嘘をついた魔女の果実

嘘をついた魔女の果実(前編)

 ホメクライメ:

 亜熱帯地域で採れる果実だが、その数は非常に少なく、栽培は現状不可能である。その為、王国の許可なく採るのは法律で禁止されており、偽物が多数出回っている。

 別名「魔女の果実」とも呼ばれている。これはとても真っ赤で、病みつきになる程甘いことからだという事からだと言われている(諸説あり)。

 なお、生で食べてはいけないと言われているが、その事は希少さゆえにあまり知られていない。






 早くも後悔した。この森に入らなければよかった。

 ──こんなに草ボーボーだなんて、聞いてない。

 ここにはたくさんの種類の草がある。カブを逆さにしたような形の丸い草、ネギよりも細長い草、トマトにも似た赤みが買った草、アロエよりも葉肉がたっぷり詰まった草……。共通するのは、その高さは膝どころか頭を超えているという事。自分は人より小さいとはいえ、草にまで負けていると思うと、嫌になる。思わずため息を吐いた。

「休もう……」

 僕は近くにあった太い根っこに座った。デコボコしていて少し痛い。

 ──本当にいるのかな……。

 気持ちがぐらつく。あの人に騙されたのかもしれない。何せ、これは噂だ。その噂を利用してお金を踏んだくる人間がいると聞いたことがある。……いや、あの人はお金を取らなかったっけ。それに、行き方も帰り方も教えてもらった。だから、大丈夫だ。……そのはずだ。

 ──そもそも、あの噂はいつ聞いたんだっけ……。

 思い出そうとした途端、左目から焼けつく痛みが蘇る。


「なぁ、知ってるか?」

「何が?」

「ほら、エリオンの森の噂だよ」

「あぁ、あれか」

 一人でお皿洗いをしていた時、それを全部押し付けた同僚達の話を聞いていた。興味があるからじゃない。お皿洗いの最中に何かされる前に回避するための手だ。以前、普通にお皿洗いしていたら、突然後ろから殴ってきたうえに、お皿を割って、その非を僕に押し付けられた事があったからだ。だからって、ジロジロあいつらを見てたら、因縁つけられる。ちゃんとした対策立てているわけじゃないけど、せめて聞き耳をたてている。

「あれだっけな、何か人が住んでいるとかなんとか」

「そうそう、何か、相談にのってもらえる、賢者がいるんだと」

 ──賢者?

 お皿洗いで動かしていた手が少し遅れだした。僕はすぐさま気がついて元の速さに戻した。

「まっさか、どうせ嘘だろぉ?」

「いやいや、今日この店に来た貴族っぽい爺さんいただろ? その人が賢者に会ったんだと何か自慢げに語ってたんだよ」

 そういえば、確かにいた。恰幅が良過ぎて、共にいた女給がとてもやせ細っているように錯覚したほどだ。この小さな料理店には似つかわしくない豪華な衣服(だったけど、所々土や草がこびり付いていた記憶がある)を着て、食べてる時は何か歌ってた。あまりにうるさいために給仕が注意したけど、止まらなかった。

「えぇ!? あのジジイが? あれ、頭おかしな感じだったから、どうせ妄想だろ。それに、森は兵士と鉄格子で管理してて、入れないんだろ?」

「俺もそう思ってたんだがよ、何か森の中の様子がめっちゃ詳しくて、妙に説得力あったんだよ」

「へぇ〜」

 ──って、聴いてる場合じゃない。

 そう強く思い、皿を洗う手を速めた。

「んで、それがどしたんだ?」

「何でも、その賢者は欲しい植物があったら、見つけてくれて渡してくれるんだと。貴重なものも、今の季節には無いものも手に入るとか何とか」

「ははっ、じゃあ貴重な果実や香辛料も、その賢者に訊けばわかるのか」

「らしいぜ」

 手が止まった。

 ──いや、聴き入ってる場合じゃない。

 すぐさま手を動かし始めた。どうせ噂だ。そう思い込みながらお皿洗いを続けた。

「おいお前」

 突然の呼びかけに、背筋が寒くなった。後ろから突如刺されたような気分だ。

「何盗み聴きしてんだ?」

 後ろから僕の肩に腕を掛けてきた。思わず小さく悲鳴を上げてしまった。

「い、いえ、聞いてないです!」

 嘘だけど、否定するしかなかった。だけど、そんな事お構いなしに頭を殴ってきた。もう慣れてしまったとはいえ、やっぱり殴られるのは嫌だった。

「ホント、生意気な奴だなぁ。魔法を使えねぇ下等の分際で」

 もう一人も声を掛けて来た。ニヤニヤしながら真横から見てきた。

 魔法が使えない──それだけで、この世界は無条件で劣っているとみなされる。だから、僕は何年もこの店にいるのに、未だお皿洗いしかさせてもらえなかった。悔しかった。だけど、僕は料理が好きだから、唯一受け入れてくれたお店だから、今まで耐えていた。

