第20話 討伐技術
講義日2日目。
「―――ン以上で本日の講義は終わりでございます」
ピアレスクの宣言によって5限目『学園史』の講義は終わり、生徒たちは各々伸びをする。
座学の必修科目が1限からすし詰めになっている一日だったので、入学したての生徒達にはややしんどい。
中には6限に選択科目を入れていない生徒もいるようで、寮に戻ったり街に繰り出したりという声も聞こえてくる。
一方のアルフェたちにはもちろん次もあるので、てきぱきと荷物を片付ければまた移動だ。
ちなみに。
《けっきょくドラちゃんがすげぇってことしか分かんなかったぜ》
「ええ。謎の多いお方ね」
数世紀前にも及ぶ学園史―――そのわりと序盤から存在を匂わせる学園長に、なんとも興味を惹かれる講義であった。
それはさておき。
《で、次がバトルなんだろ?》
「あまり期待するものではないと思いますが」
わくわくそわそわするベルをなでなでしつつ、アルフェが目指すのは学園の地下である。
学園史のつぎは『討伐技術』の講義であり、その内容上『迷宮』に近いところで行われるのだ。
地下は上層とは打って変わって石造りになっていて、常光灯の冷えた光に照らされている。それでも不思議と閉鎖感を覚える通路に足音を反響させながら進んだ先に、目的の講義室はある。
異様に大きな扉をくぐってみれば、そこは大きな広間に椅子を並べたような簡素なつくりになっていた。
奥は壁一面の大きなカーテンで閉ざされていて、そのふちふちに鉄格子のようなものがのぞいている。
《げはは、上より落ち着くぜ》
「そのわりには落ち着きがないようですが」
《げははは》
牙をむきだすベルにアルフェは苦笑する。
どうやらカーテンの向こうに何かを感じ取っているらしい、紫色の瞳がまっすぐに向けられていた。
そんな彼女を連れたアルフェは堂々と前のほうの空いている席に座って、そのとたん近くの椅子がぎこぎこ離れていく。
いつものことだと思っていると、
「んおー、空いてるー」
そんな彼女の隣の席に、どっかりと座り込む女子生徒。
どうやら不自然に空いていた空間に引き寄せられてきたらしい。
がこがこと椅子のいい感じの位置を見つけた彼女は、そうかと思えばぎこぎことアルフェの隣にやってくる。
「なな、もしかしてアンタ嫌われてるか?」
《おいもしかしてコイツバカだぞ! げははは!》
とても楽しそうに笑い転げるベルのふさふさを感じつつ、アルフェは視線を向ける。
燃えるような赤い髪をベリーショートにして、形のいい耳にツル植物のようなイヤーカフを巻き付けた生徒だ。ひらひらのミニスカートを履いているのに椅子の上で胡坐を組んでいる。
厚い縁のメガネの向こうで閃く黄金色の瞳には、一切の悪意がないように見えた。
「どうでしょう。初対面の方も多いので」
「ほへー。なんかアンタ見てるとヤなカンジだもんな。えらいベッピンさんだから嫉妬しちゃうんだなー」
《おうおう見る目あんじゃねーの! げははは!》
にこにこと笑ってずばずばと言ってのける彼女には、どうやらデリカシーだとかオブラートだとか、あるいは恥じらいためらいそういうものが一切ないらしい。
新手のタイプにアルフェはやや困惑気味である。
「でももう慣れたぞ。ロコキレイな女はスキだからな」
ニカッと八重歯を見せられても答えにくい。
あいまいに頷いてみるが、どうやら反応にはさして興味がないらしく彼女はさっぱり話題を変えた。
「ロコはロコロコってゆーんだよろしくな。でアンタは?」
《げはは、おもしれぇ名前だな》
「……アルフェと申します」
「アルーな。オッケー、ロコのことはロコって呼んでくれな。おんなじ一年だから一族みたいなもんだ」
がっしと強引に肩を組んでくるロコロコ。
アルフェはぐわんぐわんと揺られて目が回った。
かと思えば彼女は突然開放して、まじまじとアルフェをみつめる。
「にしてもアルーほんとお嬢様ってカンジだなー……も、もしかしてほんとにお嬢様か? ロコ不敬罪で打ち首になるか?」
