第9話 仕事とプライベート
夕方まで楠見さんのプレイをずっと見続けて、さすがにそろそろお暇しようと腰を上げる。
「今日は有り難うございます。楽しかったです」
「見てるのが楽しいってことは、ゲームの世界観は好きってことだよね? 都築さんもやってみればいいのに」
「無理です。全然アクションについて行けませんから」
「じゃあ、今度初心者コースで一緒にやってみない?」
その誘いに少し興味は沸く。私は周囲にゲームを教えてくれる人がいなかったから、自分でなんかやれないと諦めていた。
「きっと呆れるくらい下手ですよ?」
「誰だって初めはそんなものだよ」
「……じゃあ、機会があれば」
「うん。準備しておくから」
「楠見さんって、見た目と中身が全然違いますよね。週末は恋人と一緒におしゃれな場所に行って、インスタとかに華やかな日常をアップしてるみたいなイメージだったんですけど」
「おしゃれな店にも興味はあるけど、家にいるのも好きだから。ゲームばかりしててつまらないって、振られたこともあるくらい」
「男子高校生みたいな振られ方じゃないですか、それ」
「そうだね。わたしは同じ場所にはいたいけど、べったりじゃなくって、別々のことをしながらでいい方なんだよね。そこが合わなかったみたい。都築さんは?」
「私はおつきあいそのものをしたことがないので、よく分かりません」
25年も生きてきて恋人がいないなんて笑われるかな、と思いながらそれは事実だった。
「ほんとに?」
「可愛くないですから」
「都築さん可愛いのに」
私の言葉を打ち消すような楠見さんの言葉だけど、
「誰もが振り向くような美人に言われても説得力ないです」
「でも、都築さんもわたしも、今はつきあってる恋人がいないんだから、同じ恋人がいない者同士じゃない?」
どうやら今の楠見さんは誰とも付き合ってはいないらしい。いつ別れたんだろう。
「そうだ。都築さんのこと名前で呼んでもいい?」
「……いいですけど」
何を思ったのか分からないけど、楠見さんの提案に否定する理由もない。
「じゃあ、紗来ちゃん」
名前を呼ばれて、笑顔で微笑まれると照れくさくて、思わず視線を逸らしてしまう。
「何で視線を逸らすの? 嫌だった?」
「楠見さんが美人過ぎて直視できないだけです」
「ん……美人って言葉は好意なんだろうし、得をしてるかなってこともあるけど、わたしは紗来ちゃんと同じ会社で、ちょっと年上なだけの存在だよ?」
「すみません」
「謝らなくていいよ。ただ、わたしは特別な存在じゃないし、そんなに気を遣い合うこともないよって言いたいだけ。わたしのことも名前で呼んでくれてもいいし、プライベートで先輩も後輩もないから敬語も使わなくてもいいよ」
「楠見さんの言われようとしていることはわかりました。でも、いきなり敬語をやめるのは無理です」
「じゃあそれは追々かな」
楠見さんは思ったことを隠さずに言ってくれる。おまけに上下関係なんか気にしなくていいとも言ってくれて、私はいつの間にか楠見さんを親しい友人だと感じるようになった。
仕事でもインフラ関係で分からないことは楠見さんに気軽に相談できるようになって、国仲さんにも最近一人でできることが増えたね、と褒めてもらったのが一番嬉しいことだった。
その日は定時に仕事が終わってからスーパーに寄って、家には19時過ぎには帰り着いていた。
今の作業は比較的落ち着いているので、そこまで遅くなることは少ない。夕食を作って食べて、その後気に入ってる配信者の生放送が始まったので、それを見ている内に遅くなってしまった。
お風呂に入る前に、先にゴミを捨てに行こうと外に出ると、今夜は満月のようで、月を思わず見上げてしまう。
実家では夜空にはもっと星が見えたけど、今住んでいる場所ではほとんど見えない。でも、月の輝きだけは同じだった。
「紗来ちゃん?」
「楠見さん、今帰りですか?」
駅から歩いてきた存在は、見慣れたバッグを肩に掛けていて、私に笑いかけてくれる。
「そう。トラブル対応に引っ張られちゃって、やっと目処ついて帰ってきたの」
「それはお疲れ様です」
「こんな日はぱっとシャワーを浴びて、さっさと寝ようと思いながら帰ってきたんだけど、紗来ちゃんの顔を見られたのはラッキーだったな」
「どうしてですか?」
隣人なんだし、連絡先も知っているし、会おうと思えば私はいつでも会える存在だった。
「一人だと、プライベートと仕事を切り替えられるタイミングがないじゃない? 家に帰って来て人と話をすると帰ってきたことを実感できるから」
確かに一人暮らしをしていると、仕事で失敗すればそのまま家でも落ち込み続けることがある。仕事は仕事でプライベートはプライベートと割り切れればいいんだけど、一人だとなかなか難しい。
「良ければご飯食べに来ます? 残り物になりますけど」
「いいの?」
「夜遅くに食べるのも良くないですけど、食べないのも良くないので」
「うん。寄る。紗来ちゃんの部屋初めてだ〜」
エレベーターに一緒に乗り込んで、浮かれている楠見さんは、さっき疲れ果てた顔をしていた存在と同じには見えない。咄嗟に誘いが出たけど、切り替えられたのかな。
「そういえばそうですね。楠見さんの部屋に伺ってばかりでしたね」
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