「劣等種には、しつけが必要だな」

 突然、手が自分の視線の先に差し出された。

 ──え?

 すると、手の平から火が現れた。調理に使う種火よりも、一回り大きい。

「今日はあのクソ店長に怒られてちょっと腹が立ってんだ。だからお前には……」

 火は大きくなっていき、僕の左目に……。


「うあぁ!?」

 我に返ると、僕は森の中で木の根っこに座っていた。

 ──嫌な事、思い出しちゃった……。

 いつの間にか左目を手で抑えていた。何ヶ月も経っているのに、火傷の痛みがぶり返している。僕は足元にある水溜まりで、今の自分の顔を見た。……まぶたに痕が残っている。でも、視力は問題ない。あの時から大きさは変わっていないはずなのに、段々火傷が広がっているように感じる。

 ──そうだ、早く行かないと。

 僕は立ち上がり、踏み出した。

「せめて、日が暮れる前に──あっ!?」

 何かに足元を引っ掛けてしまい、転んでしまった。胸を強く打って痛む暇もなく、坂を転がり落ちていく。

「うわわわわわわわわぁ!?」

 いつの間にか背負っていた荷物が無くなったのか、背中にも直に来た。ガリガリの自分にとって、衝撃が骨にまで来る。どうにか止まろうと必死になっても止まらず、ただ身を勢い任せたままの状態のまま……。


「うわわわわわわ……あ……あ……」

 勢いが衰え、草原の上でやっと止まった。

「イタタタタ……ここは?」

 上半身を起こして、周りを見た。……森の中じゃない、草原だ。草は森のものりとても低い。周辺に樹が全く無い。上にはポッカリと穴が空き、太陽と青い空が見える。

「何だろ、ココは……!?」

 僕は気がついた。この草原の真ん中に、巨大な樹がある。

 それはまるで、空を突き刺すかの様に真っ直ぐで、昇っていけば空につけるんじゃないかと思う程だ。僕は最大限それを見上げて、腰を上げた。

「イッ!?」

 立ち上がろうとした時、突然右膝に激痛が走った。よく見ると、まるで魚の切り身みたいな大きな切り傷が出来ていた。血は流れ、膝下が赤黒く染まっていく。

「イタタタ……、包帯は、持ってなかったっけ……」

 僕は再度周囲を見て、転がっていた荷物を見つけると、右脚を引きずりながらその場所についた。しかし、荷物は大きな穴が空いていて、中身はほとんどなかった。あったのは調理器具一式だけだった。一瞬だけ安心した。だけど、痛いのは変わらない。

 ──どうしよう……。

 僕は力なく座り込んでしまい、大きく溜め息を吐いた。


 ……パタパタパタパタ。


「ん?」

 突如、視界から青い何かが現れた。それは左右が残像となり、浮いていた。

「青い、小鳥?」

 その小鳥は、僕の所に近づいてきた。可愛らしい黒目と、立派な三日月状のクチバシだ。よく見ると、そのクチバシには大きな葉っぱが貼っている。

『そこのひとぉ~!』

「ふぇっ!?」

 どこからか、人の声が聞こえた。少女のような可愛らしい声だ。周りをまたまた見回したけど、誰もいない。いるのは、青い小鳥だけ。

『そのはっぱを、そのあしに、はってぇ~!』

「え、ええ、あああ……」

 またまたまた見回した。……やっぱりいない。でも、声がしたのは、あのでっかい樹からのような……。

「て、うわわわわっ!?」

 小鳥が自分の目の前に来て、クチバシの葉っぱが貼っている面を僕の鼻や頬に何度も当ててきた。まるで「自分を見ろ!」とでも言っているかのようだったので、見回すのをやめ、小鳥を見た。何かを咥えている。

 ──葉っぱ?

