第4章 すれ違いとポッキーゲーム

 ここ一週間、一度も、紗矢はうちに来なかった。

 学校では話しかければ答えてくれる。そう、満面の笑顔つきで。

 幼馴染としての経験から分かる。紗矢は一〇〇%、怒ってる。

 問題は何が原因か、なんだけど……。


「やっぱり、あれだよなぁ」


 事故とはいえ、押し倒してしまった時のことだろう。

 あれ以外に思い当たる節がなかった。

 あの時の紗矢、今まで見たことがない顔、してたな……。


「~~~~~っ!」


 あの時のことを思い出すと、どうしていいか分からず、床を転がるくらいもどかしい気持ちに襲われるのだ。


 俺は勉強机の引き出しから、ちょっとくたびれた合格祈願のお守りを取り出す。

 高校受験の三ヶ月前。模試の出来が悪すぎて家から一歩も出なくなり、軽い引きこもりになった俺を無理矢理外に引っ張りだしてくれたの、紗矢だったんだよな。


『ここの神社の合格祈願のお守り、きくみたいよ』

『は? 神頼みとか神社の金儲けの過程で生み出されたもんだろ。そもそも神なんていねーし』

『たしか中2のバレンタインデーの時もチョコはお菓子会社の陰謀とか言って斜に構えてたよね。そのくせ、下駄箱にチョコが入ってるの見つけた途端、有頂天になってたの、どこの誰だっけ~?』

『………………』

『あのチョコ、あげたの誰だっけ~』

『……紗矢様です』

『正解♪ だから神頼みだってやったらやったで、何か気分が変わるかもしれないじゃん♪』

『いや、お守りとチョコは違うから。お守りで偏差値あがらねーし、いらねーよ……。そもそも俺には無理だったんだ……。偏差値だってぜんぜん足りないし。やっぱ志望校、かえよーかな……』

『正樹って昔から意気地がないよね。子どもの頃からそうだったじゃん。目先のことで一喜一憂して、結局、それで最終的に後悔するんだから。ま、だから、あたしがそばにいて、尻を叩いてあげてるんだけど』

『分かったよ……。せっかく来たんだしな。じゃ、待ってて。お守り、買ってくるから』

『もう買ってあるから。はいこれ』

『いつ買ったんだよ』

『あんたの家に来る前』

『じゃあ、家で渡せばいいだろ』

『外に出て、新鮮な空気を吸うのが目的なんだから、いーのっ』

『じゃあ、金払う……。いくらだった?』

『いらないし。だいたいそれを買ったお金、あんたを心配したおばさんからもらったお小遣いで買ったんだから』

『なんじゃそりゃ!』

『あははは♪ いいよ、いいっ。腹から声が出たじゃん! その意気ならきっと、次の模試はいい結果になるよっ♪』


 ノイローゼ気味になりつつも、それでも志望校を変えずに最後まで頑張ろうと思えたのは、紗矢と同じ学校に行きたかったから。

 高校に合格したら、紗矢に告白しよう――そう思ってたのに、紗矢の言う通り、やっぱり俺は意気地なしだ。


「今のままじゃ駄目だよな。やっぱ……」


 ――話がしたいんだけど、バイトが終わったらうちに来られるか? 難しいようだったら、俺が紗矢が会えそうな場所に行くけど。


 俺は、紗矢のスマホにメッセージを送る。

 返信は予想よりも早く届いた。


 ――今バイト終わったところだから、そっちに行く。


 いつもと違った、何の飾り気のない文章。



 紗矢が実際に来たのは、三十分後。

 ピンポーンとチャイムが鳴ると、俺は腰をあげて玄関の扉を開ける。


「……来た、けど」


 そこには、伏し目がちの紗矢が立っていた。


「急に読んじゃって、悪かったな」

「べつ。……お邪魔します」

「コーヒーでいいよな」

「用事が終わったらすぐ帰るから、いらない」


 やっぱり機嫌が悪い。

 実際、紗矢はコートを脱がないまま、座布団に正座した。

 本当に、いつでも帰れるようスタンバイしてるらしい。

 俺はくじけそうになりながらも心をなんとか奮い立たせて、いつものようにコーヒーを準備した。


「ま、寒かっただろうから……」

「……ありがと」


 紗矢はコーヒーに口をつけてくれたせいか、少しは脈があるのかもと希望を持つことができた。


「……ここ最近、来なかったな」

「忙しかったから」

「そっか。わざわざ来て貰って悪かった……」

「それで用事って?」

「俺たちのこと。ここ最近、まともに話せてなかったろ?」

「そう? 普通に話してたと思ったけど」

「……やっぱり、この間のこと、怒ってるんだよな。事故とはいえ、あんなことしちまって悪かった……! ちょっと乱暴というか、強引だったというか……!」


 俺は深々と頭を下げたまま、紗矢の言葉を待つ。


「……なにそれ」

「え?」


 俺は弾かれるように顔を上げた。


「間違いだった、とか……もっと、他になにかない訳?」

「他? どういう――」

「そうよねっ。あるわけないもんねっ。あんた、ロリコンに転職したんだもんねっ!」

「は? なんだよ。話がぜんぜん見えないんだけど……」

「最近の中学生、結構発育がいいらしいし? そりゃあ、腕に抱きつかれて、猫なで声で“先生、先生”なんて言われたら、鼻の下も伸びるわよねっ!」


 背中に変な汗をかいてしまう。


「……それ、どうして」

「偶然見たの。実咲ちゃん、だっけ? 家庭教師ってあんなことまでするわけ? 勉強教えるのが仕事だとばっかり思ってたけど」

「ち、違うんだ、あれは、実咲ちゃんが勉強に身が入らないって言うから気分転換で外に出て……」

「別に、あたしに言い訳とかしなくていいしっ。――正樹の反省も受け取った。あんたにとってみたら、あの時のことは謝るべきことでしかないのよねっ。いいわ、分かった。許してあげる、何もかも。これで満足した? 良かったわね、許してもらえて。それじゃ、行くからっ!」

「待てよ、紗矢……!」

「……手、離して。服、伸びちゃうじゃん……」

「なに、怒ってるんだよ」

「……別に怒ってないし」

「訂正する。たしかに怒ってないよな。でも何か隠してる」

「あたしが何を隠してるか、知りたいの?」

「知りたい」

「……じゃあ、ゲームに勝ったら教えてあげる。どうする?」

「やる」

「へえ。いつもみたいに、ウダウダためらわないんだ。まあでも今回はゲームっていうより、度胸試しだけど」


 紗矢はバックから、スティックタイプのお菓子を取り出すと、端っこをくわえた。


「いい? お互いに端っこから食べあうの。それで、先に口を離した方の負け」

「……分かった」

「じゃあ、くわえて」


 実際、口にくわえると、その距離の近さにドキッとさせられた。


「よーい、スタート」


 紗矢の合図で食べ進める。少しずつ、食べていく。

 距離が少しずつ、縮まっていく。

 この間のように、紗矢の息遣いをかすかに感じる。


 いくら何でも、紗矢のほうから口を離すよな。

 だって、これ以上いったら――。

 

「!」


 唇にみずみずしい感触が触れた刹那、どんっと突き飛ばされ、俺は尻もちをつく。

 仰ぎ見た紗矢と、目が合う。

 紗矢は耳まで真っ赤にしていた。


「さ、紗矢……」

「っ!」


 紗矢は踵を返し、部屋を飛び出した。

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