ご主人様の弟(後編)

 私の本来のご主人様はリアン・リウ。──クオンの実の兄だ。無論、フェルーの者である。ご主人様は、クオンより開明的──いや、どちらかといえば開放的というべきだろうか、とにかくフェルーらしくない人物だ。

 フェルーは女性に敬虔的な一族だ。それ故、恋愛や結婚面に関してはやや女性の方が権力的に強い。男性から声を掛けようものなら、村八分のような扱いをされてしまう。

 しかし、リアンは違った。盛りのウサギ並みに女好きで、目に着いた女性を片っ端から口説く男だった。女性達からはほぼ間違いなく拒否されるのだが、作業を手伝ったり、怪我をするとキチンと手当するなど優しい行動を取るため、嫌われる事は無かった。特に若い女性からは、敵意を持って接する者はいなかった。だが、結婚や子孫繁栄の事となると、他のフェルー族の男性以上に恥ずかしがる。その話をしようものなら、乱暴に口を塞ぐ程だ。失礼だが、そこが何とも可笑しい。

 そんなフェルーらしくないご主人様を嫌う者はたくさんいる。しかし狩りの腕は一流で、歴代のリウ家の中で一番とも謳われた御仁だ。大きな猪を三頭連続で狩ったフェルー族は、私が知る中でご主人様しかいない。だからといって驕る事はせず、毎日弓矢の練習や勉強、道具の点検を怠らない。誰もがその事を知っている為、ご主人様に対する嫌味を表に出す者は誰一人としていないのだ。

 そんなご主人様を、弟のクオンは尊敬し、常に寄り添っていた。あまりに付き添いすぎてウザがられる事はあった(理由はだいたい「女性を口説くのに邪魔だから」なのだが)。しかし、ご主人様はクオンに狩りの技術や知識を丁寧に教えていたのだから、仲は悪くは無かった。

 ご主人様もその弟も揃って、私にとっては解せない存在だ。フェルーらしくないのだから。しかし、だからこそ私にとって興味深い存在であり、全く持って飽きない。私の寿命が尽きるまで見る事が出来よう、そう思っていた。

 だが、一年前に、我がご主人様は追放されてしまった。


 その時は、ご主人様はいつものように、三人隊のリーダーとして他の二人と共に森へ狩りに行っていた。いつもなら私も同行するのだが、今回は他の二人がまだ若いので教育する目的で待機する事になった。しかし、期限の四日間が経っても戻ってこず、別の隊が狩りの合間にご主人様達を探した所、フェルー族が建てた休憩用の小屋に彼らがいたのだが、三人とも倒れていた。草と弓矢が散乱していた。その内ご主人様以外の二人は、ご主人様が作った毒矢が何本も刺さり、死んでいた。生き残っていたのはご主人様のみで、発見された時は気絶していた。狩りで出来た擦り傷以外に外傷は無かった。

 この状況から、ご主人様が他の二人を殺したと判断され、殺人の罪のより逮捕された。しかし、ご主人様は何も覚えていないと否認した。私としては、ご主人様がやっていないとしている。長い間ご主人様といた私からすると、そんな事をする人間とは思えないからだ。しかし、ご主人様を信じる者はほとんどいなかった。ここに来て嫌っていた者、恨んでいた者達の恨みが爆発し、有罪にゴリ押されてしまった。そうしてご主人様は追放処分となった。

 別れ際、私は最後になるかもしれない命令を与えられた。

「俺の弟を頼む」

 あの時のご主人様に撫でられた感触と悲しげな表情は、今でも心に残っている。


 ご主人様がいなくなってから五日間、クオンは家にこもって泣き続けた。私も悲しい気持ちだったが、クオンの傍に居続けた。私に出来る事は、それだけしかなかった。クオンは何度も「ありがとう」と言いながら、私の頭を撫でたり、抱きしめたりした。少しは癒しになったようだ。

 泣くだけ泣いて、そして立ち直り、今日にいたるまで、ひとつの決心を持って生きている。

「兄の無実を証明しよう、パルシーロ!」

 もちろん、私も彼と同じ思いだ。

 クオンと私は、とにかく練習や勉強や狩りの合間に情報収集や現場捜索をした。だが、今日に至るまで決定的な証拠はない。とはいえ、必要と思われる情報は分かる限り集める事が出来た。目撃者がいない事もあって情報が錯綜し、クオンはお世辞にも賢さほぼ皆無の感覚で生きるタイプなので、情報を整理統合するのは大変だったが、私も喋れないなりに動作で示したりする事で、何とかまとめる事が出来た。結局頼りになったのは、ご主人様の証言だが。


