13 Ⅱ‐8
「お、お前が、あの不届き者が言っていたエイか!」
おじさんは、怒りの表情でエイを睨んだ。
「確かにエイだが、それがどうした」
「罰を!」
おじさんはもう一方の拳で殴りかかってきた。しかし、エイは全く動こうとしない。
「エイッ!?」
拳がエイのお腹に直撃した。ものすごい打撃音が響いた。でも、エイは全く動じなかった。
「なっ!?」
「これ以上の暴力行為は止めろ。自らの運命どころか、周りの全てを歪ませる事になる。それに無駄な行為だ。私には効かない」
「黙れ背徳者! 神様に立てくかぁぁぁぁっ!」
おじさんは何度も何度も何度もエイを力いっぱい殴り続けた。肉を殴る音が耳の奥までえぐり込まれそうだと思って、私は耳を塞いだ。それなのに、エイはガードすることもなく攻撃を全て受けた。
「この、この、この、このこのこのこのぉ!」
おじさんは段々と息を切らせ始めた。顔は疲れを見せ、汗も噴き出している。しかし、エイは立ったまま動じていない。
「この……、ハァ、ハァ、ハァ……」
おじさんの動きが止まった。顔は俯き、両腕はダラリと下がり、汗が顔から垂れ落ちた。
「だから、無駄な行為だと言ったんだ。もう一度言う、これ以上は止めるんだ。自らの……」
「黙れぇぇぇぇぇぇっ!」
拳を思いっきり振り上げた。その時、一瞬でエイの姿が消えた。
「なっ!?」
周りもざわつき始めたが、私は既に同じ光景を見ていたので、驚かなかった。
「ど、どこに消えたぁ!」
おじさんは周りを見回した。勿論、見えるはずがない。
「姿を現せ、背信者め……」
その時、おじさんの背中に強い衝撃音が鳴った。
「ぐあぁっ!?」
おじさんは苦悶の表情をしたまま、前のめりに倒れた。おじさんが倒れたと同時に、その背後からエイが突然現れた。
「時間が無い」
エイは剣を真横に向け、半円を描くように周りの人々を指した。
「貴様達に尋ねる。〝使徒〟の居場所はどこだ?」
「エイ、知っていたの!?」
エイがこちらを振り向いた。やっぱり無表情だ。
「ついさっき知ったばかりだ。ここの過去を見た」
「え? 未来じゃなくて?」
「私は過去も見る事ができる。どんな場所でも、未来以上に確実にな」
「えぇ……?」
エイは私に構う事無く、再び周りの人々を見回した。
「しかし、未来が見えない以上、〝使徒〟の居場所を特定できない。だから、もう一度言う。〝使徒〟の居場所はどこだ?」
周りの人々は、エイを奇異の目で見ていた。あの時、村の人達に取り込まれた時と全く同じだ。しかし、誰も動こうとせず、ざわついていた。
「これが最後だ。〝使徒〟の居場所は……」
「……ろせ」
誰かがポツリと呟いた。エイはその方向に顔と剣を向けた。
「ハッキリと言うんだ。声が小さすぎる」
その時、一人の男が、持っていたノコギリを高く掲げた。
「……背信者を、殺せぇぇぇぇぇぇぇっ!」
周りの人々も、その男にあわせて持っていたモノを掲げて叫んだ。地鳴りでも起こったかのような揺れを全身で感じた。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
「殺せ」の大合唱とともに、大群が襲い掛かってきた。
──は、早く逃げないと!
