『神に捧げし踊り』(後編)

「は、は、はや、はや、は、は……」

 そう呟いたヴォレ様はヘロヘロで、呼吸が荒くなっていた。

 走って数分もしないうちに、ヴォレ様に追いついたどころか、追い抜いて代わりに小鳥を追っている状態になっていた。

 私も息を切らしながら木々の中を走っている。とてもデコボコとした地面なのはもちろんだけど、木の幹や刃のような草がスカートやタイツに傷をつけるのが何ともウザったらしい。本当は今すぐにでも直したいが、あの青い小鳥を追うので精一杯だ。時折こっちを振り返って見ている。だけど、どこか尊大だ。

 ──ほら、早く来いよ。へばってんじゃねぇよ。その脚はただの贅肉ぜいにくか? 骨か?

 そんな目でこちらを見てくる。


 先導していた小鳥が、唐突に止まった。そこは未だ森の中で、さっきまで走り抜けてきた所と何ら変わりがない。

 私は小鳥が目印となってフワフワと飛んでいるところまで走り、やっと追いついた。私の腕は青い目印を掴もうと伸ばしたが、あっさりと避けられた。舌打ちが自然と出た。

 私は腰を曲げ、両手をそれぞれの膝に掴ませた。到着地点はまた樹々に囲まれた草原だったけど、さっきの世界樹周辺よりは明らかに狭い。お立ち台よりちょっとあるくらいだ。私は息を整えていると、奥から私よりも荒い吐息が聞こえてきた。

「や、や、や、やっと、ついた、か。ふぁ、ふぁ、ほぁ……」

 ヴォレ様が追いついた途端、近くの樹の根っこにすぐさま座った。その芸術的(と本人が言っていたが、ただカラフルなだけの)お召し物は、汗やら樹に引っかけて擦りむいた跡やら草切れや土埃やらで台無しだ。

「ど、ど、どど、ど、ど、どこに、あ、あるん……」

 すると、小鳥が真っ直ぐ上昇した。必死に目で追う。

「……あっ!?」

「セリシャ、どうした!?」

「あそこに、たくさんの花が……」

「何、まさか……!?」

 樹々の枝という枝に、赤・黄・青・空色・桃色と様々な色が斑点模様のように目立っていた。よく見ると、枝に多数のツタが幾重にも巻きつき、そこに色とりどりの花が不揃いについている。

「セリシャ、もしやペイルーヌを見つけたのかっ!? 花はどのくらいある!」

「き、樹の枝という枝に、たくさん……」

「何と、希少なはずでは……!」

 先程まで疲れて動かなさそうだったヴォレ様が勢いよく立ち上がり、目を大きく見開いた。しかし、目をキョロキョロするばかりで、見つけられていないように見えた。


「高いな……」

「そうですね……」

 私とヴォレ様は首が痛くなりそうな程、樹の枝に絡まるペイルーヌを見上げている。大きなカゴを背負っているが、さすがにここにある花全部は持って帰れないので、ペイルーヌが最も多そうな樹から取れるだけ取る事を提案した。ヴォレ様は残念そうな表情をしたけど、反対する事はなかった。

 この樹は目測だと、私の身長の三倍以上……、いや、多分五倍くらい。凹凸が少し激しく、そこまで硬くはなさそうだ。

 ……私が登るしかない。ヴォレ様は論外だし、あの小鳥はただ飛び回るだけで何もしない。私は溜め息を大きく吐ききり、それぞれの手に多数のナイフを握った。

「……よし!」

 幹に左のナイフを思いっきり刺す。刃の半分が入る。今度はこんもりとした根に右脚をかけ、右のナイフをさっきより高い位置に刺し込む。最初に刺したナイフに左脚を掛ける。ぐらつかない。

 ──思ったより脆い、いける。

 より高い所に左のナイフを刺す。二番目に刺したナイフに右脚を掛け、より高い所に右のナイフを指す。左脚をナイフに掛け、より高い所に左のナイフを刺す。右脚をナイフに掛け、より高い所に右のナイフを刺す。左脚を掛け、ナイフを刺す。右脚を掛け、ナイフを刺す。左脚を……。


