08 Ⅱ‐3

 私はお父さんの制止を振り切って、シリーを探しに走り回った。周りが火の海でも、死体があちこちに転がっていても、とにかく必死に探し回った。

 無我夢中で走り回っているうちに、やっとシリーを見つけた。シリーは立ったままワンワンと泣いていた。

 私が急いで駆け寄ると、シリーの近くに、お母さんが座り込んでいた。足を抑えながら痛がっていた。

「ど、どうしたの、お母さん!?」

「あ、足首を、ひねって……」

 私はパニックになりながらも、助けたい一心で、お母さんを引っ張った。しかし、子供の倍もある大人を引っ張るのは、当然不可能だった。背負ったりもしたけど、やっぱりダメだった。

 私はどうすればいいのかわからず、妹に影響されたのもあって、泣きじゃくった。自分は何も出来ない事に、悔しさを感じた。お母さんは先に逃げるように言ったものの、そんな事は出来なかった。


 グァァァァァッ!


 突然、大きな唸り声が聞こえた。あまりの大きさに、私もシリーも泣き止んだ。

 ──あの竜が、私達の方へと向かってきている!

 竜はゆっくりとしたペースで進んでいた。どうやらこちらには気付いていないようだったけれど、竜の進む先には、私達がいる。いずれ間違いなく私達に気がつくかもしれない。

 私は必死でお母さんを連れていこうとした。さっきよりも少し動かせたけど、やっぱりダメだった。シリーに先に逃げるように言ったけど、泣きながらも一緒に手伝ってきた。しかし、それで動かせたのは、蟻の身体ぐらいの長さだけだった。

 その間にも、竜は刻一刻と近づいてくる。地鳴りが大きくなる度に、恐怖が増していく。

 ──はやく、はやく!

 焦りだけが先走っていた。

 ──どうか、動いて!

 でも、動かせられない。

 ……助けて!

 そう願った途端、急に軽くなった。

「大丈夫か!?」

 後ろから、お父さんが現れた。お父さんは、お母さんを背負い、私達を心配そうに見ていた。

 私は驚きつつも頷いた。すると、お父さんは「逃げるぞ!」と言って、速足で駆けていった。私もシリーを手を引っ張り、父の後を追った。

 ──良かった、これで……。


 ……ドッ……。

 ドッ。

 ドッ。

 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドドドドドドドドッ!


 ──う、嘘っ!?

 竜の脚の動きが速くなっていく。明らかにこちらに向かってきている。

 ──き、気づかれた!

 この時の私は、恐怖を通り越して生きている心地が無くなっていた。

「全速力だ!」

「キャアァァァァァッ!」

 そう言うと、お父さんは更に速めた。私もシリーも精一杯速く走った。

 だけど、竜のほうがもっと速かった。その巨体を揺らしながら、確実に迫る。

「もっと、速く!」

 お父さんは息を切らせながら叫んだ。それどころか、もっと遅くなっていった。私もシリーも、体力の限界が来ていた。

 その時、お父さんの脚が止まった。私もシリーも、それに合わせて止めた。どうして止まったのか訊きたかったけど、話す体力が無かった。

 すると、お父さんは、背負っているお母さんと何か話をし始めた。良く聞き取れなかったが、お母さんの表情が途端に青ざめていった。お母さんは何か反対しているような事を言っていたが、お父さんは決意したような表情でお母さんを説得していた。その間にも、竜はこちらを追って来ていた。