 大きな葉っぱだ。この青い小鳥の身体よりも大きな葉っぱ。クチバシに貼っているのと、同じようなものっぽい。

『はやく、それを、あしにぃ!』

 すると、小鳥は傷口の高さまで降り、大きな葉っぱを当ててきた。

「これを貼るの!?」

 確かに傷口から血が止めどなく溢れているとはいえ、得体の知れない葉っぱで止血だなんて、怖い。

 そう思っている間に、小鳥は傷口に葉っぱを当て続けた。鳥の表情なんて分からない(魚なら、調理中に時たま、「さばかないで!」という命乞いをして見ているように感じる事はあったけれども)はずなのに、「早く貼れ」とイラついているのが分かった。僕は仕方なく、その葉っぱを取って傷口に貼った。葉っぱの大きさは傷口よりやや大きかったので覆うのに充分で、貼った面がペタペタしていたからキチンとくっついた。同時に泡立っているような感じもして、それが傷の痛みを和らげているようだっあ。

 僕は立ち上がった。右膝を何度も曲げてみたのに、葉っぱが剥がれる事なくくっついていた。血が漏れ出す事も無かった。

「な、何これ、不思議だ……うわっ!?」

 再び小鳥が僕の目の前に現れた。思わず驚いて後ろに少し下がった。

 すると、小鳥は僕の顔の周りを飛びながら、観察してきた。何なんだか分からないと戸惑っていると、小鳥はすぐさま飛び立っていった。

「あ、ちょ、ちょっと!?」

 呼び止めると、小鳥は空中で止まった。頭を上下に動かして、何かを促しているように感じた。

 ──もしかして、あの樹に来いって事?

 あの小鳥が向かっている先は、明らかにあの大きな樹だ。しかも、巨大な動物でも入れそうな、縦に裂けた穴に入ろうとしている。

 ──とりあえず、行ってみよう。

 僕は荷物に唯一残った調理器具を背負い、歩き始めた。それを見た小鳥は、再び樹へと向かって飛んでいった。


「中にこんなのがあったなんて……」

 独り言が樹の中で響いた。中は外よりちょっと湿っていて、涼しい。

 しかし、この大きな樹の中に、こんな洞窟のような空間があるなんて、思いもしなかった。床も壁も天井も年輪が見え、凹凸がある。しかし、意外と柔らかく、その為にむしろ歩きにくく感じた。まるで焼く前のパン生地の中の空洞に入ったような気分だ。

 前を進む小鳥は高速で羽ばたかせ、酔っぱらって歪んで見える廊下のような道をスイスイと進んでいく。僕は怪我した右膝を引きずりながら進んでいった。

 時折、小鳥は止まってこっちの様子を見て来た。特に背負っている調理器具を睨みつけるように見ていた。「捨てろ」とでも言いたいのかもしれないけど、捨てるなんて考えたくなかった。これは命の次に大切なものだから。


 辿り着いた先は更に大きな空間だった。昔いた村の教会くらいはある。壁は樹皮のようで、先細りしたような天井から太陽の光がこぼれだしていた。そしてその光は、まるで机のような大きな膨らみを照らしている。まるで聖なる祠だ。

 辺りを見回していた時、小鳥が僕の周囲を大げさに飛び回った。時折羽ばたきが僕の服や身体に当たるので戸惑った。

「ど、どうしたの?」

 すると、小鳥はいきなりどこかへ飛び立っていった、目で追っていくと、枝のような出っ張りに止まった。クチバシを上下に動かし、来るように促してきた。

 その場所に近づくと、小鳥が止まった出っ張りの真横に、穴が空いている事に気がついた。楕円形で、僕の顔より少し大きめだ。

「な、なにこれ?」

 中を覗いたけど、先が暗すぎて何も見えない。


 ……ぇ~……。


 ──ん? 声……。

 僕は顔を横に向けて、その穴に耳を近づけた。

「やっぱり、何か声が……」


「……めんなさぁ、いッ!?」

「イダッ!?」


 突然、横顔に何かがあたり、吹き飛ばされて倒れた。

「イタタタタタタ、何が……」

 痛みを感じる耳を触りながら起き上がり、穴を見た。

「アタタ、ご、ごめんなさぁい……」

「いや、僕のほうも……!?」

 僕は、何度も目をこすっては何度も見直した。だけど、間違いなかった。幻でも見間違いでもなかった。

 穴から、少女の頭が伸び出ていた。少女は片手でおでこをさすり、痛そうに僕を見ていた。


「はじめまして。ユユ、だよ! よろしく!」

「あ、よ、よろしく……」

 ユユと名乗った少女は、丁寧に頭を下げた。僕はドギマギしつつ、お辞儀で返した。

 ──もしかして、この子が……?