そう思っても、この大群では無理だ。それに、立ち向かおうにも、顔見知りの村人達に攻撃なんてできない。いくらおかしくなっているといっても、顔見知りだ。別人みたいになったおじさんが倒れた所を見て、嫌悪感がこみ上げてきたんだから。
「ど、どうしよう……」
そう戸惑っている間に、再びエイの姿が消えた。
「エイッ……」
「エイッ、殺さないでくれ!」
真横からの叫びに、思わず顔を向けた。そこには、倒れていたはずのテムが立ち上がっていた。私は急いで駆け寄った。
「ちょっと、あなた、大丈夫な……」
顔に思いっきり食らったはずなのに、殴られた痕が全く無かった。殴られる前と全く同じだ。
「僕は平気です。それよりも、ここから離れないと……」
その時、横から何かの叫びが聞こえた。見ると、老婆が包丁を持って襲い掛かってきた。
「背信者に、死をををををっ!」
「おばあさん!?」
温厚なグレイブおばあさんが、見た事の無い形相で駆け寄って掴みかかってきたが、テムが細い腕を掴んで止めた。
「死をををををっ!」
「おばあさん、私よ、リュネよ! ほら、お母さんの、ホエカの娘の、リュネよ!」
「死をををををっ!」
その眼は、完全に別人だった。でも、私は何度も呼びかけた。
「おばあさんっ、目を覚まして、お願い!」
「死をををををっ!」
「リュネさん!」テムがおばあさんの腕を抑えながら振り向いた。「今は逃げてください、この状況じゃあ……後ろ!」
振り向くと、また誰かがこちらに向かって来た。その姿がハッキリと見えた時、私はまた眼を疑った。
「チコッ!?」
「背信者に、死をををををっ!」
妬ましい程に可愛らしかった友達の表情は、完全に崩壊していた。顔は紅く、額に血管が浮き出ている。
チコは包丁を振り回しながら、こちらに向かって来た。
「チコ、私よ、リュネ! よく見て、正気に戻って!」
「死をををををっ!」
通じない……。後ろはテムがおばあさんの動きを止めるのに精一杯だ。やらなきゃ、いけないの……?
「死をををををっ!」
気がついた時には、数歩で当たる距離になっていた。
「背信者にぃ、死をををををっ!」
チコが板を振り上げた時、思わず目を瞑った。もうダメだ、当たる! 頭を守らないと……。
「あぐぅあっ!?」
「え?」
目を開けると、チコが立ち止まり、崩れ落ちるように倒れた。私は慌ててチコに駆け寄った。
「ちょっと、しっかりして、チコ!」
私はチコの胸に耳を当てた。心臓の鼓動が聞こえる。その途端、私は安堵した。
「ぎゃっ!?」
「え?」
今度は後ろから悲鳴を上げた。振り返ると、おばあさんも崩れ落ちるように倒れた。テムは急いでおばあさんの腕や首に指を当てた。少しの間目を瞑ると、目を開いて私を見た。
「大丈夫、気絶しているだけです」
私はまた安堵した。
「よかった……。でも、どうして……、もしかして、エイ!?」
テムは頷いた。
「ええ、間違いなく、エイです」
「良かった、殺さなかったのね……」
「大丈夫です、見てください!」
テムが指す方向を見ると大群が続々と倒れ始めて行った。身体が一回りも大きい男戦士からか弱そうな子供まで、一瞬にして倒れていく。やっぱり、顔見知りの人達が倒れていくのは気持ちの良い光景ではないけれど、死なないよりはまだいい。……そう思っているうちに、いつの間にか半数以上が倒れていた。まだ気絶していない人達は、恐怖で身体を震わせた。
「な、何なんだぁ!? みんな、どんどん倒れてい、うっ!?」
また一人倒れた。倒れた人を見て驚いた人も一瞬で倒れた。それを繰り返していくうちに、とうとう三人だけとなった。残っていた三人が戸惑って辺りを見回している時に、エイが三人の目の前に現れた。
「ひぃぃっ!?」
エイは剣を大きく横に一振りした。その動作に、三人は武器を構えつつも後退りした。
「に、逃げようっ、こいつは化け物だ!」
「な、何言ってる。背信者は絶対に
「だ、だけど、どうすれば……」
エイはゆっくりと三人に近づいていった。
「……おかしい」
「え?」
突然、テムが心配そうに呟いた。
「いきなりゆっくりになったって事は……」
「ゆっくりになったのが、どうしたっていうの?」
テムは私を見た。不安なのが明らかだ。
「エイが少し先の未来すら見る事が出来ない時は、慎重になって、ゆっくりした動きになるか止まるんです。だから……」
その時、空気を切り裂く轟音が響いた。エイは一瞬で吹き飛ばされ、壁に当たった。
「エイッ!?」
私とテムは、心配そうにエイが吹き飛ばされた方向を見た。粉塵が消えると、エイが壁にめり込んでいた。
「まさか……」
テムがそう呟いて、エイを吹き飛ばした轟音の発生源を見た。恐怖で立ち尽くした三人の奥から、人影が見えた。
「……やっと、見つけた!」
テムは立ち上がった。身体を震わせつつも、目をそらさなかった。
全身黒い外套とフードで覆われ、白い顔と手袋が映えている。
そして、その手袋には〝Ⅳ〟のマークが。
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