第22話 精霊学

 講義日四日目。

 昨日一日かけて辛うじて引き分けに終えたマクスウェルとの死闘だったが、もちろん必修科目はこの日もあるので、彼はまた競い合ってくる。

 顔だけ見れば冷静っぽいのにまったく血気盛んな人物である。人は見かけによらないとはこのことだろう。


 さておき。


 この日には『精霊学Ⅰ』と『礼儀作法』のふたつの選択科目があって、厄介な同級生のことはさておきアルフェは気を引き締めた。


 といっても先にある精霊学のほうには特別なことは必要ない―――というより、ベルという特別があれば事足りる。


 もっともそれはそれとして、アルフェはやや緊張していたのだが。


 そんな精霊学、担当はミリオネアという背の低い女性教員だ。

 ミノムシみたいなもこもこを着て、学者みたいな帽子を乗せている。顔立ちはどうみても少女にしか見えないほど幼く、片目には見るからに自然物ではない宝石めいたものがはまっていた。


 彼女が入ってくる前から、アルフェはいつもよりもなお姿勢を正して座っていた。


 ミリオネアは講義室にやってきた時点でベルの存在に目を留めたが、まるでそう珍しいことでもないとばかりににっこりと笑うだけで教壇につく。


 どうやら箱のようなものに乗っかっているようで、それでもなお頭が辛うじて出てくるという程度の彼女に緩んだ空気の中、講義は始まった。


「―――さて、ではみなさんは精霊というものをご存じでしょうか。精霊について聞いたことのある方は、噂でもいいので教えてくれますか?」


 そう告げればちらほらと手を挙げる生徒たち。

 アルフェも一応挙げてみたが、ミリオネアは数名の生徒を指名して質問を終えた。


 返答としては、物語で勇者を導くだの、大自然に宿る魂だの、生物ではなく現象に近いだの、そういった当たり障りのないものばかり。


 ミリオネアはそれをニコニコと頷きながら聞き終えると、声を明るくした。


「みなさんが精霊について沢山のことを知ってくださっていてうれしいです。ですが、もちろんそれが精霊の全てではありません」


 そう言って彼女は指を立てる。

 ふわりと広がる輪郭―――そして指先に、風が集まって形を成したような、揺らめく少女が現れる。


「精霊というと、こんなふうに美しい人の姿で描かれることが多いですね。この子はあくまでも見せかけで精霊ではありませんが……実際にわたしがお会いしたことのある子なんです」


 くるりと回った風の少女はミリオネアの頬に口づけて、くすくす笑うと消えてしまった。


「新入生の方もすでに魔術学で、術域と認識については学んでいますね。精霊のことを大自然の魂とそう表現してくださいましたが、もちろん魂はそう簡単に見えるものではありません。それこそまるでイメージ段階の魔術のように」


 イメージ段階の魔術。

 術域内に創造する炎。

 それは呪文によって表現しなければ認識できず、そして認識されたとき実現する。


「現在の精霊学では、精霊は意志を持つ術域である、というのが主流な考え方です。恐らくあとなん世紀かは否定されないと思うので、みなさんはこれをベースにするのがいいでしょう」


 そんなことを真面目に告げるミリオネアに、冗談と受け取ったのかちらほらと笑い声が上がるが、アルフェは少しも笑えない。


 たしかに精霊学は、謎の多い学問だというのが実際だ。精霊というものに対する様々なうわさや伝承は、そのまま精霊の正体として真面目に議論され、移り変わってきた『主流』の名残なのだ。 


 だが彼女は極めて真面目に、誠実にそれを言っている。


 なにせ現行の説を提唱したのは彼女自身だ。

 アルフェはそれを知っていた。

 おそらくはこの世界において―――あるいはそれこそ数世紀先まで、ミリオネアほどに精霊を知る者はいないだろう。


「なんらかの条件……例えば魔力的な閉鎖空間、強い感情のたまる場所、死者の名残、そういった場所の魔力が独立し、術域のように境界を持った空間になります。術域は極めて自由な空間ですから、存在していく中で様々な属性を発生させうる……そしてその中でも意思を獲得したものを、わたしたちは『精霊』とそう呼びます」


