第7話 帰宅
しばらくして、叶野さんが到着して、そこで席をシャッフルする。
楠見さんが叶野さんと話をしたいと言っていたので、楠見さんの前は叶野さんで、その隣は国仲さん。私は楠見さんの隣に座った。
向かいが国仲さんになったので、ちょっと安心する。
すぐに叶野さんの分のビールが運ばれてきて、いつ頼んだんだろうと思いながらも乾杯をし直した。
「お腹空いてるなら適当に頼みましょうか?」
「お願い」
国仲さんと叶野さんの会話は自然で、国仲さんも迷いもせずに追加注文をしている。
「相変わらずですね。国仲さんに甘えすぎですよ、叶野さん」
「くにちゃんがいいって言ってるからいいの」
「一緒のプロジェクトになって長いと、好みも分かってきますからね」
それでも、叶野さんと国仲さんの距離感はすごく近く感じられる。同じ女性だから、普通のPMとPL以上に仲良くなれたんだろうか。
叶野さんと楠見さんの会話は、インフラ構築の話になって、私はそれを聞いてるだけだったけど半分も分からない。以前国仲さんは叶野さんはインフラにも詳しいと言っていた通り、楠見さんと対等に会話をしている。
「ごめんね、このモードになったら話が長いかも」
「大丈夫です。叶野さんはPMなのにインフラの知識も豊富なんですね」
「前にインフラ担当がいないプロジェクトにいたことがあったらしくて、必死で覚えたらしいよ」
でも、ショートヘアでちょっと凜々しさもある叶野さんと、ロングヘアで笑顔が魅力的な美人の楠見さんって、横で見ていても豪華というか贅沢感がある。
国仲さんももちろん魅力的だけど、国仲さんってぱっと目を引く美人じゃなくて、内面から湧き出す優しさで引き込まれるタイプだから、2人とはちょっと違う。
私は本当に平凡で取り柄もないのに、こんな魅力的な先輩たちに囲まれて幸せなのかもしれない。
10時を過ぎた頃に、明日も仕事だし、と締めて店を出る。駅まで4人で歩いて、方向が違う国仲さんと叶野さんとはそこで別れた。
その段になって、もしかして私は楠見さんと一緒に帰ることになるんだろうかと気づく。
さっきどの路線かを聞かれて正直に答えてしまったので、ここで解散しますは難しいだろう。さすがに実は隣の部屋に住んでいますなんて言い出しづらくて、最寄り駅で解散するしかなさそうだった。
先を歩く楠見さんはビールを結構飲んでいたのに、顔色は全く変わっていないし、足取りも問題なさそうだった。酔っていそうなら誤魔化すこともできるだろうけど、残念ながらそれもできなさそうだった。
楠見さんと一緒に電車に乗り込んで、並んでつり革を掴む。
並んでみると楠見さんは私よりも拳一つ分だけ背が高いのが分かる。美人で明るくて仕事もできて、体型も平均より少し高めなくらいで胸も普通くらいにはある。これ以上を望むなら、恐らくそれは個人の嗜好だろう。
楠見さんが努力をしている部分もあるだろうけど、私とはベースが違いすぎて、比較をするのも烏滸がましい気分になる。
楠見さんの恋人ってどんな人なんだろうか。
なんとなく同じ会社の人とは付き合っていなさそうで、きっとかっこいい人に違いない。
でも、ほんの少し一緒に仕事をしただけの人に、そんなことは尋ねられなくて妄想だけで終わらせる。
「楠見さんと叶野さんの話に、全然ついて行けませんでした」
「アプリ側の人は普通はそうだから気にしなくていいよ。叶野さんみたいな人はむしろ少ないから。インフラってあって当然、安全性も当然担保されているみたいに思われてることが多いんだよね」
「それって文句言ったりしないんですか?」
お客さんから見たらアプリケーションはバグなんてあるはずがないって思われているのと、それは同じなのかもしれない。完全なシステムなんてないのに、立場が違うと見え方が違う。
「喧嘩しても仕方ないでしょう? 前提をきっちり出して、求められているものを作るしかないから。あと、今回みたいに長期運用していく中での問題って、気づきにくいからやっかいだしね。例えば水道って、毎日気にせず蛇口を捻っているけど、水道管自体にも経年劣化やなんらかの事情でひびが入ったりすることはあって、でもそれって顕在化しないと分からないでしょう? それと一緒かなって思ってる」
その例えは分かりやすくて頷きを返す。だからこそハードウェアやネットワークの部分はインフラと呼ばれるのだろう。
「また、何かあったら相談させて頂いてもいいですか?」
「もちろん。相談なくても声を掛けてくれたら、いつでも今日みたいに飲みに行くから誘って」
美人に微笑まれると、同性であっても照れてしまう。楠見さんって人の心に入り混むのが上手くって、ついつられてしまう。
駅に着いて2人で電車を降りてから、駅の隣のコンビニに寄って帰ると改札を出た所で楠見さんに別れを告げる。
同じマンションに帰るのだから、一緒に帰らないとなると時間差を設ける必要がある。駅前で唯一時間が潰せそうなのはコンビニだった。
「じゃあ、お疲れ様です」
「今日は有り難うございました」
コンビニに一人で入って時間を潰し気味に買い物をする。
明日の朝食のパンを選んで、あとは甘い系のおやつを買う。スーパーで買った方が安いけど、コンビニに入るとつい気になって手を取ってしまう。多少は時間が稼げただろうと会計をしてから店を出た。
「都築さん」
不意に声を掛けられて視線を向けると、駅のロータリーに設置されている背もたれができるバーに楠見さんの姿があった。
「もう帰られたんじゃなかったんですか?」
「帰りかけたんだけど、結構飲ませちゃったから大丈夫かなって思って、戻ってきちゃった」
「えっ……」
「心配だから送ろうかなって」
これが男性だったら一瞬で恋に落ちてしまいそうな台詞をさらりと言われて、息を飲み込んだまま動けなくなる。
楠見さんとしてはそれは好意だろう。
でも、
「私より、楠見さんの方が一人で帰るのが危険だと思うので遠回りさせるわけにはいきません。私は大丈夫ですから」
「それは心配しないで。学生時代に少林寺拳法部だったことがあるから、何かあっても護身術は使えるから」
抜け目がなさ過ぎて、これは断れそうにない。
こうなったら知らなかったことを装うしかなさそうだった。
「どっちの方向?」
「通りを渡って北側です」
「そうなんだ。じゃあ意外と家が近いのかも。わたしもそっちの方向なんだ」
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