七話 戦と策略

 僅かに相手の剣がかする。自分のか、それとも相手のかすら分からない血の、匂いがした。辺りは喧騒で満ちている。


 少し前まで降っていた雨で足場が悪い。何度か、足を取られて体勢を大きく崩す兵も見た。滑りにくいようつくられた靴とはいえ、油断はできない。


 剣を繰り出し、あるいは躱しながらも、普段とは違い気を抜けない。所詮集められた、農民を仕立てただけの雑兵ぞうひょうとはいえ、足を滑らせてはこちらが劣勢になる。油断し過ぎれば大きな傷を負い、最悪死にかねない。

(普段はもっと、余裕があるからな……っ)


 何かの拍子に、カシルの髪紐が切れたらしい。ふわりと広がった長い黒髪を払い除けながら、相手を討ち取る。

(邪魔くさいっ!)


 そして、何の躊躇いもなく、丁寧に手入れされた美しい髪を切ってしまった。


 腰ほどまであった髪は、肩につかない程に短くなっていた。はらはらと、切られた髪が落ちる。


 周囲には、同じように戦う兵でごった返している。だが、カシルには違和感があった。


 いつもと変わらぬ規模にしては弱すぎるのだ。

 先程農民でできた雑兵ぞうひょうの群れだとは言ったが、ジャユンはそこで下手な手は抜かない。必ず、の仕込みはしてくる。

 にも関わらず、この兵達は意図も容易く倒れる。逃げ腰な者も少なくない。


 これではまるで、適当にこしらえた捨て駒のようだ…


 そこまで思い、カシルはハッとした。ザナが言っていたではないか。


 戦は、陽動なのかもしれない、と。


 舌打ちをし、敵を討ち取ったばかりらしいユラに駆け寄る。


 普段穏やかさを絶やさないでいるユラだが、その強さは鬼神の如く、だ。ユラの、動き易いよう軽く造られた鎧は、既に真っ赤に染まっている。

 カシルを認め、ユラも近づいて来た。途中、剣を振り上げた兵が襲ってきたが、ユラは難なく向かい撃ちにする。


 まるで、子供を相手にするかのような手並みに、そんな場合じゃないことを理解していながらも感嘆してしまう。


「ユラ!これはおかしい。城の守りが心配だ!」

「僕もそう思う。流石に城の襲撃も想定されてはいるが、目的もわからない以上しっかりとした警備が敷かれているかどうか…」

 さらに敵兵が襲って来る。


 まずはこの戦を片付けるのが先だと思った二人は、言葉にはせず、頷くことでこの場を離れた。



 戦が終わったのは、その日の夕方。敵の撤退による、アラクト側の勝利で幕を閉じた。

 テム達も無事で、懸念を話すと渋い顔をしながら頷いた。彼らもまた、それを気にしていたのだった。


 だが流石に、その日のうちの移動は無理だった。そもそも、もうしばらくすれば日が暮れる。再び、薄く雨が降り始めてもいた。


 渋々、カシルは決断した。



 明日移動を始めるしかない。



 そして城から、緊急時にのみ使われる羽矢鳥はやどりによる知らせがもたらされたのも、その日の午前だった。


 日はまだ高く、昨日の雨は嘘のようである。からりと澄んだ空は、どこか乾燥しており、冬の到来が遠くないことを感じさせた。


 今回戦の場になったのは、アラクトの辺境だ。人は住んでいない。橋と森に挟まれたこの場所は、岩場と草原ばかりで人が住むのには向かないのだ。


だからこそ、選ばれた。出来るだけ民への被害が小さく済むように。

 その、普段は人気のない場所に今、言い争う声が響いていた。


驚いた鳥達は飛び立ち、兵達はひっそりと見守る。


「ユラ!今すぐに…っ」


 もちろんそれは、知らせを受け取ったカシルと


「無理だと分かっているだろう!カシル!」


 止めるため、珍しく声を荒げるユラのものだ。

カシルは訴える。

「シアナが攫われたんだぞっ!十中八九、こちらが目的だ!」

 ユラは渋い顔をする。分かっているのだ、そんなことは、お互いに。

「敵国がこちらの姫を攫う!こんなの、死んでおかしくないじゃないか…っ」

「だが…」

「分かっている。分かっているさ!無理だと言うのだろう?この距離、しかも昨日の雨。この知らせが、いつ発せられたのかも分からない…」

「なら、カシルは首を突っ込むべきではないだろう。今、王城は荒れているはずだ。そして、現状。誰が最もシアナ——否、側室の娘である姫を、邪魔に思う可能性があると思う?」

 今度は、カシルが唇を噛む番だった。


 どう言おうと、それはカシルだ。


「それに、おそらくこれを引き起こしたのは内通者だ。それも、カシルとシアナ姫の仲を知った者。ならば、カシルの動揺も図られている可能性があるだろう」

 これにも、カシルは言い返すことができない。自分の血の上りやすさは、カシルが最もわかっている。


 ゆるく肩にかけたマントを翻し、カシルは何も言わず背を向けてしまう。そのまま、どこかへ歩いて行ってしまった。

 護衛としてザナが追おうとするが、ユラはそれを手で止める。そして、ユラ自身も、髪を揺らして岩と木々ばかりの森へ姿を消した。

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