15 Ⅲ‐1

「おとうさん、まってぇ、いかないでぇ!」

 お父さんが出稼ぎで行こうとすると、私はいつも引き止めようと、お父さんの服を引っ張った。

鉱山で働いていた時はその日のうちに帰ってくるから、寂しくは無かった。でも、出稼ぎに行ってからは、何ヵ月もいなくなってしまう。幼かったその時は、耐えられなかった。

「こぉらっ、リュネ。ワガママ言わないで。お父さんの邪魔しちゃいけないって、何度も言ってるじゃないの」

「ヤダヤダ、いかないでぇ」

 いつもそうやって癇癪かんしゃくを起こしていた。お母さんはその時、眠り込んでいる妹を背負いながら、余計に迷惑だったはず。思い返す度にいつも、謝りたくなる。

「ゴメンよ、リュネ。でも、行かなきゃならないんだ」

「そんな……」

 すると、お父さんは私の頭を撫でた。

「リュネ、お前はお姉ちゃんだから、シリーを護ってやってくれ。俺の代わりにな」

「……うん」

 お父さんが笑ってきたので、私は大人しく頷いた。いつもそうだった。

 でも、この日は違った。私はすぐさま、ポケットに手を入れ、直ぐに出した。髪結び用のリボンだ。淡い黄緑とスカイブルーのストライプ柄で、真ん中に白ウサギの顔が縫ってある。

「どうしたんだ?」

「これ、もってって」

 私はそのリボンを、お父さんにさし出した。

「これ、わたしのかわりに、もってって!」

「リュネ、でもそれは……」

「いいよ、またつくればいいし」

 お父さんは口元を覆い、無言になった。暫くの間、何も言わないから、思わず心配になった。

「おとう、さん……?」

「……ありがとう」

 そう小さく言うと、ゆっくりと私のリボンを受け取った。

「大事にするよ」

 お父さんは、リボンをポケットに入れた。

「それじゃあ、行ってくる」

「ええ、行ってらっしゃい」

「いってらっしゃあい!」

 私もお母さんも笑顔になった。お父さんも笑顔になると、すぐに振り向いた。

「リュネ、頼んだぞ」

「うん!」

 お父さんが、行ってしまった。

「……」

「リュネ?」

 私は、お母さんのほうに振り返った。

「ごめんなさい!」

 深く深く、頭を下げた。

「どうしたの、リュネ?」

「あのリボン、かってにあげちゃって、ごめんなさい!」

 すると、お母さんが優しく微笑んだ。

「大丈夫よ、また作ればいいんだから、ね」

「よかった……」

 私は胸をなでおろした。

「さ、早く朝ご飯食べましょ」

「うん!」


 突然、目か覚めた。暗くて何も見えない。それに、少し寒い。

 どうやら、また何かの洞窟の中のようだった。暗いのであまり良く見えなかったけど、小さな風の音かとても良く響いて聞こえた。〝聖地〟の大広間よりも遥かに広いのかもしれない。

 ──ここは、一体どこ?

 そうだ、私は確か、白い竜にさらわれたんだ。

 身体中には、ベトベトとした温かい液体が手についた。

「ひぃっ!?」

 私は必死に振り払った。

 ──でも、乾いていないって事は、まだそんなに時間が経ってないって事ね……。

 立ち上がろうとすると、地面がガタガタして不安定だったので、転んでしまった。しかも、勢いづいて思いもしない方向へと転がっていく。

「あっ、いっ、ぎっ、あ痛っ!?」

 尻餅をついてようやく止まった。もう一度立ち上がってみる。──今度は地面がしっかりしている。良かった。

 その時、私の近くで火がついた。驚いて、また尻餅をついてしまった。火元を良く見ると、壁からロウソクが顔を出している。

 すると、その左右隣も点火、またその隣も点火……、を繰り返していく。まるで大きな円を描くように明かりがついていく。そして左右に分かれた二つの火がぶつかりあい、火の輪が出来上がった。

「え……、これって……?」

 どこも、かしこも、足元も、骨。しかも、人間の骨。広大な洞穴の中に、頭蓋骨から腕か脚らしき骨まで、様々な骨が散乱している。しかも、肉片がかなり残っている。私は腐敗した臭いに気が付き、鼻を塞いだ。

 ──まさか、ここって……。

 すると、奥にうず高く積まれた骨の山が崩れだし、骨とは違う白い塊が現れた。

 ──竜!?

 白い竜が頭を出し、羽を広げた。咆哮が洞穴の中に響く。すぐさま耳を塞いでも、全身が痺れるように震える。

 ──やっぱり、竜の巣……!

