第42話 死闘
夜。
予習復習を終えたアルフェは、ベルとともに街に繰り出していた。
夜の商業区画はとても静かだ。
学生を中心とするこの場所に夜の店はない。
クラブによっては夜活をしている生徒もいるが、基本的には寮区画の方面が騒がしい。
ふたりがやってきたのは小さな広場だった。
街にはいくつかある虹天蓋の円形広場。外縁に並ぶ花壇は園芸系のクラブや園芸委員会の協力によって保たれている。
見上げる月は白銀色。
二重の虹は、元の色。
アルフェはその中央でベルと向き合った。
ベルはアルフェとともにあるが、数メートルはなんとか離れることができる。
それはちょうどこの広場の半径くらいだ。
だからこの広場であれば、ふたりは全力で暴れられる。
「本気でどうぞ」
《げはは! 任せろ……!》
ギラギラと瞳を燃やし、ざわざわと毛波を起こすベル。
常に傍らにいるはずの彼女なのに、向き合っているといまだかつてないほどに激烈な威圧感を覚える。
学園長ともまた別次元の―――明確な敵意の塊。
だからこそ、アルフェはベルと向き合っている。
彼女は強くなりたい。
そのために必要ななにか、それがベルなのだとアルフェはそう考えた。
ベルとこうして敵対するという発想はとてもなかったが、考えてみれば彼女以上に都合のいい戦いの相手もそうはいない。
「では始めま」
ヅァンッッツ!!!
黒の爪が月光を引き裂く。
《げはははは!》
強引に身をよじったアルフェへと、情けも容赦もなく繰り返される鋭利の乱舞。
一振りのたびに生み出される真空に吸い寄せられる身体を、強引に引きはがしながらアルフェは踊る。
ベルの爪は鉄だろうがなんだろうが問答無用でぶった切るのでもちろん受けることはできず、だからアルフェはひたすら避ける避ける避ける!
「シッ!」
《グラァアッ!》
大振りの薙ぎ払いを滑りぬけ、叩き込む拳を迎える大口―――全身の筋肉に無茶をさせながらもとっさに拳を引き、ガヂンッ! と空を噛み砕く音に冷や汗をかきながら蹴りの一閃を叩き込む。
《ハッハァ!》
ぶわっ、と飛び上がるベル。
空中でぎゅるると回転した彼女は落雷のごとく爪を振り下ろし、飛び退ったアルフェへと更なる追撃が襲い掛かる。
本来ならば実体のないベルは物理攻撃を好き放題すり抜けられる。普段から獣のような姿にはなっているが、あくまでも彼女は精霊だ。
しかし今はアルフェの訓練でもあるから、いちおう全身に当たり判定を用意している。
それでもやはり、当たらなければどうということはないのだが。
《オラオラどうしたあ゛ぁコラァッ!》
「ぐ……っ!」
テンションが上がるにつれて加速する挙動。
《もっと死ぬ気で殺しに来いやァッッッ!!!》
振り回される爪が、牙が、アルフェの皮膚を盛大にえぐりぬく。反撃の一撃は毛並みを掠め、すかさず巻き付いたしっぽがアルフェを天蓋に吹き飛ばす。
「がはっ!」
《げひゃひゃひゃひゃ!》
叩きつけられたアルフェへと飛来する牙。
痺れる身体を強引に動かし、天蓋を蹴り飛ばして攻撃を避ける。天蓋に着地したベルが重力を無視して駆け寄るのを強引な落下で回避するが、空を蹴ったベルに追いつかれる。
《オラオラオラオラァッ!》
空中で襲い来る連撃。
身をよじるだけで回避するにはあまりにも手数が多い。ほんのひとつの吐息を食いしばり、アルフェは四肢を躍動させる。
ドドドッドッドドッドッ!
鋭利の隙間をかいくぐり、腕をにくきうを蹴り殴ることでかろうじて死を逃れる。
それでも皮膚は肉は裂けて散り、自由落下のほんの数瞬でアルフェはズタボロだ。
「ぁ」
たぱぱ。
落ちる血液が床を汚す。
ギラリ閃くベルの視線。
落下の刹那、ベルによってこじ開けられた隙へと鋭利が吸い込まれ―――
ザゥッ!
「……ふ」
《げははは》
そしてアルフェは柔らかな毛並みに受け止められ、ぺろぺろぺろと舐められる。
傷口に染みる舌の心地に陶酔しながら、アルフェはそっと目を閉じた。
―――やはり、勝てない。
ベルに対してはそうだ。
そしてかの『最強の剣』にもきっと。
ベルの速度はすさまじいが、しかし……彼女は全力を出せはしない。
ベルは手加減が極めて下手だ。そもそもそういう風に生まれていないので、もしも全力でやればアルフェは秒で細切れだろう。
だから今は、ベルが可能な限り力を抑えて戦っていた。
それでなお敗北した。
魔術を一切使用していない純粋な肉体だけとはいえ、ぼっこぼこのぼこである。
せめてあの程度の遊びにくらいは付き合えるだけの力が欲しい。
「……再開しましょう」
《んー。もちょっと》
「ではもう少し」
アルフェはベルの鼻先にくちづける。
ぺろりと返ってくる舌を口に受け入れれば、もふもふの毛皮に押し倒された。
それから少しだけベルとじゃれあって、またアルフェは戦いを再開する。
爪で侵され、牙を喰らい、身体中に痛みを浴びながら、アルフェはベルの攻撃をひたすらに回避した。
決着は常にベルの勝利に終わる。
戦うたびに彼女はアルフェを殺さない程度の力の使い方を学んで、だから死ぬ気で食らいつかなければすぐにでも置いて行かれてしまうのだ。
相手としてはこれ以上ない。
ないが……
「……剣を持ったりはできませんの?」
《んなもんよりコレのほうが強ぇ》
「まあ、そうですが」
ベルは野獣のごとき戦いざまだ。
その速度と一撃必殺の威力は回避を磨くにはもってこいかもしれないが、もしかしなくても剣術にはあまり向いていない……?
そんな疑念がアルフェには生まれていた。
そもそも素手と爪だ。
まったくとても今更過ぎる。
せめて自分用の木剣くらいは用意しておく必要があるなとアルフェは思った。
―――木剣といえば。
数戦を終えたアルフェは、貧血で青ざめながらも寄り道をすることにする。
時間的に今はまだフリエも日課に励んでいるころだろう。木剣を持って行った以上は素振りなりなんなりしているだろうから、ついでにちょっと眺めていきたかった。
なにせ実践剣術ではやはりフリエの『攻撃』を見られていない。たとえ素振りであってもちょっぴり興味がある。
そして。
そしてアルフェはそれを目にしたのだ。
「―――居た」
アルフェの欲するものが、そこに。
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