 持っていたナイフが残り一本になった所で、ようやくペイルーヌが絡まった枝に着いた。この手は確か、二回目だったはず。最初は確か、放浪中に「森の民」だとかいう脚の速い細長く毛深い耳を持つ集団に捕らえられ、隙をついて脱走した時に同じことを巨木にやって登り、枝から枝へと急ぎ渡って逃げ切ったんだっけ。あの時は逃げ切れてよかった……。思い出してる場合じゃない。頬を叩く。息を吐く。……よし! そして、この太い枝に、しがみ、つくっ!

 私は擦れる音を立てつつ、ゆっくりと進んだ。時折服が引っ掛かり、破ける音が聴こえる。だけど、気にする余裕は無い。下を見ると、小さくなったヴォレ様が心配そうに私を見ていた。

 そんなに距離がなかったので、あっという間に最も近い位置にあったペイルーヌの前に来た。トゲトゲしいツタに、バラ……ではなくチューリップのようおな花が等間隔に並んでいる。しかも花は赤から黄色、そして青まで様々な色が並んでいる。

 ──鮮やかで可愛らしいけど、何の変哲もないお花じゃない。

 ナイフが尽きていたので、試しに手で取った。槍みたいな細長いトゲにうっかり刺さってしまったが、幸い傷にはならなかった。花はポロリと取れた。

 ──トゲさえ気を付ければ手で採れる。とにかく、ここらへんにあるペイルーヌを、あるだけ全部採ろう。

 私は残ったナイフを取り出し、邪魔なツタを切り始めた。


 ──結構採れた。

 身体中の余計な力が抜けていく。カゴいっぱいまではいかなかったか、半分以上は埋まった。有らん限りの色をたくさん詰めた。枝に巻かれているのは、トゲのツタだけ……。

 ──ん、あれは……?

 花だ。まだ残っている。……しかも、緑色!?

 だけど、その形状は間違いなく緑色だ。葉っぱと同化しているように見える。これもあのトゲのツタから生えているようだけど……、他より黒っぽいような気がする。何だか禍々しいような……。

「どうかしたのか~?」

 下でヴォレ様が叫んできた。ジャンプして呼びかけてきているのを見ると、回復したようだ。

「あ、ヴォレ様~、緑色の花がありました~。今からとりま~す」

 私は腰骨が離れそうな程、腕を伸ばした。

「いかん!」

「え?」

 ヴォレ様からの叫びを聞き、硬直した。

 

 ……バサッ!


「うわっ!?」

 何か青い筋が通ったかと思って身体の向きを変えた瞬間、急激に軽くなった。

 ──落ちてる!?

 受け身を取る体勢に直すには時間が無い。このままでは、地面に頭を打って……。


 ボゥン!


「おぶぅっ!?」

「へわぁっ!?」

 柔らかいクッションみたいなのに跳ね返された。さっきの勢いで体勢がまた崩れたが、今度は程よく半回転し、草場に綺麗に着地できた。ダンスで鍛えた身のこなしに、一瞬だけ思わず自分に惚れ惚れとしてしまった。

 立ち上がって自分に怪我がないかどうか確認した。……よし、大丈夫だ。

「うごふ……」

 ヴォレ様のほうを見ると、お腹を押さえて苦しそうに俯いていた。

「大丈夫ですかヴォレ様ッ!?」

「ぐぐ……」

 急いで駆け寄ると、ヴォレ様の近くに黄色とピンクが混じったガラスの破片が飛び散っていた。割れた片眼鏡モノクルが散らばっていた。

「も、申し訳ございません! 眼鏡を壊してしまい……」

「大丈夫だ! 気にするでない! それよりも、散らばったペイルーヌを……」

「ですが……」

「ペイルーヌが第一だ! 眼鏡など、我が屋敷に戻ればいくらでもある!」

 ヴォレ様は立ち上がり、少し呼吸を整えた。やはりまだしんどそうに見えていたので、何度も近づこうとしたが、その度に今までにない剣幕でペイルーヌを拾うようにと命令してきたため、従うしかなかった。