「おどうざぁん、おがあざぁん!」

 シリーの悲痛な叫びは、竜が起こす地響きでかき消された。私は死を覚悟した。

 すると、話し合いが終わった。お母さんは何か諦めたような表情になり、下ろされた。身軽になったお父さんは、屈んで私の眼を真っ直ぐに見た。

「リュネ、シリーを頼んだぞ。お前が妹を護ってあげてくれ。お母さんも、頼む」

 お父さんが私の両肩を叩き、抱擁した。何が何だか分からないうちに、今度はシリーも一緒に抱いた。

「……お父さん?」

 抱擁が終わると、お父さんは名残惜しそうに私達を見た後、竜を見た。その手には、雪の塊を握っていた。

「……うおおおおおおっ!」

 お父さんは叫びながら、竜がいる方向へと走っていった。

「お父さんっ!?」

 私がお父さんに駆け寄ろうとすると、急に身体が動かなくなった。

「ダメッ!」

 お母さんが、私を必死に抑えた。

「お父さんはおとりになったの! 行っちゃダメッ!」

 当時の私には、「囮」なんて言葉を理解できなかった。だけれども、お父さんが何か危ない事をするのだけは分かった。

「誰かが私達を見つけるまでは、大人しくするのよ!」

 そう言って必死に抑えつけた。私は抵抗したけれどもダメだった。お母さんの身体が弱くても、大人の力は子供に敵わない。私はそれで叫んだ。

「お父さん、お父さぁーん!」

 お母さんに口を塞がれても、抵抗した。お父さんの姿が小さくなっていくごとに、抵抗する力も大きくなっていたが、それでも敵わなかった。

 立ち尽くしていたシリーが泣き出すと、お母さんが私と一緒に引き寄せ、身体で口を抑えた。目の前が真っ暗になった。

 何も見えず、息が出来ない時間がしばらく続いた。その間、様々な音が次第に小さくなっていったように感じた。多分この時、お父さんは竜の前に来て、引きつけていたのだと思う。

「……い、人がいるぞ!」

 しばらくすると、知らない声が聞こえてきた。助けが来た!

「ここです、助けて!」

 お母さんが叫ぶと、視界が開け、呼吸が出来るようになった。見ると、村の男性が何人も心配そうに駆け寄ってきた。

「た、助けて、お父さんが……」

 突然、男の人に持ち上げられた。私は戸惑っていると、シリーも持ち上げられ、お母さんはおんぶされた。

「な、何するの!?」

 男達はそのまま、私達とともに竜から逃げて行った。

「今のうちに、ここから逃げるぞ!」

「ま、待って! お父さんが……」

 ふと、竜がいる方向を見ると、近くに人影が見えた。

「こら、暴れちゃダメだ!」

「お父さん!」

 間違いなくお父さんだ。私はその人影に向かって叫んだ。雪をその竜に何度も投げつけている。

「大人しくするんだ!」

「ねぇ、あそこにお父さんがいるの、助けて!」

 私は、私を抱えている男性の身体を叩いた。しかし、男性の脚が遅くなる事が無かった。

 ふと、シリーを見ると、竜を見ながらワンワンと泣き叫んでいた。お母さんのほうは、目を瞑りながら、何かを呟いていた。

「お父さん、お父さぁ~ん!」

 私は涙を流しながら叫んだ。何度も何度も叫んだ。竜もお父さんも、どんどん遠ざかっていった。

 すると、竜の頭が人影に向いた。頭を勢いよく振り上げた。

「お父さ──」

 竜の頭が振り下ろされた途端、炎を吐き出した。お父さんの姿が、燃え盛る赤い光に包まれた。


「……そうしてあの村に逃げ込んで、今に至るの。聴いてくれて、ありがとうございます」

 私は、頭を下げた。

 今、私達は鉱山の入り口前にある簡素な建物の中で暖をとっている。そこはかつては門番の住処だったが、今では生贄を運ぶ人達の休憩地点になっている。机と椅子と小型の魔石使用タイプの暖炉しかない簡素な建物で、三人入ると狭い場所だったが、雪も風も入らないだけ快適だ。

「うっ……うう……」

 テムが俯いて声を押し殺してた。……泣いている?

