第26話 迷宮学実践

 ―――迷宮


 それは人工であり、天然であることもあれば、そのどちらでもあったりする。


 それらはどれも異様な環境だ。


 あらゆる植物が文字通り牙をむく魔物の森、年がら年中地響きとともに噴火する地底火山、どの方向からでも中心向きに重力のかかる球体孤島、青空のさらにその向こうにある純黒の無限地帯―――共通するのは莫大な魔力に満ちた『空間』であること。


 世界の術域、だなどと呼ばれることもあるくらいだ。


 学園の地下には、その迷宮のひとつが広がっている。

 通称『学園迷宮』―――それは学園にあるからというのと、そして学ぶに適したほどよい難易度を有しているから、という二重の意味を持つ。


 迷宮の難易度はピンからキリだ。

 踏み入れただけで死ぬような場所から、普通に街が栄えてしまうくらい平穏な場所まで。

 学園迷宮は無策な者が挑めばもちろんただでは済まないが、すでに確立された攻略の手順をもってすれば中堅以上の探索者にとっては最深部に至ることさえそう難しくはない。


 現存する迷宮の実に九割九部以上が未踏破であるという事実を踏まえれば、それはまったくなんとも難易度と言えよう。


 さてそんな迷宮の入り口に、生徒たちは集まっていた。

 学園地下、迷宮窓口―――円形の広場の壁に沿ってカウンターがある。真ん中には迷宮につながる石造りのらせん階段が、学園を覆うドームと同じ虹晶鉄によっておおわれていた。入り口の前には物々しい鎧を身に着けた門番がふたりいて、ぞろぞろとやってくる生徒たちに身じろぎひとつなく沈黙している。


「さて、これから迷宮に潜るために最低限の準備ってやつを仕込んでやる」


 そう告げるメイプルは、講義の時から変わらず革鎧で、背中に大きな槍を背負っている。先端が刀身になった形状の槍だ。

 合流した他の教員や上級生たちもみな装備を整えていて、これから本当に迷宮に挑むのだと、生徒たちは緊張や期待に包まれていた。


「まず大前提として、どんなヤツだろうが装甲は着けろ。急所と、あとは足だ。探索者の絶対真理は『逃げるが勝ち』だ。足がやられたら逃げることもままならねぇし、そもそもクソみてぇな地形だ、尖った石を踏んで戦闘不能ってのも笑い話じゃねえ」

《げはは》


 彼の言う通り、教員たちはみな頭や足に金属製の防具を身に着けている。迷宮どこか街に繰り出していきそうな軽装で頭を守ってもいないサリーでさえ、ミニからむき出しの艶やかな太ももの先にはロングブーツだった。