 周りを見やると、色とりどりの花が、緑のキャンバスに、たくさんの絵の具を振り撒いたように散らばっていた。ヴォレ様ならナントカの場所のようにとか、ナントカの神話のようにとか、そういう感じで例えそうだ。──そんな事考えてる場合じゃない、回収しないと。

 近くに散らばる花から拾い始めた。サッサとカゴに入れる。花びらになったのは案外少ない。まだ暗くなっていないから、慌てずに。散らばりの範囲が二、三歩程度だった事もあり、思ったより短時間でほとんど拾う事が出来た。

「おうふっ!?」

「ヴォレ様!?」

 条件反射でヴォレ様のいる方を向くと、今度は仰向けに倒れていた。周囲に黄色い蝶々が舞っているところに、青い小鳥がヴォレ様の鼻先にとまっていた。ヴォレ様が戸惑いつつ鼻先の小鳥を見ている。

 ──やっぱりあの鳥っ!

 さっき木に登った時に私を襲って落としたのも、あいつだ。早く立ち上がらないと……。


 ……ヒュッ!


 ──あれ? 今黒いのが……。


 ボッ!


「ひあっ!?」

「のっ!?」

 ヴォレ様の足元の地面が突然爆発し、草と土が飛び散った。私は思わず尻餅をついた。

 爆発した場所の真上から、黒い縄──いや、あの禍々しいトゲのツタがぶら下がっている。その下には、手ですくったようなくぼみが出来ている。

「何が、何が起こったっ!?」

 ヴォレ様は起き上がれず、あるいは足元の様子が分からず、ワタワタとしている。

「ぷ……」

 思わず笑いそうになってしまったが、口から飛び出しそうになったので口を閉じた。両頬が膨らむ。

 ──だ、ダメダメ、こらえな……、え?

 頬の膨らみと血の気が一気に引いた。

 ツタの先端はゼンマイのように丸まっていた。中心を見ると、さっきまで飛んでいた蝶々が捕まっていて、はねがガラス片のように砕けていた。

「ひっ……」

 後退りしたけど、すぐに立ち上がり、ヴォレ様のところへ駆けた。

 ──そうだ、あの鳥!

 鼻先にとまるあの青い小鳥を捕まえようと手を伸ばしたが、届く直前にどこかへと飛んでいき、森の中へと消えてしまった。思わず大きな舌打ちをした。

 ──いや、それより……。

「ヴォレ様、ここから逃げましょう! はやく!」

 ヴォレ様の両脇を引っ張り、急いで立たせた。──重かったので、実際は立つよう促しただけだが。あのぶら下がる黒いツタから距離を取った。

「セリシャ、逃げるとは……」

 ……そうだ、ここにはあの小鳥の案内で来たんだ。世界樹に来た時と同じように、ロープを垂らしていないから、自力で戻れない。小鳥の助けが必要だ。だけど、どこかへ行ってしまったし……。


 ……バサッ!


「わ!?」

 あの小鳥が唐突に目の前に現れた。ヴォレ様の目の前で宙に浮いている。

「ま、まるでフロイル山の頂上からにしか見えぬ青空から切り取ったような……」

「あの、」ヴォレ様の言葉に割って入った。思わず気軽に声を掛けてしまったけど、そんな事にこだわってる場合じゃない。「さっきのあの樹に戻りたいのですが、案内していただけますか?」

 青い小鳥はすぐさま樹々並ぶ中へと向かっていった。

 ──何でゆっくり進んでくれないの……!