「そのようなことはありませんよ。ご安心ください」
「そかー。心が広いお嬢様もいるんだなー」
しみじみ。
心の狭いお嬢様に遭遇したことがあるのだろうか。
などとロコロコと会話をして待っていると、やがて講師がやってくる。
のそり、と扉をくぐって入ってくるのは、なんとも図体の大きな男性教員だ。ポケットが沢山ついた重そうな服を着ている。
熊のような顔の右側から骨でできた蜘蛛の足みたいなものが生えて、後頭部に足を突き立てていた。
ぎぃ……ばたん。
後ろ手に扉を閉じた彼は、ざわめく生徒たちを気にした様子もなくカーテンの前に立った。
半分ほどが灰白色に染まった左目がぐるりと見回す。
「……討伐技術担当……ガイウス」
重々しく響く声。
ガイウスは懐から取り出した紙を広げて、淡々と出欠をとり始める。
それが終わると、彼は今度は懐から分厚い包み紙のようなものを取りだした。開くと、中には手帳が束となっている。
「コレを参考に、魔物の討伐法を実践を通して教える。……講義ではこの中から数体。迷宮で他の魔物を討伐した際には印を押し、加点する。……全て埋めれば最高評価」
そう言って手帳を掲げたガイウスは、生徒たちの間をのそのそと回って配っていく。
手のひらほどのサイズはある革張りの手帳だ。
受け取ってみると、ガイウスが持っているときよりずっと大きく感じた。
「簡易図と習性・弱点、討伐証明部位が記載されている。……迷宮窓口に証明部位を提出すれば押印される」
《ほぉん、けっこーな数がいるんだな》
手帳をのぞきこんでベルが声を上げる。
パラパラとめくってみると全てのページが魔物図鑑になっているようだ。隣では、ロコロコが真剣な眼差しで手帳を眺めている。
『討伐技術』では、これをコンプリートすることでS評価となるのだ。
「今日は……青モルフォル」
ガイウスはまた懐から、今度は大きなビンを取り出す。
布を紐で縛ってフタをしたその中にはビーズのようなものが詰まっていて、薄ぼんやりと青く光っていた。
生徒たちの視線がビンに集まる。
アルフェは素早く手帳を開き、記載を読みながら注意を向けた。
そして彼は紐を引く。
そのとたん―――
《おぉー》
「おおー!」
わ、と広がる青色。
吹き出したビーズは、その一粒一粒が解けるように広がって、まるで光のあやとりでできたみたいな蝶へと変じた。
講義室を自由に飛びまわる蝶たちに生徒たちは感嘆の声を上げる。
「モルフォル……学園迷宮全域に生息……青は水辺を好む。清潔な水……蝶の標は、学外の迷宮でも役に立つ」
淡々とした説明のさなかにも、ガイウスの身体に蝶が止まったりして、生徒たちは気が気でない。
そんな中でロコロコが、ちょうど目の前をふよふよ飛んでいる蝶に目を止めて、
「んー、やっ」
ぱっ、と手を出して捕まえようとするが、蝶はまるで空気のように、しゅるりと指の隙間から逃れて行った。
「あはは、すばしっこいなー」
からからと笑うロコロコを真似して蝶を捕まえようとする生徒たちもいたが、誰も上手くはいかない。
手帳を読んでいるアルフェとしては、それはそうだろうな、といったところだ。
「……捕まえることはできない。待って、収める」
ガイウスはゆっくりと手のひらを上に向ける。
そうしてじっと待っていると、手のひらの上に青い蝶がひらりととまった。
それから彼はゆっくりと指を折りたたんでいって、ついにぎゅ、と握った。
それから彼がビンに手の中のものを落とせば、ビンの中に青色の蝶が羽ばたいて、すぐに外に出ていった。
「手の動き……音……感情……視線……気配を、蝶たちは敏感に感じる。だから波を立てず、待つ」
こんなふうに、と言わんばかりに、蝶の止まり木になっているガイウス。
確かに彼にはたくさんの蝶がとまっているが、生徒たちには一匹たりとも触れていなかった。
「んー」
目を閉じて手のひらを差し出すロコロコ。
じぃ、と待っていると彼女の手のひらに蝶が止まる。