「か、感動するような話じゃないから、そんな泣かないで!」

 テムが顔を上げた。悲しい表情をしていたけど、涙を流してはいなかった。

「いろいろ、苦労していたんですね……」

 涙を流してはいなかったけど、涙声で答えた。本当に感動しているようだ。

「妹を大切にしているのは、お父さんが最期に言った事を大切にしているからなんですね……」

 私は、少し照れながらも頷いた。

「それだけではない」

「えっ?」

 無表情で聴いていたエイが喋り出した。今まで置物みたいな存在感だったから、突然の発言に驚いた。

「貴様自身が、その亡くなった父親の代わりになろうとしているのではないか」

「えっ……?」

 唐突の質問に、答えられなかった。

「確かに貴様の行動は、妹を第一に考えたものだった。妹が生贄にされそうになったら、自分が代わりになった。だが、それだけではない。村の者達に取り囲まれた時、貴様の母親が生贄になると主張したら、自分の責任だと言って、母親に罰が当たらない様にした。行動が一種、親に近い」エイは一度区切るように一呼吸した。「だが、父性的要素は薄いから父親と言うと厳密に同じとは言えない可能性が高い。家族のリーダーと言うほうが正しいだろう。父親が今まで家族のリーダーだったが、亡くなったため、自分が代わりになろうとした。私は貴様の話を聴いて、そう考えた」

「え、ええと、その……、そうなの、かな……?」

 テムが溜め息を吐いた。

「エイ、変な空気になっちゃったじゃないか……」

 エイの言っている事は良く分からなかったけど、少なくとも馬鹿にする気が無い事は理解できた。だけど、この変に沈黙した空気は……。話題を変えないと。

「……そういえば」

「どうした」

「二人は、今までどんな所を旅したんですか? 私、この地方より外に出たこと無いから、すごい気になります」

「う~ん、色々と旅したからなぁ~」

 テムが考え込んでいる。私の想像している以上に、色んな所へみたいだ。

「砂漠とか、草原とか、火山とか、ジャングルとか、西の王国とか……。あと、幽霊船に乗ったりもしたなぁ」

「ゆ、ゆうれいせん?」

「あ、そうか。フロイル地方には海がほとんど無いから、知らないか。海の上に浮かぶ無人の船で、幽霊が出るって噂があったんだ。僕達は偶然、それに乗った事があるんだ」

「へぇっ、すごい!」

 海なんて、生まれてこのかた、生で一度も見た事が無い。本の挿絵とかでしか見た事が無い。幽霊は好きじゃないけど、そんな自分の知らない所へ行った二人に、尊敬を感じる。

「まあでも、実際には幽霊じゃなかったんだけどね……」

 いきなり、テムが伏し目がちになった。

「あ、ごめんなさい。何か嫌な事を思い出させてしまっちゃって……」

「い、いえいえ、気にしなくて大丈夫ですよ。ハハハハハ……」

 本当は興味があったからもっと訊きたかったけど、あまりにも暗い表情だったので止める事にした。

「さて、」突然、エイが立ち上がり、窓の外を見た。「風が落ち着いたな。行くぞ、テム」

「うん」

 テムも立ち上がった。二人は脱いでいたコートを着始めた。私も立ち上がろうとすると、テムが手の平を見せて止めた。

「待って、リュネさんは、ここに残っていてください」

「え?」

「敵は強大ですから、万が一リュネさんに被害が及んだら、ご家族の方に何と……」

「いえ、私も行きます」

 私は勢いよく叫んだ。

「自分の身くらいは、自分で何とかしますから、お願い!」

 私はテムの眼を直視した。テムは明らかに戸惑っているのが分かった。

「それに、あの男から、竜を倒した証拠を持ってくるよう言われてるんです。どうしても、それを持っていきたいんです」

「それはこっちで……」

「問題無い」

 エイが会話に割り込んできた。この人はいつも唐突に入ってくるから、ビックリしてしまう。

「ここで死ぬ運命では無いのだから、過度な行動を慎んでくれれば、何の問題も無い」

 また、〝運命〟……。

「だけど、エイ。相手は竜だけじゃないかもって……」

「だとしても、あの〝存在〟が直接手を下さなければいいだけの事だ」

 テムはそれでも不安そうだったが、「分かった」と了承した。

「早く準備するぞ。運命が変質する前に──」

「……ねぇ」

「どうした」

「〝運命〟って、何ですか」

 二人の動きが止まった。

「エイ、あなたはよく、運命、運命って言っているけど、一体、どういう事、ですか?」

 テムは慌てていたけど、エイは相変わらず毅然としていた。

「本来あるべき事象、本来刻まれるべき歴史、それが〝運命〟だ」

「そういう事じゃなくて、」私は堪えきれず、叫んだ。「私が訊きたいのは、あなた達は、何を知っているんですか」

「何を、とは」

「生贄の事です!」

 私の語気がだんだんと強くなっていった。しかし、エイは相変わらずの態度だった。

「もしかして、生贄の事も、私が生贄になってた事も、最初っから知っていたんじゃないですか? だって、予備の防寒具なんて、やっぱりあり得ない。それに、初対面だったにも関わらず、テムは私の名前を言いかけてましたね」


 ──よろしくお願いします。リ──。

 ──貴様の名前は?