 あの事件の流れおよび状況は、次の通りだ。

 狩り初日は、非常に好調だったそうだ。他の隊からの証言では、同じ隊の二人に的確な指示を行いながら、対象を誘導させて穴に落とした所で三方向から攻撃していくという戦法をとっていた。これで効率的に大型の猪や熊を倒していった。この日の目標である三人分の食料は日が暮れる前にクリアしたどころか、倍の六人分まで獲れたという。

 そして、日が暮れた時、ご主人様は他の二人と共に近くの休憩用の小屋に泊まった。中には食料と飲み水、机、ベッド、そして赤い草(私には「赤」がどんな色なのかよくわからないが)が大量にあったそうだ。その草は「人寄せぐさ」と呼ばれるもので、仮に出る前に小屋の管理人から、獲物をおびき寄せるためのにおい袋の原料として保管しているので、処分しない様にと言われていたそうだ。小屋の中はかぐわしい香りに満たされて、みんなはその草に引き寄せられるほどだったそうだ。しかし、気を取り直し、武器の手入れを行った後、夕食を取り、眠ったそうだ。

 ところが、二日目の狩りは散々だった。これも他の隊からの証言によると、昨日とは明らかに様子が違っていたそうだ。誘導役がとんでもない方向にいってしまったり、弓矢の狙いが明らかに外れたりしていた。ご主人様も珍しく苛立っていて、声を荒げていたそうだ。しかも、時折意味不明な独り言を喋ったり、樹を獲物と間違えてしまったという。正直信じられない話だが、ご主人様本人もその事実を認めている。しかし、ご主人様は「何故そうなったのかは分からない。いつも出来た事が出来なくなってしまった」と言っている。少なくともご主人様は正直なお方だ。これも嘘ではないだろう。

 結局日が暮れて、なんと全く獲れなかったという。ご主人様と隊の二人と口ケンカ──というよりは、罵倒合戦を行ったという。殴り合い寸前まで行きそうだったが、何とか抑えたらしい。昨日で二日分の目標を達成したからまだ余裕がある、次に頑張ればいい事だと強引に結論づけ、口論を終わらせた。また、ご主人様の話では、小屋の中にあった人寄せ草の匂いをかいで、みんな心を落ち着かせたそうだ。

 そして問題の三日目。この時に事件が起こったと思われるのだが、──ご主人様は何も覚えていなかった。

 目撃証言では、いつものように狩りを行っていたが、二日目以上におかしかったそうだ。失敗してばかりだけでなく、動きがあまりにのろく、目は虚ろで、ご主人様も他の二人とも、独り言を呟いていたそうだ。三日目の狩りの結果についてだが、ご主人様本人は覚えていない。しかし、事件後に調べた限りは初日に狩った六人分の獲物だけだったので、獲れなかったか、獲物を持ち帰らなかったかのどっちかだろう。後者は獲物が猛毒でない限りは普通あり得ないのだが、まず後者の可能性は皆無だ。そもそも猛毒な動物はフェルーの森にはいない。二日目と同じように、収穫が無かったと思われる。

 そして、いつものように小屋に戻り、その時に事件が起きたと思われる。

 以上が、狩り三日間の流れだ。


 私の勘だが、その赤い(らしい)草が何らかの鍵を握ると思われる。しかし、確実な証拠が無い。しかも人寄せ草は、あの事件後消えていた。ご主人様はその草が大量に存在していたと証言しているものの、その事をご主人様に話した小屋の管理人は何故か知らぬ存ぜぬを主張し、誰にも信じて貰えなかった。信じているのは、私とクオンのみだ。

 一応、その小屋にはクオンと共に行った事があるのだが、そこから漂う強烈な臭いがあまりに強烈で、私は入る事が出来なかった。なぜ人はこれが平気なのか理解に苦しむ。


「……そうなんだ」

「うん、俺は兄貴の無実を証明したいんだけど、証拠が無くて……」

 殻に閉じこもるように小さく座り込むクオンが話し終えると、重苦しい空気に包まれた。

「……」

「……」

 沈黙する間も、雨はさらにひどくなり、外はゴロゴロと鳴り始めた。私としてはこれ以上酷くなってほしくない。雷は耳目じもくにくる。我々フェルー族のご主人様に仕える仲間は全て雷が苦手だ。

