第5章 告白~SIDE:正樹

 紗矢を家に連れて帰ると、まず雨を吸ってるコートを脱がせる。


「床、濡れちゃう……」

「あとで拭いとくから、そんなの気にするな」


 コートの下から現れた制服のブラウスにドキッとしてしまう。

 ブラウスも当たり前だがびしょ濡れで、身体に張り付き、青いブラが透けていた。

 せいいっぱいの理性を動員して、目を背ける。


「ひとまず濡れたもんは全部、乾燥機にぶちこんどいて、シャワーあびろ。そのままじゃ風邪引く」

「……正樹だって、びしょ濡れじゃん。あたし、別に風邪引いていいし。正樹、先に浴びてよ……」

「風邪引いていいわけあるか」

「なんでよ、別に……あたしが大丈夫だって言ってるんだから……」

「俺がよくないんだよ」

「でも、ここは正樹の家じゃん……」

「俺はいいんだ。男だしっ」

「なにそれ……。意味わかんないんだけど」


 紗矢は小さく笑った。笑える余裕があるのはいいことだ。こんな状況だけど、そんなことに対して安堵した。


「じゃあ……一緒にシャワーを浴びよ」

「今はふざけてる場合じゃないだろっ」

「ふざけてない。マジで言ってるの。正樹が濡れてるの、あたしのせいなんだし。これで風邪なんて引かれたら……それ全部、あたしのせいになる……」

「気にしすぎだ。俺が勝手に追いかけただけなんだから」

「もう、そんなのどうでもいいから、早く服を脱ぎなさいよっ! 脱がないんだったら、あたしが無理矢理にでも脱がせるからっ!」

「さ、紗矢!? やめろって! ああもう、分かった! 脱ぐから、やめてくれっ!」

「ちょっと! こっち見ながら脱がないでよ! あたしだって脱がなきゃいけないんだらっ! 後ろ向いて脱いで……!」

「わ、悪い……!!」


 心臓が早鐘を打っていた。

 俺は玄関の三和土で、服と下着を脱ぎすて、裸になる。背中ごしに、かすかな衣擦れの音がした。


「ど、どう? ぬ、脱げた?」

「脱げた。で、ここからどうするんだ?」

「服と下着、後ろを向いたまま渡して」

「こ、こうか?」

「そ、そう。取れた。じゃあ、これ、乾燥機に入れてくるから、ちょっと待っててっ」


 遠ざかった足音が、すぐに戻ってくる。


「絶対に、今、振り向かないでよねっ」

「分かってる……っ」


 このシチュエーション、ヤバすぎるだろ!


「それで? どうしたらいい? 目隠しでもするか?」

「あたしが正樹の手を引っ張って、お風呂場まで連れて行くから。後ろを向いたままでいてよねっ。じゃあ、あたしの右手を握って」

「……こ、こうか?」


 すべすべした細い指、そしてびっくりするくらい小さな手が、俺の手を握ってきた。


「!」

「……じゃ、じゃあ、歩くわよ」

「お、おう」


 一歩ずつ、慎重に足を運ぶ。

 浴室の扉を開ける音がして、無事に入る。


「……で、ここからは?」

「あたしがシャワーを出すから。いい? 絶対に振り返らないでよ」

「心配するなって」


 すぐにシャワーの出る音がして、湯気が浴室全体に立ちこめはじめた。


「あちっ」

「平気か!?」

「だから、振り返らないでっ!」

「悪い! 今の、ノーカン。湯気で、まじでなにも見えてなかったからっ。……火傷したか?」

「ちょっとびっくりして声が出ただけ……っ」

「なら良かった。まずは、紗矢から浴びろよ」

「ありがと。――ん……っ」


 背中ごしにシャワーの音、そしてその音にかすかに混じる、紗矢の溜め息のまじった声を聞く。

 落ち着け、落ち着けよ、俺。これは濡れた身体を温めるための緊急措置だ。

 意識するな。一人でシャワーを浴びていると思えっ。


「終わった」

「じゃあ、シャワーヘッドを貸してくれ」

「は、はい……」

「よし、受け取った」


 頭からお湯を浴びる。


「はぁ~! 生き返るぅっ!」

「オヤジくさくない? ま、気持ちは分かるけど」

「ほら、紗矢。シャワー、受け取れって」

「? あたしは浴びたけど」

「どーせ俺に気を遣って、さっと浴びただけだろ。変なところで気を遣うなよ。ここまでしといて十分に身体が温まらなくって風邪ひいたら、ここまでお互い、無茶をした意味がなくなるだろ」

