03 Ⅰ‐3
「……」
「どうだ」
「多分、違う。あの男、手袋していないし、こんな印はなかった」
「そうか。……ご協力、感謝する」
エイは広げた紙をしまった。
「一体、その人は何者なんですか?」
「〝人〟ではない」
「え?」
「人の姿をしているが、人ではない」
エイの言っている事が、すぐには理解できなかった。
「人じゃないとしたら、なんですか?」
「不明だ」
「不明? ……どんな生き物かもわからないんですか?」
「生き物ではない」
「なら、幽霊?」
「幽霊でもない」
余計に分からない。
「……本当に、存在するんで──」
「いる!」
「ひっ!?」
テムが叫びに思わず身体がすくんだ。怒りの表情を見せ、身体を震わせている。
「僕は、こいつのせいで、こいつの……」
テムは俯いたまま、再び口を閉ざした。
「あの、ごめんなさい……」
「あ……」テムは気弱そうな表情に戻った。「い、いえ。こちらこそ、ごめんなさい」
「あの、どうして、」お母さんが、申し訳なさそうに会話に入ってきた。「その人──人ではないそうですが、その方を追っているのですか。良ければ、話してください。私も、力になりますから」
「私は、この存在を、消さなければならない」
エイがいきなり物騒な発言をしたので、私もお母さんも、思わず引いてしまった。しかし、エイは冷淡に話を続けた。
「この存在は、不条理、歴史を壊す異物、物語を改変する編者、そう言った存在だ。私は、その存在を消すために行動している」
その喋り方は、怒りや憎しみのような感情が無かった。まるで、ブローグに盲信する村人達と同じく、心の無い人間のようだった。
「そ、そうなんですか……」
エイの言いたい事が全く分からなかったけど、本気なのは間違いなかった。その言葉に、喋りに、迷いが全く無かった。
ドン、ドンッ!
突然、激しいノック音が家中に響いた。
ドンドンドンドンドンッ!
「ホエカ・ミカンドリー! そこに居るんだろ、開けろ!」
──あいつの声だ!
「お母さん、ゴメン、お願い!」
「え、ええ……。はい、お待ちください!」
お母さんが部屋を出ると同時に、私は急いで椅子から立ち上がり、すぐさまテーブルクロスを上げてテーブルの下に潜った。私はテーブルクロスの端を少し上げて隙間を作り、地面にへばりつきながら様子を見た。
不気味な程静かになったかと思うと、ドアが開く音が耳に入った。それと同時に、いきなり荒っぽい足音が聞こえてきた。その足音が近づく程、床が大きく揺れた。
「失礼するぞ」
──やっぱり、村長だ。
テーブルクロスと地面の隙間から、恰幅良い体型が見えた。一見偉そうだけど、村長とは名ばかりで、実際はブローグの媚びへつらいばかりする小者だ。
村長の後に従い、屈強な青年が二人入ってきた。いつもブローグを護衛している男達だ。という事は……。
「フン、何ともこじんまりとした家だな」
ゆっくりとした歩調で、ローブを羽織った老人が現れた。長いアゴヒゲと杖ですぐにわかった。ブローグだ。
「ブローグ様、申し訳ございません。この者達は裕福ではないので……」
村長が平謝りし続けた。その度に私と視線があいそうになったので、村長の視界に入らないよう、テーブルクロスを引っ張って少し下げた。
「おい、ここには立派な椅子はないのか。ブローグ様にこんな汚い椅子に座らせる気か」
「は、はい、用意いたします」
──偉そうに!
お母さんはいつもこの手の悪態に対しては苦手だ。心の中で謝り続けた。
ブローグたちがテーブルの反対側に移動したので、私も反対側に移動して覗いて見た。お母さんが謝りつつ、いつも使っている椅子に綺麗な布を敷いて、こちらへどうぞ、と促している姿に心が痛くなった。だけど、ブローグは私の目の前で勢い良く座った。椅子が小さく悲鳴をあげた。
「ミカンドリー、生贄にしたお前の娘が、逃げられた」
「え?」
「このままでは不測の事態が起こりかねん。どう責任を取るつもりだ」
「は、はい、その……」
お母さんは驚く演技がとてもわざとらしくて、見ていられなかった。こんな事をさせてしまっている自分の責任を感じつつ、この場から飛び出す気持ちを抑えた。
「ところで、そこのお前ら、何者だ」
──そうだ、私達家族だけじゃなかった!
「私の名はエイという旅の者です。こちらは私と同行しているテム」
「は、はじめまして……」
二人の声が後ろから聞こえてきた。──しまった、忘れてた!
「旅をしている最中に、ここに立ち寄り、こちらにお泊めさせていただいております」
──お願い、変な事喋らないで!
生きた心地がしなかった。胸がドキドキする。
「どうして、この村に来た」
「雪の中で迷ってしまいまして、偶然この村に立ち寄りました」
「門番がいたはずだが?」
「緊急事態で通してくれました。そしてたまたま、こちらにお世話になっただけの事です」
ブローグが後ろにいた村長や護衛の青年達と、何か小声で話し始めた。会話の内容が聞こえずどぎまぎしていると、あっという間に話が終わった。
「ホエカッ」後ろにいた村長が叫んだ。「どうして余所者を入れたんだ! 勝手に入れてはならないと、あれほど言ったであろうが! まず、我々に報告するのが先のはずだ!」
──そんな規則無い! 村長、また勝手に作って……!
「す、すみません。何だかお困りのようでしたので……」
お母さんの謝る声に、胸が痛くなる。──ゴメンナサイ、ゴメンナサイ!
「全く、そもそもあの門番達は仕事も出来ないのかっ!」
「おい、それは後にしろ」
「ああ、これはこれは、申し訳ございません、ブローグ様」
村長は気持ち悪い程媚びた声で謝った。あまりの声色の違いに、吐き気がする。
「それでだが、」ブローグが杖で床を叩いた。「お前達がこの村に来る最中、少女を見なかったか」
身体が強張る。──余計な事は言わないで!
「少女……」エイは長い間をとった。「いいえ、見ませんでしたよ」
「おい、ブローグ様に嘘をついていないだろうな!」
「もし、私達が嘘をついているのだとしたら、どうしますか?」
──ちょ、ちょっと、煽らないで!
「何だとっ!?」
「やめい」
村長が噛みつこうとして、ブローグに止められた。このようなやり取りはいつもの事だ。
「それならば、仕方あるまい」ブローグがゆっくりと立ち上がった。「変更だ。本来生贄のなるはずだった、お前の下の娘のほうを連れてい──」
「やめて!」
気がつくと、私は跳びだしていた。ブローグの脚を掴んだ。
「妹には手を出さないって、約束でしょ!」
「なっ!?」
村長は驚いたが、ブローグは反応しなかった。
「生贄に戻るから、手を出さな──」
「離れんかっ!」
突然、頭に衝撃が走り、吹っ飛ばされた。転がって壁に頭を打った。この時、私は蹴り飛ばされたんだとわかった。
「フン、やはりここに戻っていたか。まさかこんな近くにいたとは思わんかったがな」
ブローグが、私を見下してきた。杖で私の顔を何度も突いてきた。
「全員、外に連れ出せ。その余所者もだ」
「ハッ!」
私達は、あっという間に取り巻き達に動きを奪われてしまった。テムだけは抵抗したけど、男の恫喝に一瞬で戦意を失った。
「ママ~、どうし……」
何も知らないシリーが、私達を見て、立ちすくんだ。
「あ、あ」
シリーは呆然としたまま、持っていたぬいぐるみを落とした。
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