第10話 風紀委員会

 中央棟―――至研究棟渡り廊下前。


 制服に身を包んだ生徒たちがそこには立っている。

 純白の手袋と、黒色に天秤秤の腕章が彼らを同じ集いであると示していた。


 彼らは風紀委員会。


 学園の治安維持のために奔走する『法の番人』。

 正義を執行する穢れなき指先と、何事にも染めがたき純黒の平等てんびん―――『正義』こそがその在り方。


 学内ガイダンスにおいても秩序のために巡回する彼らは、悠然と歩む深緑の令嬢に好奇の視線を向けた。


「どうもごきげんよう」


 華麗なカーテシーを見せる彼女に各々礼で返し、その中から爽やかな笑みを浮かべた男子生徒が歩み寄った。


「やぁ」


 キラーン。

 眩い歯が白くきらめく。

 さらっさらの金髪は小さなしぐさに揺れて、なにか清涼感の粒子みたいなものが舞うようだった。


「なにかごよ、おっちょちょとま、待たんかいワレェッ!」


 話しかけてもあっさり無視して渡り廊下に向かうアルフェに態度を一変させる男子生徒。

 ドバァンッ! と扉に手をついて遮られた、


「ぎゅぅ!?」


 その瞬間振り上げたクリスタルのつま先が彼の急所を叩き潰していた。


《げはは!》


 うずくまるさわやか男子。

 騒然とする風紀委員。

 楽しげに笑う一部。


 冷ややかに見まわすアルフェに、笑みを浮かべながら別の男子生徒が歩み寄った。

 きらりと光る犬歯をのぞかせる少年めいた生徒だ。


「ウチのワカいのが悪かったッスねー。でもさすがに暴行事件は見逃せないッスよ」

「自衛権を執行いたしました」


 さらりと答えるアルフェに男子生徒は頬を割く。

 きゅ、と手袋をはめなおし、そうして彼はさらに挑んだ。


「風紀委員の活動における特例事項をご存じッス?」

「私は学園法規になにも抵触してはいませんので」

「フィールドからの離脱は止めないとッスから。ガイダンスのルールは短期的特例条項として処理されるんッスよねぇ」

です」

「ほっほぉー! んやぁー、そこまで言われちゃ無罪放免とするしかないッスねぇ。あと、ちょっと予定外ッスけど合格ッス」


 けらけらと笑う男子生徒。

 そうかと思えば彼は笑顔のまま、さわやか男子の頭をむんずと掴んで持ち上げる。


「つまりアホスっちは一般生徒を恫喝した愚か者ということになるッス。それはただの違反者なんッスよ」

「せ、んぱ、」

「ん、どぞッス」

「?」


 床にポイと放られる純白のハンカチ。

 きょとんとするさわやか男子を、


 ドグ……ッ!


 彼は思い切りそこに叩きつけた。

 ビクッと震えるさわやか男子。

 じわり、と白が赤黒く染まっていく。


 立ち上がった男子生徒は軽く手を払うとほかの生徒に視線を向けた。


「コレを適当に処理しておいてほしいッス。学園法規に基づいて―――」


 にっこり。


「徹底的に根源的に圧倒的にブッ潰すッスよー」


 ぱんぱんと手を叩けば、見るからに筋肉質な大柄の女子生徒がのっそのっそとやってきてさわやか男子を運んでいく。

 血濡れのハンカチもついでに拾い上げ、まっさらな廊下に男子生徒はうなずいた。


、不愉快な思いをさせて申し訳ないッス」

「いえ。私も手荒な真似を致しましたから」


 当たり前のように名前を知られていることはこの際無視して、アルフェは笑みを返した。


「さて、ちょっとばかり問題は発生したッスけどにようこそッス。といってももう半分は終わっちゃったッスけど」


 にこやかに告げながら彼はアルフェを渡り廊下に案内する。

 青空に見下ろされるトンネルの向こうには扉があって、その前に女子生徒が腕を組んでたたずんでいた。


 短く散切りにされた銅色アカガネに、快晴の窓みたいな瞳がきらりと光る。


 彼女はアルフェたちに目を留めると静かに笑みを浮かべ、軽く手を振って歓迎した。

 金色の腕輪が、日差しをはじいてきらめいている。


「新入生君、いらっしゃい。望外に早かったね」


 カツカツと革靴を鳴らして歩み寄る彼女に手を振り返してから男子生徒はアルフェを振り向く


「あそこにおわすお方はエデンス先輩ッス。第二ラウンドはあの方の担当になるッスよ」


 ごゆっくりッスー。

 ひらひら手を振って去っていく男子生徒。


 ふたりきりの廊下で、アルフェとエデンスは静かに向き合った。


「ご紹介に預かったエデンスだよ。アルフェ君、たぶんキミはきっとお察しのことと思うけれど、これは風紀委員会の催し物の一環だ。といってもなにせ我々は裏方だからね、どうしても参加者は多くないのだけれど」