 あの時の怒りも加わって、全身の血が逆流したような気分になった。だけど、何とか堪えた。迷ってしまえば終わりだ。

 ヴォレ様は少ししんどそうだったが、あの小鳥を見失う訳にはいかないので、また同じように先行した。


「おかえりなさ~い」

 よどみのない笑顔でユユが出迎えた。勿論、顔だけ。あの小鳥は平然とユユの隣に戻った。

「ほあ、あ、あ、疲れた……」

 ヴォレ様は死神にでも追われたかと思うくらい疲弊し、倒れた。

「ヴォレさん!?」

「ユユ様、大丈夫です。横になっていれば、回復しますから」

「そ、そう……」

 ユユは心配そうに見ているが、自分にとってはこんな事、日常茶飯事だ。狩りが好きなのにすぐ疲れて草場の上でも岩の上でも横になる、同じ地位の貴族ですら、こんな事をする人はいない。

 私はユユのほうに振り返った。

「教えていただき、ありがとうございました」

 背負ったカゴからペイルーヌが出ないように気を付けながらお辞儀をした。

「よかったぁ、たくさんとれたんだね」

「いえ、ユユ様がペイルーヌの場所をご教示くださったおかげです」

 笑顔には笑顔で返す、これは給仕としての基本だ。でも、彼女の笑顔はあまりに眩しすぎて、顔の皮が少し引きつる。

「そういえば、」ユユが真顔になった。「みどりのはな、とらなかった?」

 そういえば、ここを出る前に、そんな事を言われていたが、すっかり忘れていた。

「え、あ、はい、採りませんでした」

「よかった……」

 ユユがホッと息を吐いた。

「あの……」

「ん?」

「どうして、緑色のペイルーヌは駄目なんでしょうか」

 ユユは眉をひそめた。親に隠し事をして黙っているかのようだったが、ユユはすぐに口を開いた。

「あのね、そのはなのツタが、とってもきけんだからなの」

「ツタ? ……もしかして、黒いツタの事ですか?」

「そう、あれは……」

「触れた者を絞め殺してくる、邪悪なツタだ」

 背後からの突然の声に驚いたが、ヴォレ様の声だった。

「ヴォレさん!?」ユユが叫んだ。「だ、だいじょぶ? つかれてたけど……」

 背後からヴォレ様が声を掛けてきた。立ち上がってはいるものの、まだ苦しそうだ。汗が地に深く染みている。

「問題無い。……あの黒いツタは、触れた者を地獄の殺人鬼パレスの如く強く締め、さらにはトゲを深く刺してほどけないようにする。その強さは、夫の不倫に怒り狂った女神イスティエブ並みのものだ。屈強な人間も音をあげてしまう」

 だからあの時、叫んだんだ。それなら、前もって言ってほしかった……。あっ、そういえば! あの緑の花を採ろうとした時、あの小鳥が襲って来た。……もしかして、あれは触れさせないために助けた? その後にヴォレ様を襲って倒したのも、その為?

 自分で想像した事なのに、半信半疑になった。そして当の恩人──それとも恩鳥は、何事も無かったかのように羽をつくろっていた。

「あの、ヴォレさん……」

「んむ、どうした?」

「ヴォレさん、ユユはココだよ……」

 ヴォレ様の視線がどうも落ち着かない。霧の中を歩いているかのようだ。

 ……そういえば、狩りをしていた時も、こんな感じだ。樹の下で眠るイノシシが目の前に見ても、こんなふうにキョロキョロしていた。

「ヴォレ様、こっちですよ」

「おお、そうか」

 教えられてやっとユユと対面できた。面倒臭いが、人前でこの無様を見せては、こちらも恥ずかしくなる。

「ワシからも礼を言おう、ありがとう」

 ヴォレ様はゆっくりと頭を下げた。こんなに深く頭を下げる貴族は、今まで見た事ない。貴族は偉ぶるのが当然の種族だけに、驚きを越えて引いてしまう。

「そんなことないよ。……あれ? めがね、かけてないけど……」

 ヴォレ様の表情が少し崩れたが、柔和な状態を保った。

「ああ、途中で壊してしまった。仕方ない」

 途端にユユの表情が暗くなった。

「わかるの?」

「何がだ? 神才であるこの自分をあなどるでないぞ、賢者」

「めがねなしで、いろ、わかるの? しきもう、でしょ?」

「しきも……色盲しきもう!?」

 ヴォレ様が、無表情になった。今まで見た事がない、硬く冷たい表情だ。

「『あか』と『みどり』がわからなくて、どちらも『きいろ』っぽくみえるでしょ? だから、ユユがどこにいるか、ちょっとわからなかったでしょ? この『き』とおなじいろにみえるでしょ?」

