第5話 続発する死

 俺は今、ブラックコーヒーの入ったカップを片手に、ノートパソコンと向かい合っている。その間無意識にしていた、抑えようと思っても止まらない貧乏ゆすりと机を指で叩く音は、いつにも増して周りを不愉快な顔にさせていた。


 周りのスタッフの空気は十分に察しているが、どうしても苛立ちが募ってしまい止められないのである。周りも承知しているからか、不愉快さを顔に表すことはあってもあえて口出しすることはない。


「りょーくん」


 無理もないだろう、相手はここ三週間も続けて苦情の電話を入れてきており、今日も例によって同じ時間、同じ内容であった。本来であればてきとうにあしらうべきだろうが、その相手は長年の上客であったため、強く出るのは躊躇われた。


「おーい」


 俺が先月に店長を拝命したここメイドゥーサはいわゆるメイド喫茶であり、そこだけを見ればごく普通の喫茶店である。しかし、背後には川田組という暴力団がついており、この店は彼らのシノギとして機能していた。


「りょーくんってば」


 店長になるまでそんなことは露ほども知らなかった俺は、持ち前の短気さを存分に活かし、黒服として働いていた時代にちょっとしたミスを犯してしまった。その内容がガンをつけてきたというものらしく、無意識に睨みつける癖を出してしまっていたようだ。


 そして、その相手はどうやら中端組という暴力団の幹部であり、敵対する組織を目の敵にしてしまっていた。本来であればここで俺を馘にすべきだろうが、川田組はそれを好機と見たようだ。


 何を思ったのか俺を店長に格上げし、中端組を上手く乗せて欲しいなどと宣った。何を期待されているのかは依然としてわからないが、給料が上がるのであれば甘んじて受け入れようと思い、今に至っている。


「聞こえてないの?」


 しかし、目先の利益に目を奪われた結果が今の状況である。これでは俺のストレスは募るばかりだ。


 それに今も苦情を入れてきている客は、なんやかんやと不満を言いながらもわざわざメイドゥーサに赴き、お気に入りのスタッフにセクハラまがいの手出しをしている。


 いや、正確には手出しはしていない。が、情欲が表出するあの男の目を見ると、俺のたぎる不快感がめらめらと湧き出てくるのだ。


 それと同じ不快感をスタッフも持っているようで、その話をスタッフから訊かされた先日から、ますます俺のストレスは止まらない。


 面倒ばかりかかせやがって。ロウキに通報してやろうかこの野郎。俺は馬じゃないんだ。馬車は本業にやらせておけ! 俺はこのやり場のないイライラを机にぶつける。


「クソが!」


「うわあっ! ご、ごめん」


 俺は周りから見れば唐突に叫んだこともあり、いらぬ勘違いをさせてしまったようだ。モノに当たるのは良くないと子どものとき学んだというのに。


「すまん、いたんだな、沙紀。で、なに?」


「えー? なんか迷惑そうだからいいや」


「んなことはねーよ。考え事してたんだよ」


 少し気まずい空気が流れてしまい、周りにいるスタッフ達は仲間同士と目を合わせ、いたたまれない気持ちを共有しあっていた。誰の責任かは名指しできないが、この空気を作った人間には代表して謝罪してもらいたい。


「ごめんな」


「いや、良いんだけどさ。それで本題なんだけど、お客さんいなくなっちゃったよ」


「もうか? 今日は早いな」


 現在の時刻は二二時だ。我がメイド喫茶はかなり遅い時間まで営業しており、それが強みとしてアピールしている。閉店時間は一時であり、いつもであれば〇時ほどまではちらほら客が見えていても良い時間帯だったはずだ。


 しかし、今はいないと。これから三時間もこの調子でいるのか。


「どうすっかな」


「わたしは帰ってもいいよ?」


「帰りたいだけだろ」


「あはは、バレた? てへ」


 沙紀はそう言って、舌先をちろっと出した。彼女はバイト中も仕事モードを続けるプロ意識の高い人間なのか、根っからのメイド精神なのかは知らないが、俺にも客相手のような接し方をしてくる。


 この訳のわからないあざとさと、「てへ」なんて言葉は彼女からしか聞いたことがない。


「客引きでもやってこいよ、キャッチだよキャッチ」


「え、やだよ」


「なんでだよ」


「逆になんでやると思ったの」


「え、やらないの? 俺はやってたけど」


「え、やってたの? メイド喫茶の客引きをりょーくんみたいな男の人が?」


「俺が店長になる前たまに外出てたのは何だと思ってたんだよ」


「えーっと……あぁ、うん。サボり?」


「俺はお前じゃねえんだよ」


 そうして、俺らは雑談をし続けていると、二十分ほどが経った。


 俺はふと、事務所のドアを少し開き、店内を見渡してみた。案の定、暇そうにしているメイド達がカウンターに座っていた。一喝して遣ってもいいが、俺はしない。


 そこまでやる気がないからだ。しかし、客商売であることに変わりはない。客がいないことには金が入ってこないし、従業員を養うこともできない。自分たちの給料は自分たちの働きで賄っているのだ。


