『神に捧げし踊り』

『神に捧げし踊り』(前編)

 ペイルーヌ:

 高木や建物などに絡むようにツタが伸び、等間隔に花を咲かせる。

花は日照時間や吸収した栄養の種類などによって色が代わり、基本的に赤・黄・青・空色・桃色の五種に分かれているが、極まれに緑色が存在する。ある密林の部族はこの花を水に入れてすり潰し、染料として使用している。

 なお、ツタには鋭く細長いトゲがたくさんついているため、採集時は花だけ取ると良い。






 二回ノックしたけど、反応なし。

 ──またか……。

 私は溜め息を吐きつつ、金メッキが剥がれたノブに手を掛けた。


「ヴォレ様、お料理お持ちしました」

 この冷たい風吹くアトリエ……とご主人様が呼んでいるが、使っていない応接間を利用しているだけの汚い場所で最初に目がつくのは、近くの壁に立てかけられている巨大なキャンパスだ。縦は私の身長の六倍以上、横は私八人が両腕を広げて並んでも足りないくらいだ。だけど、真っ白で何も描かれていない。そして、……相変わらず汚い。

 ロウソクが少ないので暗くてわかりにくいが、絵の具や画材道具、ボロボロになった下書き用の羊皮紙、謎の置物、原形をとどめていない程腐敗した果物(乾燥しているせいか臭いが薄い)、何だか分からない黒い物体……、とにかくもうそこら中にちらばっている。この世の地獄だ。

 ──まだ描いてる……。

 か細いロウソクの灯りを頼りに、レンズが黄色とピンクが妙なグラデーションになっている片眼鏡モノクルをかけ、キャンバスの前で熱心に筆を動かす丸い老人は、私が仕えるご主人様で、グラニアント領を任された貴族、ヴォレスト・マータ・グラニアント様だ。

「ヴォレ様」

 突然、ご主人様は筆を止めた。気づいたかと思ったが、絵の具まみれの手で頭を掻いただけだ。私はわざと足音を立てながら近づいた。……それでも気づかない。ほぼ至近距離まできても、キャンバスの前でしかめ顔だ。片眼鏡を掛けてない方の目を瞑って、凝視中だ。

 ──しかたない……。

 息をおもいっきり吸って……。

「ヴォレ様ッ!」

「おうっ!? ……と、何だ、セリシャか」

「何だ、ではありません」今日七回目の溜め息が出る。「お料理お持ちしました」

 今日の料理は、非常食のバケットをスライスしたもの、キャベツだけのスープ、そして味が怪しくなった牛乳だ。私がここに来てから一年くらい、ほぼ毎日こんなひもじい料理ばかり出してる。なのに、このお方は何故か痩せない。……絵の具で汚れたお顔を見た限り、つまみ食いしそうにない。それ以前に、この屋敷につまみ食い出来る程に食べ物は無い。

「ヴォレ様、せめてその絵の具まみれの手を洗い落としてください」私は更に身を乗り出すように腰を曲げた。「どれだけ絵を描くのに時間を──」

「いかん!」ヴォレ様のカラフルな腕が、私の視界を防いだ。「未完の絵を見るではない! 未熟な騎士の乗馬練習を見るよりも目を当てられぬぞ!」

「失礼しました。申し訳ありません」

 一歩下がる。

 ……正直なところ、全く興味無い。

 我がご主人様は、ほぼ一日中カラフルに汚れたアトリエにこもっては絵を描いてばかりで、ここから出るのは寝る時か、下手な狩りをする時か、私の仕事をひっそりの覗いている時ぐらいだ。特に最後が気持ち悪い。しかも、他の貴族のようにいやらしい目で見ているのではなく、本当にただどういう動きを見ているのか観察するように見てくる。かといって、私のメイドとしての仕事ぶりを評価する事もない。性的に見られる事のほうが日常だったので、逆に慣れていない。

 ──そういえば、踊るのを辞めてから何年経ったんだろう……。

 

 私はかつて、お偉い貴族に無理矢理メイドとして仕えた。──その実態は、事実上の「愛人」だ。

 メイドは本来、家事労働を行う女の職業だ。だけど、天上人のような貴族にとっては、国の法律で禁じられている多妻制の抜け穴のためにあるような職業だ。私も、ショーパブで踊り子として働いてた時に、その貴族に見初められ、親として慕っていたマスターに多額のお金を渡して売られた。貧民街や裏に近い世界では当たり前の話だ。