 あちこちにある骨の山が、いとも容易く崩れていく。ロウソクの炎も、いくつか消えていく。これだけで、竜の力を思い知ってしまう。咆哮が止んでも、身体の震えが止まらない。すると、竜がこちらを睨んできた。

 ──はやく、逃げないと!

 立ち上がろうとしたけど、身体の震えがひどくて出来ない。腰が抜けている。

 ──どうしよう、どうしよう!

「リュネっ!」

「へ?」

 突然、腕を引っ張られた。その勢いで立ち上がる事が出来た。

「大丈夫か?」

 引っ張られている腕を掴んでいるのは、白い手袋。その手袋に描かれているのは、〝Ⅳ〟。そして、白以外に何もない顔──。

「ひゃあ!?」

 〝使徒〟からとにかく離れようと、必死に暴れた。だけど、どんだけ腕を振っても、離す事が出来ない。

「動いちゃダメだ。大丈夫、俺もアレも、何もしない」

 ──この声は……。

 私の記憶が、暴れる行為を止めさせた。同時に、〝使徒〟は掴んでいた私の腕を離した。

 竜の視線に未だ恐怖を感じる。だけど、それ以上何もしてこない。

「よし、落ち着いたな……」

 そう言うと、自身の白い顔とフードをそれぞれ掴み、外した。

「──ウソでしょ?」

 その顔は、見間違いようが無い。

 死んだはずの、お父さんの顔。

「どうしたんだ、リュネ? 怖い顔して」

 少しずつ後ずさりしても、お父さん〝らしき人〟がゆっくりと追ってくる。散らばる骨が足に当たって、何回もガラガラと崩れる音がたつ。

「こ、来ないで……」

「何を言ってるんだ、リュネ。俺はお前の父親だぞ」

「違う。お父さんじゃない。あなたは、誰なの?」

「だから言ってるだろう、お前の父親だって」

「違う、違う……」

 背中にぶつかった。うず高く積もった骨の山だ。下がろうとしても、後ろ半分の身体を深くくっつける事し出来ない。だんだんとお父さんが近づいてくる。

「逃げなくて大丈夫だ、信じてくれ」

「イヤ、来ないで……」

 すると、お父さんらしき人は歩みを止めた。とても悲しい表情をして、俯いた。

「どうすれば、信じてもらえるんだ……」

「信じるも何も、お父さんは、あの竜に焼き殺された。私の目の前で、炎に包まれた。だから、この世にはいない」

「そうか……、そうだよな。信じられなくて、当然だな……」

 お父さんらしき人は顔を上げ、重い深そうに何かを考えた。

 静かだ。まだ燃えているロウソクの炎の一帯は、ただただ燃え続けるだけで、それ以外の事は何もしない。奥の竜も吼える事無く、ただ静かにこちらを見ている。冷たい空気と腐敗臭を再び感じる事が出来る。でも、それを嫌だと思う事が出来ない。ただでさえ信じられない事が起こり続けているのに、その中でも一番信じられない事が目の前で起きている。そんな状況だから、触覚も嗅覚も鈍くなっていく。何が何だか分からない。混乱を抑え、事実を受け止めるのに精一杯だ。

 暫くすると、お父さんらしき人は考えをまとめたのか、頭を下げて私を見た。

「確かに、俺はあの時、お前達を助けるために囮になり、あの竜が吐く炎の息をくらった。それで俺は死んだ」

「じゃあ、幽霊なの?」

「いや、違う。さっき、お前の腕を掴んだじゃないか。幽霊ならこんな事、出来ないぞ」

「なら、どうして……」

 お父さんらしき人は再び無言になった。今度は何か悩んでいるようだ。でも、さっきより短い時間で終わり、再び口を開いた。

「今から言う事、信じてくれるか?」

「……うん」

 私が頷くと、お父さんは微笑んだ。

「……俺は生き返ったんだ」

「生き返った?」

「ああ。あの炎を食らった後、気がついたら俺はこの場所にいたんだよ」

「な、何を、言って、るの……?」

「とりあえず今は、俺の話を最後まで聴いてくれ。俺はそこで竜と対峙したんだが、何故か竜の言葉が解るようになっていたんだ。竜は、俺に竜と人の間を受け持つ役割を担わせたと話したんだ」

