緑を踏め!(後編)
◆
どのくらい、昔の、事、だろうか。
荒れ地──。
水が無くひび割れていた。
死体や剣や矢がある、戦争跡地だった。
そこに逃走中の二人。
ハァ、ハァ、と息を切らす。
数少ない草に目もくれず、踏みつけるように走り続ける。
一人は人間の男、もう一人はフェルー族の女。
女の腹には、男の血を引いた命を身ごもっていた。
二人は追われていた。
フェルー族達から。
あの時、人間とフェルー族の中はそれほど良くなかった。
二つの種族が結ばれる事は、極刑も同然の扱いだった。
しかし、二人は心から愛しあっていた。
だからこそ、二人は逃走せざるを得なかった。
昔、植物学者の男が研究のために森に入った。
目的は、新種の植物の発見と研究、そして保護。
しかし、初めての場所である事もあり、迷っていた。
食料と水は底をつき、熱病になっていた。
最悪にも、その森の植物は毒物ばかりだった。
水も汚染されていた可能性があった。
男の体力は限界だった。
そうして覚悟した時、草影から何かが現れた。
フェルー族の女だった。
男は、死を覚悟した。
フェルー族は人間である自分を容赦しないはずだ。
──そう思っていた。
女は持っている食糧を出し、男の口に入れた。
男は不信がったが、飢えに耐えられず、食べた。
──力がみなぎっていく。
女は持っていた水も与えてた。
男は力を取り戻していった。
次に女は、男を背負った。
男は状況が飲み込めなかった。
だが、熱病に耐えられず、そのまま眠ってしまった。
──着いた先は、フェルー族の村。
フェルー族達は、女が人間を入れた事に激怒していた。
村のフェルー族達は、人間を嫌っていた。
人間などと言う破壊ばかりの種族を入れるな、と。
だが、女は聞く耳を持たなかった。
自らの住居に男を入れ、寝かせた。
どうしても、男を助けたかった。
それから三日三晩、熱病にうなされる男を看病した。
女は、男を助けたかった。
人間は悪い存在だと聞かされていた。
だが、その男はそんな存在には見えなかった。
だから、優しい女は男を助けた。
四日目に、男は目を覚ました。
最初に見た光景は、女の泣き顔だった。
男は状況が掴めなかったが、お礼を言った。
すると女は笑顔になった。
女は病床の男の手を握り、温もりを大切そうに確認した。
そうして男と女は同じ住居で暮らすようになった。
村の者達は相変わらず人間を嫌っていた。
女に危害を加える者も出てきた。
だが、女は男を追い出そうとはしなかった。
それどころか、学者である男の話がとても好きだった。
未知の植物の話も、外の話も、とても新鮮だった。
男も、恩返しとこの森を調べたい思いから、出なかった。
しかし申し訳ない気持ちから、女の手伝いや家事もした。
そんな同居が長く続けば、結末は明確だった。
──密かに結ばれた。夫婦になった。
二人だけの秘密として。
女は、新しい命を宿した。
二人だけの秘密として。
……しかし、フェルー族達にばれてしまった。
体調不良と妊娠の膨らみは、隠しようが無かった。
殺せ!
殺せ!
殺せ!
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!
殺せ!
フェルー族の血を汚らわした男と、
人間の汚れた血を宿した女を、
殺せ! 殺すのだ!
フェルー族の者達は、すぐさま二人の住居を燃やした。
あっという間に火柱が上がった。
──だが、二人は間一髪逃げた。
あらかじめ作っていた穴を通り、急いで逃げた。
──その穴は、遥か後にフェルー族の少年と犬が入るまで、誰も気がつかなかった。
その先こそが、荒れ地だった。
──二人は走り続けた。
少しでも、少しでも、遠くへ!
二人がともに暮らせる場所まで!
今いる死体が転がる地ではなく、生きる喜びを味わえる平和な地まで!
しかし、身重になった女は速く走れなかった。
そして、倒れてしまった。
男は女の体調を気遣った。
女は平気だと答えた。
しかし男は、女が限界であるとわかった。
──せめて、彼女とこの子だけでも!
取り出したのは、大切にしていた研究用の植物の種子や根、花など。
逃げ出した際に一緒に持ち出した、命の次に大切な物。
持っていた植物の中には、滋養強壮や体力回復の効能があった。
男は、かつて助けられた時のように、それを女の口に入れようとした。
しかし、女は拒絶した。
男が大切にしていた物だと知っていたからだ。
それでも、男は入れようとする。
その時、たまたま一つの種子が落ちた。
絶滅したとされた、ユー・ユの種子。
……正確には、その化石。
女が一番好きな、そしてフェルー族が
しかし、芽吹く事の無い、過去の遺産。
……だった。
……ザッ。
ザッ。
ザッ、ザッ。
乾いた土地に響く足音。
何者かが二人の所に向かっていた。
二人はそれに気がつき、警戒した。
──追手か!?