「……俺は兄貴がそんなことしない人間だって、信じているんだ。絶対に」クオンは握り拳をつくると、首だけ出す少女に視線を向けた。「ユユちゃん、信じてくれる?」

「うん」少女が頷いたが、そのまま俯いた。「……でも」

「でも?」

「その、アニキさんがやったのは、まちがいないとおもう……」

「そんな事無い!」

 クオンが立ち上がった途端、あの小鳥が飛び出してきた。

「トリィ、やめて!」

 少女の声に、小鳥は渋々戻った。

「ユユちゃん、どうして……!」

「ちがうの。そのアニキさんはそんなひとじゃないとはおもってるよ!」

「だったらどうして!?」

「そのアニキさんもおなかまさんも、コティラのせいでおかしくなったんだよ、きっと!」

「コティラ……?」

「たぶん、おいてあったっていうあかいくさ、それ、コティラだとおもう!」

 ──コティラ?

「コティラ! 『ひとよせぐさ』、だよ!」

「『人寄せ草』!? あれって、『コティラ』っていうの!?」

「うん! あのにおいをかぎつづけると、おかしくなっちゃうの! まぼろしをみたり、ひとをおそいたくなったり、メチャクチャに。もう、メチャクチャに!」

「ホントなの!?」

 ──やはりそうか!

 しかし、こんな幼い少女がなぜ詳しいのだろうか──。嘘は言っていないだろうが。

「だから、その『コティラ』のせいで、アニキさんもそのおともだちさんたちもおかしくなって……」

「そんな……」

 少女が悲しげになると、クオンも悲しそうに俯いた。私も悲しい気持ちになる。思わず気弱に唸ってしまった。

 ──待てよ、あの少女の言う通りだとしたら……。

「まさかっ!」クオンが思わず叫んで立ち上がった。「あの管理人……!」

 そう、その「人寄せ草」を大量に入れながら、後に知らぬ存ぜぬを突き通したその小屋の管理人。もし、「人寄せ草」の危険性を知っているのか、あるいはその管理人をけしかけた誰かが知っていたとしたら──。

「……められたんだ! パルシーロ、今すぐ戻ろう! 早くあいつに……」

 ──落ち着くんだ!

 私の叫びにクオンの動きが止まった。漏れ出す雨は少なくなっているが、それでも雨が激しいのは変わらない。このまま出ると風邪を引いてしまう。

「……パルシーロ、早く戻ろう! ユユちゃん、ありがとう!」

「あっ、ちょっ!?」

 クオンはすぐさま出てしまった。

 ──これでは止めようがない。

 私も少女と小鳥に礼をして、追いかける事にした。

「あ、またきてね、ワンちゃん」


 我々犬とフェルー族の歴史は、共存の歴史だ。フェルー族には必ず一人に対して必ず犬を一匹つけるほど身近だ。

 狩りの時も、他のフェルー族や多種族との戦いには、我々が先陣を切り、時には斥候せっこうとしてフェルー族に身を捧げた。何故ならば、フェルー族は我々を大切にしてくれるからだ。その恩義は必ず返さねばならない。だからこそ、ご主人様がたとえ暴走してもついていかなければならない。……追放などで縁が切れない限りでは。

 だが今は見失いそうだ。小雨に変わったとはいえ、雨の森は視界が悪すぎる上に、においが流れてしまって途切れ途切れだ。とはいえ、クオンの行き先はハッキリしている。あの穴だ。

 ──いた!

 クオンが穴の前にいた。だが、立ち止まったままだ。

 ──おかしい。……!?

 走ろうとした途端、唐突に強烈な臭いが鼻にきた。あの、小屋に残留していた不快な臭い……。

 ──まずい、これは早くしなければ……、ッ!

 いつの間にかクオンの姿が見当たらない。……いや、左側にいる。だが、何かに引き寄せられているような……。

 ──マズい!

 とにかく足止めするために吠えてみる。しかし、止まらない。

 ──早くしなければ!

 臭いに悶えている場合ではない。無理にでも脚を動かさなければ……!


 不快極まりない臭いに阻まれながらも、どうにか助走なしで跳びつけば届きそうな距離まで来た。しかし、身体の拒絶反応が激しくなってきている。いつの間にか体毛がはらりと落ちているのに気がついた。いや、そんな事してる場合じゃない。クオンが上の空だ。

 ──クオン、気づけ、気づいてくれ!

