第17話 実力測定

 『実践剣術』の講義は、始業式の舞台にもなった大討議場にて行われる。

 学年を跨いでいるだけあって選択科目ながらも生徒数は百名を超えるが、それだけの人数が広がってもまだゆとりあるほどに舞台は広かった。


 そんな舞台上で生徒たちの前に立つのは、着流しみたいな軽装をした老齢の男である。


「お初にお目にかかる。私のことはエルとでも呼んでくれ。去年に引き続き実践剣術の講義を担当させていただく」


 静かなのに腹に響く声だ。

 軽く礼をする彼に、生徒たちは全く同じタイミングで頭を下げていた。


「とはいってもすでに老いさらばえた身。諸君らのような若き活力に着いていくには少々難しいものがある。そのため今年も活きのいい者たちを連れてきた」


 そう言って紹介するのは、深緑の騎士服を着た数人の騎士たち。皆一様に緊張した面持ちで姿勢を正しているが、生徒たちの前だからというよりはむしろ老人のほうへと意識が向いているように見えた。


《ただもんじゃねぇぞアイツ……》


 ベルもまた、その老人が姿を現してからずっと毛を逆立てていた。


 アルフェとて一目見れば分かる。


 彼は強い。

 それも途方もないほどに。


「彼らは現役の騎士だが、中でも剣術に秀でる者を選りすぐってきた。諸君らのよき手本となるだろう」


 老人が視線を向けると騎士たちは一斉に敬礼をする。

 それが共和国式の騎士礼であることにアルフェは気が付いた。


 パリティア共和国―――一世紀ほど前に王制を廃し、議会を中心とした共和制を採用した大国である。


 そんな国の騎士団を、たかだか講義のために呼びつける……やはりただものではないらしい。


「さて、さっそく鍛錬に移りたいところだが―――ひとつだけ先に行っておくことがある。評価についてだ」


 ざわめく生徒たち。

 評価といえば講義を受けるにおいてとても重要なところだ。自然と意識が向く。


「基本的には鍛錬への取り組みと模擬戦の戦績によって評価させていただくが……この学園にはS評価という特例がある」


 S評価。

 まさしく求めるものにアルフェは目を細めた。


「『実践剣術』においてこれは教員を倒した者に与えるのが通例であるらしく、私も否はないが、とはいえそう何度も挑まれてはかなわん。したがって挑戦自体に条件を課そうと思う」


 老人の言葉に数名の生徒が気配を変える。

 おそらくはSを狙う者なのだろう。


「まず機会は一度。最終講義の際に行うこととする。そして挑戦者はその時点でA評価水準にある者のみだ。多くとも5、6名となるだろう」


 つまり、まずはこの生徒たちの中でトップクラスでいなければ挑戦さえできないということ。

 もっともそれさえできないのならばそもそも挑戦したところで無意味だろうが。


「その挑戦で私から一本を取った者にS評価を与える。なおこれはドラウディア殿からも正式に認められているため、抗議がある場合はかのお方にお伝えしてくれ」


 言える訳なくない?

