三章 生誕の儀

一話 王太子の今

「なあ、今日王太子様が城に帰ってくるらしいぜ」

「まじ⁉︎」

「しかもここを通るんだと」

「あー、それであの賑わいか」

 安い食事処に肩を並べた二人は、これまた安い飲み物と食事を口に運びながら話す。本当ならば酒を飲みたいが、今はまだ、日も高い昼前。この後も仕事があるため、飲むわけにはいかなかったのだ。


 ため息をこぼした幼馴染の青年二人は、店の外に見える少女達に目を向けた。



「ねえ、あなたは誰を見たいの?」

「もちろん決まってるじゃない!王太子のルエナ様よ」

「あら、私はその付き人様を見たいのに」

「こちらとあちら、どちらが良く見えるのかしら」

 裕福な商人の娘同士である三人は、忙しなく小鳥のようなおしゃべりを続ける。結局場所を変えることになったらしく、三人はやはりおしゃべりをしながら歩いていく。


 さらに向かいの店前には、小太りの女店主がいた。



「なんだってこんなお祭り騒ぎなのかねぇ。ねえあんた!今日の分は並んだかい!」

「ああ、大丈夫だ」

「あたしはお偉い方に興味なんぞないけど、王太子様がお帰りになる日は売れ行きがいいからね」

「違いない。若い娘が多いからな。それだけ小物の飾りは売れるさ」

 店の中にいる男は、この店を仕切る店主でもある自分の妻に返事をしながら、棚に商品を並べていく。男の少しばかり筋張った手から並べられていく小物達は美しい。全て男の手作りなのだ。


 僅かに固まった腰を伸ばしながら、男は娘と孫のことをぼんやりと思った。



「ほーら、もうすぐだからね」

「おうまさん?」

「そ、お馬さんと、王子さま」

「おうじさま!すてき!わたしだけじゃなくて、ノヤにもみえる?」

「ああ、勿論だ。ほら、少しキラキラしたのが見えてきただろう?」

 曲がり角の向こうから、微かに反射するものを見て、幼い娘ははしゃいだ。そしてそんな娘を、赤子を抱く母とその夫が穏やかに見守る。一家は決して裕福ではなく、どちらかと言えば貧しかったが、日々を慎ましく楽しく過ごしていた。普段ならば良くない立地だと言われるこの家だが、今日ばかりは絶好の場所に変わる。


 一家は、先を見つめた。やがてそこには、城へと向かう一団が現れた。




 若い娘の黄色い歓声や、大勢の期待や畏怖の混じった視線の中、カシルは馬を進ませる。馬の名前は青影。前の馬の産んだ馬で、母馬とそっくりな、青に見えるほど黒い体を持っていた。

 そしてその後ろを、やはり歓声と視線を受けながらユラがついて行く。ユラが乗る馬もまた、前にユラと共に駆けた馬の子だ。柔らかな白い体に、生成り色の立髪と尾。ふざけてカシルと二人、すすきなどと言う名前をつけたが、案外気に入ってそのままとなっている。


 二人が率いる一団は、戦を終え、城へと帰る途中なのだ。あまりの負けを知らない戦いっぷりに、いつの間にやら『軍勝』やら『勝利をもたらす』などと言われていたカシルは、この日も勝利を示す旗を掲げていた。


 黒字に金の刺繍が施された旗は、風を受け翻り輝く。堂々とした旗に負けないほど、カシルも胸を張っていた。


「カシル」

 ユラがその名前を呼ぶと、作り物のように整っていた顔に色が浮かんだ。美しくも怪しく、そして何か企むかのような瞳を、ユラへと向ける。

「なんだ?」

 ユラも、その瞳に微笑み返す。僅かだが、穏やかに、艶やかに。華やかに。

「我が主人に、永遠の栄光を」

 従者の決まり言葉を、ユラは告げた。

「ああ、勿論だ」

 カシル——王太子も、その言葉を受け取る。



 冬の昼時。

 この日も、いつもと変わらず、カシルは執務室にいた。

 二年前まで王が使っていた方の執務室は、今現在閉ざされたままだ。そしてその代わりに、王太子が日頃使用する部屋が使われていた。


 表門の直線状に大扉を構える大塔は、多くの部屋があり、多くの人々が働いている。塔と言われているが、その巨大さゆえ、三階までの高さがあるにも関わらず横に平べったく見える程だ。

 その塔の中央部分に当たる場所の、東端の塔に王の執務室はある。さらにそこから真逆、中央西端の王太子の執務室。手前中央の大広間、奥中央の会議室を含めた四部屋は、この城の中でも、重要かつ大きな部屋だ。


 王太子が再び別邸から帰って四年。この四年は、カシルの生活に大きな変化を起こしていた。二年前から、王に変わり政治の舵を取っているのはカシルなのだ。成人前のため正式な譲位は出来ずにいるが、カシルは今、十九。成人である二十一までは、もうあと二年ほどだ。

 カシルがその地位を得てから、人々の向ける彼への視線も変わっていた。最初は何をするにも、楯突き反論していた派閥が多数だったが、次第に減り、今では多くの支持者を持っている。民の間でも、自ら戦に出向き、多くの政策を行うカシルの評判は良かった。


 カシルは、立派な王太子となっていた。



 ユラが声をかける。

「カシル、東から今年の収穫予測量の報告書が上がってる」

「ラウラ殿に」

 外から足音がする。

「王太子ルエナ様!新しい報告書をお持ちいたしました」

「ユラに渡せ」


 バタバタとしてばかりの政務が、だいぶ板につき余裕も出てきたとはいえ、やることは常に山積みにある。探さずともそこらにあるどころか、向こうから飛んでくる程度には。


 そのため、あらかた終わりひと段落つけるのは、夕暮れも近いころとなる。


「ユラ、大丈夫か……」

「カシルこそだよ。あぁ、ナウナありがとう」

 東塔に戻った二人を出迎えるのは、小さい頃から世話係としてそばにいるナウナだ。彼女はいつも、焼き菓子と茶を持ってきてくれる。それも、付き人候補に過ぎないユラの分まで。

 白髪の老婆であるナウナと、青年期の現王の付き人で教育係であるジウナ、そして新入りの使い走りの子供が一人、衣装係の娘が一人。それが、この東塔にいる者の全てだ。王の住む塔には、まとめると五十近くの人がいることから、いくら規模が違うとはいえこの東塔の人の少なさがよくわかる。


 だがカシルからすると、なぜ間に合っているのに人を入れる必要があるのか不思議なのだった。


 王太子として人の前に立とうと、こういうところは変わらないカシルなのである。


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