第8話 不快な彼女

 掲示板を眺めるのにも満足したアルフェは寮に戻ろうとしたところで、


「お、ちょうど使えそうな一年生が歩いてら」


 ニマニマと笑う紫色の瞳に捕まった。

 学園内だというのに正気を疑いたくなるほどラフなシャツを着たラヴにがっしりと腰を抱き寄せられ、ベルがメラメラ威嚇する。

 アルフェはさりげなくその身体をつまんで言葉を発させないようにしてからラブを見上げた。


「いかがなさいました」

「うん? なんか用事でもあんのか」

「いえ。そういうわけではありませんが」

「ならよし」


 ……よしではありませんけれど。

 内心で呟きつつも大人しく連れられていく。

 なにせ相手は教員なので、あえて反抗的な態度を見せる必要もない。


「ちょっと明日の準備があってなー。も一本くらい腕がほしんだわ」

明日あす、ですか」

「そそ。学内ガイダンスな」


 学内ガイダンス。

 名称通り学園内を案内するイベントだ。

 といっても引率なんかはなく、新入生たちは地図とパンフレットを持って好きに回る。

 パンフレットにはクラブや委員会の活動拠点などが記されていて、紹介や勧誘のためのささやかな催しが用意されているらしい。


 つまり学内探検をダシにした新入生歓迎イベントなのである。


「そのお手伝いを私がしていいのでしょうか」

「まいいだろ」

《ヴルゥ……》


 よかねぇだろ。

 そんな風にベルはうなった。


 さてあまりにも適当なラヴに連れられたふたりは、廊下をぐるっと回って、奥の渡り廊下を渡る。


 渡り廊下は学園の敷地を囲むのと同じ三角のクリスタルによっておおわれたトンネルで、見上げる空は青色にまぶしい。


 学園の空は、ドームに拡散した光によって虹色に見えるはずなのに。


 ぼぅ、と太陽を見つめアルフェに、ラヴは立ち止まって同じように空を見上げた。


「二重の虹は本物の空なんだとよ。詳しい原理は知らねぇが、ホームシックにはよく効くぜ」

「……そうですか」

「ま、この空が『違う』ようになったら立派な学園生ってところかね。オレぁいまだに未熟モンだが」


 くつくつと笑うラヴ。

 アルフェはなにげなくその横顔を眺めて、けれど降りてくる視線を避けるように目をそらす。


 再び歩き出した彼女とともにやってくるのは研究棟。

 こつこつとヒールの音が、廊下の端に反響してまた戻ってくるのさえ分かるようだった。


 学園の校舎はエントランスのある中央棟から三方向に棟があって、研究棟は背中に位置している。

 教員の研究室だったり、いろいろな設備の備わった研究施設が入っている棟だ。


「こっちはガイダンスの会場にもならねぇんだが、まあ用がねぇとてんで用がねぇだろぉな」


 階段から二階に上がって、その片隅にラヴの研究室がある。当たり前のように連れ込まれたアルフェは、小ざっぱりと片付けられた部屋にぱちくりと瞬いた。


「意外だとか思ってんじゃねーだろぉなオイ」

「いえ。そうでもありません」

「ほぉん、見る目あるな」


 ぽむぽむと頭に手を乗せられる。

 それから案内されたソファに腰かけると、ガラステーブルの上に書類の束が置かれる。


「コイツをひとり分ずつの冊子にすんだけどな、オレぁこういう単純作業やってると気が狂いそうになんだよ。ホリィちゃんも見っかんねぇし、いやラッキーだったぜ」

「……これは私に見せても問題のない書類なのですか?」


 明らかに明日に関する書類の束に改めて確認をとるアルフェだったが、ラヴは大きくうなずいた。


「ベツに見られて困るもんじゃねぇよ。ほい、こんな感じで三枚セットだ。まとめたらこれで適当に留めてくれ」

「かしこまりました」

「やー助かるぜマジで」


 ぽむぽむ。

 上機嫌になったラヴが作業を始めるのでアルフェもそれにならう。

 さっさと終えてしまおうと集中しようとするアルフェだったが、ラヴはぐいぐいと身を寄せて話しかけた。


「んで、なんかおもろいクラブでも見つかったかよ」