 あの時は気にしなかったけれど、今考えると、あれはテムが私の名前を知っていて、思わず言いかけたところを、エイが遮ったとしか思えない。

「それに、エイも、私に家族がいる事、知っていましたよね」


 ──……この村に宿は無いですし、この寒い中で野宿なんて自殺行為です。それに、助けていただいたお礼がしたいです。だから、是非とも私の家に……。

 ──しかし、貴様には家族がいる。余所者の私達をどう説明する。


「私が泊めさせようとした時、『家族がいる』って、断言していたですよね」

「大人には見えなかったからだ。そんな女の子が、一人であの雪道にいたなんて、普通ならあり得ないと思ったからな」

「確かに、私は大人とはいえない身体だから、家族がいてもおかしくないかもしれない。でも、竜の被害で家族のいない孤児がいっぱいいる事も知ってたですよね」


 ──三年前に白くて大きな怪物が現れ、それから一年中雪が降るようになった、と。そして、人々の生活が苦しくなり、死者が軒並み増えているとも、身寄りのない子どもや家も職も持たない大人が増加しているとも、な。


「それなのに、何で私が孤児の可能性である事を考えもせず、家族がいるって断定したんですか? やっぱり、あなた達は、何か知っているんですか。……何を知ってるの、答えて!」

 テムの動揺は半端ではなかった。暖かいはずなのに、身体は震えっぱなしだった。しかし、エイは微動だにしない。

「リュ、リュネさん……、それは、その……」

「知っていた」

「エイ!?」

 エイの平然とした回答に、私は呆気にとられた。

「貴様の名前も、家族の存在も知っていた。貴様があそこで倒れる事になるのも、知っていた」

「なら、生贄の事も知っていたの?」

「そうだ」

 エイは動揺すること無く、冷静に、そして淡々と答えた。

「だったらどうして、知らないフリをしていたの?」

「本来、部外者が知るはずの無い事だ。それを知っていたとしたら、不信がられてしまう。下手すれば、運命すらも変わりかねない」

「だから何なの、その〝運命〟って!」

 私は思わず机を叩いた。そして速足でエイの目の前に来て、睨んだ。

「一体、どこまで知っているんですか? 全て、何もかも、洗いざらい全部話して!」

 エイは怯む事も無く、かといって見下す事も無く、ただただ私を見ていた。近くにいたテムは、戸惑うだけだった。

 一瞬で、沈黙になった。暖炉内の魔石から放つ火の音だけが部屋中に響いた。私はエイの眼を真っ直ぐ見たまま、動きを止めた。

「今は時間が無い」この沈黙を破ったのは、エイだった。「歩きながら、話せる限り全てを話そう」

 そう言うと、すぐさま私から離れだした。

「ちょっと!?」

「言っておくが、」エイは玄関のドアノブに手をかけた。「私にとってその事を告白するのは、全く重要ではない。今の時点では、貴様が私の話を聴いて、信じようとも信じまいとも、運命が変わる事は無いからだ。重要なのは、竜を倒す事、そして、あの存在を消す事だ」

 そう言うと、素早く外へと出ていった。

「あっ、ちょっと!?」

 テムはついていこうとしたが、急に立ち止まった。外と私を交互に見て戸惑っていたけど、結局外へ出ていった。

 ──何なの、一体!?

 たくさんの疑問と苛立ちが頭の中で詰め込まれていく。だけど、立ち止まっている時間は無い。少しでも遅れれば、シリーとお母さんの命に関わる。

「待って!」

 私は急いで……、その前に暖炉内にある火系魔石を専用の鉄棒で砕き、火の勢いが無くなっていくのを確認してから、外へ出た。

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