 生徒たちは思った。

 アルフェも思ったし、たぶん彼も思っている。


 さておき説明も終わり、実践剣術の講義が始まる。


 といっても最初の講義はクラス分けからだ。

 自己申告の未経験者も含めて騎士を相手に試合を行い、実力ごとにグループを作ることになる。


「さて、お互い頑張ろうか」


 傍らにいたフリエがアルフェへとにこやかな笑みを向ける。

 彼女もまた実践剣術をとったのだった。

 せっかくだから、と彼女は言っていたが、いったい何がせっかくなのか。


 アルフェはちらりと視線を向け、それから悠然と歩みだした。


「ええ。お先に失礼いたします」


 生徒たちが各々騎士たちのもとにバラけていく中で、騎士たちを軽く見まわしたアルフェは、目を付けたひとりに歩み寄る。


 挑もうかどうしようかとためらっていた生徒たちが無意識に道を開け、アルフェは一番手として彼女のもとにたどり着いた。


「お相手を、お願いいたします」

「了承しました」


 華麗な礼に応えるは、どこまでも凛々しい眼差し。


 長い髪をひとつ結びに下ろした女性の騎士だ。

 彼女は騎士たちの中でも最も老人に近い場所に立ち、そして誰よりも堂々とそこにいた。


 だからこそアルフェは彼女を選んだ。


「一年のアルフェと申します」

「アルフェさんですね。わたくしはマリーと申します。ご経験は?」

「幼少の頃より。といっても実戦経験はそう多くありません」

「そうですか。ではまず一当てお受けいたします」


 す、と、見落とすほど自然に正眼に構えられた木剣。

 アルフェは腰に差した木剣を左手で抜き放ち、そのまま切っ先をわずかに下向けて構える。

 両足が相手に対してまっすぐに並ぶような横向きで、深く腰を沈める体勢は独特だ。


 騎士はわずかに目を細め、慎重にアルフェの出方をうかがった。


「では―――参ります」


 そしてアルフェは飛翔する。

 そうと思えるほどに軽やかな踏み込みは、ほんの二歩で距離を飛び越えた。


 揺らめく切っ先が跳ね上がる。

 騎士は冷静にそれを迎え撃ち―――その瞬間木剣は回転する。


「っ」


 険しく寄るマリーの眉。


 手の甲を通ってくるりと一周した木剣を、アルフェは逆足の踏み込みとともに逆の手で掴み、鋭い一閃でマリーの首を狙いすました。


 即座に跳ねる木剣がそれを阻もうとするのを蹴り潰し、ドレスをひらひら広げながら軽やかに宙を舞ったアルフェはマリーの背後に着地する。


「……」


 首を這うような一撃を防いだ手を、ぎゅっと握って無言で振り向くマリー。

 振り向いたアルフェはまた木剣を構える。


「いかがでしょうか」

「……十分ですね。見事な腕前です」

「お褒めいただき光栄です。お手合わせありがとうございました」


 しゃなりと礼をするアルフェ。

 木剣をしまって悠然と歩み去る彼女に集まる注目。


「おいお前!」

《あぁん?》


 とそこにかかる乱暴な声。

 振り向いてやれば、そこには銀髪の男子生徒がいる。


 ロイネのそばで騒がしくしているあの男子生徒だ。

 どうやら彼も実践剣術を取っていたらしい。


「どんなズルをしたか知らないが、見ていろ! この俺が本当の剣術ってものを見せてやる!」


 何を言っているのかまったく理解できないので無視して視線を外す。

 けれど彼は堂々たる足取りでマリーへと挑んでいった。どうでもいいことだ。


 それはさておき。


 アルフェはエル老人のほうへと視線を向けていた。

 そして彼の視線は、ある生徒へと向けられている。


《ほぉん。やっぱスゲェなアイツ》


 視線の先―――騎士の攻撃をすべて紙一重でかわすフリエ。

 剣を構えてこそいるが一度も振るわず、切っ先の動きやわずかな握りで相手を牽制し、まるで手玉に取るようにふるまっている。


 見る者が見れば、騎士が優れた技量を持ち、そしてフリエがその騎士を圧倒的に上回る実力を持っていることは一目でわかる。


 だからこそアルフェには違和感のほうが強かった。


 フリエは、相手の騎士に明らかな隙が生まれても木剣を振るわない。

 しかしあえてそうしているのではなく、アルフェの目にはのが分かった。


 振ろうとしているのに、振れない。


 だからいつまでも有効打はなく、まるでもてあそんでいるようにさえ見えるのだ。


