11 Ⅱ‐6

 今から一年前、私は偶然、マズローおじさんとブローグを見かけた。明らかに険悪な雰囲気だった。

「離せ、離せぇ!」

「黙れ、ブローグ様に逆らうな!」

 おじさんは友達であるはずの男達に取り押さえられていた。私は助けに行きたかったけど、取り押さえている元鉱員達の屈強な肉体と威圧に気圧され、隠れて見る事しか出来なかった。

「何故、ワシに従わぬのか」

 ブローグは杖を光らせながら、おじさんを見下していた。あの光を見る度に、心が割れそうな程恐怖した。私に限らず、誰もがそうなった。だけど、おじさんはその光を見ても、ブローグを睨み続けていた。

「あんたの言ってる事が信じられないからに決まってんだろ! それに、俺の人生くらいは俺が決める! 絶対、誰の指図も受けない!」

「こら!」取り押さえている男の一人が、ためらいもなくおじさんの顔を殴った。「ブローグ様に対して、失礼だ!」

 男は更に三発殴った後、蹴ったり踏みつけたりした。

 信じられない光景だった。殴った男は、お父さんの親友だから何度か会った事があった。その人は、他の男達と同じく鍛え上げられた肉体を持っているのに、虫すら殺せない程気弱で心優しい人だ。実際、私に対しても何故か怯えたように接してきた事があった。そんな男が、今は身動き出来ない人に対して、目を背けたくなるような暴力をふるっていた。

「ブローグ様に対して忠誠を誓え!」

「断る!」

「強情張りやがって!」

「どっちが!」

「この野郎!」

「やめい!」

 ブローグの言葉で、男は暴力を止めた。ブローグはヒゲを触りながら、何か思案し始めた。

「効かないのなら、最後の手段に出るしかない。しかし、どうしようか……」

 ──は、早く、おじさんを、助けないと。

 そう思っていても、身体が震えて動けない。あんな屈強な男達に、どうすれば──。

「誰だ!?」

 別の男が、私が隠れている方向に向かって叫んできた。私は慌てて、その場から逃げた。

 この二日後、生贄制度が始まり、同時におじさんは生贄として竜の棲む山へと消えた。あの日が、最後におじさんを見た日だった。


 そのマズローおじさんが、私の前にいる。

 防寒具を着込んでいるけど、大きな身体はあの時のままだった。

「おじさん、生贄にされて死んだはずじゃ……」

 すると、おじさんは豪快に笑いだした。お父さんとお酒を呑みながら会話している時の笑いと、全く同じだ。

「ほら、この通り元気さ。幽霊じゃないぞ」

 私は泣きそうになった。再会出来た事の嬉しさと、あの時助けられなかった申し訳無さが、心の中でグルグルと混ざっていたけど、弱い所を見せたくなくて、我慢した。

「リュネさん、この人は……?」

「あっ、ごめんなさい」テムの存在を忘れていた。「私のお父さんの友達で、マズローおじさん」

「ああ……。マズローさん、はじめまして。僕はテム、旅人です」

 テムは深々と頭を下げる。

「はじめまして、よろしく」

 おじさんは気前良く握手した。若い人間を好む所は、変わっていなかった。

「テム君、君はどうしてここに来たのかな?」

「えっと、この山に棲む竜を倒しに……、あっ、僕と彼女だけじゃなくて、エイっていう僕の仲間と共に来たんです。今、二手に分かれていて、今はいないんですけど……」

 ふと、おじさんの顔を見ると、表情が険しくなっていた。こんな表情は、私の前では滅多にしなかった。でもテムはその事に気がついていないようで、話を続けた。


 私が生贄にされて逃げた事、そこでテムとエイに出会った事、村に戻った時に竜が現れて暴れた事、それをエイが追い払ってくれた事、でも竜を倒すまでシリーとお母さんが人質になっている事……、それら経緯を全て話した。おじさんの表情はだんだんと和らいだけど、未だに嫌悪をあらわす目でテムを見ていた。


