10 Ⅱ‐5
「行き止まりだ……」
私もテムも落ち込んだ。危ない思いをして更に先に進んだら、その先には、昔の爆発事故で出来たと思われる、盛り土のような壁があった。
「この先に何かありそうだけど、スコップやツルハシでは無理そう……」
「やっぱり、戻るしかないか……」
テムは溜め息を吐き、方向転換した。
──今しかない。
「テム、あなたは何を知ってるの?」
テムがピタリと立ち止まった。
エイから知っている事全てを訊き出せない以上は、テムに尋ねるしかなかった。テムはエイ程知っているようには思えなかったけど、モヤモヤした気持ちを持ちながら歩く事にこれ以上耐えられなかった。
「何を、っていうのは……」
「あの竜の事よ」
テムはこちらを振り返った。明かりに映し出された表情は、困惑しているのが明らかだった。
「……それは、何から話せばいいのか……」
「それなら、あの竜がどうして現れ、何の目的であんな酷い事をしているのか、知っているのなら話して」
テムは無言になった。言いたくなさそうだ。
「エイからなるべく言わないようにって、言われているけど……」
「いいから話して!」
歯切れの悪い回答に、思わず叫んでしまった。坑道内で私の声だけが響いた。
「……僕も、エイから全部聞いた訳じゃないけど、それでもいい?」
「ええ」
私は頷いた。少しでもこのモヤモヤが解消出来たら、それでいい。
「……あの竜は、僕達か探している例の人が、別の何かを変化して創ったそうなんだ」
あの人……。私は直感した。
「家で見せてくれた、あの全身黒い人の事?」
テムは頷いた。
手の甲に例のマーク──〝Ⅳ〟を持つ謎の人物。人の姿をした人ではない存在。いきなり謎の存在が話に現れたので、余計に分からなくなった。
「本来、この世界に存在していないはずの竜が現れた原因は、あの〝存在〟が関わっている可能性があるって、エイが言ってた」
「何で、エイはそう考えたのか、訊いたの?」
「その僕達が探しているその人は、この世界で唯一、歴史を書き換え、あり得ない事を起こさせたり有るべきモノを消したりする力があるから、そう考えるのが一番自然だ、って」
「まさか、そんな事が本当に──」
「いるんだ! 僕はそいつに、家族やみんなを殺された! お父さんも、お母さんも、誰もがあっという間に……」
いきなり感情をぶつけるテムに、思わず一歩引いてしまった。さっきよりも叫びが大きいし、こんな表情を見たのは始めてだ。
「テム……」
「その上に、僕は、僕は……」
テムは感情を吐き出すように拳を降った。その勢いで思わず、持っていたランプを落とした。
「あっ!?」
ランプは音をたてて割れた。ガラス瓶の中から油か漏れだし、燃えるロウソクから伝うように引火した。
「しまった、ごめんなさい!」
テムは屈んで、火を消そうとした。
──あれ? あれって……!?
「逃げて!」
私はテムの腕を引っ張り、壊れたランプから急いで離れた。ランプの火が赤い石に伸ばそうとしてる。
「ど、どうしたんですか!?」
「あそこに魔石が! 引火して爆発する前に、逃げな──」
その途端、轟音が坑内に響く。どんな音なのか文字に出来ないほどで、耳が壊れそうだ。
私は起き上がった。身体中が痛いけど、無事だ。テムも大丈夫そうだ。私もテムも、土まみれになっていた。持っていたはずのもう一つのランプは、さっきの衝撃で吹き飛んでしまったみたいだ。
土埃が辺り一面広がっていて……。
──あれ、何だか明るいような……。
「はぁ、危なかった……、ん?」
立ち上がったテムの目線を辿ると、明かりが差し込んできた。いや、それだけじゃない。空気がだんだんと冷たく感じるし、何か白いモノが……。
「雪、雪だっ。リュネさん、これ、雪だ!」
土埃が消えた時、奥から曇り空が見えた。強い吹雪の音が、否応なく耳に入ってきた。
雪は思った以上に積もっていて、足首まで容易に埋もれる程だ。
外から、真横に連なる雪山が見えた。右上がり気味に段々と高くなっている。そして下はくぼんでいて、細い川が流れていた。
私とテムは穴から出て、その光景を見ていた。穴から出た先は、広い山道になっていた。冷たい風が頬に当たった。
「こんな道、あったかな……?」
テムが周りをキョロキョロと見回している間、私は考えた。
鉱山の外側に山道があるなんて、聞いたことが無い。雪でほとんど消えているけど、良く見ると私達とは別の足跡らしきものがある。つい最近、誰かがここを通ったみたいだ。エイの足跡にしては、大きすぎる気がする。
──私達以外に、誰かいる……。
