05 Ⅰ‐5
グァァァァァッ!
「に、にに、逃げろぉっ!」
村人達が悲鳴をあげ、散り散りになった。白い竜が咆哮をあげると、地面は揺れ、木はしなり、家はヒビが大きく入った。その衝撃で、転ぶ者もいた。
竜はその大きな巨体を回した。木の幹よりも太い尻尾が、逃げ遅れた村人達を吹き飛ばした。
今度は大きく吸い、すぐさま息を吐きだした。息は夕焼け色に変わり、大きな炎の嵐と化した。その先にいた村人達が、一瞬で炭と化した。木や家は勢いよく燃え、中には跡形すら無くなったものもあった。地面の雪は一瞬で溶け、黒い土がハッキリと見えた。
竜はあちこちの方向で炎を吐き続け、あっという間に村は真っ赤な炎に包まれた。村人達の悲鳴は、すぐさま燃える音にかき消された。
この村は、もう平和ではなくなった。
あの惨劇が再現されている。
私は身体を震わせつつも、家族の元へ逃げようと必死になった。感覚の無い脚はもたついたが、それでも必死に動かした。
「シリーッ、お母さんっ!」
二人のもとについたと同時に、私は抱き合い、泣いた。だけど、その分かち合いは、轟音と共に一瞬で終わった。
竜は右往左往に暴れている。地響きを起こし、逃げ惑う村人達を踏み潰し、なぎ払い、炎を浴びせている。私もシリーもお母さんも、その光景に唖然としていた。特にシリーは、恐怖のあまり漏らしてしまい、雪を溶かした。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
横から、テムが心配そうに声をかけてきた。家族揃って頷くと、テムは安堵した。
「あれ、そういえば、エイは? リュネさんと近くにいたはずですが……」
──そうだ! 逃げる前まで、隣にいたのに、置いてけぼりにした!
慌ててさっきまでいた場所に振り向いたが、エイの姿はいない。
「エイはっ!?」
「キャッ!? ……ヴェェェンッ」
シリーが泣き叫んだ。
「ちょっと、シリーを驚かせないで!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
テムが何度も何度も頭を下げた。あまりにも必死過ぎて怖かった。
「そ、そんなに謝らなくてもいいですから!」
「ご、ごめんな……、えっ!?」
「一体、どうしたの?」
「あ、あそこ……」
テムが指した方向を見ると、エイの後ろ姿が見えた。エイの行く先は、間違いなくあの白い竜がいた。テムは身を乗り出して叫んだ。
「エイーッ! いくら何でも、無茶だよぉっ!」
エイは剣を持っていたので、そのただならない雰囲気も含めて、戦いの出来る人だとは思っていた。しかし、対峙する竜は、屈強な戦士や傭兵達が戦いに挑み、二度と帰ってこなかった程、強い。たとえ強さを知らなくても、あの姿を見たら明らかだ。それなのに、あんな化け物をたった一人で挑もうだなんて、狂ってる。──いや、そんな事を考える場合じゃない!
「叫ばないで! こっちに気がつかれたらどうするの!」
竜は私達を背にして暴れていたが、さっきの叫びが聞こえたのか、こちらの方向に振り向いた。身体が一瞬止まったが、よく見ると、竜の視線は、ちょうどエイの方に向けていた。
「エイッ!?」
テムが叫ぶと、つられたように竜がまた咆哮をあげ、強風を巻き起こした。エイに直撃し、周りの瓦礫が吹き飛ばされた。しかし、エイはただ平然と直立しただけで、風が止むと再び歩き出した。
私もテムも引き止めたかったが、竜とエイの距離は既に竜の尻尾が当たる射程範囲内だったため、動けなかった。私に至っては、家族が怯える様子を見て、そんな事が出来る訳がなかった。
「あなたの仲間、大丈夫なの!?」
テムは無言になり、考えていた。何か悩んでいるようだったが、すぐに決意した表情になって、私の目を真っ直ぐに見た。
「あの竜に敵うかどうかわからない。けど、エイは死なない……と、思う」
「え?」
テムは真面目な表情でこちらを見ている。本気で言っているのがわかった。
「何言ってるの!? 今まであの怪物と戦って生き残った人なんて一人もいない!」
「多分、大丈夫」テムは自信なさそうに答えた。「エイは、強い。誰よりも強い。だって、エイは……」
その時、竜が再び大きく息を吸い込んだ。真っ直ぐに向かうエイを睨んでいる。灼熱の息を吐く気だ!