 とはいえ、メイドとして雇われている以上、家事労働はきっちり行った。踊り子時代に炊事、洗濯、掃除をマスターから押し付けられていた事もあって、他のメイド達(私を除く六人のうち、四人は同じ愛人で、残り二人は老婆でのメイドだった)に負けないくらいは出来た。そして夜になれば、その貴族を楽しませるための専属踊り子として様々な舞いを行った。幸いな事に、私を雇った貴族は、手を出すまでの事はなかった。私を買った貴族が、二番目に高い身分「ベルシコ」だったために、身分の低い私に一線を越える事をためらったんだろうと、今になって思う。

 昼はメイド、夜は踊り子。売られた身だけど、愛人同士の嫉妬渦巻く争いさえなければ、快適な生活だった。雨漏りのしない部屋で毎日美味しいご飯が食べられる。ショーパブ時代のペットみたいな扱いに比べれば、天上人になったような心地よさだった。

 それが、去年までの話だ。


 私を買い雇った貴族が、盗賊達と手を組んで他の貴族達の領土を荒らしたり、国の武器や麻薬などを他国に横流しし、機密情報を流していた事が発覚した。

 貴族達の多少の悪事は大目に見ていた国王もこればかりは激怒した。地位は奪われ、使用人や愛人達は全員職を失った。私もメイドを辞める事になり、放浪する身になった。別の貴族のメイドになるか、その前が踊り子だったから踊り子として再び踊るか、いずれにしてもお金が得られるならどんな職にでも就こうと、色んな所を訪ね歩いた。だけど、私の経歴を正直に話すと、誰も雇おうとする者はいなかったかに。メイドを愛人として取り込む貴族達の所業は下々の人間達にも知られており、守銭奴だ、不潔な女だ、女として最低だと罵って追い出した。さらに、雇われていた貴族が犯罪者という事を知ると、ホウキで追い払ったり塩を投げつけたりと、まるで害虫のように扱って追い出した。経歴を隠したり偽ったりした事もあったが、嫌な情報というのは案外広がりやすく、すぐにバレて辞めざるをえなくまった事もあった。

 お金を稼ぐアテも無く各地をさまよっていた時、偶然着いたのが、グラニアント領──今のご主人様が管理する小さな領土の森の中に迷ってしまった。ここで出会ったのが、我がご主人様、最下級貴族「マータ」の称号を持つ没落貴族、ヴォレスト・マータ・グラニアントそのお方だ。

 

「ヴォレ様?」

 ヴォレ様は、またキャンバスとにらみ合いを始めた。片手で筆をプラプラと動かし、別の片手は雲形のパレットをゆらゆらと動かしている。

 ──またか……。

 このお方が絵を描く時は、必ずと言っていい程意識が遥か遠くへと行ってしまう。

 昼食を持ったままにするのも嫌だけど、このカラフルに汚れた場所に置くのも嫌だ。

「セリシャよ!」

「はい!?」

 突然、ヴォレ様が立ち上がった。持っていた筆とパレットを来客用の丸いテーブルに置いた。

「どうされましたか?」

「エリオンの森に行き、ペイルーヌを探しに行くぞ!」

「……え?」

 ヴォレ様は唾を吐きながら喋り続けた。

「ペイルーヌが生み出す鮮やかな色でなければ、この絵は完成せぬ。水性ではカリュダの湖のよう薄すぎるが、油性ではバレスタイロンの溶岩のように濃すぎる!」

「は、はぁ……」

 相変わらずよくわからない例えだ。ご主人様はどうして、こんな変な言い方をするのだろうか。

「早速出掛ける準備をするぞ!」

 そう言って、威勢よくアトリエを出て行ってしまった。

「あ、ヴォレ様、昼食は……」

 私が言い切る前に、アトリエから出て行ってしまった。

 また溜め息が出る。こうなっては、どうしようもない。残った料理は狩りのたびにご主人様を乗せて走る可哀そうな馬に食べさせることに事にしよう。

 

 「エリオンの森」については、私も聞いたことがあった。

 七年前に荒れ果てた土地から突然現れた森だ。そこから何年もしないうちに二倍、三倍と森の範囲が広がり侵食していったと。そのため、王国は森を柵で囲って全面封鎖し、立ち入る事を禁じた。それから、森の侵食はピタリと止んだ。