「…………そうね」



 俺たちはこたつに潜り込んで、すっかり人心地がついた。


 そう言えば、紗矢が髪下ろしてるところ、久しぶりに見たな……。

 紗矢が、両手でマグカップを包み込むようにして、コーヒーを飲んでいるのを眺めながら、そんなことを思う。


「ん? どうかしたか? 味、変だったか?」


 マグカップをじっと見つめる紗矢に声をかけると、紗矢は目元を赤らめ、上目遣いに俺を見る。


「……正樹、ごめん……」

「なんだよ、急に」

「全部。あたしが悪い」

「そんなことない」

「お願い、今は言い訳を、させて。お願い。聞いて欲しいの」

「分かった」

「……あたし、実咲って子に嫉妬してたの。おかしいよね、中学生相手に……。あの時――事故とはいえ、一緒に倒れ込んた時、あたし、あれで色々動揺しちゃって。あのあとも、ことあるごとにあの時のことを思い出しちゃってさ……。そんな時に正樹たちのことを偶然見ちゃって……。あたしがこんなに色々と思い悩んでるのに、あんたがデレデレ鼻の下を伸ばしてるように見えたの。それで、八つ当たりした……。挙げ句、あんなわけかのわかんないゲームまで提案して……。こんな馬鹿なあたしだけど、許してくれる……?」

「許すも何もないだろ。第一、バカなのは俺だし」

「同情とか、いらないから」

「同情じゃないっ。……あ、悪い。大きな声だしちゃって。でも本当に同情じゃないんだ、紗矢。俺だって紗矢と同じようにあの時のことを何度も思いだしてた。あの時のお前の顔、忘れられなくって……。そのくせ、大切なことをずっと言わずに、今日までここにきたんだ。紗矢、俺、言いたいことが……言わなきゃいけなことが……」

「ちょ、ちょっとタンマ! 今は駄目っ、駄目だからっ!」

「なんでだよ」

「だって、色々あったでしょ! ゲームとはいえ、き、キス……しちゃったり、とか……。一緒に、シャワー入ったりとか! だから、正樹は一時的にそういう気持ちになってるだけだって! そんな状況で言われて、あとで素に戻られて、後悔するかもしれない……そうなったら、あ、あたし……っ」

「――これ」


 俺はあのお守りを見せる。

 

「……そ、それ……」

「紗矢に買ってもらった、合格祈願のお守りだ」

「まだ取ってあったんだ……」

「紗矢からもらったもんだしさ。ずっと前から、俺、お前のことが好きなんだ。好きだから、一緒の高校に行きたかった。本当は、入試に受かったら、告白するつもりだった……」


 紗矢がぷっと小さく吹き出す。


「なにそれ。あたしたち、もう高二なんだけど」

「……だな。すごく遅くなったけど、俺は今でも紗矢のことが好きだ。だから、付き合って欲しい」

「……正樹。正直、あたし、今、頭も心もすごくグチャグチャなんだよね……。だから確かめさせて。あたしが、今、感じてる気持ちが、本物なのかどうか……」


 紗矢が目を閉じる。長い睫毛が小刻みに揺れる。

 俺は紗矢の震える肩に手を置き、唇を触れあわせた。

 紗矢の唇は、びっくりするくらい熱く、みずみずしかった。


「……どう、だ?」

「うん……。さっきと、ぜんぜん違った」

「……う。マジか」

「なにその顔。今のほうがぜんぜん良かったって、こと……っ」


 紗矢は目を反らし、耳まで真っ赤にしてそう呟く。


「それって、つまり」


 うん、と紗矢は頷いてくれる。


「ありがとう」

「……なにそれ。お礼とか……別に……言うことじゃなくない?」


 紗矢は照れてるのか、視線をさまよわせたかと思うと、いきなり立ち上がった。


「――え、えっーっと。やけに静かだけど、雨、やんだのかな」

「あ、ああ、言われてみれば、そうだなっ」


 俺たちは連れだってこたつを抜け出し、ベランダを開けると、大粒の雪がしんしんと、夜の街に降っていた。


「あ! 雪じゃん♪ 何年ぶり?」

「……俺たちが高校入試を受けた日って雪、降ってなかったか?」

「あ、降ってた降ってた。あたしが背中を押してわざと滑らせようとしたら、正樹、すっごい怒ってたもんっ」

「そりゃ受験前に滑るとか、縁起でもないからだろ」

「でも入試前に一度滑っておいたら試験ではきっと滑らないよ、って言ったら、正樹ってば、本当に滑ったじゃん」

「……あんな意味のわかんない説明に納得して一度滑っておいたのか、今さらだけど、自分でも謎だ」

「でもそのお陰で受かったから、良かったじゃん♪」

「あれのお陰じゃないけど…………紗矢のお陰では、あるな」

「一生かけて感謝しなさいよ」


 紗矢が寄り添い、俺の肩にそっと頭をもたれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る