02 Ⅰ‐2

「エイさん、テムさん。娘を助けていただき、ありがとうございます」

 お母さんは涙を拭きつつ、何度も頭を下げた。

「いえ、こちらこそ、こんな丁寧にもてなしていただき、ありがとうございます」

 テーブルの上には小振りのパンと温め直したクリームスープが三人分並べられている、空腹だった私は、着替えるとすぐにがっついて食べた。

「……こら、リュネ。いくら何でも、その食べ方は……」

 ──お母さん、ゴメン。死ぬほどお腹が空いてるの……。

 そう思いながらも、食べる事で精一杯だった。返事する気がおきない。お母さんは呆れて溜め息を吐いたけど、「しょうがない」と許してくれた。

「あの……、もしかして、お腹空いていないのですか?」

 お母さんが心配そうにテムとエイを見た。目の前に私と同じ料理があるのに、全く手を付けようとしない。エイもだ。

 ──せっかくの貴重な食料を使って作ったんだから、食べてよ、冷めちゃうじゃない!

「い、いえ。お気持ちはありがたいです。ですが……」

「それよりも、この娘に食べさせてあげたほうがいい。あの様子だと、かなり飢えていたようだ」

 そう言って、テムとエイに出された料理を、全て私の所に持ってきた。私は思わず手を止めた。口からスープを吐き出しそうだったので、一気に飲みこんだ。

「私達は食べなくても問題無い。遠慮はいらない」

 私もお母さんも戸惑った。お母さんは優しい性格だからオロオロとしていた。

 ──失礼な!

 ……そう思いつつも、二人分の料理を口の中へと入れていった。母親が「すみません」と謝った横で、私は必死に食べ続けた。空腹には勝てない……。


 がっつきすぎて、テーブルクロスにスープが飛び散ってしまった。お母さんが頭を抱えただけならまだしも、テムとエイがその汚れをまじまじと見ていた。特にテムに至っては、ドン引いているようにも見える。

 ──どうしよう、ごまかさないと……。あっ。

「お母さん、そういえば、シリーは出掛けてるの?」

「ええ、でも、もうすぐ戻ってくるはずよ」


 ……ガチャッ。


 扉の開く音、しかも玄関。

 ──まさか!

 隠れないと──。


「たっだいまぁ~」

「……シリー!」

 その声を聞いた途端、駆けていた。私は玄関にいるシリーに抱きついた。雪遊びをしていたからか、着込んでいた防寒具がとても冷たかった。

「おかえり、シリー!」

「きゃっ!?」

 膝立ちのままシリーを抱きながら、頭を何度も撫でた。シリーの頭には、鮮やかな赤いリボンを可愛らしく結んでいた。

「お……おねえちゃん、ちかい、いたい……」

「あ……ごめんね」

 私はシリーから少し離れた。私の事を不思議そうに見ている。

「ん? ……おねえちゃん、もうかえってきたの?」

 そうだ、外に長い間出かけるって、嘘をついたんだ。

「そ、そうそう、中止になっちゃって、すぐ帰る事になったのよ!」

「そうなんだ!」シリーが笑顔で私を見ている。「じゃあ、おねぇちゃんと、いっぱいいっぱい、いーっぱいあそべる!」

「うん、遊べるわ!」

 無理矢理笑顔にしようとしたせいで、顔が引きつってしまった。でも、幸いにも、シリーは気づかれなかった。

「あっ、おきゃくさん?」

 シリーが指した先に、テムが遠慮しながら私達の様子を伺っていた。お母さんとエイは奥で様子を見ていた。シリーは愛敬を振りまきながら、テムに近づいてきた。

「はじめまして!」

「あ、はじめまして」

 テムが固そうに挨拶した。──何で、年下に対して固くなるのかしら。

「突然でごめんね。僕の名前はテム、旅人だよ。あそこにいるのはエイ、僕の仲間。あなたのお名前は?」

「シリー!」

「シリー、良い名前だね。よろしく」

「うん!」

「はいはいはい、」お母さんが笑顔で話すと、シリーの頭についている雪を取り払った。「シリー、部屋に戻って着替えなさい」

「はぁ~い」

 シリーは元気な返事をして、部屋へと入っていった。シリーとすれ違うように、エイが私の所へと来た。

「あの子は、貴様の妹か」

「ええ」私は立ち上がった。「私の、大切な妹よ」

「その妹のために、貴様は怪物のいる山から逃げていたのか」

「え?」

「ならば何故、貴様は生贄になったのだ」

「な──」

「何故その事を!?」

 私よりも先に、お母さんが叫んだ。


「生贄の事は、絶対に村の外では言わないでください。そんな事が村の外までに広まってしまったら、どうなるかわかりませんから……」

「わかった」

「わかりました、約束します」

 みんなが席に戻ってすぐに、お母さんは何度も念押ししていたが、エイは受け流す様に冷静に答えたので、本気で約束を守るのか不安だった。一方、テムは真剣な表情で何度も頷いていた。