「いえ。クラブには所属するつもりはありませんから」

「なら委員会のほぉか? やめとけあんな面倒な。勤労だぜあんなもん。学生の身分振りかざしてけー」

「『実績』が欲しいので」

「ほぉん?」


 ぱちくりと瞬いて手を止めるラヴ。

 じ、と見つめられているのを感じつつも淡々と作業を続けていれば「なるほどねぇ」と視線は離れる。


「そいつぁまじめなこって。……ちなみにオレの手伝いしてもなんもねぇけど」

「そこまでは期待していません」

「お、なんだイイやつかよ」


 くつくつと笑ったラヴはもふぅとソファに身体を預けた。


「にしてもどうしてこぞって白なんざ目指すかねぇ。めんどくせぇだけだろ」

「私はそのためにここに来ましたから」

「……そゆもんじゃねぇと思うんだけどな、アレぁ本来」


 ……。

 アルフェが振り向くと、ラヴは口元をわずかにゆがめて目を細めていた。


「なんだって普通はもんだろ。だからこそ結果が追っついてくんだとオレぁ思うがね」

「そう珍しい考え方でもないのでは?」

「そぉだな。だがアルフェ、オマエは珍しいほうのやつだと思ってんだけどよ」

「……」


 冷ややかに凍り付くアルフェの視線。

 呼応するようにベルが、唸りとともに身体を膨らませる。

 ラヴは眉を上げ、それから苦笑した。


「そう警戒すんなよ。昨日も言ったがオレぁなにも分かっちゃいねぇよ。ちょっと他と比べて感覚が鋭いくれぇでな。だがオマエ見てりゃ分かる、? ってこたぁそこには並々ならねぇ努力があったはずだろ。ソイツぁ好きこそものの上手なれってやつじゃねぇのかよ」


 アルフェはその真意を見透かそうとするみたいにラヴを睨む。


 ベルの存在は特別だ。

 秘匿し続けるつもりもさらさらないが、しかし、明かすことと見抜かれることはまた話が違う。


 そういう意味でラヴの存在は―――極めて不快だ。


「……そうですね。この子のためにずいぶんと努力をしたのは事実です」


 やがてアルフェは表情を緩め、ベルの頬に手を触れる。

 未だ唸りをあげながらも擦り付けられるもふもふの毛を指先に遊んでいれば、ラヴは口笛を吹いた。


「ずいぶん仲良しじゃねぇか。驚いたぜ」

「よく嫌われてしまう子ですから。……私がその分、めいっぱい愛してあげたいのですよ」

「そか」


 ぽむぽむ。


「ま、その言葉が聞けたならオレぁ一安心だな」

「そのためにわざわざこんなことを?」

「いあ全然? オマエがいたからオマエにしたってくれぇだ」

「そうですか」


 それからふたりはしばらく黙々と作業を続ける。

 その空気感を変えようとラヴが口を開いたその瞬間に扉がノックノック。


『失礼します』


 聞こえてくるのはホリィの声。

 入室を求める彼女をラヴはあっさりと受け入れたが、扉が開いたとたんにホリィは目を見開いた。


「なっ」

「ちょーどよかったぜ。ホリィちゃんも手伝ってくれよ」

「……」


 へらへらと手招きするラヴを無視してアルフェの正面に回ったホリィは、拾い上げようとした書類を手で押さえる。

 顔を上げると彼女はにこやかな笑みを浮かべていた。


「アルフェさん、でしたね。ここからはワタシが代わりますから、お戻りください」

「はぁー? 三人でやったほぉが早えだろ」


 ぶぅぶぅと文句を言うラヴに向けられる獰猛の視線。

 うおっ、と怯む彼女にグイっと顔を寄せてホリィはテーブルをぶっ叩いた。


「歓迎される側に手伝ってもらうなんてなにごとですかッ! すこしはまじめに考えてください!」

「ベツによくねそんなもん」

「よくねぇーですッ!」


 バンバンバン!

 テーブルを叩いて吠えるホリィ。


 アルフェはすくっと立ち上がった。


「そういうことでしたら失礼いたします」

「はいっ。すみませんこの人が……明日は楽しんでくださいねっ」

「ありがとうございます」

「んだよぉ、せっかくなら最後までやってってくれりゃいいのに」

「口を動かさないで手を動かしてください!」


 バンバンバァーン!