「……」

《げはは、臆病な奴だぜ》


 あざ笑うベルに、アルフェは内心で同意する。

 フリエの動きは臆病者のそれだ。

 剣を振るうことで相手を傷つけ痛めることを、過度に恐れる臆病者だ。


 どうしてこの講義をとったのか。


 やがて戦いは、どちらもが一度も攻撃を当てられないままに終わった。

 礼をして、苦笑とともに歩み寄ってくる彼女をアルフェは普段通りに迎えた。


「いやあ、やっぱり強いんだねアルフェさんは。一番強い人から一本取っちゃうんだもん」


 どうやら彼女は戦いながらアルフェを見ていたらしい。あっさりと言ってのける彼女にアルフェは首を振る。


「簡単に防がれてしまいましたから」

「でもきっと一番上のクラスだよ。S評価に一歩近づいたっていうところかな」


 頑張ってね、と他人事みたいに笑うフリエ。

 アルフェはなにも言わずにうなずいた。


「そういえば、エル先生はあなたに注目していらっしゃるようですが」

「あー、うんと」


 ちらりと振り向けば、もうエルは他の生徒たちを見回していた。

 言い淀むフリエだったが、隠すことでもないと判断したのかおずおずと答える。


「実はボク、この講義受けるの二回目なんだよ」

「そうだったのですか?」

「うん。だからだと思う。ほかに理由なんてないさ」

《ケッ、どぉだかな》


 苦笑する彼女をアルフェはしばらく見つめる。


 たとえばフリエが、エルをもってしても注視せざるを得ないほどの腕前であるのなら。


 その片鱗をアルフェは確かに感じ取っている。

 先ほどの立ち回りも、ベルに気が付いたこともそうだ。

 まるで平凡な少女というように笑う彼女が、もしもその全力でもってこの講義に挑むとすれば―――


「……そうですか」


 しかしアルフェは、ただ素直に納得しておく。

 仮にそうだったとしてもフリエにはそれを発揮するつもりがないように見える。


 それに、相手が誰であれ頂点を目指すだけことだ。

 白を求めるというのはそういうことだろう。


「でしたら、エル先生についてなにかご存じではありませんか? パリティアの騎士様となにか関係のある御仁のようですが」

「あー。そう、だね。うん。……まずひとつ言えることは、最難関科目は『礼儀作法』からこれになったっていうことかな」

《んだそりゃ》

「……というと?」


 首をかしげるアルフェに、フリエは告げた。


「彼はエルザイン=ガルドルート。旧パリティア王国騎士団総長だった人で―――前『最強の剣』だ」

「さいきょうのつるぎ……?」


 なんとも耳馴染まない言葉に唖然とするアルフェ。

 フリエは遠い目でどこかを見た。


「パリティアに仕える単騎最大戦力をそう呼ぶんだ。字面通りの一騎当千……世界的にも最強の一角だね。もう次代に名前を譲っているんだけど……でも、たぶんまだあの人のほうが強いだろうっていうのが通説だよ」


 一騎当千。

 実質世界最強候補。

 現役より強い老兵。


 ―――アルフェをして、無理だと思わされた。


「…………それは、どうすればいいのですか?」

「まあ、でも去年は利き手じゃないほうで相手をしていたし、それにさすがに全力じゃなかったと思う……誰も勝ててなかったけど」

「一年経っていますが」

「いや、たぶんこの一年で練習はしてない。筋肉量のバランスと姿勢がほとんど変わってないから」

「……そうですか」


 そこまでの自信をもって言い切れるフリエについてはもはや今更気にしない。


 重要なのは、おそらく世界最強という相手から一度きりの挑戦で一本を取らなければならないという事実だ。


「えっと。つまり、が、がんばれ。応援してるよ」

「……ええ。どのみちそれくらいの無理は通さなければなりませんから」

《げはは、面白くなってきやがったじゃねぇかよ》


 弱音などたやすく噛み潰し、アルフェは強い意志を宿した視線で老人を見やる。

 そう、やることは変わらないのだ。


 すべてを乗り越えて、目的を達する。


 そのハードルがやや高くなったところで、くじけるようならこんなところまでは来ていない。


 アルフェのS評価チャレンジは、どうやら前途多難になりそうだった。

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