第34話 ケーキを食べてほっこり

「そういえばさ、風紀委員長とはお会いしたの?」


 ひとつめのケーキをぺろりと平らげたところで、思い出したようにフリエが振り向く。

 どうやら甘いものが好きというのは本当らしく、ぺろっと唇を舐めながらふたつめのケーキにフォークを入れている。


 隣に座っているアルフェはミルクたっぷりのカフェラテをこくりと飲み下してカップを置いた。


「直接お会いしたからなのかなって」

「いえ。お会いできませんでした。思えばあまり存じ上げませんから気になりまして」

「そか。まあお忙しい方だからね……あこれおいしい」


 ベリーの甘酸っぱいケーキをひとくち食べて、目を輝かせたフリエはアルフェに皿を寄せる。

 ケーキバイキングというだけあってひとつひとつは小さなケーキなので、アルフェがもらうと半分ほどになってしまった。


「こちらもおいしいですよ」

《ワタシにもくれー!》

「へー、ナッツ好き? ほんとだおいしいね」


 代わりに差し向ける食べかけのケーキにフリエはにっこりと笑う。どうやら気に入ったらしい。

 ふたりの間で目立たないようにケーキをむさぼるベルも、ナッツの香ばしさとほろ苦いチョコレートに尻尾をぶんぶん振り回した。


 特に示し合わせたわけでもないが、ふたりの皿に乗ったケーキたちは驚くほど被りがない。それだけ種類があるということでもあるが、甘いもの好きといっても奥が深い。


「んー。風紀委員長についてかぁ」


 ブラックのコーヒーで一息ついたフリエは、フォークをくるりと振って考える。


「あの方はなんというか……風紀委員長になるためにこの学園に来たみたいな節があるんだ」

「……それは、どういう?」

「いや言葉通り。なにせ学園って世界的にも有数の教育機関だからさ、その法規を司る風紀委員会って実はけっこう評判でね。現役の軍部とか騎士職のなかにもかなりいるらしいよ、風紀委員卒のひと」

《へぇん。ほんとにすげんだなガッコってなぁ》

「風紀委員長様もそのおつもりなのですか」


 納得するアルフェだったがフリエは首を振った。


「彼はそれどころじゃない。……帝国法政院の執行官に内定が決まってるんだ」

「……なるほど」


 帝国法政院―――それは実力主義のアルベレオ帝国において最も高位にある組織のひとつだ。

 名の通り帝国の法と政治を支配する中枢機関であり、執行官といえばその中でもひときわ知られた存在だった。


「たしか、王国でいう裁判局のようなものでしたか。あちらにもたしか……そう、『最善の剣』と呼ばれる武力団体がいらっしゃいましたね」


 アルフェは共和国民なので、身近な例を挙げてみる。

 『最善の剣』とは『最強の剣』と並んで王国の時代からパリティア共和国を支える存在だ。

 共和国はどうにも、頼れる存在をなんでもかんでも剣と名付ければいいと思っている節がある。


「……ああ、まあ、帝国のほうがよっぽど過激さ」


 そんな彼女の言葉に、フリエはわずかに表情をこわばらせた。

 そういえば彼女も王国民らしいので、王国が誇る法律の番人を『武力団体』呼ばわりするのがお気に召さなかったのかもしれない。


 アルフェが軽く謝罪をするがフリエは首を振って、気を取り直すようにコーヒーを含んだ。


「帝国法に拘束力を持たせるための超法規的武力団体……方向性としては風紀委員会に似ているね。どうやら入学以前からそういう話はあったらしくて、副委員長になった時点で本決まりってところかな。最年少執行官としてけっこう騒がれたらしいよ」