「……」

 ヴォレ様の表情が解けない。顔も動かさない。人形のようだ。

「あのめがね、あれって、『あか』と『みどり』いがいのいろが、よわくかんじるようになるめがね、だよね。そうすることで、『あか』も『みどり』も、ほかのいろとおなじくらいのつよさにみえる、とくべつなめがね……」

 知らなかった。いや、自分に知る気が無さすぎた。あんなに長くいたのに、あの不思議な片眼鏡の事に気にも止めなかった。

 ……いや、全く興味が無かったわけじゃない。ご主人様がかつて描いた絵をいくつか見た事がある。

 実物より鮮やかな赤い花と強い青の花瓶。

 何故か少し緑がかった女性の顔。

 本物と比べて黄色と空色とピンクが点々と散らばるように描いた王様の城。

 あんなに極端な程のカラフルさは、正直気持ち悪くも感じた。理解できなかった。だけど、それがもしも、片眼鏡が無い時に描かれた作品で、色盲のせいで分かっていなかったのだとしたら……。

「めがねなしで、だいじょぶなの?」

 ヴォレ様はいつの間に俯いていた。横にいる私にも、その表情は見えない。

 ヴォレ様はいつも自信満々そうに発言をしていた。そういう人は、ほとんどが自信の無さを隠すために強がってるか、自信を無理矢理持たせるため暗示のどちらかだ。私が今まで出会った表では自信満々な男達(特に貴族のような上級立場)の大抵は、二人きりになると子供のように甘えて弱音を吐いたり、泣いたり、愚痴を言ったりと、男らしさの欠片も感じられない奴ばかりだった(中には「ママ」だなんて甘えてきたのもいた。私より年上なのに)。……もしかしたら、ヴォレ様も、あんなカラフルで色味が強すぎる絵を描いてしまう気恥ずかしさを隠すため……。

「……フ」

 ──フ?

「フ、フ、フ、フハハハハハハハハハハハッ!」

 ヴォレ様が叫ぶように笑い始めた。樹の中で笑い声が響く。あまりに大きすぎて私もユユも驚き、小鳥はびっくりし過ぎて地に落ちた(少し吹き出した)。

「イヤッハッハッハハハッ! ワシも見くびられたな! ここまで幼き者に、心配されるとはな!」

 再び笑い出した。落ちた小鳥はヴォレ様に向かって突撃しようとしたが、笑い声があまりに大きすぎて近づけないようだ。何度もやったが、最後は諦めた。

「だ、だいじょぶなの?」

「大丈夫だとも! 何故なら、ワシはあまねく世界にて唯一無二の才を持つ存在、ヴォレスト・マータ・グラニアントだ! この限られた色しか見えぬ瞳を持つ者こそが、天賦の才持つ者の聖痕あかしだ!」

「あかし?」

 私の頭の中は彼女と同じく、疑問しか湧かない。

「そう、これはワシが神すらも嫉妬する程の才を持つために与えられた試練だ! この試練を越えた時、ワシは神をも超える才を得る事が出来る! ワシはそう確信している! 

いや、そういう宿命の星の下で生まれているのだ!」

 ヴォレ様は自信満々に胸を張った。頭がひっくり返りそうだ。

「世界樹の中で生きし者よ! そなたはまだ幼く、育んだ心はまだ浅く小さい。それ故に、早計に言葉を紡いでしまうのだ。知識のみが全てではない! 旅に出よ! 世界を見よ! 多種多様なるあらゆるものを感じるのだ! さすれば、隠遁者ギリアムも軍師ウェッテンも……いや、古今東西の賢者を凌駕する、神智を得るであろう!」

