第2章 カタカナ禁止ゲーム

 その日も夜の九時を回った頃、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 こたつから抜け出し、玄関に向かうと扉を開ける。

 寒さに頬を赤らめた紗矢が立っていた。


「よっ! 幼馴染様が来たぞーっ♪」

「入れよ」

「お邪魔しまーすっ。はい、これ。あんまんとピザマン」

「なんで、その組み合わせなんだよ」

「しょうがないでしょ。肉まん売り切れちゃって、蒸かし終わるまで待たなきゃ駄目だったんだから。人の手土産にケチつけないのーっ」

「サンキュ。コーヒーでいいか?」

「よろしくー♪」


 淹れると言っても、ただのインスタントだけど。

 電子ケトルからマグカップにお湯を注いでいると、背後から声が上がった。


「うわ、なっつかしーっ♪ これ、うちらが高校受験の時に使ってた参考書じゃん♪ ……でも、なんで中学生向けの問題なんて、解いてるの?」

「母さんの友だちの娘さんが来年、うちの学校を受験するらしいんだ。で、家庭教師を頼まれたんだよ。ほら、コーヒー」

「ありがと。……へえ、女の子なんだぁ。やらしーっ♪」

「やらしくねーよ。相手は中学生だぞ」

「その子、可愛い? てか、今まで何回くらい教えたの?」

「今日で、二回目。……顔はまあ、可愛いほうなんじゃないか。よく分かんないけど」

「気を付けなさいよ。今時の女の子は大人びてるから♪」

「……なにに気を付けるんだよ」

「あそっか、気を付けるべき相手はあんたか。正樹って見境ないし」

「なくねーよ! お前の目にうつってる俺はなんなんだっ」

「うーん……。野獣?」

「俺がホントに野獣だったら、もうすでに彼女の一人や二人いるから」

「あはは、そりゃそーね♪ ま、せいぜい押し倒さないようにね。幼馴染がロリコンなんて嫌だし」

「はいはい」

「あ、流さないでよー。冷たいわね。こんな寒空の下、成熟した大人の女が遊びに来てあげたっていうのに」

「遊び? 俺をからかいに、の間違いだろ」

「――じゃあ、正樹お待ちかね、ゲームでもしますかっ♪」

「接続詞の使い方がおかしいだろ。お前とはゲームなんて金輪際しないって決めたんだ」

「そう言わないでよぉ。今度は優しくしてあげるからぁ~♡」

「猫撫で声を出すな、気持ち悪いな。……ちなみに、どんなゲームだよ」

「やっぱりゲームしたいんじゃん♪」

「どのみち、そろそろ休憩しようと思ってたからな。ま、内容次第だけど」

「ズバリ、カタカナ禁止ゲームでーす♪」

「ベタなゲームだな」

「ベタは単純だからこそ、奥が深いの。楽しそうでしょ? それに加えて、一言カタカナを言うたび、脱衣していく」

「はあ!? そんなん誰がやるか――」

「今からね。よーい、はじめっ!」


 紗矢は手をパンッ!と叩いて、一方的に開始を宣言した。

 そうなってくると、やらないと言いつつも、どうしたって意識をしてしまうのだ。


「うわ、緊張感ヤバくない?」

「……だな」

「はい、それ禁止だから」

「? なんだよ。カタカナは使ってないぞ」

「口数を少なくして、回避するのは違反行為だから。次、そういうことをした場合は、問答無用に脱衣ねっ♪」


 早くも紗矢のペースに巻き込まれてる……。


「……こんび……」

「えぇ~? 何かな~?」

「――働いてる店は、ど、どんな感じだ?」

「ま、今のは見逃してあげるか。もう最悪。また変な馬鹿大学生に声かけられて、そいつが、めちゃくちゃしつこくて、ウサくてsぁ」

「平気だったのか?」

「当たり前でしょ。次は警察を呼びますねって笑顔で言ったら、逃げてったし」

「バイト先、変えたほうがいいんじゃないか? たしか前もそんなことあっただろ。……あっ」

「はい、アウトー! ……って、ヤバ。もう、正樹を開始五分以内に下着にする計画が……」

「なんて怖ろしい計画を立ててんだよ、お前は。脱ぐのは何でもいいんだよな。じゃあ、右の靴下……」

「あたしは腕時計」

「腕時計もありなのかよ!」

「当たり前でしょ。身につけてるもんだし」


 そんなこんなで三十分が経過する頃になると、お互いの周りには脱いだものが目立ちはじめた。

 俺は左右の靴下とベルト、上の服を脱ぎ、紗矢は腕時計に制服のリボン、左右の靴下。

 これまでの一方的に負け続けたゲームの数々を考えると、いい勝負をしてるほうだ。


「……もうこの辺りで終わりにしようぜ」

「なんでよ。まだ勝負はこれからよ」

「……いや、だってさ」

「何?」

「俺はいいんだぜ、続けても。でもこれ以上やるのは紗矢的に……まずいだろ」


 紗矢の場合、次負けた場合に脱ぐのは、制服のブラウスか、スカートしかない。

 脱がれても、俺としてもどう反応していいか困るし。


「なによ、ビビってるわけ? この遊びのの発案者として、あんたを下着に剥くまで下りられるわけないし♪」

「どんだけ俺を辱めたいんだよ……! そっちがその気なら、受けて立つっ。どうなっても知らないからなっ!」

「それじゃ、家庭教師の話の続きなんだけど、感触はどう? 受かりそう? うちっていざ入学するとそこまで勉強勉強ってうるさくないけど、世間的には進学校だって思われてるでしょ? 偏差値もそこそこ高いし」