「そうなのですか」


 残念ながらアルフェの耳には届いていなかったようだ。なにせ目標のために盲目的といえるほどに努力を重ねてきたのだ、他国の執行官になど興味はない。


「まあそんなわけで、あの方はまさに法規の具現者みたいな感じでね。強いというかいっそ怖いくらいさ。だからなんというか、たぶんあまり参考になる感じではないんじゃないかな。少なくとも、彼を見習って白を目指すのはオススメしない」

「……そうですか」


 実際に会ってみなければ分からないが、フリエがそう言うのならばあながち間違ってもいないのだろう。

 アルフェの持つ執行官のイメージを思えば、確かに自分とは相容れないのだろう、と思えてくる。


 それでも執行官志望となれば強者であることは間違いなく、いずれその戦いざまのひとつでも見ておきたいところだった。


 そんなことを思いながらカフェラテを飲むアルフェに、フリエは一度フォークを置いて真剣なまなざしを向ける。


「やっぱり、厳しそうかい?」

「……ええ。ですが不可能だなどと諦めるつもりもありませんので」


 ケーキをつつきながら頑なに言うアルフェ。

 フリエは眉をひそめて難しい顔をする。


「それで参考にできるような人を探している、と」

「そういう理由もありますね」


 もっとも、それはあくまでも主軸にするような目標でもない。

 いないならいないだ。

 しかし、そこまで聞いてくるということは心当たりでもあるのだろうか。


 そう思って振り向くが、フリエは首を振った。


「あいにくと、ボクもそんな都合のいい人なんてしらないよ。……というより、そんな他人頼りにするくらいなら諦めてしまった方がいいんじゃないかな」

《ンだとコラ》

「……」


 アルフェは目を細め、ベルは威嚇する。

 しかしフリエは厳しい表情のまま、怯むことなくアルフェを見据えていた。


「キミが最速にこだわる理由は知らない。だけど人間にはどうしてもできないことがある。……キミはとても優秀だから、普通にやれば白を得ることだって難しくないはずだろう。ムリをする必要なんてないじゃないか」

「……私がやると決めたのだからやるのです」

「そう意地になったってムリなものはムリなんだよ……できないんだ、できないことは……!」


 ぎゅ、と自分の腕を掴むフリエの様子は、ただアルフェの無謀を諫めようとしているだけではないようだった。

 ベルはお構いなしで牙を突き立ててやりたそうだったが、気になったアルフェは慎重に尋ねた。


「なにか……そう思う理由があるのですか?」


 あるいは―――フリエがわざわざ銅色寮に居座る理由に関連することかもしれない。

 これはそんな好奇心だった。


 フリエは優秀だ。

 身のこなしや驚異的な観察力だけではない、予習復習をするアルフェが試みに問いかけてみればあっさりと回答をくれるほどには学業にも秀でている。

 まだ一学期も一週終わったばかりという短い期間ではあるが、アルフェとしてはフリエがまだ銅色であることなどありえないとさえ今は思っていた。


 できないことはできない―――その言葉の奇妙なまでの迫真さは、彼女自身の経験によるものかもしれない。


「…………これはある友達の話だ」


 そんなアルフェの問いに、フリエは遠くを見つめてぽつぽつと語りだした。


「彼女はとても、……とても優秀と言われる子供だった。少なくとも元居たところではそうだった。事実学園でも彼女は優秀だったよ。……ありふれている程度に、優秀だったよ」


 学園には世界各国からさまざまな生徒がやってくる。

 しかし入学試験をパスした時点でそれ相応の能力を有しているのだ、優秀くらいはあたりまえでしかない。


「だけど彼女は、自分の能力を過信していた。自信満々に、最速で白色になってやるってさ。そのために情報を集めて、最適と思える講義を選び、ひたむきにがむしゃらに努力をした」


 けれど、と。

 そう声を沈めるフリエは、悔し気に歯噛みする。


「けっきょく彼女は5つどころか1つとしてS評価を得ることはできなかった。それでもオールAではあったんだから十分すぎるくらいさ。彼女は確かに優秀で、それは学園においてさえ飛びぬけていると言ってもよかった。本来S評価なんて一年生が目指すようなしろものじゃないんだからね。……よかったんだ、本当は。もしも同時期に、最速で青を得るようなヤツさえそばにいなければ」