「……ですから、リュネさんとそのご家族の為に倒さなければならないんです、この山に棲む、竜を」

「……」

 おじさんは腕を組み、何か考え込んでいた。

「おじ、さん……?」

 おかしい。私の知っているおじさんとは、何か違う。少しの間考え込んだ後、組んでいた腕を解いた。

「ここじゃ寒いだろう、とりあえず、聖地へ行こう」

「〝聖地〟?」

 私もテムも、同じタイミングで呟いた。

「ああ、あそこだ」

 そう言って、おじさんは洞穴を指した。

「あそこは、神様によって護られた地だ。ここで、生贄として捨てられた人達や、神様を殺そうとしたが改心した人達がいる。そこで、ゆっくり話そう」

 おじさんがついていくよう促したので、私とテムはそれに従った。安全性な場所があるなら、そのほうがいい。それに、「生贄として捨てられた人達」と言っていた。つまり、生贄にされた人達が生きていた。それはとても嬉しい。だけど、その後の言葉が引っ掛かった。

 ──「〝神様〟を殺そうとしたが〝改心〟した人達」って……?


 聖地は、ついさっき私が見つけた、大きな洞穴の中だった。中に入ると通路になっており、さっきの坑道以上に整備されていた。土の壁には松明だけでなく、大きな布が等間隔でぶら下がっていた。テムが落ち着きなく辺りを見回していた。

「何ですか、この布は?」

「外からの冷たい空気が入らないようにするためだ。ここから先は部屋になっていて、一人一人住んでるんだ。幼い子供達は、本当の親か、親代わりになった大人と一緒に住んでいるけどな」

「じゃあ、さっき話していた、生贄にされた人達がここに……」

「そうだよ」おじさんが笑顔で頷いた。「みんな、ここで平和に暮らしているんだ。神様のおかげでな」

「でも、誰もいないみたいですね……」

 確かにテムの言う通り、人の気配が無くて静かだ。松明の火がパチパチと燃える音だけが洞穴の中に響いている。

「今みんなは、ここから先の大広間で、使徒様のお出迎え準備中だ」

「〝使徒〟様?」

「ああ、神様の代わりに、我々に指示してくださるお方だ。丁重におもてなしするために、みんな張り切っているんだ」

「へ、へぇ……」

 私は苦笑いするしかなかった。〝神様〟とか、〝使徒〟とか、おじさんの人生で使いそうにない言葉が次々と出てくる。申し訳ないけど、本当にマズローおじさんなのかと、疑い始めている。

「もうすぐだぞ」

「あ、はい」

 通路の終わりにも、扉替わりにしている大きな布が降ろされていた。今までにあったものと違い、どうやって用意したのか不思議な程豪華そうな刺繍が施されていた。きらびやかな金と黒みのある赤の二色だけで作られている。

「さあ、入るぞ」

 私が戸惑っているうちにおじさんが布をめくり、中に入っていった。私もテムも、急いでついていった。


 中の広大さにも驚いたけど、そこにいた人達にもっと驚いた。私は思わず、胸から直接跳び出す程叫びそうになった。

 そこには、生贄という体で捨てられた人達がいた。同じくブローグに反抗したノサさんとそのお姉さんに、いつもシリーに果物をくれたジョイルさんまで!

「ほ、本当に、生きていたの……」

「ああ。生贄にされた人達は、みんなこの聖地に暮らしている。声は掛けないでくれよ。さっき言ったように、おもてなしの準備中で忙しいからな」

 大広間中は、慌ただしい雰囲気に包まれていた。ノサさんやジョイルさんなど男性達は何かモノを作っていて、女性達は食べ物や料理を運んでいた。こんな忙しそうな様子を見たのは、鉱山が廃れる前におこなっていたお祭り以来だ。

「リュネ!」

「チ、チコ!?」

 二ヶ月前に生贄にされたチコが、ポニーテールを揺らしながら飛びついてきた。遊び友達がこんな所で生きているなんて、想像すら出来なかった。

「久しぶり! でも、どうしてここに?」

「あ、うん、あの……」

 チコが笑顔で私を見ている。相変わらずペットみたいに懐くのは嬉しいけど、戸惑う気持ちも加わる。

「こらこら、チコちゃん、サボっちゃ……、て、リュネちゃんじゃないの!」

「グレイブおばあさん!?」

 一瞬分からなかったけど、間違いない。生贄として連れ去られる前はあんなに猫背だったのに、ビックリするくらい真っ直ぐだ。両手には、美味しそうな料理を持っている。

「げ、元気そうですね……」

「そうなのよぉ、それもこれも、神様のおかげよ。それで、こんなにラクに歩けるようになったんだから」

 それだけじゃない。あんな重そうな皿を持てる事が信じられない。おばあさんはお母さんが働く店にいつも訪れていたけど、商品を持つだけでも苦しそうだったのを何度も見た事がある。