「んで次に動きやすいこと。動きの邪魔にならねえのはもちろん、ムダにひらひらしててどっかに引っ掛かりやすいようなのは論外だ。迷宮探索はお遊びじゃねぇ」


 もちろんアルフェも今日はドレスではなく、ミニスカートの制服を着ている。髪も普段のように編み込みではなく、シンプルにひとつにまとめていた。

 スレンダーな彼女にはことのほか凛々しく映える。


 ちなみにこの制服、フリエからのおさがりである。

 学期が始まる以前、迷宮実践に向けて用意しようと思っていたところに、彼女のほうから打診があった。


『よかったらこの制服もらってくれないかな。ボクはほら、あんまり着ないから……処分しようとは思ってたんだけどね』


 そう言って笑っていたフリエは、確かにこれまでパンツスタイルしか見たことがない。

 ならばなぜそもそもスカートのものがあるのかと疑問はあったが、その点については尋ねなかった。


 いずれ何かしらの形で恩を清算しておかなければいけないなと、そう思うくらいだ。


 さておき。


「そして武器だが、これは最低でもふたつだ。もちろんべつにサブウェポンを用意しとくのもアリだが、あまりごちゃごちゃと持っても判断を鈍らせる」

《ワタシがいりゃあンなもんいらねぇぜ、なあ》


 メイプルは腰の後ろで鞘に納まる大ぶりの短剣と、ベルトに刺さった数本のダーツを見せる。

 槍をメインに、中~近距離での戦闘を想定しているらしい。


「最後にバックパック。少なくとも水と携帯食料だけは入れとくべきだが、むやみに大量に詰め込むのは邪魔になる。探検者の基本は現地調達だからな」


 討伐技術で青モルフォルを紹介したのもそのためだ。

 魔物と環境が猛威を振るう迷宮において身軽であることはそれだけで重要な意味を持つ。『逃げるが勝ち』。

 だから最低限に最大限の荷物で、あとは現地で確保する、できなさそうと判断したのなら大人しく戻って体勢を立て直すというのが一般的なやり方だ。


「ただ植物類は魔物の肉に比べて毒の見分けがつきにくくてな、発酵キャベツとか、ドライフルーツの類は長期の探検には必須だ」

《うげぇ。甘いやつにしようぜ》

「もっとも学園迷宮にんな長期間滞在することはねぇだろうがな。そのあたりの情報収集と見通しも探検者の必須スキルってわけだ」


 そう言って紹介される彼のバックパックの中身は、なるほど水と食料に、止血剤や包帯などをまとめた簡易医療キット、それから地図と小さな羅針盤だ。


「この羅針盤は常に迷宮の中心を指す。学園迷宮だとちょうどこの階段がそうなってる。第一層ならそんなもん見りゃわかるが、二層以降からは必須だな」


 バックパックは教員たち全員が背負っている。

 基本的に自分の荷物は自分で持つことが多い。

 世の中には荷物持ち専門の探検者もいるというが、相当な実力と信頼がある者のみに許された高度な専門職である。


「ってことで、以上を踏まえて一度自分で装備を整えてみろ。用意を終えたらオレたちが見てやる。合格になったヤツからチーム組んで出発だ」


 パン、と手をたたくメイプル。

 どうやら解散ということらしい。


《げはは、一発で合格してやろうぜ》


 牙をむくベルに、アルフェは当然にうなずいた。

 S評価を求めているのだ、こんなところで立ち止まるつもりはない。


「どしたアルー?」

「いえ。行きましょうかロコさん」

「そーだな!」


 にこにこと手をつないでくるロコに引かれて、アルフェはほかの生徒たちと同じように更衣室へ向かった。


 装備の選択から荷物の用意までをてきぱきこなして、ついでにロコロコにアドバイスするような余裕さえ見せながら、アルフェは一番乗りでメイプルのもとへと向かった。


「―――よおし、荷物は万全だな。筆記満点は伊達じゃねぇ」

「ありがとうございます」


 アルフェのバックパックを確認したメイプルがぎらりと笑う。


「んで、装備のほうだが……防具はまあいいとしてだ。武器のほうについてはちょいと説明をもらおうかね」


 にこやかではあるが、もし少しでも『甘え』があれば即座に不合格を告げてきそうな視線だ。


 彼女は今、制服の上から金属製の胸当てを着け、視界を妨げない兜をかぶり、両手両足をゴツい装甲で覆っている。

 そして腰には革製の鞘に納めた直剣を提げ、反対側に小ぶりなナイフを納めている。


 メイプルの語った要件は一応満たしているはずだったが、アルフェは彼の懸念を適切に把握していた。


「こちらのナイフは解体用として選択いたしました。魔物の皮や植物を切りやすいものですね」


 抜き放つナイフは刃がギザギザとしている、一般に解体用と考えられているナイフだ。刃渡りはさほど長くはなく、またその刃は引っ掛かりやすく振り抜きにくい。

 動く魔物相手に使うには少々無理があるセレクトだ。


 要するに、それを武器と考えるには不適格だった。


 そしてもちろん、そんなこと百も承知である。


「私のもうひとつの武器はこれです」

「……ほぉ」


 カチャ、と掲げる装甲に包まれた腕にメイプルは目を細める。


「私は肉体強化魔術が使えます。ガントレットも大きめのものを選びましたから、肉弾戦には十分かと」

「なるほど。出力は?」

「……全力でやるには、もう少し強度のある腕甲が欲しいところですね」

《げはは、このドームでもぶち壊してやるぜ》

