうけするよりはいいだろうと待ち合わせを決めた。


これから会社を出ます、とだけメッセージを送って私はビルを出て駅に向かう。


思えば要さんと待ち合わせでデートなんて初めてだった。


いつもは家が出発点なので、玄関を開ければすぐに合流できてしまう。


こういうの、付き合ってるっぽさが増してちょっと照れくさい。


ターミナル駅に着くと、要さんからはもう少しで出られそうとメッセージが届いていて、少し時間がありそうだった。


時間つぶしがてら、駅併設のファッション系のテナントが入っているビルに私は足を向ける。以前要さんが休日より平日の夜の方が人が少ないから、平日に買い物を済ませると言っていたけど、確かに休日よりも人が少ない。


どんなブランドが入っているんだろうと冷やかし程度に店を回ってから、待ち合わせのコーヒーショップに入る。


カウンターでホットのカフェラテを注文して、トレーを手にしながら座れる場所を探す。


店内は7割入りくらいで、要さんが来るのが分かるようにと、ガラス張りの外が見える席に座った。


待ち合わせは友達とだってするけど、その相手が要さんだと思うだけで待ち遠しくなる。私は自分の名前が不釣り合いなように思えてあまり好きじゃなかったけど、要さんの『紗来ちゃん』は好きだった。


スプーンでカフェラテをかき混ぜながら、要さんを好きな思いが溢れて止まらなくなってしまう。


人を好きになると、誰だってこうなるんだろうか。


要さんに会うまでは女性となんて考えもしていなかったのに、今はそれを受け入れている。要さんって、美人で優しくて、ほんと罪作りな人だ。

 


紗来ちゃん着いた

出てこられそう?



メッセージの着信音に気づいてスマートフォンを見る。


どこにいるんだろうと視線を上げると、ガラスの向こうには要さんの姿がある。


いつからいたのだろうとびっくりしながら急いでトレーを返して店を出た。


「いつからいたんですか!?」


要さんは先程見た場所にまだ立っていて、駆け寄ると笑顔を見せてくれる。


「ちょっと前から。手を振ったけど、紗来ちゃん全然反応ないんだもん。わたしなんか見えないんだなって落ち込んじゃった」


「違います。ちょっと考え事していただけです」


「わたしよりも大事なこと?」


これは狡い。違うと言えば要さんが拗ねるのは分かっているけど、真実を言うのは照れくさい。


「……要さんのことです」


言うしかないか、と小声で答えると要さんが抱きついてきた。


「このままホテルに連れて行っていい?」


「駄目です。デートするんでしょう、今日は」


時間の問題かもしれないけど、要さんをそう諭すと渋々体を離してくれる。


それでも手を繋ぐのは諦めてくれなくて、手を繋いで歩き出した。

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