 私の理解を越えていた。もう何が何だか良くわからない。でも、今は聴くしかなかった。

「俺は当然、反発した。散々虐殺しておきながら、お前に従うなんて、ってな。だけど、竜はそれを認めなかった。それどころか、竜は俺の身体を乗っ取って、操ったんだ!」

 必死な形相で私を見ている。目でも訴えかけている。あまりの迫真さに、お父さんらしき人──いや、本物なのかもしれない──の言葉を全て飲み込んだ。

「それで俺は、あんな神様の〝使徒〟なんて役もさせられ、人々を騙すように操られた……」

 今度は、涙を流した。こんな顔が潰れたような泣き顔を見たのは、初めてだ。

「あの竜は、魔石が再び採れるようにするなんていう餌で心を掴み、その上洗脳させやがった……。俺は、操られながら、抵抗出来ず、ただ見る事しか……。それに、みんなを竜に変えさせられた時も、俺は操られて、何も出来なかった……。スマン、お前を、そして名前の知らないお前の仲間にも、酷い目にあわせてしまって、本当に、スマン……」

 膝が崩れ落ち、顔を覆った。涙が止めどなく落ちていき、土に消えていく。

「……だけど、竜は俺にチャンスを与えたんだ。家族であるお前には手を出さないようにするって。だから、大丈夫だ。真意は分からないが……、こうして、お前にまた会えるなんて……」

 私は、泣き続けるお父さんらし……に近付き、屈んだ。

「……」

 慰めようと思った。でも、喉に出かかる直前で言葉が止まった。

「ねぇ、」お父さん……が顔を上げた。顔が酷い状態だ。「お父さん、覚えてる? お父さんが出稼ぎに行った時、私、よく引き止めてたよね」

「あ、ああ」

 少し戸惑いつつも、笑顔で返事をしてきた。

「もちろん、覚えてる。いつも寂しがっていたから、正直、罪悪感がすごかった。でも、行かなきゃ生活できないからな……」

 すると、お父さん……はポケットから取り出した。

「えっ!? それって……」

「ああ、これは大事にしてたさ。当然だよ」

 色褪せて汚れているけど、淡い黄緑とスカイブルーのストライプ柄、そして白ウサギの顔。私がお父さんにあげた、リボンだ。

「俺も驚いたよ。あの時、燃え尽きたと思ったけど、何故か残ってたんだ。どうやら、あの竜に蘇らせた時、燃えたはずの服も再生されてたから、それでポケットに入れていたリボンも一緒に再生されたんだろう」

 竜が静かに鳴くと、小さな風が起こり、リボンが揺れた。

「持って、たのね……」

「これのおかげで、あの竜に完全に支配されずに済んだ。お前のお陰だ。ありがとう」

 お父さん、は、涙を拭いた。この笑顔、間違いない……。

「お前が小さい頃から結んでいたものだからな」


──小さい頃から、結んでいたもの……。


「……」

「どうしたんだ? いきなり厳しい顔になって」

「私、一度もつけた事、無い」

「え……?」

 お父さん、らしき人の表情が、歪んだ。

「そ、そうだったな、勘違いしてたよ、スマン。渡された時、髪の長いお前に似合うと想像してたもんだから、つい……」

「あの時は、男の子みたいに短かったから、結べなかった」

 私はその人から離れた。その人の表情が、見知らぬ人に変化したように感じた。

「あれ、混乱してるのかな……。お母さんのほうだったかな」

「お母さんもつけてない。お母さんはリボンとか髪留めなんかつけない。それはもともと、シリーの誕生日にあげるつもりで、私とお母さんが作った髪結びのリボンだもの。そもそも、作る前からお父さんに何度も話したから、知ってるはず」

 途端に、その人の表情が、見えなくなった。不気味なオーラを放ち始めた。

「……」

「あなたは、お父さんじゃない!」

 私は、急いでその人から離れた。

「あなたは何者なの、お父さんの振りして、何が目的なの。私を、私の心を、踏みにじって、どうしたいの! そんなデタラメ言わないで!」

「そうだ。そんな作り話は、あってはならない」

「え?」

一瞬、その人がいる場所から土煙があがった。その人の姿が見えなくなった。

「な、何……?」

 土煙が消えると、その人がいなくなっていた。見覚えのある、違う人になっていた。

「大丈夫そうだな」

「エイッ!」

 私は思わず、エイに抱きついた。気持ちが抑えきれなくなり、泣いた。

「良かった、良かった……」

「そんな事をしても、何にもならないぞ」

 やっぱりこの男は冷酷だ。だけど、そんな冷酷な人でも良かった。とにかく、安心できるものにすがりつきたかった。


 グァァァァァァァァァァッ!