 必死に吠え続けて、ようやく我に返ったようだ。

「な、ど、どうしてこんな所に……、って、パルシーロ!? どうしたんだ、その身体は、なんでそんなに毛が抜けているんだ!?」

 私の体毛はあの臭いのせいでかなり抜けてしまった。雨粒や冷たい空気が地肌にくる。しかし、些細な事だ。それよりも……!?

「どうしたんだパルシーロ、なんでうなってるんだ!? そこに何かあるのか!?」

 私の全身がその先を警戒させる。あの臭いが、そこからくる。

 ──が、いる!

「おい、パルシーロ、一体……!?」

 その先から、何か細長い影が迫ってくる。

 ──クオン、逃げるんだ!


 ……グワッ!


「うわぁっ!?」

 細長い影は、クオンを縛り吊るした。

 ──何だこれは!?

 黒いツタだ。しかも、鋭いトゲがまるで他を拒絶するかのように数多くくっついている。それがクオンを縛っている。

 急いでツタを噛みちぎろうとしたが、口内にトゲがささり、思うようにいかない。唾液に血が混じり、舌が思うように動かない。

「いいいい、痛い、痛いよ、助けて、助けて、パルシーロ!」

 トゲを容赦なく食い込ませようとしてくる。ツタの隙間から血が滴り落ち、くぼんだ地面にほんの少しだけ溜まりだした。

 ──早く、早く何とかしなければ! ……ん?

 さっきの臭いのする方向から、何か物音がする。……足音?

 音がするほうを向くと、黒い人影がそこにはいた。……いや、違う。フードも外套も黒い装束を身にまとった人型の何かだ! その人型の何かが、近づいてくる。袖の中から何か細長い草らしきものちらりと見える。色は分からないが、形状と臭いから、ほぼ間違いなくだ。人型だが、人ではないはずだ。

 思わず唸る。理屈はわからないが、直感がそうさせる。間違いない。クオンを殺す気だ!

「パ、パルシーロ! 助けて、助けて、助けて助けて助けてぇっ!」

 ……そうだ! まず、クオンを助けなければ!

 締めつけで苦しむクオンのほうに向きを変え、再びツタを噛みちぎる。口の中でトゲが容赦なく阻んでくる。

 ──グッ、くそ、トゲめ!

 トゲを抜き取っていきたいところだが、時間がない。トゲとトゲの間を噛み、少しでも刺さらないように気をつける。

「痛いよ痛いよ痛いよ痛いよぉ!」

 クオンの悶絶した表情を見て、トゲの痛みを和らげる。無我夢中に噛みちぎる、噛みちぎる、噛みちぎる!

 ──俺の弟を頼む。

 ご主人様との約束は、命をかけてでも護りたい。それが私の望みだ。今や何処にいるかもわからぬご主人様の為にも、そして自分の為にも。

「うわ!?」

 ツタがブチブチと音をたて、クオンが尻もちをついていた。ツタを解く事に成功できたのに今気づいた。クオンは全身血だらけで、トゲがあちこちに刺さったままだ。その痕はまるで先程見た死体の、あの絞められた痕に近い。

 ──もしや、あの死体は……。

「ウ……、痛……」

 余計な事を考えている場合ではない。クオンは呻き、苦しんで動けない状態だ。しかし、が迫って来ている。

 ──早く、あの穴へ!

 クオンの服を噛み、引っ張る。

「痛ッ! クオン、どうしたんだ……!?」

 ここでようやくクオンはあの黒い人型に気がついた。

「な、なんだアイツは!? ぜ、絶対ヤバい奴だ、逃げよう!」

 クオンは恐怖の力で立ち上がり、逃げようとする。しかし、穴のある方向ではなかったため、私は再度服を噛んで引っ張り、誘導させた。引っ張る度にクオンか「痛い!」と叫んで辛くなっているのがとても申し訳ないが、逃げる事が先決だと考え心を鬼にした。


「あ、穴が見えてき……ウッ!?」

 クオンが脚を滑らせた。直ぐに立ち上がろうとするが、苦悶の表情を浮かべながら。ダメージは思ったより大きかったようだ。だが、あの人型が迫っている。足音も大きくなってきたように感じる。

「パルシーロ、先に行ってくれ! お前だけでも……」

 ──そんなわけにはいかない!

