第27話 金曜日

生まれて初めて他人と体を重ねた翌日が仕事になるわけがなくて、ほぼ上の空だった。


気怠さがあるけれど、油断するとにやけてしまいそうで、頭を振ってPCのモニターに向き直る。


付き合っていたら誰でもするものだとは分かっていたけど、気持ち良すぎて、知らなかった頃の自分にはもう戻れない。


要さんに早く会いたいな、と思いながら時間を過ごして、定時過ぎにPCを閉じた。


年末のせいか、幸いお客さんからの問い合わせもなかった。今日は金曜日で、今年の出勤は後は週明けの28日と29日になる。


何かするという話もお客さんからは聞いていないから、恐らくこのまま平穏に年末年始の休暇に入れるだろう。


お疲れ様です、と周囲に声を掛けてから私はフロアを出た。


要さんが来るまでに買い物に寄って、後はちょっとだけ仮眠したい。





家に着いてスマホを見ると、要さんから20時くらいになりそうとメッセージが来ていた。


夕食は温めれば済むようなものばかりなので、準備が必要なものはないけど、部屋の中だけはちょっと片づける。


今朝慌てて飛び出したのでベッド周りを整えてから一息つく。


初めてのこともあって、昨晩はずっと緊張していたし、今になって疲れがやってきた。


要さんは私にすごく丁寧に触れてくれたし、傷つけないようにといつも綺麗にしているネイルまで切ってくれたことを知った。


私でいいのかな、という思いがずっとあったけど、そういうことじゃないと昨日私は知った。


要さんは誰かと天秤にかけたりせずに、私を真っ直ぐ見ていてくれたのに、真っ直ぐに見返していなかった私の方が失礼だった。


昨日のことを思い出しながらも、私は眠りに落ちていて、目を覚ましたのはインターフォンの音でだった。


急いで玄関に向かって扉を開ける。


「お疲れ様です」


「お帰りなさいがいいな」


朝会ったままの要さんがいて、お帰りなさいを言い直すと、ぎゅっと抱き締められる。


「要さんっっ」


「紗来ちゃん可愛い。毎日言って」


「毎日こっちに帰ってくる気ですか?」


「顔だけでも見に来たいから、いいでしょ?」


「それならいいですけど」


要さんって初めて言葉を交わした時から全くぶれていない。


でも、べたべたするよりも好きなことをしていたいと聞いたことがあるので、こういうのは今だけなんだろうか。


「何か考えてる?」


「要さんが抱きついてくるのは、今だけなのかなって思っただけです」


「このままベッドへ連れて行ってもいい?」


「なんでそうなるんですか」


「紗来ちゃんが可愛すぎるから。やっぱり毎日のお帰りなさいのちゅーは必須にしよう」


文句を言うより先に唇を奪われる。


「昨日からネジ緩みっぱなしですよね、要さん」


「だって、やっと本当の恋人になれたから」


「…………すみません」


私が要さんを恋人として見られていないことに、要さんは気づいていたからこその言葉だった。


「謝らなくていいのに、謝っちゃうところが紗来ちゃんだよね。朝は聞きそびれちゃったんだけど、今日は体大丈夫だった?」


「眠くて、要さんが戻ってくるまで少し寝てました」


「夜に備えて?」


「今日は泊めません」


「ふられちゃった」


いつまでも意味のない会話が続きそうだったので、鍵を閉めてから要さんには部屋に入ってもらう。


私は廊下にあるキッチンに立って、夜ご飯の準備に入った。


昨日の残り物をレンジに入れて、スープを温めて、バケットをお皿に並べる。


手を抜いた料理だったけど、要さんもそれでいいと言っていたし、トレーに乗せて炬燵までそれを運んで行く。


手伝うと言った要さんをもう少しだから座っていてくださいと押しとどめて、廊下に戻る。


「要さん、今日はアルコールないですけど、どうします?」


料理を準備し終えたところで、準備ができていないものがあることに気づく。普段家飲みはしないので、うっかりしていた。


「昨日スパークリングワインは飲み切っちゃったしね。紗来ちゃん飲みたい?」


「私は飲まなくても大丈夫ですけど、要さんが飲みたいなら何か買って来ます」


「紗来ちゃんにわざわざ買いに行かせるほどのものじゃないからいいよ。紗来ちゃんと一緒にいる時間の方が大事」


手招きされて、私も炬燵に足を入れる。


「今日ね、見上くんに、紗来ちゃんに恋人がいるのかって聞かれちゃった」


「見上くんって、私の同期の見上くんですか?」


「その見上くん。紗来ちゃんを同期会に誘ったのに断られたから、恋人がいるか調べて来いって同期の子たちに言われたって言ってた」


「それで何て言ったんですか?」


「もちろん、深く愛し合ってる恋人がいるって答えておいたよ」


「要さんが言うと嘘くさいですよね」


「昨日いっぱい愛し合ったのに、紗来ちゃん冷たい。見上くんが聞いてきたってことは、少なくとも同期の誰か一人は紗来ちゃんを狙ってたってことだよ?」


「周囲に女性が少ないからじゃないでしょうか」


「分かってないなぁ。でも、もうわたしのだから誰にもあげない」


斜め隣に座っていた要さんが、体を伸ばしてわたしの肩に抱きついてくる。


嬉しいけど、やっぱりまだ恥ずかしさはちょっとある。


「要さんって、初めからその気だったんですか?」


「んー、可愛いとは思ったけど、本気で好きになったのは一緒に仕事をしたりするようになってからだよ。紗来ちゃんは誰とも付き合ったことがないのに、わたしに付き合わせてもいいのかって悩んだりもしたけど、諦めるのは無理でした」


「要さんって、考えなしに突っ込んで行くタイプに見えますけど、実はちゃんと考えてますよね?」


「考えた結果が、自分が後悔しないようにしようだから、結局突っ込んで行っちゃうけどね」


「要さんを信頼していますけど、無茶なことをする時は言ってくださいね」


「紗来ちゃん、可愛い。我慢できなくなっちゃった。しよ?」


「まだご飯食べ終わってませんし、シャワーも浴びてないから駄目です」


「紗来ちゃん、常識とか手順とか、もうちょっとそういう所は緩くなってくれてもいいんだけどな」


「今朝、遅刻しそうになったじゃないですか。あれで要さんに全部任せちゃいけないって学びました」


じゃあ、キスだけと言われてそれには応じた。

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