「おなまえは?」

「え?」

「だから、おなまえは?」

「あ、あの、僕は、ホック、です……」

 未だに頭の中が整理できない。どう考えても信じられない事が、目の前にいる。僕よりも幼い少女が、この森の、この大きな樹の中から現れるなんて。

 苔のような短い緑髪と、澄んだ緑の瞳、そして少し尖った両耳……。まるでお人形のようだった。顔を動かさなかったら、生きた人間だと思えない程、完璧な顔立ちだ。

 ──あの案内人の言う通りなら、この子が間違いなく……。

「ホック、いいなまえ!」

 笑顔で僕を見て来た。何故か顔が熱くなる。

「あ、はい、ありが……うわわっ!?」

 突然、ユユの近くに止まっていた小鳥が僕に突進してきた。そのうえ、更にクチバシで小突いてきた。

「あ、ちょ、い、痛い!?」

 僕は両腕を振り回したけど、それでも飛び回っては小突くのを止めなかった。何だかイライラしているようだ。

「痛い、痛いって!?」

「トリィ、だめっ!」

 ユユの叫びに、小鳥は小突くのを止め、さっきの出っ張りに戻った。僕は顔を両腕で護ったまま立ち尽くてたけど、大丈夫だと分かってすぐに下ろした。

「だ、だいじょぶ? もう、トリィってばぁ」

「ト、トリィ?」

「あっ、うん」ユユは小鳥に視線を移した。「わたしの、ともだち~!」

「え? この小鳥の事……、て、アデッ!?」

 小鳥が青い矢となって飛んできて、また小突いてきた。


「ほんとうに、ごめんなさい……。もうっ!」

 ユユは、元の場所に戻った小鳥──トリィを睨んだ。トリィは何事もなかったかのように、翼でクチバシを磨いていた。

「いたかった? ケガ、ない?」

「いえ、大丈夫です、大丈夫ですから」

 確かに怪我は無かったけど、腕の所々に刺さって痛かった。でも、心配そうに見ているから、嘘をついた。

「あ、あの……」

「ん?」

 ユユは宝石のような瞳で僕を見ている。吸い込まれそうなくらい綺麗だ。

「もしかして……、あの、あなたが……」

「あっ!?」

 突然の叫びに、僕は驚いて少し下がった。

「そういえば、そのケガ、だいじょぶですかぁ?」

「怪我?」

 ユユの視線の先は、右膝に貼ってある葉っぱだった。中央はドス黒くなって少し盛り上がっていた。だけど、痛みは全く無い。試しに動かしてみたけど、やっぱり痛みは全く無く、葉っぱはまるで僕の右膝と一体化しているようだった。

「だいじょぶそう。よかったぁ……」

 ユユは優しく一息吐いた。

「あの……」

「なにぃ?」

「もしかして、あなたが、『賢者』、ですか?」

「『ケンジャ』じゃない! ユユだって!」

 ユユは飛び出た頭を左右に激しく振った。余りの勢いに、近くにいたトリィか飛んで少し離れた。

「えっ? 違うの……」

「ここにくるひとは、なんでユユを『ケンジャ』なんてよぶの? ユユには、ユユってなまえがあるのにぃ~」

 ユユはそう言って両頬を膨らませた。

 ──て、ことは、やっぱりこの子が!?