「そりゃ上等じゃねぇか。おいカシス! ちょっとこっちこい!」


 にやりと笑ったメイプルは、ほかの生徒を見ていたカシスを呼びつける。

 どうしたどうしたと集まる視線。


「またあの女……!」


 どこからか歯ぎしりの音が聞こえた気がした。

 もちろんロイネ一派も迷宮学を履修しているのだ。


「どうしたんだいリーダー」

「このガキが力自慢ってんでな、試してやれ」

「あぁうん。……いやリーダーがやればいいのに」


 ぶつぶつと言いながら適当なテーブルを用意したカシスは、眉をひそめて困ったように笑う。


「ごめんね。キミは……」

「アルフェと申します」

「アルフェ君か。えっと、探検者っていうやつは力自慢ってけっこう多くてね。だからちょっと力が強いだけじゃ武器とは認められないんだ」

「ええ。存じ上げていますよ」


 腕甲を外したアルフェは勝手知ったるとばかりにテーブルに肘をつき、細くしなやかな手でカシスを誘う。


 今から始まるのはもちろん腕相撲である。

 由緒正しい力比べの作法だ。

 ルールは単純、握った腕を押し合って、テーブルに付いたほうの負け。


「がんばれアルー! ぶっ飛ばすんだな!」

「あはは、ボクいちおう教員なんだけどな」


 苦笑したカシスは同じく肘をつき、手を握ったとたんにまなざしを真剣なものに変える。


「キミ……いや。準備はいいかい?」

「ええ―――」


 うなずく―――その瞬間彼女の腕にらせんを描く呪文が手首まで這い上がり、そして淡い光をともして肌に張り付く。


 ざわつく生徒たち。

 それもそのはず、なんでもありの術域内とは違い自らの肉体に作用するような魔術は比較的高度なものとされている。

 それを当たり前のようにやって見せた彼女は、少なくとも魔術学概論を必要とするレベルではない。


「―――いつでもどうぞ」

「おおー! アルーはすごいな!」

「ひゅう」

《ケッ、ワタシの出番はまたなしかよ》


 挑むように笑うアルフェ。

 メイプルは口笛を吹き、握り合った拳の上に手を置いた。


 そして―――


「はじめッ!」

「ッ!」


 号令とともにカシスの腕が膨張する。

 それだけ本気で力が腕に込められたというのは、歯をかみしめる表情からも見て取れる。


 だからこそ、それを受けてなお微動だにしないアルフェの姿は異様だった。


 必死に耐えているのではない、どこまでも冷ややかに、表情のひとつも変えずに、自分の二倍はあろうかという巨体を受け止めていた。


 それどころか小首を傾げて言った。


「カシス先生。私を試すというのでしたら、素手では意味がないのではありませんか?」

「ははっ、余裕だね……ッ!」


 笑うカシス。

 その腕に、アルフェよりもゆっくりと這い上がる呪文。

 そして魔術が成った瞬間―――


 ッッッッ!!!!


「っ、」


 迸る衝撃。

 腕は微動だにしていないというのに、そこに集結した力によって空気が弾き飛ばされていた。

 アルフェはぱちぱちと瞬く。

 彼女の腕は、少しずつ、敗北に向けて傾いていた。


「大人げなくてゴメンね。これでも対人間用くらいなんだけど」

「いえ。問題ありませんよ」


 アルフェはにこりと笑う。

 眉をひそめるカシスだったが、その直後に目を見開くことになった。


 アルフェの腕に、もう一条の魔術が這う。

 それは元の呪文と二重らせんを描き、同じように手首まで到達した。


「魔術を、追記した……!?」


 唖然とするカシスの腕が、少しずつ押し戻される。

 あっさりと元通りの均衡に戻したアルフェは、それからテーブルの端を掴んだ。


「ご容赦を」

《げはは!》


 ―――バゴォアンッッッツ!!!


「すごーいなー!」


 叩きつけられるカシスの腕。

 轟音とともにぶち砕けるテーブル。

 上がる歓声。

 ちょうどぴったりテーブルに直撃する位置で止まった手を、アルフェはあっさりと解いた。


 そのころにはすでに腕に呪文はなく、彼女はメイプルに笑みを向ける。

 その華奢な腕を振って、


「これは、武器として不十分でしょうか」

「はっはっは! 十分すぎるぜ! 文句なしの合格だ!」

「ありがとうございます」


 哄笑を上げるメイプルに、アルフェはしゃなりと礼をする。

 しかし笑っているのはロコロコとメイプルと、あとはカシスが頭をかいて苦笑しているくらいだ。

 生徒たちの多くは、いっそ不気味なものを見るような視線をアルフェに向けている。


「すごいなアルー! 力持ちだな!」

「ありがとうございます。ロコさんも、ご確認していただいたほうがいいのでは?」

「おお、忘れてたな。びっくりして吹っ飛ばされちゃってたな」


 ニコニコ笑って、ちょうど一番近くにいたカシスにバックパックを突き付けるロコロコ。

 アルフェよりもずっと軽装な彼女は、ベルトに分厚い短剣を数本下げ、そして先端が自分の頭くらいはある柄の長いハンマーを肩に負っている。


 魔術で出力を上げるアルフェよりもずっと力持ちだ。


 そんな彼女を見送ったアルフェは、バックパックを背負ってゆったりとたたずむ。

 まるで気負いもなく探索を待ちわびる彼女に、メイプルはさらに楽しそうに笑うのだった。

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