第27話 石の森
天井と地表をつなぐ長い長いらせん階段を下りた先に広がるのは、おぼれそうなほどの霧に包まれた、見渡す限り緑色の岩石地帯である。どこからともなく聞こえてくる鳴き声のようなものがどこかおどろおどろしい。
そびえたついびつな石柱は枝葉のように広がり、起伏のある大地を覆いつくしている。隙間や足元、傘の上にはびっしりとおびたただしいほどに苔が生い茂って、だから岩石の中なのに視界はほとんど緑一色だ。
中央に位置する螺旋階段の付近は拓けていて、見上げてみれば霧の中を貫く塔がはるかはるかまで伸びている。とても見通せるものではないが、降りるだけで多くの生徒が息も絶え絶えという事実はその高さを知るには十分だった。
学園迷宮第一層『石の森』
そこはさながら、霧と岩石の世界である。
「……全員、いる?」
「ロコとアルーはいるぞ!」
《ワタシもいるぞー!》
引率であるモリガンの言葉に元気いっぱいに反応して見せるロコロコ。なぜかベルも一緒になってがおがお吠えた。
モリガンはひとつ吐息した。
手に持っている杖をかつんと鳴らす。
「このくらいでバテてたら……すぐ死ぬ」
「探検者というのは体力が命です。危険な場所や、魔物から逃げ出すことは探検者のもっとも重要な能力なんですよ」
真剣な眼差しが呼吸を乱す生徒たちを見回す。
傍らの女子生徒がモリガンの言葉を超翻訳して伝えるが、やはり反応は薄い。
しかし事実、モリガンたちと生徒たちには大きな差がある。
なにせモリガンは片手に杖を、背には甲羅みたいに大きな金属盾を背負いながら息ひとつ乱していない。補助としてついてきている生徒たちも、ひときわ大きなバックパックを持っているのに余裕の表情だ。
一方で受講生の中で余裕なのは、アルフェとロコロコをはじめとした数人だけだった。
「大丈夫かロイネ?」
「だ、大丈夫です、ありがとうございますヘイロン様」
どうやら銀髪男子生徒も余裕らしく、ロイネを気遣っておろおろしていた。近くにはマクスウェルの死体もある……いやどうやらいるようだ。かろうじて。
合格順で早いほうから二十数人でまとめられたこのチームだったが、彼女らはまずまず優秀らしい。
「……でも、講義……死なない……がんばれ」
「今回は講義でもあり、私たちのフォローがあるので皆さんが大きな危険に陥る可能性は低いです、頑張りましょう。また、だからといって油断するようなことなく、もし不測の事態が起きた時でも対応できるように今日から体力をつけるように頑張ってください」
ひとつの分に二重の意味を込めていたらしいモリガン。疑うような視線が生徒たちから向けられるが、彼女はうむうむとうなずいて傍らの生徒の頭をなでていた。
わざわざほぼ跪いてまでなでなでを受け取る彼女の表情は緩みまくっている。
本当に大丈夫だろうか。
生徒たちは思った。
「……北……いく」
「私たちは北のほうに向かいます。迷宮の羅針盤は地上のものと違うので、方角は地図を参考にするか、看板などを参考にしてください」
もはやそこまでいくとどっちが教員なのか分からないが、気にせずモリガンは歩き出す。
どうにか呼吸を整えた生徒たちもぞろぞろとそれに続いた。
「足……滑る……」
「苔むした石はとてもよく滑るので気を付けてください。装備をしたまま転ぶと、潰されたり壊してしまったり非常に危険です。しっかりと足を踏みしめ、走ったりはしないように」
「看板……」
「このように迷宮内には看板が設置されていることがあります。学園の正式な看板には必ず竜のマークの焼き印があるので確認してください。これは実際の迷宮にもあって、基本的には情報を共有したり注意喚起したりする目的で置かれています。ときおり罠として置く不届き者もいるのでご注意を」
「魔物……でない……」
「石の森の魔物は多くが臆病で温厚なので、団体行動をしているとあまり近づいてきません。ただし中には縄張り意識の強い魔物がいて、そういったものは領域を犯すととたんに襲い掛かってきます」
「キノコ……注意……」
「石の森には数十種類のキノコが生息しています。そのうち数種類は猛毒なので、基本的には触れないほうがよいでしょう。またこの一見石のようにしか見えないキノコは魔物にとってはとても美味で、この辺りを縄張りにする魔物がいる可能性が非常に高いですね」
