第43話 月下のふたり

 斬



 たったひと振りがすべてだった。


 そこにはアルフェが求めてやまない存在がいた。


 強く、圧倒的に強く、度が過ぎるほどに強く、そしてなによりその手に剣を握っている。そんな人物と同室であったことはもはや運命的とさえ感じた。


 彼女だ。


 彼女を得れば、自分はもっと強くなる。


 ―――いや


 理由はどうでもいい、ただ惹かれたのだ。

 ベルを生んだそのときのように。


 ただ単に、心を奪われた。


 それだけだった。


「……」

《……》


 アルフェはひたすらにそれを見つめた。

 ベルもまた牙を剥いて睨みつけている。


 一心不乱に木剣を素振りするフリエは、そんなふたりに気が付いた様子もない。

 真正面にいるのに、その眼差しはふたりを見ていない。

 見向きもせずに、ただひたすらに、木剣を振るう。


 振るう。


 振るう。


 振るう―――


「―――ふぇ」


 木剣を振り下ろしたフリエが目を見開く。

 

 ぱちくりと瞬く彼女にアルフェはにこりと笑った。


 鼻先をかすめた木剣によってたららと鼻血を流しながら、まるで意に介した様子もなく。


「ちょえっ、あっ、え、アルフェ、さん?」

「申し訳ございません、拝見させていただきました」

「いやまっ、鼻血……どころじゃないね!? えっ、どっ、野犬にでも襲われたの……?」


 アルフェの傷が牙や爪だと一目で見抜いたフリエは、慌てて傷を検分する。


「これは問題ありません。この子からもらったものですから」

《げはは》

「いやもらったって……ち、治癒は?」

「問題ありません」

「……あ、うん」


 笑みという威圧にたじろぐフリエ。

 ひとまずの落ち着きを見せたところで。


「そんなことよりも」

「そんな……?」

「フリエ先輩」

「は、はい」


 血濡れの笑みで覗き込み、そしてアルフェはしゃなりと頭を下げた。


「私めにご教示を「断る」―――あなたのその剣を、ぜひに。え」


 セリフの途中で即断されて、アルフェはあぜんと瞬いた。

 目を見開いたフリエは歯を食いしばり、今にも怒鳴りだしそうなのをこらえているかのようだった。


「ボクはっ、……ボクはダメだ」

「なぜですか」

「どうもこうもない」

「絶対に?」

「絶対にだ。どうしてボクにこだわる」

「貴女が強いから」

「そんなものボクは知ったこっちゃないッ!」

「……先輩ならば、否定から入りそうなものですが」

「ッ」


 彼女は強さを否定しなかった。

 それどころかまるで強いことを拒絶するかのようで。


「……いいでしょう」

「ゴメンね―――


《げはは》


 ギャウッ!

 鋭いカギ爪が空を掻く。


 ヒヤリと視線が見下ろした。


 フリエとアルフェ。

 ふたりの視線が衝突する。


「……なんのつもりかな」

「貴女は避けるだけでいい。私はどちらかというと攻撃を磨きたいのです」

《ワタシぁ強すぎるからなァ》

「ボクに付き合う道理はない」

「であればねじ伏せてください。貴女ならば―――きっとたやすいことでしょうッ!」


 ギュンッ!

 飛来する膝をすり抜ける。

 フリエは即座に駆け出し―――


《げはははは!》

「なっ」


 呪文をまとったベルが回り込む。

 即座に木剣を構えたフリエは、しかしすぐにアルフェを振り向いた。


「これがっていうわけかい」

「お初にお目にかかります」

《おうよろしくなァ! ウチのが世話になってるぜ!》

「想像より一回りくらい立派だね。……どうして?」

「どうにもこうにもございますか?」

《げはは! カンネンしろよ!》

「……」


 ―――吐息


 ベルが毛を逆立てアルフェが目を見開く。

 否応なく警戒させられるほどの―――剣気。

 斬撃の通り道が喉に触れる感触。

 揺ぎなく構えたその木剣が、振るう前から当たっているような実感。


「やる気になっていただけましたか」

「―――ボクの最善はそうじゃない」

《あぁんッ!?》


 回転―――疾走ッ!

 真正面から突っ込むフリエにベルは驚愕し、だが彼女は刹那でそれを噛み潰す。


 ―――だから遅い。


 彼女の牙は、フリエの一歩に届かない。


《んなあッ!?》


 振り向きさえもを許さない。

 ベルの感覚を―――彼女はすり抜け抜き去った。

 即座に飛び掛かる爪はしかし届かない。


 に、彼女の爪は至らない。


「……ゴメンね。ボクは―――ダメだ」


 そして彼女は走り去る。

 アルフェとベルの距離限界―――その間際のほんの一歩だけ先にいた彼女を、ふたりは追おうとはしなかった。


「……逃げられてしまいましたね」

《……ワリぃ》

「いえ。傷つけてしまうわけにもいきませんから。ありがとうございます」


 ベルを抱き寄せてなでかわいがる。

 もしも彼女が全力で追えばきっと、フリエを傷つけてしまうだろう。


 ……あるいは、彼女はそれさえ


「―――やはり欲しい」


 力が。


 ―――彼女が。


 ■


「お疲れ様ですフリエ先輩」

「お、えっあお、おつかれ……?」

「これからお風呂ですか。では私はその後にいたしましょう」

「あうん。……いや待って待ってなん、このなに? あれ? さっきのってボクの幻想???」

「いいえ? ああ。私はかなりお時間をいただきますので、気兼ねなくお先にどうぞ」

「えぇ……いやえぇ……ボクがおかしいのか……?」


 ぶつぶつと言いながらお風呂に向かうフリエ。

 彼女を見送って、アルフェはにこりと笑った。


「また月の下で」


 ―――襲撃が始まったのは、今夜からだった。

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