 噂の賢者がこんなに幼い少女だったなんて、信じられない。それ以前に、この森に人がいる事自体も。

 こんな森の中、樹の中でどうやって暮らしているんだろうか。少なくとも顔は僕よりふっくらとしているから、食事はしているはず。だけど、どうやって……。

「ホック?」

「ん?」

 この少女がどうやって生きているのか考えていた途中、その本人が声を掛けてきた。

「どうして、ここにきたの? なにかさがしてるの? それできたんだよね」

 ──ああ、そうだ。僕は探しているモノがあるんだ。だから、ここに来たんだ。

 僕は目的を思い出したけど、口をつぐんでしまった。

 ──言っても、いいのかな……。

 どうせまた夢物語だと笑われるんじゃないか、そんなもの存在しないと言われるんじゃないか……。そう考えてしまうと、臆病になってしまう。そんな自分が嫌だったのに、それでも踏ん切りがつかない。

「どうか、したの?」

 ユユは心配そうにこちらを見ていた。その瞳は、まるで宝石のように綺麗な瞳で、くすみも淀みも無い、純真な緑の輝きだった。

 僕は顔を上げ、真っ直ぐにその瞳を見た。

「……メクライメ……」

「ん?」

「ホメクライメ! 僕は、ホメクライメを探しているんです! ホメクライメが、どうしても、どうしても欲しいんです! だから、だから!」

「う、うん」

 ユユが戸惑っている表情をしているのに気がつき、我に帰った。

 思わず叫んでしまった。急に恥ずかしくなり、身体が熱くなってきた。

「ご、ごめん!」

「ううん、」ユユは頭を左右に振った。「だいじょぶ、ちょっとビックリしただけ」

 ユユは笑顔を見せた。隣のトリィは、イライラしているのかクチバシを鋭く動かしていた。

「ホメクライメ、だよね……」

 僕は頷いた。すると、ユユは俯いた。僕の身体中の力が抜け始めた。ゆっくりと後退して、机のような大きな出っ張りに座った。

 ──やっぱり、無いのかな……。

「このもりに、あるよ」

「え!?」

 突如全身に力が入り、思わず立ち上がった。

「ほ、本当に!?」

「うん、あるよ。だけど……」

 ユユは目をそらした。まるで、悪い事をしてひた隠そうとしているかのようだった。

「僕は、どうしても、どうしても欲しいんだ! 一刻も早く! その為なら、どんな事だってするし、どんな物でも挙げるから……。だから、だから!」

 ふと、自分の手が胸の所で服を強く握っているのに気がついた。僕は手の力を解き、服を離した。爪が食い込んだ部分が痛かった。

「……」

 ユユは無言のままだった。トリィはクチバシの動きを更に速めていた。


 沈黙が未だ続く。トリィがクチバシで小突く音だけが鳴り響いている。

 どうして、何も言わないんだ。

 自分から喋ろうにも、喋れない。重苦しい空気が流れる。

 ──ダメ、なのかな……。

「ねぇ、」ユユが顔を上げた。「どうして、ほしいの?」

「え?」

 ユユは僕を真っ直ぐに見た。

「どうして、ホメクライメがほしいの? はなして」

 その二つの緑色の輝きは、僕に嘘や隠し事を封じさせる魔力があるのかと思う程、キレイだ。

「……話せば、ホメクライメを……」

 ユユは笑顔で頷いた。


 僕の義母ははは、「魔女」と呼ばれていた。

 ……とは言っても、魔法は全く使えない。だけど、魔法以上に不思議な事が出来た。

 義母は、僕が産まれる前まで、料理人として数多くの調理場を転々とし、国中の料理人達にその名を知られていた。有名な伝説が数多くある。

 その中で聞いた中でも特に衝撃だったのは、芋虫で料理した話だ。


 義母がある貴族の雇われ料理人になっていた時の事だ。その貴族が庭園を歩いている時に突然芋虫を見つけ、これで料理を作るようにという、とんでない注文を出してきた。

 その貴族は気まぐれな性格なのに、最上級の称号を持ち、しかも使えないと判断された使用人には罵詈雑言を吐く人物だった。それで再起不能になった人は指で数えられないくらい多い。