「どうしたんですか、リュネさん?」
「これ、追ってみましょう」
私は歩き始めた。
「え、ちょっ、ちょっと!?」
また同じようにテムに引き止められたけど、振り切って進む事にした。
早くも後悔した。足跡は途中で消えていて、いつの間にか広い雪原の中を迷ってしまった。かなり吹雪いているから、自分達がつけた足跡も消えてしまい、歩いてきた道も消えてしまった状態だ。
防寒具自体も冷たくなり、全身が寒さで凍りそうだ。肌も喉も潤いがなくなっていく。雪がたくさんあるのに、乾いていくのを感じる。持っていたお湯も一瞬で冷水になり、すぐに底をついた。それなのに、テムは平気そうだ。全く飲んでないのに。
私は、雪原にある岩に座って休んだ時、テムに謝った。
「本当に、ごめんなさい……」
テムは、溜め息で返事をした。その息は白い蒸気になって、すぐに空中に溶けた。
「とにかくどこか、安全な場所を探しましょう。まずはこの寒さをしのげる場所を……」
だけど、まわりには目印になりそうなモノすらない。視界はいいけど、雲の白と雪の白だけの、真っ白な世界だ。だからって、この防寒具すら効かない寒さの中に居続ける事なんて出来ない。また喉が乾いて、冷たくなる。
「そうね、ここから……」
「伏せて!」
いきなり、テムか雪の中に埋もれるように倒れた。
「な、何──」
「いいから伏せて!」
私もテムと同じように倒れた。
「頭も伏せてください!」
テムが小声で叫んだ。
「い、一体、どうし……」
その時、吹雪とは違う、風を切り裂くような音が耳に入ってきた。
──竜!?
間違いない、羽ばたきの音だ。私の中の恐怖心が暴れ出した。
──身体、凍ってないよね……?
羽ばたく音を聞く度に、身体が内側から冷たくなっていく。血が凍って止まるんじゃないかと思ってしまう。雪に顔をうずめているから、視界は白一色で、感覚がなくなる程冷たい。何だか、雪と同化しそうになる。
──お願い、早く去って!
だけど、音は止まない。大きくなったかと思うと、小さくなったりもする。辺りをうろついている。
喋りたい。でも、喋れない。動きたい、でも、動けない。眠りたい。でも、眠れない。
レールから落ちそうになった時とはまた別の感覚で、生きた心地が全くしない。
いつまで、待てばいいんだろうか──。
──あれ? 音が、聞こえなくなった、ような……。
どの位時間が経ったんだろう。耳をすましてみると、羽ばたく音が完全に消えているのに気がついた。私は起き上がって、辺りを見回した。……雪と曇り空と、テム以外には何もない……!
「行った……!」
テムを起き上がって、辺りを見回した。周り全てを確認すると、強張った顔が緩んだ。
「良かった……、気がつかなかったようですね……」
その言葉を聞いて、やっと安し──。
「危ない!」
「へ?」
突然、横に倒れた。同時に、赤い光が視界の端に入ってきた。全身寒いのに、足元が熱い。足から先を見ると、炎の帯……。
「早く、立って!」
訳も解らず立ち上がった。テムが私の腕を引っ張り、私は無理矢理歩かされた。
「な、何──」
「竜だ!」
後ろの空を見ると、白い何か──竜だ! 竜がこちらを見ている!
「逃げましょう!」
その時、竜が翼を広げ、飛んだ。──こちらに向かってくる!
「全速力で!」
分かっている。でも、これで全速力だ。踏むとすぐに雪に埋もれるから走りにくいし、空飛ぶ竜のほうが速い。いや、速いのに、私達の速さに合わせているように見える。ときおり、私達を見下ろしながら、グルグル回っている。
グァァァァァッ!
咆哮と同時に、炎を吐いた。テムと共に真横に方向転換したので、直撃せずに済んだ。炎が直撃した場所を見ると、大きな穴が空き、その中に溶けた水がお湯となってたまっていた。まるで露天風呂──昔、鉱員達の憩いの場として存在していた大きな浴場──のようになった。
「僕達を殺す機会を伺うために、速度を合わせているみたいです! 方向変えながら走りますから、転ばないように注意してください!」
そう言うと、また真横に方向転換した。そして炎の帯が横切り、穴が出来た。
炎が来そうになったら真横に方向転換、炎が来そうになったら真横に方向転換、炎が来そうになったら真横に方向転換……。これを何度も繰り返していった。私達が駆けた跡には、大きな水溜まりがあちこち出来ていた。
「きゃっ!?」
足がもつれて、転んだ。さっきまで顔中に雪をつけていたから、冷たい感覚が完全に麻痺していた。
「うぅ……」
「早く立って!」
グァァァァァッ!