「逃げ──」
竜が息を吐いた。エイが、灼熱に包まれた。私もシリーもお母さんも、目を瞑った。手遅れだ。
何かが焼ける音が、しばらくの間、耳の中へと入り続けた。私はエイが炭のように真っ黒になっていくのを想像した。
私は、恐る恐る瞼を開いた。
──いない!?
エイの姿は消えていた。影も形も無い。炭にすら、ならなかったのか。
「エイッ!」
テムがまた叫んだ。私は、テムが見ている方向をたどって、目を動かした。
「──ウソ!?」
竜の頭の上に、エイがいた。私はすぐさま目を擦って再度確認したが、間違いなくエイの姿だ。
エイはすぐさま剣を引き抜くと、竜の眉間に向かって、一気に突き刺す。だけど固い音を立てただけで、傷にはならない。
グァァァァァッ!
竜は頭を振り上げて叫んだ。私達四人は、また耳を防いだ。叫びはまた嵐に変わり、雪が粉塵のように飛び散った。
「リュネ、い、今、何が起こったの?」
無口だったお母さんが叫んだが、私には答えられなかった。今の私は、シリーと同じように、唖然としていた。すると、テムが代わりに答えた。
「今、エイがあの竜の眉間を刺したんです! これなら……」
竜の頭が下がった。エイがいなくなっていた。そのエイがいた眉間には、傷一つついていなかった。
「嘘……」
今度はテムが唖然とした。
「あの竜、こんなに硬いなんて……」
──もう、誰にも止められない。竜がここにいる限り、死ぬ。
絶望で力が抜けた。だけど私は、倒れそうになるのを堪えた。
すると、竜の頭が上下左右に暴れ始めた。よく見ると、あちこちで、銀色の三日月のような筋が、連続して出ていた。その筋は金属を引っ掻くような音をたてては消え、音をたてては消えるのを繰り返した。筋は必ず竜の身体中に当たり、その部分が一瞬へこんだりもした。
「な、何が……、竜が、あんな動きをするなんて……」
私よりも先に、お母さんが呟いた。
「今、エイが戦っているんです」
テムは、私達を真っ直ぐ見て答えた。お母さんは完全に理解できていない表情だ。
「な、何を言ってるんですか? エイさんの姿が、見えないじゃないですか」
お母さんの言う通りだ。私も見えない。
「エイは、人以上の速さで攻撃しているんです。正確にはちょっと違うけど……」
お母さんは信じられないと言った。私もそうだと答えた。シリーは何が何だかわからず、鼻水とヨダレを垂らしたけど、ポカーンとしたまま止まっていた。
だけど、今、見ているのは、紛れもなく現実だ。夢じゃない。地べたの雪の冷たさも、灼熱に包まれた建物から運ばれてくる熱気も、感じる事が出来る。
あの狂暴な竜が、翻弄されている。
異様な光景なのに、喜びがこみ上がっていく。心が昂っていく。
私はエイを応援しそうになるも、気持ちを抑えた。もし叫んで、竜がこちらに気づいたら……と、怖くなって抑えた。
突然、攻撃が止まった。同時に、エイが再び姿を現した。
「エイ、どうしたの!?」
テムが不安そうに叫んだが、エイこちらに振り向くことなく、直立不動で竜をじっと見ていた。
──あれだけの攻撃を受ければ、さすがに……。
そう思い、竜の姿を見た。
──傷一つ、ついていない!?
現れた時と、全く同じ姿だ。
「やっぱり……、もう、おしまいよ……」
お母さんがそう嘆くと、シリーが再び泣き始めた。お母さんは必死にあやしたが、なかなか泣き止まなかった。
──ダメ、しっかりするのよ、私!
そう自分に言い聞かせてみたけど、身体の震えが止まらなかった。
エイと竜は、睨みあいを続けていた。
どれくらい経ったのだろうか。
シリーが鼻水をグスグスとする音と、建物が燃える音以外は、何も聞こえなかった。
私達は、ただただ見守るしかなかった。
あの竜には、傷一つつける事が出来ない。
しかし、今頼れるのは、目にも見えない速さで動くあの男だけだ。
あまりに雪の上に座り過ぎてしまい、冷たさに慣れてしまった。
「そ、そうだ!」エイが突然叫んだ。「今の内に、逃げましょう!」
「そ、そうね!」
私はそこで、逃げるという考えを忘れていた事に気がついた。今は動ける。私は立ち上がろうとした。しかし、力が入らずこけてしまった。みんなが心配そうに私を見た。
「リュ、リュネ!?」
「リュネさん、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫よ、ありがとう」
私はお母さんの身体をよじ登っていくようにしながら立ち上がった。
グァァァァァァァァァァッ!