 再び大笑いした。身体が震える。

 ──このお方は……。

 私もユユもあの小鳥も、ヴォレ様の笑い声を唖然と聞いた。


 二回ノックしたけど、反応なし。

 ──またか……。

 私は溜め息を吐きつつ、金メッキが剥がれたノブに手を掛けた。


「ヴォレ様、ただいま来ました」

 ……やっぱり相変わらず汚い。この世の地獄かと思う程に色んな物が散らばっているのは相変わらずだ。溜め息が出る。

 ヴォレ様は、整列して立て掛けている複数のキャンパスに笑みで向かい合っていた。あの時割ってしまった片眼鏡は接着剤で直し、ヒビがくっきりと目立つまま掛けている。


 エリオンの森にいる賢者に会ってから一月経った。垂らしたロープを辿っていくだけで簡単に戻れたが、ヴォレ様が今までになく動いた為か、帰る途中で街によっては停泊しては食事処で食べる事を繰り返していた。しかも食べる所食べる所で、エリオンの森に入って「賢者」に会った事を嬉々として話しまくったが、聞いてたお客や店員は、明らかに信じていなかった。しかも私はお花をたくさん入れたカゴを背負っているから、恥ずかしさで早く帰りたかったが、あれよあれよとゆっくりと帰ったので、行きは三日で済んだ道のりが、一週間以上もかかってしまった。

 そして帰って来てからというもの、アトリエに籠って制作に取り掛かっていた。確かに絵を描く時の真剣さは私も必要以上に声が掛けられない程だけど、今回だけは明らかに常軌を逸していた。その凄まじさは、ヴォレ様がよくたとえに出す鬼神エンプレイシオのようなのだろうか(よくは知らないけれども)。


「ヴォレ様?」

「おお、セリシャ。時間通りに来るとは、相変わらず真面目だ」

 ヴォレ様はニヤニヤした表情のままだ。この時は大抵、完成した作品が満足いった時だ。

「時間にルーズな女性は、メイドには向いてませんから」

「確かに。だが、セリシャよ。そなたはあまりに完璧過ぎる。怠惰も時には必要だ。砂漠のセルンティア女王も、厳格に完璧と完全を求めたが故に心が蝕まれ、精神が壊れると唐突に老化して亡くなってしまったからな」

「それで、御用とは」

「おお、そうだった。今出来上がった傑作を、お前に見せたかったのだよ」

「そうですか……」

「ほら、これだよ」

 ヴォレ様は向かい合っていたキャンパスの一つを、私の方に向けた。

 ──どうせカラフルで訳の分からないもので……、ん?

「え、これは……、私、ですか?」

 私と同じ顔、私と同じピンクのポニーテール、私と同じメイド服……、どう見ても私だ。私がいつもお盆に料理をのせて持ってくるところだ。あの目がチカチカするような色使いはなく、淡い色合いで、ほぼ五色くらいで綺麗にまとまっている。

「その通り。他のも見せよう」

 ヴォレ様は立ち上がり、残りのキャンパスも回転させた。

「……ぜ、全部、私ですか!?」

 汗をかきながら床掃除をしている私、

 サラダにドレッシングをかけている私、

 外で洗濯物を干している私……。

 全部、家事をしている時の私だ。しかもどれもさっきと同じ淡い色合いだ。

「この色、もしや……」

「ペイルーヌだ」

 床に散らばった搾りかすのペイルーヌが、自慢げなヴォレ様の足元を埋め尽くしていた。まるで魂が抜けてしまったかのようだった。

「……」

「どうした、見惚れているのか?」

 全くその通り。──絵にだけど。

 描かれているのは私で間違いないのだけど、私以上だ。自分で思うのも恥ずかしいけど、描かれている「私」に惚れ惚れとしていた。それを具体的な言葉にするのは難しいけど、恋慕と崇拝が入り混じったような感情だ。……自分自身なのに、そこまでナルシストじゃないのに。

「この絵の為に、ペイルーヌが欲しかったのですか」

「もちろん。お前の日常から垣間見る美しさを表現するには、ワシが多用する色使いでは表現できないからな。淡色での表現はこの天才には不得手だが、だからといって避ける理由にはならない。安易に苦手を避けてしまうのは、天才すらも凡下に沈める愚行だ。ここぞという時に不得手に向かい合う勇気も、表現には必要なのだ」