「危ない!」
またいきなり腕を引っ張られ、立ち上がって走らされた。私が倒れた所は、あっという間に穴に──。
「ヒャァッ!?」
「うわぁっ!?」
──何!? 空と地面が入れ替わり続けて……。 そうか、今、坂を転がってるんだ!
そう気づいても、転がる勢いを止める事が出来ない。舌が噛み切れそうだ。
「キャアアアアアア……」
「うわああああああ……」
「う……、あれ?」
目が覚めると、平坦な雪原にいた。顔がかゆい。しもやけを起こしているみたい。
「そうだ! 竜は……」
急いで辺りを見回した。まだ吹雪いているけど、視界は悪くない。
──いない! 良かった……。エイは!? ……あそこだ!
エイが五歩先に倒れているのを発見した。急いで駆け寄って、起き上がらせた。
「大丈夫で──」
「だ、大丈夫です。ご心配おかけしました……」
テムの顔は、無事だった。いや、無事というより、全く変わっていない。私の顔は雪や冷たい風に当たりまくったから、多分しもやけで赤くなっているはずだ。とてもかゆい。なのに、テムは完全に白いままで、無傷だ。
「ほ、本当に、大丈夫そうね。良かった……」
「ええ、まあ、はい……」
テムは何だか複雑そうな表情だった。怪我が無いのは喜ばしい事なのに、どうしてだろう……。
日が、沈み始めている。白い景色はだんだんと暗くなっていく。
私とテムは歩き続けているけど、どこを歩いても雪ばかりだ。洞穴とかそういったものが、全く見当たらない。無限に同じ場所を歩いているみたいだ。
「このままじゃ、この雪山の中で野宿するしかないですね……」
テムはそう言った。私はこんな雪の中で夜を過ごす事なんて、考えたくない。あの時の恐怖が蘇る。それに、竜がまた私達の前に再び現れる可能性もあり得る。せめて、洞窟のような所に入れれば……。
「もう、ダメ……」
私は雪の上に座り込んだ。体力も気力も限界だ。竜から逃げた時に体力をほとんど使ってしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
前にいたテムが駆け寄ってきた。テムは息切れしていない。あれだけ走ったのに疲れていなんて、想像以上に体力があるのかもしれない。
「だ、だい、じょう、ぶ……」
「いや、大丈夫じゃないですよ、明らかに!」
すると、テムは持っていた荷物を前に移動させ、私を背負った。
「キャッ!?」
「とにかく、ここから移動しましょう!」
「ちょっ、ちょっと、これは……」
私が戸惑っているのも気がつかず、すぐさま歩き始めた。
正直なところ、ありがたかったし、嬉しかった。
とはいえ、私が楽をしていても、同じ景色を歩いているのには変わらなかった。当たり前の事だけど、それを実感すると、絶望が心の中を刺す。
「う〜ん、一体、どこへ行けば……」
テムは全く疲れを見せていないし、歩みは同じ速度のままだ。だけど、安全な場所に着かなければ、意味がない。
「……あれ?」
「どうしたんですか、リュネさん」
「ちょっと、降ろして。大丈夫だから」
私はテムから降りると、すぐに走った。
「ど、どうしたんですか、いきなり」
「……あそこ、見て」
私は、それを指した。
「あれ、洞穴!?」
しかも、大きな洞穴だ。出入口は私達よりも大きい。
「ここなら、竜に見つからないはずだし、雪風もしのげる!」
「ええ、そうね!」
私もテムも、はしゃいで喜んだ。さっきまで残っていた私の疲れが、一気に吹き飛んだ。
「行きましょう!」
「ええ!」
喜んでいたその時、吹雪とは違う何かが耳に入ってきた。
「……い、誰かいるかぁー?」
私達は突然の男の声に驚いた。エイの声じゃない。だけど、どこかで聞いた事がある声だ。洞穴からみたいだ。
「ここに、いまーす」
テムがその声のほうに向かって手を振った。誰かがこちらに向かって来る。その姿は、遠すぎてよく見えない。
「そこで待ってろぉ〜」
シルエットがハッキリとして来た。間違いなく男の人だ。もうすぐこちらに着く。
「良かった、無事だ……、て、リュネちゃん!?」
「おじさん!?」
自分の目が信じられなかった。
最初の生贄になって亡くなっていたはずのマズローおじさんが、目の前にいる事が。
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