 『人間』という空間を魔力によって拡張させた『術域』。

 その中では火を起こそうが太陽を呼び出そうがなんだってできる。


 だから、意思を持つくらいは当然あり得ることだ。 


 これはそういう考えである。


「このときの術域のような魔力の空間は『ピュア』と名付けられ、迷宮学などとも関連していますが……そのあたりは興味があればお調べください」


 それからミリオネアの指示でテキストを開くと、説明内容が図解されていて、さらに下のほうには精霊の種類について続いている。


「さて、少し難しいことを言ってしまいましたが詳しいことはまた次回以降の講義に回して……今日は精霊学に興味を持ってもらえるような面白い話をしましょう。精霊と感情についてのお話です」


 にっこりと笑ってテキストを閉じた。


「ピュアという空間が意思を持って精霊になることには、例えば信仰、噂、伝説のような外部からの認識が影響していると考えられています。この森に守り神がいる、と思っていると、その認識を受けて守り神のような精霊が生まれるという風に」


 ざわつく生徒たち。

 さらっと信仰に正面からケンカを売るような発言だ。

 しかしミリオネアは気にした様子もなく続けた。


「そのように精霊というのは、わたしたち人間の意志、認識の影響を受ける存在です。特にすごいのが、感情による精霊化……つまり例えば、楽しいという感情が精霊になることがあります」


 感情の精霊化。

 またしても不思議な言葉にざわざわする講義室を見回して、彼女は頭に角みたいにして指を立てる。


「皆さんはもちろんドラちゃん様とお会いしていますね。驚かし好きな学園長さんに、わたしたち教員もよく驚かされてしまいます」


 あの人教員にもやるんだ。

 生徒たちは思った。

 しかしそれがどう関係するのかと首をかしげる。


「たとえばあの方なんかはとても分かりやすいのですが、感情が昂ったり、それとも凄い気迫を放っている人が、まるで一回り二回りも大きく見えることがありませんか?」

《げはは、確かにドラちゃんはすげぇぜ》

「……」


 思い返すのは学内ガイダンスでのこと。

 もっとも彼女はそれはもう常に威容をまとっているので、例えばには事欠かない。


「あれは迸る感情が、無意識に術域を発生させていることが理由のひとつなんです。身体を覆うような大きな術域が発生することで、まるで身体が大きくなったように感じてしまう」


 こんなふうに、と言ったとたん、ミリオネアの気迫が増す―――そういう風に感じるのは、なるほど術域によって彼女の輪郭が拡大したせいなのだろう。


 息をのむ生徒たちにうなずくころには、ミリオネアはまたちんまりしていた。


「ここで重要なのは、感情によって無意識に発生するということ……つまり、感情は魔力に強い影響を与えるのです。だからこそ強い感情が集まる場所では魔力が空間を作りやすく、そして純粋であるがゆえに染まりやすい『ピュア』は感情の影響を受けやすく、そして意思の働きである感情は精霊を生み出しやすい。このように、自然界でこそたくさん見られそうな精霊は、実のところわたしたちの近くのほうが発生しやすいんです」


 ほお、と感心するような声を上げる生徒たち。


「しかもこういった感情の精霊は、他の精霊と比べて認識しやすいという特徴があります。感情というのは人間にとってとても身近なものなので、無意識に感じ取ることができるのです」


 身近と言われてもいまいちピンと来ていない様子の生徒たちに、ミリオネアは例を挙げる。


「たとえば肝試しスポットなんかで聞く幽霊の噂の中にも、こういった感情の精霊が原因であるパターンは多いですね。ただおどろおどろしい雰囲気を持つだけの場所だったのが、恐怖の感情によって『ピュア』を発生させ、そしてその一部が精霊となる。しかもこういった場所にはうわさがつきものですから、『歩いていると足首をつかまれる』というような噂……が精霊をそういうものにすることもあります」