しかし、フェルー族ではなった。
黒いフードと外套、仮面のような白い顔。
そして、白い手袋に、〝Ⅳ〟のマーク。
──助けてください! 妻が身重で……。
しかし、反応しない。
そして、ユー・ユの種子の化石の前で止まり、拾う。
──助けてください! 助けて……。
しかし、反応しない。
種子から、芽が出た。
驚愕、絶句、疑念。
しかし、その感情を感じる事無く、一瞬だった。
……ヒュゴォッ!
手のひらの芽は一瞬にして樹になり、根は女に巻き付いた。女の悲鳴が男の身体に突き刺さった。
男は女を助けようとした。
しかし、太い根が即座に絡みつき、姿が見えなくなった。
それでも必死で男は助けようとした。
指が、爪が、血だらけになっても。
しかし、傷つける事が出来ない。
女の悲鳴が消えた。
驚愕、絶句、悲嘆。
男は、研究対象に妻を奪われた。
黒い装いの何者かが、男に向かってくる。
妻を奪い、未だ成長し続ける樹を持ったまま。
男は気付く。
驚愕、絶句、激憤。
男はその者に襲い掛かる。
……ガッ!
また一瞬で、男は腹部を刺された。
妻を奪った根に。
驚嘆、絶句、……。
男は死体となり、飲み込まれた。
いつの間にか、種子を芽吹かせた何者は消えていた。
しかし、樹は成長していく。
樹は男の知識を取り込んだ。
男の持っていた希少な種子や根、花も取り込んだ。
確認、
学習、
……、
生成。
樹から多種多様の植物の種子が放出される。
本来、ユー・ユには存在しない、してはならない
不足した養分は、荒れ地に転がる死体を飲み込んで補う。
生成、
栄養供給、
生成、
栄養供給、
生成、栄養供給、生成、栄養供給、生成、栄養供給……。
単純な作業を高速で繰り返す。
そして数百年、数千年かかるはずの環境変化は、ものの数時間で終了した。
「世界樹」、そして「エリオンの森」が、この世界に生誕した──。
◇
──「世界樹」は
最初に取り込んだ、フェルー族の女が宿していた胎児が、樹の中にいた。
──その児を取り込む事を、世界樹にはできなかった。
樹液を羊水代わりに、そして栄養として与えた。
だが、
「王国」と呼ばれる共同体が、この森を拒絶したからだ。
幾多もの人間の死体から得た知識だけでは、限界だった。
その栄養供給──人間を捕らえるために、私が生まれた。
名も無き「動き意志持つ植物」の、私。
人間を呼び込むための存在である、自分。
◇
「ポ、ポレ、ムヌ?」
──何故知っている。教えていないはずだ。
〝世界樹〟は私が生まれた時から既に知識を蓄えていたが、どうやって……。
「おお、きな、はな……」
──比較の概念まで学んでいるのか? ポレムヌを実際には見ていないはずなのに、分かるのか?
私の顔になってるポレムヌは本来、他の花と同じ、人間の手に乗せられる小ささだ。
その無垢な瞳を見ながら、私は確信した。
──使える!
……パタパタ……パタ……
唐突に入ってきた青い何か。それが私の前に転がった。
──小鳥?
傷は無いようだが、衰弱している。命はもはや消え失せそうだ。
──栄養にすらならないが、このまま……。
「……た」
──た?
「たすけて!」
──何故?
自分の行為に疑問を抱いているのに、体は勝手に動いていた。
青色吐息らしき小鳥の自らの枝に乗せ、娘が差しだす手のひらの器に入れた希少なはずの樹液をクチバシにつけている。摂取できているのか分からない。
「だいじょぶだから、ほら、のんで」
娘は固い笑顔で手のひらを上げた。クチバシが少ない樹液に深く入ると、小鳥はクチバシを開き、すぐに閉じた。
──飲んだ、か?
確認しようとした途端、瞼がピクピクと動くだけだった目が見開き、いきなり突進してきた。自分の花びらが一片落ちた。
すぐさま黒いツタと自身のツタを放った。高速かつ小さい対象はなかなかに捕まりにくかったが、捨て身で突進してくるため動きが予測できた。このまま突っ込んでくれれば、締め上げられる。
──始末!
「やめて!」
娘の叫びに、自分も小鳥も動きが止まった。
──何故止める?
そう思いつつも、自らを動かす事が出来なかった。娘の目が、私と小鳥を直視していた。
「ト、トリィも、ト、モ、モダチも、やめて!」
──『トリィ』? 『モダチ』?
一瞬分からなかった。
「トリィ、あばれないで! モ、モダチも、あやめないで!」
──『モダチ』……、もしかして、自分?
「トリィ」と呼んだ時はあの暴れた小鳥を、「モダチ」と呼んだ時は自分に視線を向けていた。
あの娘がそう呼んでいた。そう名付けた。
名付けたといい、この喋りの明朗さといい、思ったよりもに賢い。
「なかよく、しよう! よ!」
ツタを全て引っ込めると、娘の不安な表情が消え、笑みになった。
……パタパタパタッ!
トリィと名付けられた小鳥も、空中に浮遊したままゆっくりと、穴の近くに生えていた小枝のような突起にとまった。
「トリィ?」
娘とトリィはお互いを見やった。トリィが甲高い声で鳴くと、娘は笑顔で返した。
「……いいよ、ぶじで、よかった」
しかし、トリィが再び鳴くと、今度は娘の笑顔が消えた。
「な、なまえ? え~と……」
──そうだ、名前をつけていない!