 料理人達はそんな悪魔ともいえる立場の人間に逆らう事が出来ず、誰もが恐れ、この世の終わりが来たかとでもいうような表情になって落ち込んでいたそうだ。

 だけど、義母は違った。やり甲斐があると、むしろ喜びながら申し出た。

 さすがに使用人達は止めるよう義母をなだめたが、効果は無かった。一部、敵意を持っていた料理人は、陰で喜んでいたらしい。

 貴族が義母に芋虫を渡すと、すぐ様調理場へ駆け込み、あっという間に芋虫のステーキを完成させてしまった。もちろん、あの緑の気持ち悪い姿そのままに。

 誰もが、義母の未来が終わったと思ったはずだ。簡単に想像できる。

 そして、貴族はその気持ち悪いステーキを食べた。

 無表情に味わっていたその間は、義母以外誰もかれもが生きた心地がしなかったらしい。

 貴族が飲み込んだ後、大きな声でこう言った。

「信じられぬ! 牛肉のステーキではないのか!?」

 貴族が笑顔で義母を褒めたたえると、誰もかれもが笑顔で拍手し、絶賛した。


 これは僕が大人になってから聞いた話で、真実かどうか義母に直接確かめる事は出来なかった。でも、多分本当の事だと思う。それくらい、料理が上手かった。

 そんな義母が、突然料理人を辞め、自給自足の生活を始めたのが、丁度僕が産まれた頃だ。何度理由を訊いてもはぐらかされた。後々義母の知り合いから聞いた話では、どこへ行ってもイジメを受けていたそうだ。もしかしたら、そのイジメが嫌になったからかもしれない。だからって、貧しい生活を始めるなんて、僕には出来ない。しかも、独りになった僕を養おうだなんて。


 僕の本当の両親の顔は、ほとんど覚えていない。何せ、物心ついたばかりの時に亡くなってしまったから。

 死因は、誤って毒のある果物を食べてしまったためらしい。両親も貧しい生活で餓死寸前とも言える状態だったので、大丈夫なものと区別がつかず、耐えかねて食べてしまったらしい。直後に高熱、頭痛、目まい、吐き気、湿しん、下痢と多くの症状に数日間苦しんだ後に死んだそうだ。僕は幸いにも食べなかったので生き残ったが、早くも独りぼっちになってしまった。

 そんな時、母親の妹が僕を養子にしてくれた。それが僕の義母だ。


 貧しい暮らしだったけど、食事には困らなかった。義母はその料理人の才能を十二分に発揮して、僕にひもじい思いをさせなかった。

 畑で育てた野菜でほっぺが落ちそうなほど美味しいサラダ、店から貰った(義母は絶対に盗みはしなかった)余り物の魚で作った極上のマリネ、毒抜きした毒蛇を使ったなんちゃってウナギの白焼き、子供の顔が隠れる程大きなキノコで作った肉のようなステーキ……。魔法よりも魔法のような料理を毎日作ってくれた。おかげで僕は、食べる事が生きがいになってた。これだけ楽しく食べたのに、今でもチビでガリガリのままなのが残念なくらいだ。


 そんな僕が唯一、食べ物で苦しんだ事があった。

 初めて見た切っかけは、広場で友達と遊んでいた時、いつも自慢ばかりしている食料店の子供が現れて、真っ赤な果物を見せてきた。

「何これ? 甘いにおいがする~」

「へへっ、これはなぁ、ホメクライメっていうんだ。とってもとってもとぉ~っても、めずらしい果物なんだよ」

 僕はもちろん、誰もが釘付けになり、甘い香りに夢中になった。

「なあ、これ食べていい?」

 友達が手を伸ばそうとすると、慌てて引っ込めた。

「ダメダメ! これは母ちゃんに内緒で……」

「こら!!」

 後ろから突然現れた大人の女性がその子の頭を殴り、ホメクライメを没収した。

「危ないから勝手に持ってっちゃダメだって、言ったじゃないの!」

 涙目のその子の襟を引っ張り、怒りを放ちながら去っていった。


 あの時から、僕はあの果物の虜になっていた。

 ──食べたい、食べたい、食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたいっ!

 思い出すだけでお腹が空いてしまう甘い香りが、僕の心の中を支配した。思う事はいつもあの赤い果物の事ばかりだった。食事中でも、近くの川で身体を洗う時も、寝てる時でも、考えてばかりだった。だけど、義母にはそんな事は言えなかった。貧乏だから、そんな願いを持っちゃいけないんだと、自分の気持ちを抑えつけていた。

