第6話 最速の青

「おかえりー、ってそっか。お疲れ様、持つよ」

「はい」


 苦笑するフリエの差し出す手に甘え、アルフェは抱えていた冊子の束を渡した。そしてトランクケースを両手に持ち直してえっちらおっちら運び込む。

 今日はシックな紺色のドレスだが、纏う高貴と荷物の量がバグっていた。


「さすがに疲れました」


 ようやく荷物を置いた彼女が吐息とともにベッドに座れば、フリエもその隣に腰掛けた。


「フリエ先輩のご助言通り、持って行ってよかったです」


 はふぅとまたひとつ吐息。


 入学二日目―――朝からの新入生ガイダンスが終わって、今は昼前といったところだ。

 講義への登録の仕方やその他諸々の説明事項なんかを説明される会だったのだが、そこでの配布物が凄まじい量だった。


 昨日の歓迎会の最後に、


『あ、そういや明日のガイダンスなんか入れるもん持ってこいよー。配布物あっから』


 とラヴからアナウンスはあったものの、想定外の量にアルフェは面食らった。


 まさかトランクケースがあってなお溢れるほどとは。


「手ぶらで行かせる訳にはいかないかったからね。びっくりしたでしょ。ラヴ先生は適当だから」

「ええ、本当に」

《げはは、場合によっちゃワタシが手伝ってやらねぇとだったな》


 楽しげに笑うベルにまったくだと頷く。

 彼女を荷物持ちに使うのはあまりにも業が深い気もするが、持てないものは仕方がない。


「まああとは自由時間だしゆっくりしなよ」

「そうですね。……荷解きの後で」

「あうん。それはがんばれ」


 神妙な表情で頷くフリエである。

 それから彼女が持ってきてくれたジュースを傍らに、アルフェは配布物を仕分けし始めた。


 配布物は提出書類だったり、学園のルールブックだったりといった必要なものから、クラブ活動や委員会の一覧といったものまである。

 とりあえず提出書類だけまとめておいて、今すぐに書けるものはフリエのテーブルを借りて書いておく。


《かぁーッ、ワタシぁこういうのイライラしちまう》


 がうがうと肩を甘噛みしてくるベルをさりげなく撫でてあやしつつ、書き書き。


「アルフェさんは講義ってもう決めた?」


 一通り書いた書類をまとめているところで、フリエがテーブルの向かいに座る。

 空になっていた青色のカップにジュースを注ぎ、自分も緑のカップに口をつけた。


「迷ってるなら相談に乗るよ」

「相談、ですか」


 アルフェは脇に取り分けておいた書類に目を向ける。

 受講申請書―――つまりどの講義を受けるか、という紙である。


 一緒に置いてあった講義一覧表をテーブルに乗せて、アルフェは万年筆をくるりと回した。


「でしたらいくつかお尋ねしてもよろしいですか?」

「もちろん。なんでも聞いて」

「では遠慮なく―――Sが取りやすい講義を教えて頂けませんか?」

「……」


 そのとたん強ばる笑み。

 ひやりと冷える視線を、アルフェは真っ直ぐに見返す。


「事情があって最速で色が欲しいのです。噂や感想レベルでも構いません、なにかありませんか?」

「……腕輪の色だけがこの学園の全てじゃないよ」

「私にはそれが全てなのです」


 堂々と告げるアルフェをしばらく見つめ続けて。

 それからフリエは一度目を閉じて、深々とため息を吐いてから、開く。


《―――げはは》


 まるで刃が触れるような冷ややかな悪寒を首筋に感じて、アルフェは居住まいを正した。


「まずは基本的なところからいこう。といってもキミは十分に理解しているようだけれど」

「いえ。よろしくお願い致します」


 頭を下げれば、返ってくるのはため息。

 それでもフリエは続けた。


「学園の一年は三学期に分かれている。腕輪の色は基本的に、学期ごとの終わりに変化する訳だね。そしてそれには講義点―――つまり落第のFを除いたC、B、A、Sの評価ごとに設定された点数と、行事や他の活動なんかが加味される。ここまではいいかい?」