それを感じとった彼女はゆっくりと手を握って、それから目を開いた。
自分のグーをじぃっと見下ろして、手を開いてみる。
「おおー!」
するとふわりと広がった羽がまた宙を舞って、ロコロコは楽しそうに歓声をあげた。
他の生徒たちも真似をしてみるが、ロコロコのように上手くいくものはいないようだ。
「静かになるのは、難しい……気配を絶つ……他の魔物に対しても役立つ……今日は、モルフォルを掴んだら終わりでいい」
ガイウスの言葉にざわつく生徒たち。
『討伐技術』―――魔物の討伐法というなんとも血気盛んな気配のするそれが、まさか蝶々を捕まえるだけで終わりとは信じ難い。
しかしガイウスは気にした様子もなく、その場にどっかりと座り込んでしまった。
そして彼はアルフェを見やる。
彼女の周囲には不自然なまでに蝶が居ない。
少なくとも、手の届く範囲には一匹たりとも入っていなかった。
それを指して、ガイウス。
「蝶に嫌われている」
「やはり、そうですか」
《むぐぐ》
苦笑するアルフェにベルは唸る。
なにせ人さえ避けるのだから蝶くらいは避けてもおかしくないのだ。少し責任を感じているらしい。
「ドラちゃんも……そうだ」
《あー》
「そうなのですか。どうせなら好かれてみたかったです」
ベルは納得し、アルフェはくすくすと笑う。
ガイウスは目を細めると、指先に蝶を止めて懐かしむ。
「ラヴ……あの子は……とても好かれていた……」
「ラヴ先生が、ですか」
むしろ嫌われていそうですけれど、と失礼なことを思っていると、隣からぬっとグーが差し出される。
「アルー、いるか? ロコはこれ得意みたいだな!」
満面の笑みで差し出されるその手の中には、きっと蝶が入っているのだろう。
アルフェは丁重にそれを断ると、そっと目を閉じた。
小さく何度か喉を鳴らすようにして調整すると、緩やかに鼻歌を歌う。
静かな旋律だ。
音は高く、起伏は薄い。
そうしているとやがて、まるで歌に誘われるように蝶が彼女の近くにやってくる。
水辺に涼むように膝の上に止まった一匹を、アルフェは見下ろした。
《……》
喜びたいのを堪えているのか、むずむずと鼻を動かすベル。
アルフェはその一匹に手を被せ、捕らえた。
《げはは。やー、ワタシのせいで落第なんてならなくてよかったぜ》
「おおー、アルーすごいな! なんでだ!?」
「青モルフォルは水の流れる音に誘われるとあります。なので、同じように声で誘えないかと」
それは手帳にも記載のあることだ。
溜まっている水よりも腐敗しにくい流水に集まるから、清潔な水の標となるらしい。
そんな彼女の言葉を聞いていたのか、背後からいくつかの鼻歌が聞こえてくる。
視線を向けると、ガイウスはこくりと頷いた。
「心、感情、音……音が一番、大きな揺れ。嫌われる波長も、音は誤魔化す」
「ガイウス先生の期待しているようなやり方ではないのかもしれませんが」
ガイウスは柔らかく笑んで首を振った。
「強いから、避ける。気配を経つのは……自分を弱く見せるのと、同じ。気にならないほどに、弱く、薄く……強いままにあるのなら、それもまたひとつ……ドラちゃんほど気配絶ちが苦手な人はいない……」
《げはは! だろぉな!》
「……褒め言葉として受け取っておきます」
「ぐっ、ぐっ、」
渋い顔をするアルフェにガイウスは小さく声をあげて笑った。
ぱ、と手を離せばひらひら飛んでいく蝶を眺めていると、ロコロコがずいっと顔を近づけてくる。
「なな、も一回聞かせてくれー」
「お聞かせするようなものでは、ないと思いますが」
「ロコは聞きたいな!」
《いーじゃねえかよ。ワタシもオマエの歌はスキだぜ》
「……分かりました」
アルフェはまた目を閉じて、そっと旋律を声に乗せる。
けっきょくその講義室で、歌によって蝶を集められたのはアルフェただひとりだった。
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