 幽霊の正体は実は精霊だった。

 そう言われたようなもので、納得や感動する生徒もいるが、中にはどことなくがっかりする者もいる。

 しかしミリオネアはつづけた。


「とはいえ、精霊学ではどうしても説明のつかないような噂なんかもあったりします。例えばかつて学園七不思議というものの中に『死者の講義』というものがありました。誰もいないはずの講義室で、死者によって死後の世界の講義が開かれている……そしてその講義を理解してしまうと―――死後の世界に連れていかれてしまう、というものです。存在さえ忘れられてしまうのだ、という恐ろしいうわさもありましたが……実際に、数名の生徒が忽然と姿を消すという事案がありました」


 またまたざわつく生徒たち。

 なにせミリオネアの静かな表情は、とても冗談を語っているようには思えない。


「舞台はただの講義室であり、しかもどこという具体的な指定もない。だからそもそもピュアが発生するほどの感情は生まれにくい。もちろんわたしも確認をしましたが、どの講義室にも異変はありませんでした。……そしてある夜のことです。忘れ物をしたわたしは講義棟を歩いていました。そこに聞こえてくるのですよ、まるで誰かに講義をしているような、そんな口調で……」


 ぼぅ、と目線を落とすミリオネア。

 水を打ったような静けさが広がる。


「これがそうなのだと直感しました。逃げるべきだとそう思って……ですがわたしは、まるで誘われるように、講義室の扉を開いていました……」


 ふと。

 ミリオネアの姿に得も言われぬ不安を抱く生徒たち。

 まるで輪郭がぼやけるように、なにか、不確かな感じがした。


 そして彼女は言う。


「そこにはいたんです―――泣きべそをかく新入生を前に講義をする、ドラちゃん様が……!」


 がたたんっ。

 生徒たちはこけた。


 ミリオネアはけろりと雰囲気を元に戻して笑う。


「どうやらあの方が噂をいいように使っていたようですね。そして肝試しにきた新入生を脅かしていたと。姿を消した件については、調べてみると単純に中途卒業だったり退学だったりといった実際にいなくなった生徒たちを利用して情報を操作していたようです」


 要するにこれも脅かしの一環だったんです。

 そう種明かしをするミリオネアになんともがっかりした様子の生徒たち。


 しかし彼女はこう締めくくった。


「……ですがおかしいんですよ。いなくなったとうわさされていた生徒のほとんどは在籍の記録が取れましたたが……たった一名だけ、いなくなったはずの生徒がいないんです。確かにその人はいなくなったと、同じ講義をとっているはずの生徒も教員も口をそろえるのに……その生徒は実在していないんです。しかもその人物について尋ねると、みんな首をかしげました……あれ、そういえばアイツって誰だっけ―――と」


 凍り付く生徒たち。

 けれどミリオネアはにっこりと笑う。


「みんな揃って勘違いするなんておかしな話ですよね」


 いやそうじゃないだろ。

 生徒たちは思ったが、口をつぐんだ。

 死後の世界に行った者は存在さえ忘れられる―――

 頼むから精霊のいたずらだと言ってくれと期待するが、ミリオネアの『精霊と感情に関する話』はこれで終わりだった。


 ほぼ怪談である。

 というか怪談しか印象に残っていない。


「さて次は精霊とお料理の話でもしましょうか。精霊にまつわる面白い話はたくさんあるんですよ」


 そうしてまた話し出すミリオネアだったが、あいにくと生徒たちは精霊より幽霊が気になってしかたがない。

 けれどそこからは単純に面白い精霊話ばかりで、彼らの暗雲が晴れることはないのだった―――

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