「親御さんが心配するほどじゃないとは、思う。本人も真面目だし。まだ時間はあるしな」

「それにしても、ほんと、この参考書懐かしいよねー。二人でよくここで勉強したっけ♪」

「だよな。母さんが夜中に、おにぎり作って運んできてくれてさ」

「そーそー。あのおにぎり、最高だったよね♪」

「ほんとうだな。それに、紗矢にも感謝してるんだ。俺、あんま勉強できなかったから、教えてもらって助かった」

「ま、あたしは模試、A判定常連だったし? 今までも一緒だったんだから、どーせなら高校も一緒が――あっ……」

「よっしゃー! 俺の勝ちだ!」

「ひっどーい。恩人を饒舌にさせて、罠にはめるとか」

「悪いな。勝負ってのはいっつも非情なもんなんだ……フッ」

「もう……」


 こたつから抜け出して立ち上がった紗矢は、スカートに手をかける。


「待て待て! マジで、脱がなくていいからっ!」

「なんでよ、勝負に負けたんだから……」

「さすがに駄目だ。そんな……い、いくら、幼馴染だからって……。な、俺の勝ちで、今日のゲームは終わりだ! 本気で脱がなくていいからっ!」


 ほんのりと頬を赤らめた紗矢が、上目遣いに俺を見てくる。

 普段とは違う彼女の様子に、ドキッとさせられてしまう。

 熱っぽく、潤んだ眼差しに、俺は目を背けられなかった。


「……ま、正樹になら、いいよ……。あたしの……その……下着、見られたって……ううん、むしろ、見て欲しい……」


 紗矢はモジモジして耳まで赤く染めた。

 初めて見る、恥じらう幼馴染を前に、俺はごくりとツバを飲み込んだ。心臓が早鐘を打つ。


「さ、紗矢……」


 スカートの裾がゆっくり持ち上がっていく。

 すべすべした太腿が覗き、そして――。


「なーんちゃって、スパッツでした♪」

「っ!?」

「あはは! 今の顔、マジやばかった! ほ、本当に、あたしの下着見たかったわけ? あははは……ウケるんだけどっ!」

「……くっそぉ、またやられたぁ!」

「あたしのパンツが見られなくて、残念でちたねえ、正樹クン♪」

「べ、別に俺は……! わ、分かってたさ! ぜんぶ分かってて、乗ってやったんだよ!」

「へえ、そっかぁ。じゃあ、聞き直してみよっか♪」

「は?」


 紗矢はスマホをバックから取り出して操作すれば、音声が流れ出す。


『……ま、正樹になら、いいよ……。あたしの……その……下着、見られたって……ううん、むしろ、見て欲しい……』

『さ、紗矢……』


「録音してたのかよ!」

「あったりまえじゃん♪ ――“さ、紗矢……”。あはは、ちょーウケる~♪」

「待て、その録音、紗矢にだってダメージあるだろ!」

「へーき、へーき♪ この録音、あたししか聞かないし♪」

「聞くなっ! くそ、ケータイを寄越せっ!」

「きゃっ! ちょ、なにマジになってんの、いつものイタズラじゃんっ!」

「男の沽券に関わる……!」

「なにそれ、意味わかんな……ひゃあっ!?」

「紗矢……うわぁっ!」


 足がもつれ、俺たちは一緒になって床に倒れ込んだ。

 でもどうにか、ぎりぎり紗矢の身体にのしかからずに済んだ。

 右手も紗矢の後頭部にすべりこませられたから、頭も打たなかったはず。


 ……でも、この距離感はやばい。

 紗矢の顔を見下ろす。俺たちの距離は本当に、ぎりぎり離れているにすぎない。

 あともうちょっとでも近づいたら唇が触れる、互いの息遣いを感じられる距離感で――。


「……ちょ、ちょっと、マジになりすぎ。ただの遊び、じゃん……」

「じゃあ、消せよ……」


 紗矢の頬は赤く染まり、首筋まで火照っている。目を反らして、息遣いを当てたくないのか、消え入ってしまいそうなほどの小声。

 さっきの演技で騙されたっていうのに、目が離せなかった。


「……どいてくれないと、消せないんだけど」

「あ、悪い……」

「…………」

「…………」

「ね、マジで、どいて欲しいんだけど」

「悪いっ!」


 弾かれるように起き上がると、紗矢の上からどいた。


「平気か? 頭とか打ってないか?」

「……あんたの手のお陰で、へーき」


 紗矢はしきりに髪型を気にしつつ、スマホを操作する。


「はい、消した。これで満足?」

「……ありがと」

「そろそろ時間だし、帰る」

「お、送る」


 お互いに妙な居心地の悪さを感じたせいか、その日はほとんど言葉を交わさないまま、紗矢を家まで送って別れた。

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