 あの人型のいるほうに、向きを変えた。

「パ、パルシーロ!?」

 黒い人型の周囲には、黒いツタがシュルシュルと動いている。明らかに狙ってきている。まるで獲物を狙う蛇のように。

 ──先手必勝!

「おい、パル……」

 呼び止められるよりも先に走り出した。

 雨とたくさんの木のせいで、上手く真っ直ぐに走れない。しかし、私は転ぼうとも止まる気はない。


 ……グワッ!


 黒いツタが私に襲い掛かってくる。何本も。

 ──だが、甘い!

 私はギリギリのところで避ける。とにかく避ける。右に左に、飛んで屈んで、とにかく避ける。ツタの本数は多いが、一本ずつ単純に突っ込んでくるだけなので、冷静に対処すれば問題ない。

 ──もうすぐだ、届く!

 近くまで来たところで、その人型に向かって飛び掛かった。

 ──噛みつくか、体当たりして少しでも吹っ飛ば……。


 ……グワッ!


 ──な!?

 気がついた時には、上下左右四方向からツタが一斉に襲い掛かっていた。避けようにも、空中では制御が効かない。

 ──しまった、捕まる!


 ……バサッ!


 突然、私と人型の間に青い何かが横切った。人型は慌てて一歩引くと、ツタが一気に引っ込んだ。私は何とか着地し、一旦距離を取った。

 ──今のは……あの小鳥か!?

 人型のほうを見ると、あの樹の中にいた小鳥が、人型の頭周囲を飛び回り、翻弄している。しかし、人型は長すぎる袖で振り払った。小鳥は落ちるが、すぐに飛行体制を直し、離れた。

 ──よし、今のうちに戻……。

 一瞬、黒いツタが私を横切った。その先は確か……。

 ──しまった!

 ツタはクオンのほうに向かっている。クオンは穴までもう少しというところまで来ているが、うずくまったまま、動けない。

 急いでクオンのところに戻った。しかし、ツタが思った以上に速い。このままでは、また捕まってしまう。

 ──クッ、また噛んで、止めるか……。

 そう考えていた時、クオンが立ち上がった。

「パ、パルシーロ!」

 ──よし、このまま穴へ……。

 しかし、クオンは立ち上がり、弓を構えた。

「た、助けるよ!」

 ──やめるんだ! 逃げろ! こいつは猪よりも速すぎる!

 必死で吠えたが、構えを解かない。背負っている矢筒に手を伸ばし始めた。


 ……バサバサッ!


「うわぁっ!?」

 また一瞬にして青い何かが横切った。今度はクオンの顔を狙うように。

 クオンは驚きのあまり仰け反るように倒れた。ちょうどそのタイミングで、ツタの先は地面に直撃し、粉塵が舞った。

 ──あの小鳥、何故……。いや、確かあの後ろは!

 クオンが倒れた先は、ちょうどだ。

 ──逃してくれたのか。

 しかも、さっきのツタの衝撃で地面が崩れ、穴は防がれていた。隙間が少しある程度だが、そう簡単に除去出来ないはずだ。

 ──ご主人様、約束は守れましたよ。

 しかし、まだ完全な達成ではない。あの人型がまだ向かってくる。

 フェルー族がもし相棒と離れ離れになった場合、それ以上の犠牲を避けるため、深追いをせず指定された場所で待たなくてはならないという掟がある。その期限は三日。彼がそれを守れないかもしれないが、この状況ではそうせざるを得ないはずだし、もしかしたら他のフェルー族がクオンに気づいて連れてってもらえる可能性もある。

 だが、期限の三日には、戻れそうにないかもしれない。

 ──クオン、逃げてくれ! そして、ご主人様の名誉を回復させてくれ!

 人型の周囲にはあのツタが蛇のごとくうごめいている。確実に命を狙っている。

 ──ご主人様に、もう一度会いたかったが、仕方ない。

 私は人型に向かって構える。

 ふと、雨が完全に止んでいるのに今気がついた。木漏れ日はとても暑く、体毛の取れた肌に直撃する。

 ──あの小鳥はいないみたいだが……。いや、それよりも、だ!

 とにかく、目の前の敵を少しでも食い止めるのが先だ。

 ツタがまた襲いかかってきた。今度は一斉だ。その瞬間、私は四脚に力を最大限加えた。

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