 ひらり。

 まるで目元の髪を払うようになにげない動作で、その手中に短剣が握られる。

 柄と刃だけのひどく簡素な短剣は、その有様がごとき純黒だった。


「催し物はようするに活動体験みたいなものでね。―――面白いナゾナゾだったかい? そのあたりは向こうに任せていたからあまり詳しくは知らなくて。学園法規に基づく、ちょっとした禅問答だと聞いているんだけれど」

「ええ。面白い催しでしたよ」


 おそらくは暴力でもって本来のやり取りを捻じ曲げたアルフェ、渾身のほほえみ。


「それはよかった」


 ゆらりと垂れ下がる両手はいつの間にか短剣でふさがっている。

 アルフェの視線がそれに向くと、彼女はくすっと小さく笑った。


「我々は法規の手先だ。理念に、意思に、概念に……究極的には文章に過ぎないそれを守らせるための力だ。だからもう半分でソレを示そう」


 ヒュッ。


《―――げはは》


 回転しながら飛来するふたつの黒の柄をアルフェは掴みめていた。

 くるりと手の中で回した切っ先をぶら下げながら、冷ややかな視線でエデンスを見やる。


「驚いたな。避けようとするならともかくキャッチされるなんて」

「これが力だと?」

「あははまさか」


 広がる両手にまるでカギ爪のように黒が閃く。

 その切っ先は丸く刃は鈍い。

 仮に当たったとしてもハチャメチャに痛いだけで済むだろう。


「我々は治安維持のために限定的な武装を許されてる。今からキミが体験するのはそのちょっとしたデモンストレーションだね。痛い目を見ても泣きつかないでおくれよ―――ここに来た時点で『参加』しているんだ」


 だからルールに同意しているのは当然だと、彼女はあっさりそう告げる。


 アルフェは無言でただ歩を進めた。


 エデンスは笑い、


「これより法規をキミに刻もう。これが我々のやりかたさッ!」


 そして放たれる黒の嵐ッ!

 殺到する刃 刃 刃の蹂躙ッ!

 残像さえ残さない速度で腕を振るうたびに黒の短剣が飛来する!


 圧倒の黒を前に、しかし歩みは止まらない。


「ははははは! 望外にイイねキミはッ!」


 嵐を穿つ黒の旋風。

 キンキンキンキン―――ッ!

 アルフェが腕を振るうたびに鳴り響く金属音。

 身体に当たるものだけを的確に弾き飛ばし、ほんの一歩をさえ揺らがすことなくただまっすぐに、彼女は投げナイフを突っ切っていく。


《ケッ、ワタシの出番もねぇぜ。ちったぁ本気出せってんだよ》


 つまらなさげに口を尖らせるベル。

 うっすらと笑みを浮かべたアルフェはついにエデンスの至近にまでたどり着いた。


「ふっ」


 即座に突き出される切っ先は傾げた首元をすれ違い、跳ね上げた肘が腕を弾き飛ばした。

 そのまま持ち上がった刃はエデンスの首に添えられ、もう片方の刃は彼女の抵抗に突き立てられている。


「……まいったね二重の意味で。降参さ」

「面白い催しでした」


 くるりと回して短剣の柄を差し出すアルフェ。

 エデンスはそれを手品みたいにしまうと、代わりに懐からスタンプを取り出した。

 金色の、大きな四角形のスタンプだ。

 アルフェがスタンプカードを差し出すと、彼女は恭しくそれを受け取る。


「ふふ、我々が初めてなんだね。まったく面白い子だ」


 カードにスタンプを押しつけると、まるで焼き印のように天秤模様が刻まれた。

 スタンプの枠4つ分―――特別な印だ。


《げはは! マジでありやがったぜ!》

「どうぞ。これにて我々のゲームはおしまいさ」

「ありがとうございます、エデンス先輩」


 興奮するベルにもさもさされながらスタンプカードを受け取って、一礼。


「ぜひ良ければ我々を宣伝しておくれ。メンバーは随時募集中さ」


 パチンと様になるウィンクを受け取って、アルフェはさっそうと歩き去る。


 その背を見つめて頬を裂く。

 うずくように指先を震わせ、そうして彼女は呟いた。


「望外の出会いだった。願わくばまた」


《―――だってよ》


 誰にも届かないはずのつぶやきを拾ったベル。

 アルフェはそっと笑みを浮かべて同じように呟いた。


「ええ。ぜひまた」

《げはは》


 そして彼女は、次なるターゲットへと向かう。


 残りはあと、ふたつ―――

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