竜の叫びに驚き、また尻餅をついてしまった。立ち上がったのに、また……。
「翼を、広げた?」
テムの呟きで竜を見ると、翼を羽ばたかせて空高く飛んでいき、あっという間に空の彼方へと消えていった。
誰もが呆然として、竜が去っていった方向を見ていた。
竜がいなくなったと同時に、燃え盛っていた火は早々と鎮まっていき、ついに音もなくなった。冷たい風の音だけしか聞こえなくなっていた。
「お前のせいだ!」
突然の叫びに我に返った。見ると、ブローグが怯えつつ、こちらに向かって来た。後ろからも、生き残った村人達がついてきた。
「お前のせいだ!」「お前のせいだ!」「お前のせいだ!」
ブローグの手には、エイが切った杖先の魔石を握っていた。
いつの間にか、再び取り囲まれた。
「お前のせいだ!」「お前のせいだ!」「お前のせいだ!」
非難の声だけでなく、石や雪玉を投げつけてきた。私は必死でシリーをかばった。お母さんもかばいたかったけれど、自分の小さい体では覆いきれなかった。
「お前のせいだ!」「お前のせいだ!」「死んで詫びろ!」「お前のせいだ!」
身体に石や雪玉が当たる。痛い。でも、これくらい大した事じゃない。頭に硬い物が当たっても、私は涙を飲んで耐えられる。私が、家族を護らないといけない。叫ぶ気力の無い今は、これしかできなかった。
「ま、待ってください!」
一緒にいたテムが立ち上がって叫んだ。しかし、叫びも石投げも止む事が無かった。それでも懸命にテムは叫び続けた。
「こんな事しても、痛ッ、意味がな、イタタッ、意味ない、痛い!」
テムの身体中に石が止めどなく当たり続けたが、それでも叫び続けた。しかし、それでも石は止まない。
私の、せいだ。だから、私が、何とかしなければ。
立ち上がろうとしたその時、いきなり硬い音が何度も響き渡った。よく見ると、投げ落ちてくる石が全て跳ね返され、村人達の手前に落ちた。住民の誰もが驚いて悲鳴をあげ、投げるのを止めた。
私が唖然とすると、突然、エイが姿を現した。やっぱり、この男が止めたようだ。
「ブローグ、という者はどこにいる」
誰も答えなかった。エイは辺りを見回した。すると、いきなりある方向をジッと見ていた。
「そこか」
エイが一瞬で消えた。村人達が悲鳴を上げた。ザワザワし始めた途端に、エイが再び現れた。しかも、ブローグを掴んで。
「な、何をする!?」
ブローグが今までに見た事無い程戸惑っていた。ブローグが離れようとしていたが、エイが強く掴んで離そうとはしなかった。
「こ、これでも見ろ、見るんだ!」
ブローグが切れた杖先の石をエイに見せつけた。石が光る。
「言ったはずだ。私には、それは効かない」
テムは、ブローグが握っていた石を剣の柄で叩いた。杖先が雪の上に落ちると、一瞬で石が十字に裂かれて落ち、輝きを失った。魔力が無くなった証だ。
「あ、ああ……」
ブローグは目を見開いて、絶句していた。まるでこの世の終わりが来たかのような、絶望の表情がそこに現れた。その隙を狙って、ブローグを眼前まで引き寄せた。
「今から竜を討伐しに行く」
「……は?」
ブローグの眼は、滑稽なほど虚ろだった。
「それでだ。最低三日分の非常食を用意するよう、村人達に命令しろ。装備はこっちで用意しているから不要だ」
ブローグは戸惑っていた。私は思わず、いい気味だと心の中で笑った。
「な、わかったわかった。お前とその仲間の二人分を用意させてやる!」
「いや、」エイは私の顔を見た。「あの案内役の分だけでいい」
エイは私を指した。私は唖然とした。その眼は、輝きも感情も無く、ただ私を直視する。
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