途轍もないほどの大失態だった。
急いで自らの中にある葉を取り出し、鋭いツタ先でひっかいて書きなぐった。急いで見せつけた。
〈ユユ〉
「……ユユ?」
娘──ユユは不思議そうに私の文字を見ていた。
──やはり文字が読めている。
この樹の名前からとっただけだが……。
「……ユユ、ユユ! ユユは、ユユ! これが、ユユのなまえ!」
喜んだ。満面の笑みだ。
ユユは何度も自分の名前を叫んだ。
……この時だ。
ある意味では、この時に自分とあの娘が生まれた。
娘の名は、〝ユユ〟。エリオンの森の〝世界樹〟より生まれた〝賢者〟。
そして自分の名は、〝モダチ〟。〝賢者〟を護り育てる為に生まれた、〝世界樹〟の末端──。
◆
「危なっ!?」
テムの叫びで、我に返った。
──今のは、『思い出が走馬灯のように浮かぶ』というものなのか?
その合間にも、世界樹の大きな揺れが全身に伝わる。〝世界樹〟の葉は次々と枯れ始め、落ちていく。
「うわっ!? あ、あ、あ!?」
細い脚をふらつかせるユユを抱き上げ、すぐさま飛び降りる。地面を見せないよう、ツタで視界を覆わせた。落ちていた大量の枯葉がクッションになったこともあって、着地は安全に出来た。トリィも同じスピードで追ってきて当たったが、気にする余裕は無い。急いでユユを降ろす。
「モ、モダチ……?」
ユユが不安な表情で見つめてきたが、すぐさま視線が切り替わった。後ろからエイが軽々と、テムが受け身を取って着地した。大量の枯葉とはいえ、やはり人間にとっては高すぎる。……だが、テムはどうも骨折した様子は無かった。
「う、く……」
「テム、貴様は不老不死だから、これくらいの高さで死なない。苦痛で呻くのは無駄だ」
「そ、そうだけどさ、うう」
──不老不死?
気になったが、もうその疑問を解消スる時間は無い。
テムは痛がりつツも立ち上がる。エイはそれを確認しただけデ、ユユを見やった。
「崩壊が始まる。離れるぞ」
〝世界樹〟は完全に枯木とナり、葉の天井は無く空が見エる。太陽がトても眩しい。
「ね、ねぇ、はやく、いっしょに──」
ユユが私の腕に当タる木の根を急いで掴ム。
その瞬間、乾いた音が響ク。
ユユが一瞬混乱し、掴んデイた部分を見た。
太い木の根の片一方が、折れてさサクれ立っテいる。
私の片腕に当たる木の根が、無くナッテいる。
「──え?」
私の頭に当たるポレムヌの花びらはシオれ、ハラハラと枯レ落ちる。
──来タ、か。
力が無クなり、横ニなル。
「モダチッ!?」
ユユが、私に駆ケ寄る。
──どウしテだ? 自分は、泣かシテしまウ事を、しテいたノに? ソれなのニ、何故?
「いやっ!」
ユユが、泣イて、イる。
「しなないで! かれないで! はじめての……トモダチなのに!」
ダけど、今度ハ、違う。嫌悪でハナく、喪失の悲しミ……。
「無駄だ。あれは端末だ。あの樹が枯れれば、あれも枯れる」
「いやっ!」
唐突にベきベキと大キナ音が響く。見上ゲルと、世界樹の太イ枝ガ自重ニ耐えラレず、次々に折れ始めてイル。
自分ノ頭上の巨大ナ枝は、もうスぐ折れルダロう。
「ユユちゃん! 危ないから!」
テムが急イでユユを抱き上げ、私から離れていく。だけどユユは涙ヲ流シて暴れテイル。ぶかぶかナ格好のセイデ、抵抗ガ激シク見えル。
「いやっ! モダチっ! モダチっ!」
真ッ直ぐナ、力強イ瞳。だケど、細長イ手足。
……モう、私の八割が枯レ、しぼミ、折レている。
残る力で、虫食イのよウニ一部枯レた葉を取り出シ、書き殴る。
思い出シタノは、あノ大言壮語の男の、言葉。
ソの葉ヲ、渾身ノ力で投ゲル。
降りシキリの世界樹ノ葉の雨ノ中、あの青イ小鳥のヨウニ、真っ直ぐ進ム。
──葉は、しッカりと、ユユが、掴ンだ。
「モダチィィィィィィィィィィィッ!」
ユユの叫ビト同時に、自分の真上の太イ枝が、完全にニ折れタ。
……ああ、コれで、私ノ役割は、終ワった。
ユユ、もウ〝
こノ森の全テノ植物は枯レ、無くナル。
私にハ、想ウ資格は無イのかモしレなイ。
だガ、ソレデも、私ハ願う。
どウカ、ソの脚デ、緑を、大地ヲ踏ミ、強ク生きテクレ。
ドうカ……。
◆
私が最期に書いた言葉は──。
〈緑を踏め!〉
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