「あ、ごめんなさいね。今は使徒様を出迎える準備中だから、積もる話はまた後でね。……ほら、チコちゃん、戻りなさい」

「そうだぞ、チコちゃん」おじさんも割って入ってきた。「再会した気持ちはわかるけど、今は準備が先だぞ。〝使徒〟様が来られているんだからな」

「……はぁーい」

 チコはおばあさんとともに、しぶしぶ元の場所へと戻っていった。

「さ、行くぞ」

 歩き出そうとした時、テムが別の方向を指した。

「あの、あれ、何をしているんですか?」

 ゴツい男の人達が木の板を持って大工作業をしている。

「ああ、あれは机を作ってるんだよ。下に残っていた建物の瓦礫などから使えそうな板を拾って組み立ててるんだ。でも、それだけじゃ不格好だから、」そう言っておじさんは、他の方向に指をさした。別の女性達が何か刺繍をしている。「テーブルクロスも作っているんだ。豪勢にもてなす為にね」

「あの男の人、でかいなぁ」

 テムが他の男性達より一回り大きい男性を見て呟いた。たくさんの板を豪快に運んでいる。私はその人を見て、何か引っかかるモノを感じた。

「そりゃそうだ、あの人は元戦士だからな」

 ──思い出した! 何年か前に来た、竜討伐部隊にいた傭兵だ!

 あの人だけじゃない。準備をしている人達をよく見ると、竜の討伐に行って戻ってこなかった人達がいる。あの怖そうな賞金稼ぎとか強そうな傭兵達が、和気あいあいと話しながら、机を作っている。いかつさは全然感じられない。

 ──おじさんが言っていた「改心した人達」って、もしかしてあの人達の事?

「あの、マズローさん」テムが、おじさんに向かって不安そうに尋ねた。「ここって、食料無さそうですけど、どうやって調達しているんですか? 何やらパーティーやるみたいな雰囲気ですけど、そもそも食べ物が無いと、おもてなしする意味ないんじゃ……」

「ああ、それは、神様が与えてくださるんだ」

「へ?」

「神様だよ。俺達の貧困を救ってくださった偉大なる神様が、その力で食べ物を作って、いや、食べ物を作りだす事の出来る魔石を作ってくださったんだ」

「え、え?」

「なぁに、戸惑う気持ちは分かるが、もうすぐ分かるさ。リュネちゃんも、テム君……だったな。君も偉大なる神様の奇跡を、使徒様を通じて見る事が出来るさ。だから、安心しなさい」

 おじさんは満面の笑みで返した。


 大広間を通り抜けると、松明の無い、暗く短い通路についた。大広間に入る時と同じように、豪華そうな刺繍がほどこされた布が入口を塞いでいる。

「ここから先に、神様を模した像を祀っている。神聖な場所だから、大声や余計なお喋りは禁止だぞ」

 おじさんは厳しい表情で言った。私もテムも、ピリピリとした雰囲気に姿勢を正した。

「あの、」テムは我慢できなさそうに口を開いた。「神様とは、どのようなお方なんでしょうか……」

「こらっ」おじさんは小声ながらも鋭く一喝した。「声が大きすぎる。我ら神様の像は繊細なんだ。その声で少しでも傷がついたらどうするっ」

「ご、ごめんなさい」

 テムは小声で謝った。

「そのくらいで良い。それより大きな声で喋っちゃダメだぞ」

 おじさんの表情が少し和らいだ。

 私には、〝神様〟の正体が見え始めていた。でも、信じたくない。おじさんだって、あの竜によって鉱員の仲間を失い、竜に対して恨みを言ってはお酒を呑んでいたのを見た事がある。そんな人が変わるなんて、あり得ないと思っていた。だけど、おじさんの話を聴けば聴く程、飲み込まないといけない程苦しくなっていった。

「入るぞ。失礼ないようにな」

 おじさんは布をめくり、私達に入るよう促した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る