 だけど、しばらくして妙な噂が出始めた。

 ──エリオンの森の中には、「賢者」がいる。

 その賢者は植物について詳しく、欲しい植物があれば、相談するだけで希少なもので手に入れる事が出来るそうだ。

 その噂のせいで、無断侵入してくる者が時折出る事があり、監視する兵士たちが困っているという。国はその怪しげな噂の火消しに躍起になっているのだが、どうにも無くならない。無断侵入して本当に「賢者」に出会ったという人が出てきていて、警備兵達はその者を無断侵入した罪で逮捕し罰している……、という事が繰り返されているらしい。国中で警備兵達が職務を怠慢しているのではないかと噂が流れはじめ、国王は監視に本腰を上げ始めたらしい。

 ──そんな時に、エリオンの森になんて入れるわけない。

 私はヴォレ様がどこか立ち去った後、そう心の中で笑った。


 ……そのはずなのに今、エリオンの森の中で特製の大きなカゴを背負いつつ、長大なロープを垂らしながら歩いている。 

「ヴォレ様、いったいどんな手を使ったんですか」

「何がだ?」

 私はスカートを短くした外出専用の制服に着替え、遠出用の荷物(絵画道具まで入れようとした時は本気で殺意が出たが、とにかく必死で断念させた)を持ち、幾つものロープを繋ぎ合わせた長大なロープを垂らしながら歩いている。この森の地図は無いので、「賢者」がいるという巨大な樹が顔を出す方位に真っ直ぐ進み、戻れるよう門の入り口から垂らしながら歩く方法をとるしかなかった。 

「どうやって、この森に入れる許可を取ったんですか?」

 ヴォレ様は木漏れ日が顔に当たる場所で立ち止まると、可笑しそうに笑った。

「何を言う。ワシは王家の血統を最も濃く持つグラニアント家一族史上、天賦てんぷの才を持つ唯一無二の存在、ヴォレスト・マータ・グラニアントだ。国王を説得する事など、猛禽類もうきんるいが魚を採るよりも容易い事なのだよ」

 私は歩みを止めた。

「国王陛下のご親族なんですか!?」

「そうだ。我がグラニアント家は、この国の貴族の中で王家に最も近い一族だ。それに、陛下が王位に就く前──まだ陛下が出来上がったばかりの羊皮紙よりも純真無垢な時代に、ワシは美術歴史学の講師として教えてたからな。あ奴はワシには頭が上がらん」

「そ、それは知りませんでした……」

 私は謝ったが、ヴォレ様はまた笑っただけだった。

「だが、そんな事はどうでもよい。偉大なる国王一族と同じ血がこの身体に流れているが、誇れる事であれど別に自慢して言いふらす程ではない。それに、ワシには国王一族にすら持たぬ神才を持っている。そう、芸術の才がな!」

 自信満々だ。そのお姿はどう見ても……、ただの丸く太ったナルシストのお爺さんにしか見えない。一瞬、カッコよく見えたが、目にゴミが入っておかしく見えたみたいだ。

「……おお、見えてきたぞ!」

「え?」

 ヴォレ様が指した先に、木々の隙間から何か巨大なモノが見えた。私とヴォレ様はそのモノに近づこうと、木の根っこや草にまみれた獣道を歩いた。


「これは……」

 私は思わず口を大きく開け、呆然と見た。

 着いた先には、樹々に囲まれた広大な草原と、その中心にそびえ立つ巨大な樹が存在していた。いくら頭を見上げても見上げきれない程に高い。

「木々が囲む原始の草原の中で、天を穿つ、世界を支える巨木……、ふむ」

 ヴォレ様が意味深に呟くと、息を深く吸いだした。


「初めに産まれしは 一つの存在

 一つの存在に産まれしは 一つの世界

 世界の中心に産まれしは 一つの世界の軸

 それこそ創生の始まり 原始の第一なり」


 ──また……。

 ヴォレ様は感嘆すると、即興で歌い始める癖がある。メロディが何だか妙な違和感がある。


「しかし 異界より来たりし者 異物を創りて世界を去る

 世界は異物によって支配され……」


「ヴォレ様っ!」

「おっ!?」

 やっと止まった。

「早くあの樹に行きましょう。あそこに『賢者』がいるはずです」

「そうだ、そうだったな」

 

 巨大な樹の近くに来て周囲を調べると、怪物の口みたいな巨大な穴を見つけた。ヴォレ様が大きく熱い手で私を押して急かすので、先に入る事にした(ロープは余った分を根っこに縛りつけた)。