 恐怖が真横から吹き飛んできた。一瞬で涙が引いた。竜が、怒りを剥き出しにしてこちらを睨んでいる。

「ヒッ……」

 思わず、エイに強く抱きついた。

「リュネさん! 良かった、大丈夫そうだ……」

「テムッ!」

 いつの間にか、テムが現れた。心配しすぎなのが顔に現れていて、思わず吹き出しそうになった。

「リュネ、貴様は下がるんだ」

 そう言って、エイは抱きつく私を離した。

 突然、黒い影が現れ、エイに突撃してきた。でも、エイは剣で受け止めた。その黒い影は、さっきのおと……、違う! お父さんの顔をした、〝使徒〟だ。

「何故、彼女を狙う。それは彼女の運命ではない」

 しかし、〝使徒〟は無表情のまま、答えない。〝使徒〟の前に出来た光の壁を、剣で受け止めている。

「やはり、答えないか。……だが、その顔はもう無意味だ。戻したらどうだ」

 すると、顔が一瞬にして白くなり、目も鼻も口も無くなった。あの時見た、真っ白な顔に戻った。

「やはりそうか。相変わらず、行動も思考も読めない、予測不能にして不条理の存在だ」

 テムの表情が険しくなっているのに気がついた。〝使徒〟と対峙した時と、全く同じだ。

「テム、」エイが攻撃を受け止めながら、振り向いた。「私がこの存在を引き留めている間に、あの竜を倒すんだ。お前しか出来ないんだ。未来が見えない以上、失敗するな」

 そう言うと、腰につけていたもう一つの剣を片手ですぐに外し、テムに投げ渡した。テムもしっかりと受け取った。

「え? ちょ、ちょっと……」

 思わず声が漏れた。正気なのかと疑った。明らかに戦闘には不向きだ。体格はどう見ても戦士じゃないし、動きはどうも鈍くさい感じだ。こんな気弱な子供が……。

「分かった。あの竜が改変された存在だから、僕でないと倒せないんだよね?」

「そうだ」

 テムの表情は、今までに無く勇ましかった。

「な、何言ってるの? あの時、見たでしょ。エイの攻撃、効かなかったじゃないの。殺されるわ!」

「大丈夫です」テムが眼を動かさず、真っ直ぐに私を見た。「僕は、死なない。死にたくても……」

「え、……どうしたの?」

 テムが俯いた。何だか、悲しそうで、泣き出しそうだ。だけど、すぐに顔を上げた。涙は流していない。

「何でもないです。とにかく、任せてください」

 そう言うと、駆け足で竜のほうへと向かっていった。

「あ、ちょっと!」

 唐突に、私の前に〝使徒〟が立ち塞がってきた。

「なっ!?」

 しかし、すぐに姿が消えた。同時に、エイが剣を縦に降ろした。

「下がれ、と言ったはずだ。死にたくなければ、前に出るな」

「でも……」

「テムの事なら、問題ない。絶対に、死なない。そういう運命にさせられた人間だ」

 いきなり、エイの後ろから〝使徒〟が現れた。いつの間に巨大なこん棒を持ち、一気に振り下ろした。

「ヒャッ!?」

 何が何だか分からないうちに、いつの間にかエイに抱っこされていた。さっきまでいた場所には、地面にめり込んだ巨大こん棒だけが残っていた。そのめり込んだ部分には、散らばっていた骨が欠片か砂に変わっていた。

「やはり、あの存在の考えている事がわからない」そう冷静に言って、私を降ろした。「彼女を取り入ろうとしたのに、今度は私もろとも殺そうとする」

 〝使徒〟の姿が、ここより遠くから現れた。エイはその場で剣を構えた。

「しかし、これはこれで都合がいい。テムの邪魔をしないのなら、問題は無い」

 ──いや、良くない!

 そう心の中で突っ込んだ時、辺りに散らばるたくさんの骨が、空中に浮かび上がった。鋭い部分を私達の方向に向けると、一斉に突進してきた。私はすぐに顔を守った。でも、エイが文字通り目に見えない速さで動き、全ての攻撃を剣で払い流した。

 それでも、攻撃は止めどなく押し寄せてくる。どしゃ降りで来る。粒ではなく塊となって来る。骨があちこちから浮かんでは突撃、浮かんでは突撃、浮かんでは突撃を繰り返す。それでも、エイは見えない速さで全ての攻撃を防いだ。

 ふと、〝使徒〟からさらに離れた場所に、テムがいる事に気がついた。テムは全速力で、竜に向かって突撃している。明らかに無茶だ。不用意に突っ込むなんて、危険な行為だ。素人の私でも分かる。

「テムッ!」

 竜は直ぐに気がついた。一気に息を吸い上げ、一気に炎を吐いた。

 テムの姿が、炎の中に消えていった。

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