―――などなど。
うろうろと歩き回りながら、折に触れて説明を挟む道中。座学でやったような内容もあれば、この迷宮特有らしい内容もある。
魔物も罠もなにもない、驚くほどに平和すぎる道のりに、最初は張りつめていた生徒たちの空気もやや弛緩していた。
これではまるで遠足だ。
《がるぅ……生殺しだぜ》
先ほどからベルは、石の樹の隙間や木々の向こうに生き物の気配を敏感にとらえている。
彼女にとって魔物を見つけることなど容易いことだ。
モリガンはそれらとつかず離れずの道を的確に選んでいるらしい。
《む》
「……ん」
そうかと思えばモリガンは立ち止まる。
ちょうどベルが反応を示したタイミングだった。
彼女は振り返って宣言する。
「……235。戻る」
「皆さん羅針盤を見てください」
指示に従って生徒たちは羅針盤を取り出す。
羅針盤には方角と別で数字のメモリがあって、それは今235くらいを指している。
これは距離計となっていて、中心からの位置を示しているのだ。
「石の森では距離235が『階層境界』で、魔物たちの様相が変わります。一度戻って、合流しましょう」
階層境界とは、その階層が本領を発揮しはじめる境界だ。上層階に近い場所は一般に比較的魔物や環境の脅威が少なく、その『階層のチュートリアル』とでも呼べる領域が終わる位置のことを指す。
どうやら今回はその内部で環境に慣れることを目的としていたらしい。
生徒たちはがっかりしながら、またモリガンについて石の森を戻っていった。
らせん階段の広場で待っていれば、各々に探索をしていた後続のチームたちも戻ってくる。
一番最後に戻ってきたメイプルが、集まった生徒たちを見回した。
「さて待ちに待った迷宮はどうだった?」
「……」
「はっはっは! まあそうだろぉな」
イマイチな反応にカラカラ笑うメイプル。
「迷宮ってったら過酷な自然に魔物たちってところだろ。心配しねぇでもテメェらだけで歩き回ってたらいくらでも冒険できるだろぉが、探検者が目指すのは今みてぇにつまらねぇ道中だってことだけは覚えとけ」
《むぅ。がっかりだぜ》
メイプルの言葉に、探検者に対するイメージが書き換えられていく生徒たち。
そんな彼らを見回して、メイプルはにやりと笑う。
「っし、じゃあ早速実践だ。まず5人くれぇでチーム作れー。境界内に限るが、テメェらだけで自由散策だ」
生徒たちはざわつく。
たしかに先ほどの散歩は拍子抜けだったが、かといって突然放り出されるのはさすがに心構えがない。
「そう心配しねぇでも死ぬ前に助けてやる。こう見えてもオレたちはプロだからな」
それはつまり、遅れれば死ぬような目にも遭いうるということで。
ここまで繰り返し繰り返し説かれてきた迷宮の危険が生徒たちの脳裏によぎる。
迷宮は―――死ぬのだ。
「オラさっさとチーム作れー」
しっしと手を振るメイプル。
困惑する生徒たちの中で、アルフェはひとつ溜息する。
《むぐぅ……めんどくせぇ、ワタシがいりゃあ仲間なんざいらねぇのにな》
チームを作る……アルフェの苦手分野のひとつだ。
それはなにもベルだけの理由ではない。
どうしようかと思っていると、元気いっぱいにむぎゅっと抱き着かれた。
「アルーはロコといっしょだな!」
「ええ。ぜひよろしくお願いいたします」
「よろしくな」
にこにこと笑うロコロコ。
これでふたりだ。
残るはあと三人……とりあえず適当に、同じようにあぶれそうな生徒にでも声をかけようかと見まわして。
「あ、あの、わたしたちと、組みませんか……?」
《はぁん? お呼びじゃねえぜ》
「……かまいませんよ」
話しかけてきたロイネをベルは尻尾で追い払おうとしているが、アルフェはあっさりとうなずいた。
もちろんロイネの後ろでは銀髪がにらみを利かせ、マクスウェルは鼻を鳴らしている。
つまり、これで五人だ。
相手が誰であれ人数が足りるに越したことはない。
どうせ講義中の一時チームなのだ。
「ん。よろしくな」
先ほどまでのハイテンションから一転、まるで人見知りでもするようでもあったが、ロコロコもアルフェに抱き着きながら頷いた。
かくしてチームを作ったアルフェたちは、石の森へと挑んでゆくのだった。
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