 当たり前の話だが、フランチャイズとは違う。自分の働き一つで今後の進退が変わるのである。それを自覚しなければなるまい。


 俺は「やれやれ」と精一杯の面倒そうな態度をアピールし、立ち上がった。


「俺が、本物のキャッチってもんを見せてやるよ」


「あ、りょーくん結局やるんだ。りょーくんがやるならわたしもやるよ」


 そう言って、沙紀も付いてくることになった。


 俺は階段を降り、雑居ビルのドアを開けた。すると、寒空の下、強い風が顔に向けて吹いてきた。「寒いな」俺は独り言ち、両腕をさすった。


 後ろから降りてきて、横に並んだ沙紀の恰好を眺めた。上着を何も羽織らず、見るからに寒そうだ。


 メイドゥーサの制服はスタンダードなメイド服で、下はミニスカートになっている。靴下は白色で長さは各自が自由に選べるようにしてあり、沙紀は白いタイツを履いていた。脚を出していないとはいえ、寒そうなことに変わりない。


「お前は大丈夫か? スカートじゃ寒いだろ」


「うん、うん、寒い、寒い。どうしよ」


 沙紀は長髪の左右を手で掴み、全身を震わせ今にも凍え死にそうな声音をしてそう言った。さすがに俺も沙紀ほど寒いとは感じていなかったので、今着ているコートを脱ぐと、彼女の肩に掛けてあげた。


「ありがと。りょーくんの体温を感じるよ」


 そう言った沙紀は、少しばかり頬を赤くして微笑んでいた。


「何言ってんだか。とにかく、客引きやるぞ」


 俺はそう言って、沙紀に手ほどきをしてやる。


 コツとして、今にもメイド喫茶に行きたい! メイドさんが恋しいんだ! というオーラを感じ取ることだ。俺にはそれを見分ける能力がある。ザっと目星を付け、特に感じ取れる相手を探し出す。数刻すると、目の前に絶好の相手を見つけた。


「すいません、そこのお兄さん」


 俺は腰を低くし、もみ手をしながら歩み寄った。すると、相手は左手を挙げ、話し掛けるなという身振りを示した。


「あ、そうですかー」


 俺は姿勢を戻すと、ゆっくりと後ろ向きに歩いた。やれやれ。


「りょーくん」


 沙紀に声を掛けられたが、振り返らなかった。慰めなど必要ない。情けは人の為ならずならぬ情けは人の為にならないだ。我ながら意味不明だが、あまりの情けなさと不甲斐なさに惨めな気持ちになった。


「ぷぷぷー」


 沙紀は想像の正反対の反応を示してきた。俺の惨めな気持ちはこの嘲笑によって、少し晴れやかになった。


「わたしがお手本見せてあげようか」


「いや、沙紀は俺の背中だけを見ていればいい」


 俺は自分自身に言い聞かせる。覚悟は決まった。やるしかない。


 すると、目の前に絶好の標的が現れた。今にも死にそうな雰囲気があり、顔を俯かせているサラリーマン風の男が歩いてくる。いける。俺はそう確信した。


「ちょっとそこのお兄さぁん」


 俺は男に向けて歩み寄った。そして、横にはなぜか沙紀まで付いてくる。


「お兄ちゃん、寄っていきませんか? 一回一本でいいですよ~」


 何やら聞き捨てならない言葉を放ったが、ここはひとまず抑えるしかない。絶好のチャンスを逃す訳にはいかない。


 しかし、男は先ほど失敗した相手と同様に顔を下へ向け、無視を決め込んだ。ちくしょう、なぜなんだ。メイド喫茶だぞ、お前みたいなくたびれた人間には癒しが必要じゃないのか。


 メイドゥーサのメイドたちは、癒やしに相応しい人材があつまっているというのに。その態度はないじゃないか。


 相手にとって知ったことではないだろうが、知っておいて欲しい。ここは一度、強く出てみるか。無理矢理引きずり込む要領でいこう。


「シカト決めてんじゃねえぞ」


 俺は精一杯のガラの悪い雰囲気を醸し出し、ポケットに手を突っ込みながら一歩一歩踏みしめて近づいた。


「い、いえ、そんなことは」


「あぁ? お前、俺の声聞こえてたよな。俺が話しかけた時、明らかに聞こえてる素振り見せたもんな。目が泳いでたのが傍からみてもわかったもんな。あのさ、シカトの意味わかってんの? シカトってのはな、花札から来てんだよ。十月の十点札に描かれてる鹿が、月に背中向けてそっぽを向いてるみたいだから、そこからシカトって言葉が生まれたんだよ。俺はな、おめえみてぇな月にすらなれねぇボサボサ頭のくたびれたおっさんに背中向けられるのだけは許せねえ」


 俺は最近覚えた蘊蓄を披露し、相手を威圧した。明らかに男は委縮し、怯んでいるように見える。口をついて出た言葉の数々が、どうやら後手に回っているようだ。何をやっているんだろうか。