「ですが、何故私を……」

「描きたいと思った、それだけだ。その為にお前を雇ったのだ」

「え? ……その為に私を?」

「そうだ。お前が働く姿を描きたいと思ったからだ。不満か?」

「いえ……」

 変態なのか変人なのか……。どう思えばいいのか分からなくなりそう。……だけど。

「すごく、嬉しいです。私の宝にしたい程に」

 自然と頬が緩んだ。──何年ぶりだろう。

「それなら、持って行っても良いぞ」

「え……?」

 我がご主人様は確かに変わり者だが、どれだけ心血注いで描くのかは知っている。それをバカにする気なんてさらさらない。今のヴォレ様は、目の下にクマが出来ているのはもちろん、無精ヒゲが頬にも出て、唇がすこし青くなっている。

「何を戸惑っている」

「しかし、そんな時間を掛けて描いたものを……」

「時間など問題ではない」

 笑顔で返してきた。しかし、不健康な状態なために、どこか無理をしているように見える。

「ですが……」

「よいよい」

「……それなら、私にもお礼をさせてください」

「何?」

「こんな素晴らしい作品をいただいたのですから、お望みならば、この身を……」

 私の身は代償精神──もしくは娼婦精神が沁みつきすぎた。何かプレゼントされたら、また別の何か──特に身を売るくらいの対価をプレゼントしないと、気が済まなくなっている。特に無償にいただいたもの程、強く思ってしまう。貴族は、貢いだ対価として、身を捧げるよう強要してきたのだから。

「何を勘違いしている?」

「え……?」

 ヴォレ様が憮然とした表情になった。

「別にワシはそなたを抱く気も慰み者にする気もない。性的欲求は否定せん。だが、どこぞかの心が腐敗した貴族と一緒にされるのは良い気分ではない」

「しかし……」

「『しかし』も『ですが』もない! ワシはこの作品を観て喜んだお前の笑顔こそ、金や宝石や神の名誉にも勝るのだ! それだけで、充分だ」

 ヴォレ様の本気の怒鳴り声に、私は胸がキュッと締め付けられる。

 ──本気だ。ちょっと気持ち悪い。だけど……。

「こんな作品を頂けるのなら、尚更お礼をさせて欲しいです。お願いします」

 私は頭を下げた。

 ……沈黙が長く続く。私は頭を上げなかった。どうしても対価を払いたかった。そうでなければ、私ではないから。ご主人様が困惑しようが何しようが、私は固持する事を決心した。もしかしたら、貴族に対してここまでお願いしたのは、初めてなのかもしれない。

「……そうか。セリシャ、お前のその頑なな気持ちは分かった。受け取ろう」

「ありがとうございます」

 そこでやっと私は頭を上げた。

「それで、そのお礼とは?」

 それはハッキリしている。私があげられるのは、ただ一つ。

「私は踊り子でした、これでもそれなりの腕前です」

「ほう」

「我が偉大なるご主人様に、この踊りを捧げます」


  ◆


「──それでは皆様、これより故ヴォレスト・マータ・グラニアント作品の披露式を始めさせていただきます」

 盛大な拍手と楽器隊の行進曲マーチが、城の大廊下に響き渡る。ここには老若男女はもちろん、貴族も平民も軍人も分け隔てなく集まっていた。心なしか野良犬も野良猫も喜んでいるように見える。

「すごい混みようだ」

「ええ、そうね」

 夫が私の手を繋いで、微笑んでくる。私達は運良く最前線に来れたけど、後ろから人々が押し寄せてきて、直立する警備兵達に密着した状態だ。

 兵達の隙間から見えるのは、赤い幕に覆われた、巨大な長方形。


 ヴォレ様に人生最後の踊りを捧げてから、五年経った。

 踊りについてヴォレ様から最大級の賛辞(最低な事だが、内容は覚えていない。あまりに感激し過ぎて言葉になっていなかったが、「これは神に捧げる踊りではないか!」とか言っていたような気がする)を頂いてしばらくした後、今いる館を売り、貴族の地位を返上し、作品作りに集中したいと言い、私は暇を出す事になった。ヴォレ様は真っ当な転職先を斡旋しようとしていたが、私は断った。失礼だけど、貧乏貴族にそんな繋がりはなさそうだった。