 友達の話―――そう言っていたわりには、彼女の声には重々しい熱がこもっている。

 深い後悔と、痛みと、そして諦めに瞳が淀む。


「それでも彼女は頑張った。ソイツをライバルとして、一生懸命、だけど、でもできないものはできないんだ……ようやく諦められたころには、」


 言葉を区切り、深く、深く淀みを吐き出す。

 今にも泣きだしそうな笑みが、アルフェを見上げた。


 フリエのほうが背が高くて。

 普段は自然と見下ろされるはずなのに。

 縮こまり、自分の身体を抱きしめる彼女は、アルフェを、見上げていた。


「もう、もうとっくに自尊心なんてなくなっていたよ。みじめでみじめでどうしようもなくて、入学したころは学ぶこと自体を楽しめていたのに、もはや努力をすることに……自分の能力を自覚することに恐怖さえあった。努力は裏切らないだなんて詭弁だ。努力は簡単に人を裏切る。それでいてまるでただ努力が足りていないからだなんて顔をするんだ……頑張ろうだなんて、頑張ってないって言うのと同じじゃないか……!」


 呪詛のように吐き捨てるフリエ。

 ぎゅ、と縮こまる彼女はついに頭を抱えて、もうどうしようもないほどに震えてしまう。


 それからふらりと顔を上げると、今にも泣きだしそうな顔でアルフェに縋りついた。


「もしお願いしたら、キミはやめてくれるかい? キミは、キミは優れている、それでいいじゃないか。腕輪の色なんて重要じゃない。S評価なんて大切じゃない。そうだろう? 高い志は確かに立派だ。だけど―――」

「貴女は、先輩。……貴女は、私が失敗するとそうお思いですか」


 ひやり。

 凍てついた視線がフリエの身をすくませる。

 目を見開く彼女から視線を外し、アルフェは優雅な手つきでカフェラテを飲んだ。


「率直に申し上げて―――不愉快です」


 いつになくわずかに声を荒げるアルフェ。

 ごまかすようにケーキを食べたら、口の端についたクリームをベルが舐めとった。


「失敗も諦めも私は許容いたしません。決めた以上は達成する以外の結論など存在しないのです。努力で届かない程度でこの私が折れるなどくだらない」


 努力など手段のひとつでしかない。

 そしてアルフェはどんな手段をとったとしても復讐を果たす。


 その決意こそがベルだ。


 だというのに、できない程度のことでどうしてくじける必要があるのか。


 深呼吸をひとつしたアルフェは、それから静かにフリエを見据えた。


「それが私です。ご了承ください。……どのみち一学期だけの関係でしょう」


 きっぱりと言い切ったアルフェはケーキを食べる。

 フリエはしばしぼうぜんとアルフェを見つめていて。

 それから長い沈黙を経て、呟いた。


「……そう、だね」


 うなだれながら、ちまちまとケーキをつつく。


「こちらのキャロットケーキも美味しいですよ」

「うん……ありがとう」


 気にした様子もなく差し出されるケーキを、フリエはあいまいな笑みを浮かべたままいただく。

 ひどくおもむろに咀嚼して、彼女はぎこちなく笑みを浮かべた。


「おいしいね」

「落ち込んでしまったときには甘いものですから」

「……」


 フリエはいろいろと言いたいことを飲み込んで、お皿の上のケーキをひとつ一口で突っ込んだ。

 目を閉じてもぐもぐ。

 それから目を開いた彼女は、いつもの笑みを取り戻している。


「よし、食べよう!」


 まだまだケーキバイキングは始まったばかりだ。

 ふたりはそれから時間いっぱい、甘いケーキに舌鼓を打ったのだった。

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