 鳴り響く音を背に、アルフェは部屋を後にする。


 少し離れたところで、ベルが嬉しそうに首元にじゃれついてきた。


《げはは、仲良しだってよ。げはははは》

「そうね。確かに見る目はある方みたい」


 そっと微笑んだかと思えば、視線を鋭くするアルフェ。


「目が良すぎるというのも考え物だけれど、ね」

《ま、そんな心配すんなよ。いざとなったらワタシが一口だぜ》


 げははは、と笑うベルをなであやしながら、アルフェはラヴとのやり取りを反芻していた。


 ラヴの言葉をすべて能天気に信じるつもりはない。

 彼女は実際にどこまで視えていて、そしていったい何を探っているのか……やはり警戒すべきだろうとそう思う。


 なにせラヴはアルフェのことを見透かしている風なのに、アルフェは彼女のことをなにも知らないのだ。


「あまり、余計な問題を起こしたくはないわね」


 いずれにせよ今は大人しくしておこうとそう結論して、アルフェはまた渡り廊下を渡って中央棟に。

 今日はひとまず寮に戻ろうと、相変わらず混みあったエントランスを抜けていく。


 と。

 視界の端に、なにやらきょろきょろと周囲を見回しながらふらふら歩いている生徒見つけた。


 桃色の長い髪の女子生徒だ。

 ちらりと視線を向けて、しかし大して気にすることなく通り過ぎようとするアルフェだったが、


「えっとぉ……わっ!?」


 ふら、とさまよっていた彼女が、まるで引き寄せられるようにアルフェに衝突する。

 そのとたん大げさに転びそうになったその手を取り、アルフェは彼女を素早く抱き留めた。


 黄金色と桃色が見つめあう。


「お怪我はなくて」

「ぁ、え、と」


 桃色はきょどきょどと視線をさまよわせて縮こまる。

 傍らでふんすと鼻を鳴らすベルを感じつつアルフェは首を傾げた。


「どこか痛めましたか?」

「あいえっ! あの、あのありがとうございます、」

「いえ。こちらも不注意でしたので。なにかお探しなのですか?」

「あえと……」


 きちんと立たせてやった桃色はもじもじとうつむいて、それから掲示板のほうを見やる。


「い、委員会の、募集の掲示板を見たくて……」

「そういうことでしたらあちらに―――」


 振り向いたアルフェは、まさにその掲示板に集まる生徒の群れに気が付いた。

 どうやらクラブ活動の勧誘チラシなんかを我先にと掲載しようとしているらしい。アルフェが見た時よりも二倍くらい覆いつくされている。


「……お手をお借りしても?」

「ひゃう……?」


 差し出した手に、桃色は恐る恐ると小さな手をのせる。

 きゅ、とつかめば「ぁ……」と声を漏らして目を見開く彼女を、アルフェは掲示板のほうへと引いていった。


「おい貴様ッ!」


 しかしたどり着くよりも早く怒声が響く。

 ハッとして足を止める桃色に合わせて振り向いてみれば猛然と駆け寄ってくる男子生徒がいる。

 彼は強引にアルフェの手を掴み上げると、敵意むき出しの視線で睨みつけてきた


「ロイネになにをしている……ッ!」


 ロイネ。

 この桃色だろうかと視線を向けてみると、彼女は俯きながら男子生徒の後ろに身を寄せる。


《あ゛ぁん? んだコイツ》


 がるるぅ、と威嚇するベル。

 男子生徒は気が付いた様子もなく、むしろ桃色を守っているつもりなのか尊大に胸を張っていた。


 アルフェは彼を見下し、冷ややかにその手を振り払う。


「断わりもなく触れないでいただけますか。不愉快です」

「なにぃッ!」


 歯をむき出す彼に背を向けて、アルファはさっさと歩き去っていく。なおもキャンキャンと騒ぐ男子生徒は完全に無視した。


 彼がアルフェに突っかかろうとするのを、桃色が慌てて止めている。


《ケッ、ムダな時間だったぜ》

「世の中にはいろいろな人がいらっしゃいますからね」


 不満げなベルをなだめてやりながら、心底どうでもよさそうに流すアルフェ。


「あれがというものでしょうか」

《さぁな。次は勝手に転ばせとけ》

「そのほうがいいのかもしれませんね」


 ―――そんな彼女らの一方で、男子生徒は苛立たしげに足を踏み鳴らしていた。


「まったく見るからに意地の悪い女だ! 一目見れば分かる! きっとこれからもロイネのような可憐な生徒に因縁をつけて回るに違いない!」

「……ヘイロン様。わたしは、だいじょうぶですから」

「心配するなロイネ! 俺様がお前を守ってやるからな」


 ニカッと輝かしい歯を見せて笑う男子生徒に、桃色ははにかむように頬を染めて微笑みを返す。

 そして満足げな彼から顔を背けてアルフェを見つめる彼女の視線は、険しい。


 まるで女性専用車両にいる男性にでも向けるような、異物への視線。


 やがて小さな呟きがこぼれた。


「どうして…………」

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