 そして再び職探しの放浪の旅を始めた。色んな町や村を転々とした。だけど前と違い、貴族に雇われる事はもう辞めた。平民達の家事手伝いや、ショーパブの踊り子達に踊りを教えるなどして、生活費を得た。かつての踊り子の衣装や昔貴族からいただいた宝はもう全部捨てたり売ったりしてしまったけど、ヴォレ様から頂いた絵(七点もあったが、さすがに全部は持ってけないので、特に気に入った二点だけ頂いた)だけは、大切にした。そんな時に、私は今の夫と出会い、結婚した。夫には過去を全て話しているが、それを全て受け入れてくれた。子どもは今もいないが、人生で最も幸せに暮らしている。

 そんな幸せな日々が長く続いたが、つい二年前、ヴォレ様が亡くなったというニュースが私の耳に入った。趣味の狩りをしている最中に落馬した怪我が原因だとの事だ。貴族を返上した身ということもあり、葬式などは行われず、共同墓地に埋められた。私にとって苦手な相手だったが、一生の宝になる作品を描いた人物だったために、ショックは大きかった。

 ──もう、あの時の思い出は、この絵だけか……。

 そう感傷に浸っていたけど、ヴォレ様の事は過去の思い出として、記憶の奥に埋まっていった。

 ところが一年前、ヴォレ様の名が国中に知れ渡った。

 かつての作品──絵画、楽譜、詩集、戯曲集などが、貴族から平民まで(ヴォレ様の遺言で、貴族だけに安易に独占しない事を明言していたため、平民階級にも知れ渡っていた)様々な人達の間で話題となり、ブームを巻き起こした。ヴォレ様の名は国中に知らない者はいない程になった。そのブームに押され、国はヴォレ様の遺体を掘り起こして新たに埋葬しようとしたが、共同墓地の管理がずさんだったため、見つからなかった。国は批判を免れるため、館の跡地に記念碑を建てて、なんとか面目を保った。

 更に半年前、そのヴォレ様が遺した絵画──とてつもなく巨大な作品が発見された。しかし、変色がややひどい状態だった事もあり、国レベルで即急な修復作業に取り掛かった。そして今日、そのお披露目する式が催される事になった。

 ちなみに、貴族を返上したにも関わらず、未だに最下級地位の「マータ」をつけられたまま呼ばれているのは、全ての作品の名義が「ヴォレスト・マータ・グラニアント」で残っているため、そのまま呼ばれたからだという。その事について、一部では「最上級の地位に変えて呼ぶべきだ」との意見も出ているけど、当のご本人は気にしていないはずだ。貴族の地位にこだわっていない事を、直接私の耳で聞いているのだから。


「しかし、どんな作品だろうね」

「そうね」

「そういえば、君が雇われていた時、何も描かれていなかった巨大なキャンパスがあったって言ってたね」

「ええ」

「もしかして、そのキャンパスに描いた作品かな」

「そうかも」

 私が辞めた時まであのキャンパスは真っ白だったから、その後に描いたんだろうか。

 会話しているうちに演奏が終わり、国王陛下のご挨拶も終わった。国王陛下への拍手と万歳三唱が鳴り響いたが、司会のご老人が鐘を鳴らした。

「ご静粛に、ご静粛に! ……それでは、除幕式を始めさせていただきます。国王陛下、お願いいたします」

 国王は幕の端にある紐を握った。

「本作品は、希少なペイルーヌから取れた染料を使用した、人物画でございます」

 ──残ったペイルーヌを、全部使ったんだ。

「その作品の題名は……、」ざわめきが止んだ。「『神に捧げし踊り』です!」

 ──え?

 国王が力強く紐を引っ張ると、巨大な幕がバサリと垂れ落ちた。


 淡く輝く私が、絵の中で踊っていた。

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