 中は、間違いなく樹の中という感じだ。だけど、思った以上に広い。小さな教会くらいはある。この大きな空間の中に、何かテーブルと見間違えるような大きな膨らみと、謎の穴、そしてその近くの出っ張りにいる青い小鳥。三日月のようなクチバシを向け、私達をジッと見ている。というより、睨んでいる。ヴォレ様は片眼鏡の位置を調整して、小鳥を見返した。

「おお、この小鳥が賢者か? 緑の海に映える……いや、うーむ……あじさいの……、いや、」ヴォレ様がゆっくりと見上げた。「ここから見える青空のような……」

『あれ、おきゃくさん?』

 突然声が聞こえてきた。二人そろって驚いていると、穴から何かが現れた。

「あっ、いらっしゃい!」

「え……、え、えぇっ!?」

「な、な、な……!?」

 私もヴォレ様もショック死しそうだった。何せ、あどけない少女の顔が、穴から伸びてきたのだから。

「あれ? おきゃくさんがくるなんて、きいてないけどなぁ……」

 緑色のクリっとした瞳が、私達を見ている。困り顔だけど、私達の方がもっと困っている。

「こ、これは何と、面妖な、面妖な……」

 ヴォレ様がいつものあの可笑しなたとえが出来なくなる程驚いている。私も絶句して何も言えない。

「あのぉ……」

 白にほんの少し緑を足したような肌をした少女が、澄んだ瞳で見てくる。私はその時になって、いつの間にか彼女にナイフを向けていたのに気づき、降ろした。多分、敵ではないはずだ。それに、もしかしたら……。

「あ、はい」

「なにか、よう?」

 ヴォレ様が前に出る。

「エリオンの森に住む『賢者』を探しにきたのだが……」

「むぅ!」少女の頬が膨らんだ。「『けんじゃ』じゃなくて、ユユだよ、ユユ!」

「ユ、ユユ!?」

「そう、ユユのなまえ、ユユ、だよ!」

「ユユ……、ふふっ」

「むむむぅ、わらわないでよ!」

「失礼しました」

 すぐさま頭を下げた。どんな相手でも敬意を持って対応するのがメイドだと教えられた。だから、たとえ身分か分からない幼い子供といえど、丁寧に対応しなければならない。

「ああっ、そうだ!」ユユと名乗った少女は、頬をしぼませた。「なまえは?」

 ヴォレ様はすぐさま胸を突き出すように張った

「ワシは王家の血を引く名門グラニアント家一族史上、神より祝福された芸術の才を持つ者、ヴォレスト・マータ・グラニアントである」

「私はそのヴォレ様に仕えるメイド、セリシャです。よろしくお願いします」

「よろしく!」

 

「ペイルーヌなら、このもりのなかに、あるよ」

「本当か!? これは、英雄アンディレットが単身で巨人の首を刎ねた以上の吉報だぞ!」

「……いくら何でも、そんな都合よくあるとは思えませんが……」

「ほんとだよ! ユユは、ウソなんかつかない! ここには、てにはいらないモノなんて、ないんだから!」

 ユユの誇らしげな笑顔が眩しい。こんなに無邪気で自信満々だと、逆に不安と嫌悪を感じてしまう。

「それで、ペイルーヌはどこにある!?」

 ユユは隣の小鳥を見やった。

「このトリィがしってるよ」

 すると、近くの小鳥がユユの耳元で鳴き始めた。

 ──何か、話をしている?

 鳥の言葉なんて分かるのかと疑ったが、ユユはふんふんと何度も頷いている。時折苦い表情にもなってるから、通じているようだ。……年端も行かない少女が、穴から頭を出したのに比べれば、たいして驚くことじゃない。

 そう思って眺めていると、ユユが顔を下げて溜め息を吐いた。

「そっかぁ~……」

「どうしましたか?」

「うんと、トリィが、あんないするって」

「そうか!」

 ヴォレ様の目が、あの少女と同じように輝いている。

「でも、トリィ、じぶんでとってこれるんじゃ……」

「は、早く案内してくれ!」

 すると、あの青い小鳥が鳴きながら羽ばたかせ、矢のような速さで外へと飛び出していった。

「ま、待ってくれ!」

「ヴォレ様!?」

 ヴォレ様が今まで見た事の無い速さで外へと出て行った。私もついて行こうとしたが、その前にユユに身体を向けた。

「教えていただき、ありがとうございます」

 私は深々と礼をすると、すぐさま振り返って後を追った。

「あ! みどりのはなと、くろいつたは、ぜったいさわらないでぇ~!」

 ユユの叫びを背中で受けつつ、明るい外へと出た。

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