「はい。ただ、青色は講義点だけで上がれるのですよね? それでも可能な限りSかAの高得点を取る必要がある」

「それは半分正しいけれど、半分正しくない」


 フリエは講義一覧の冊子を開く。

 初めの方のページをぱらりとめくって、腕輪の色ごとに最低必要な講義点の一覧表を開いた。


「講義点は学期、学年を持ち越しできる。つまり最大6年の在学期間をフルに活かせば、Aがひとつもなかったとしても金色までなら届く。青色なら1年かな」


 とはいえそれはあくまでも時間をかけたら、という話だ。もちろんこれはアルフェの求めるものではないので、フリエはさらに続けた。


「普通はそうやって学期を跨いで点数を溜めるのがセオリーだけど……キミが求めるように、もっと早く上がることは可能だ。ただしこのためには、ただ講義点を取ればいいだけじゃない」


 そう言ってフリエは手のひらを向ける。

 瞬くアルフェに彼女は言った。


「5つだ。5つ以上Sを取れば一学期で青に上がれる。もちろんB以下なんて取ろうものならその時点でおしまいだよ。なにせ最も講義内容が簡単な一年の一学期だ、どれだけ優れた教科があったってそれだけで色をくれたりしない」

「5つのS……簡単ではないのでしょうね」


 アルフェの呟きにフリエは頷いた


「基本的に講義点は相対評価だ。最終的な成績の、上位10%くらいがAになる。だけどSだけは絶対評価―――つまり、教員が定めたなにかしらの条件を突破した場合にだけ与えられる。言わば教員からの太鼓判だ。ある講義でSを取ったら同じ先生の別の講義は無条件でAを貰える、なんてパターンもあるくらいだからね」

「それだけ特別なのですか」

「そう。だから基本的には不可能と言っていい。Sなんてなくたって、ほとんどの講義でAを取れば二学期には青に上がれるだろうしね」


 言いつつフリエは冊子をめくる。


「Sの中には研究論文で教員を納得させるなんてものもある。そうなると年単位必要だね。要はその先生が研究室を持ってて、そこに所属したい生徒なんかが目指すやつだ。あとは、『形而上学Ⅰ〜Ⅲ』みたいに学年が上がると上のグレードの講義を受けられるやつなんかも無理だろう。これはどのグレードでも基本的に同じ条件を設定されてる―――つまり現時点で3年生でもトップレベルの能力がないといけない。キミが既にその分野で研究者レベルの知識を得ているなら話は別だけど」

「……難しそうです」

「そうだね。だけど逆に言えば、それ以外なら可能性はある」


 フリエは開いたページを見せる。

 見開きで四つの講義が紹介されている中から、ひとつを指し示した。


「例えばこの『実践剣術』。このSランク条件は『講師から一本取る』だ。学年無差別で開かれてる講義なんだけど、講師が外部の方でね。だからどうしたってそう手間のかかる条件は設定できない。もっとも、だからって簡単じゃないよ」

「実力次第、というわけですか」

「そういうことになる。でも相手はプロとはいえ条件は一本だ。テストよりはまだ望みがある……かもしれない」


 頷いたアルフェはその講義に丸印を付けた。

 剣術には多少の自信がある。

 もちろん剣に限らず、戦いならばなんだって。


 白を殺すことを夢見てきたのだ。

 それならば当然、力がいる。


《にしてもコイツよく知ってるじゃねえかよ。ンな条件なんてここにゃ書いてねえのにな》

「……」


 ベルの言葉に、アルフェは顔を上げる。

 確かに冊子にSの条件など記載はない。

 だというのにフリエはやけに詳しいようだ。


 見ていると、同じく顔を上げたフリエと目が合った。


「ただしだ。必修科目にSはないから、一学期に取れるSは最大でも6つになる。最速で上がるっていうのはそういうことだよ」

「望むところです。このようなところで躓くわけにはいきませんからね」

「……そうかい」


 アルフェの宣言にフリエは深く吐息した。

 それからふっと雰囲気を和らげる。


「キミの事情は知らないけれど、そこまでの決意があるのなら先輩として応援させてもらおう。ボクが知る限りのS評価条件を教えるから、クリアできそうなものを選ぶといい」


 そしてフリエは、たくさんの講義のS評価の条件を教えてくれた。

 それこそ時間的に不可能ではないと考えられる講義の、その全てと思えるほどにたくさんの。


 その事実がほんの少しだけ気になったが、アルフェは尋ねなかった。

 

 一学期で別れるような相手のことなど詮索するものではない。


《ま、せぇぜぇ利用してやろうぜ》


 ええそうね。

 ベルの言葉にアルフェは内心で呟いた。


 目的のためならば、利用できるものは利用する。


 それだけのことなのだ。

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