 だけど、ある日耐えきれなくなり、熱を出して倒れてしまった。


 うなされていた間も、あの果物の事だけしか考えられなかった。

 あの赤く丸々とした、甘い香りを放つ果実が僕の頭の中を支配していた。完全に虜だった。あの時は、本当に死にそうな気持ちだった。


 何日かして、熱が少し下がって目が覚めた時だった。

 僕はふと、机を見た。そこには、あの赤々とした見覚えある存在が、お皿の上に輝いていた。

「ホメクライメ!?」

 考えるよりも先に叫び、急いで駆けた。だけど、途中で義母にぶつかり、勢いよく倒れた。

「ホックっ、大丈夫!?」

 僕は義母の心配を無視して、立ち上がってその見覚えある赤い果実を見た。──間違いない。

「これって……」

「そう、あなたが食べたがっていた、ホメクライメよ」

 義母は笑顔で僕を抱いた。


「あなたがホメクライメ、ホメクライメって、うなされてたから、用意したわ」

「え? でも、ホメクライメって、めずらしい果物なんじゃ……」

「うん」義母は笑顔のまま頷いた。「でもね、おかあさん、頑張ったわ」

「どうやって……」

「いいからいいから、座りなさい」

 そうせかされて、僕は直ぐに椅子に座った。僕はすぐさまホメクライメに手を伸ばした。

「あ、待って!」

 義母がホメクライメをいきなり引っ込めた。

「ど、どうしてなんだよ、お義母さん!?」

 僕は思わず机を強く叩いた。あまりに大きな音だったから、義母だけでなく自分も驚いてしまった。

「ごめんね……。でも、このままじゃダメなの。ちょっと待っててね」

 そう言って、汗をかき続ける義母はあの果実を持ってキッチンへと向かった。僕は駄々をこねながらも、我慢強く待った。


 目の前に出されたのは、全面真っ黒のホメクライメだった。

「義母さん、これは……?」

「ホメクライメはね、炙って食べる果物なのよ。そう聞いたことがあるわ」

 義母は薄い包丁でホメクライメに切れ目を入れ、皮を剥ぎ、真っ二つに切った。黄色い果実が現れ、泡立つ蜜が溢れ、甘い湯気が部屋中に広がった。僕は思わずヨダレを垂らした。

「待っててね、今食べやすい大きさにするから」

 そう言って、手早く八等分に切り分けていった。

「はい、食べなさい」

 切り分けたホメクライメの一つをフォーク(先端がほとんど折れてボロボロだった)で刺し、笑顔で差し出した。ホメクライメはいつの間にか僕の口の中に入っていった。

「あっ!? 丸ごと食べちゃダメ! 熱いよ! 火傷する前に出しなさい!」

 慌てた義母が僕の口を無理矢理こじ開けようとしてきた。でも、僕は頑なに口を閉じた。

 確かに、火傷するほど熱く、吐き出しそうになった。でも、それ以上に、この幸福を味わいたかった。

 口の中で広がる、蜜の甘み……。鼻を通り抜ける、苦痛も怒りも消してしまう幸福な香り……。

「ど、どう?」

 熱い果実をひたすら噛み続け、飲み込んだ。

「おいしい! すごくおいしい!」

 いつの間にか涙が流れ、止める事ができなかった。嬉しそうな義母から抱きつかれても、僕は噛み続けていた。


 この一週間後、義母は倒れ、その三日後に亡くなった。

 原因は流行り病で、僕が寝込んでいた間に罹ったものだと知った。

 義母はそれを隠して、体調を崩して汗をかきながらも、ホメクライメを探し出してくれた──。

 僕は泣いた。涙が枯れても、泣き続けた。

 そして、僕は決心した。

 ──料理人になりたい。義母が僕を救ってくれたように、料理の力で人を幸せにしたい!


「そのきっかけになったホメクライメを、どうしてももう一度食べたいんだ!」

 思わず叫んでしまった事に気づいて、急に恥ずかしくなった。周りが沈黙して、更に顔が熱くなった。

「……」

 ユユが両眉を下げて、僕を見ていた。

「あ、あの……」

「わかった、いいよ」

「えっ!?」

 ユユが笑顔になった。

「トリィ、」ユユは隣のトリィを見た。「ホメクライメ、とってこれる?」

 トリィが高い鳴き声でさえずった。

「そう……、しょーがないね。ゴメンね。ムリなおねがいしちゃって」

 すると、トリィはまた鳴きながら羽ばたきだし、すぐさま光が漏れ出す天井の穴から出ていった。

「ゴメン、あしたまでかかるって」

「え?」

「トリィが、いってた」

「分かるの!?」

「うん」ユユが笑顔で頷いた。「ユユのたいせつなおともだちだもん!」

 ユユは嬉しそうに鼻息を吹いた。

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