 男は体を震わせると、突然走り出した。


「あぁ、無念」


 俺はそう言って、その場にくずおれた。


「りょーくん」


「ごめんな、沙紀」


「もぉーバカだなー」


「面目ない」


「なんなの、さっきのよくわからない豆知識は。あれのせいで余計に怖がらせちゃったっぽいよ」


「あぁ、うん。最近読んだ小説に書いてあったんだ。なんか洒落てる会話だったから言いたくなった」


「えぇー」


 沙紀が露骨に困惑の表情をしていることが見なくともわかった。我ながら馬鹿馬鹿しいことをやった。


「沙紀もだよ、なんだよ一回一本って。ここは風俗店じゃないんだぞ」


「あーわたしもごめん。あれだよ、フィッシング? みたいな? 釣れると思ったんだよ」


 どうやら沙紀はフィッシングという言葉をネット上で行われるフィッシング詐欺のことだと知らず、字面からただ客を釣る行為だと勘違いしていたらしい。それを教えてやると、大仰に驚きを見せた。


「あれ?」


 突然、沙紀はそう言うと俺のそばにしゃがみ込んだ。


「なんか、落ちてる。財布だね」


「ほんとだ」


 どうやら先ほど突っかかったサラリーマンが、俺の威圧に気が動転し落としてしまったようだ。これは届けるべきだろう。先の謝罪も含め、ここで悪気はなかったと示すべきだ。それが誠意というもの。


「行くか」


「うん」


 俺たちは揃って立ち上がり、先ほどの男が走った方向へと向かった。



 目の前に改札が見えるころになると、何やら騒がしい音が耳に入ってきた。人の喧騒ではなく、何か機械的な音。どこかで聞いたことのあるような不快な音。


「これって、緊急停止ボタン押したときの音だよね」


 これはあの音だったか。ということは、電車は確認作業やらに追われて、止まっているのだろうか。しばらく動かない状態であろうから、問題なく財布を届けられるかもしれない。


「とりあえず行くぞ」


 ポケットから定期券を取り出すと改札にかざし、駅のホームへと向かう。


 階段を駆け足で降り、ホームに降り立った。どうやら予想通り、電車が止まっていた。そして、電車の先頭辺りには多くの人だかりができている。人身事故だろうか。少し耳を傾けてみる。


「うえーグロい」「最悪」「迷惑だなぁ」「やめてくれよ」


 喧騒は、口々に不快感を漏らしていた。本当に人身事故が起きていたようだ。俺はできるだけ目を背けようと思い、本来の目的である先ほどの男がどこにいるのかを探す。


 しかし、周りに目を渡しても、人だかりのせいであまり細かく顔を見ることができない。どうしようか。


 人を押し退けて一人一人確認するわけにもいかない。かと言って、声を上げて呼び出そうにも名前がわからない。これでは五里霧中じゃないか。


「沙紀はどうすれば良いと思う」


 俺は助言をもらおうと思い、そう言った。しかし、全く反応がなかった。


「沙紀?」


 どうしたのだろうと思い、振り返ろうとした。すると、背中に沙紀が寄りかかってきた。


「どうしたんだ」


 俺はふたたび振り返り、沙紀の背中に腕を回して支えた。そのとき、何かべたついた粘液状のものが手に付いた。なんだろうか。


「おい、沙紀」


 そう言って、沙紀の顎を掴んで顔を見た。そこで見えた目には、まるで生命を感じさせない色があった。


 俺は先ほど感じた粘液状のものを確認しようと思い、手のひらを見る。そこには赤黒い大量の血液が付いていた。そして、瞬時に悟った。死んでいる。


 咄嗟に危険を感じ、抱き留めていた沙紀を放すとその場を後ずさる。しかし、誰かに当たってしまったのか、軽く体がよろめいた。


「すみません」


 そう謝罪すると、相手は言葉を放った。


「君が悪いんだからね」


 何事だと思い、後ろを振り返ろうとする。しかし、振り返ることは叶わなかった。腹の当たりに痛みを感じたからだ。


「いたっ」


 腹に起きたことを調べようと思い、服をまくるために手を運んだ。けれど、どうやら運ぶまでもないようだ。服の上からは血が滲んでいることが一目でわかる。


 それを見たことで痛みを本格的に意識してしまい、体力が吸い取られる感覚を覚えた。俺は最後の力を振り絞り、誰の差し金か確かめる。


「お前は誰だ」


「オレたちの組にずいぶんと迷惑掛けてくれたな」


 そうか。俺はその言葉と声音を聞き、ようやく理解した。今までも変だと思っていたんだ。中端組になかば喧嘩のようなものを吹っかけておきながら何の処分もされず、挙句の果てには店長に格上げされる。そんなこと普通に考えればおかしい。


 やはり、川田組は俺を消したかったのだろう。だからわざわざ俺を店長にし、中端組との関係を拗らせるよう仕向けた。そして自分たちの手を汚したくない川田組は、中端組の人間が直々に俺を消しに来ることを待っていたのだ。


 俺はどうすれば良かったんだろうか。


 どんどん薄れていく意識の中、そう思った。


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