「怪物がいるのに、あんなボロボロの柵といい、兵士ではなく村人が門番といい、あれは完全に見放されている。あるいは、村全体が運命に抗えず、無気力と化している」

「エイ、そんな言い方ないって」

 テムが鋭い言い方で怒った。気弱そうに見えていたから、ちょっと驚いた。

「いえ、その通りです……」

 お母さんが目を伏せてに答えた。

「いえいえ、エイの方が言い過ぎたのが悪いんです。すみません……」

 テムは深く頭を下げた。

「お二人は当然、山に棲む怪物の事、どこまで、知っているんですか」

「三年前に白くて大きな怪物が現れ、それから一年中雪が降るようになった、と。そして、人々の生活が苦しくなり、死者が軒並み増えているとも、身寄りのない子どもや家も職も持たない大人が増加しているとも、な」

「でも、ここは雪があまり降っていないですね」

 テムは雰囲気を明るくしようと思ってか、作り笑顔で話した。お母さんがまだ伏し目で暗そうだったので、私も笑顔になって明るくしようとした。

「ええ、この場所はどうも、雪も小粒ですぐ溶けちゃうから、他と比べてそんなには積もらないです。それに、毎日村人全員で雪かきしているし」

「なるほど」

 テムは心の底から感心した表情になった。だけど、すぐに悲しい顔になった。

「だけど、生贄なんて。どうして、そんな事が……」

 お母さんは言おうかどうかモゴモゴとしている。それに気づいたテムは、申し訳なさそうな表情になった。

「あ、言えないのでしたら……」

「ブローグって奴のせいよ」

 口が勝手に開いた。自分の無意識の動作に一瞬戸惑ったけど、もういいや、とすぐに開き直った。

「あの男のせいで……」


 今から一年前、ローブを着た老人がこの村にやって来た。その男はまじない師のブローグと名乗った。本人曰く、旅の最中、何か感じるものがあって、この村に来たそうだ。二年前に最後の討伐者が訪れてからというもの、配給品を持ってくる国の兵士以外の訪問者は久しぶりだったため、誰もが怪しんでいた。私もそうだ。何せ、顔つきがどこにでもあるような悪人顔だったから。

 ところが、その二日後、ブローグは大半の村人の信頼を得て、我が物顔でこの村の実権を握った。村長は完全に妄信していて言いなり状態だった。あまりの突然の変化に驚き、怖くなった。

 私も何度か、あの男と会った事がある。あの男を見た途端、心がかき乱され、おかしくなった。だから危険を感じ、出会いそうになったらなるべく逃げるようにした。シリーやお母さんにも、ブローグに近づかないように何度も注意したから、二人にまで魔の手が迫る事にはならなかった。

 だけどその間にもブローグの支配は進んでいった。配給品は自然とブローグやその取り巻きが独占していった。持ってくる兵士達はそれに気づきつつも、知らんぷりを決め込んでいた。ブローグを避けていた私達家族は、いつの間にか目のかたきにされ、食料が手に入らず、ひもじくなっていった。私とお母さんは耐えられたけど、シリーのお腹を空かせてしまうのが心苦しくなり、結局はブローグに従うしかなかった。

 だけど、村人はブローグよりも畏れている存在がいた。それが、今でも廃れた鉱山に住み着く、白い竜。三年前から人々をこの村に集めるまでの間に近隣の村々を襲い、虐殺の限りを尽くす怪物。

 幸いにも、私の村は今の所全く襲われなかった。最近は特別目立った動きは無いようだったからか、フロイル地方は沈黙と静寂に支配されている。だけど、逆にそれが村人達の恐怖を倍増させた。いつ襲われるか分からない思いに頭がかき乱されていた。

 当然、村人達はブローグを頼った。その様子を見た限りだと、どうやらブローグは信じていない様だった。それは当然かもしれない。あの怪物はブローグが来るかなり前から姿を表さなくなっていたから。

 しかし、ここの村人達の心の内に刻みこまれた白い竜に対する恐怖は、あの男でも消す事は出来なかった。あの男はそれを解消するために、いや、それを利用して、非道な提案をした──。


「週に一度、誰かが怪物のエサになる。そうして、ここの人達を安心させようとしているのよ。でも……」

 思わず机を強く叩く。

「あの男は、生贄という体で、自分に反対する邪魔者を排除し始めたのよ! 私達に優しくしてくれたマズローおじさんだって……」

「リュネ、落ち着いて……」

「出来ないわよ!」

 心配そうに声を掛けるお母さんを、私は思わず睨んだ。

「だって、マズローおじさん、真っ先にあいつに反抗してたのよ! それを、最初の生贄として無理矢理連行して……。あの時、あいつは何と言ったか覚えてる? 『これで、彼は立派な英霊となった』……ふざけないで!」

「そしたら、貴様が生贄になったのか」

「でも、何でリュネさんが……」

 私は二人を睨んだ。

「あいつが、あの男が、シリーを生贄にしようとしたから、私が代わりになったの! あの男、シリーがただ遊び相手が欲しくて声を掛けただけなのに、それを生意気だからと、反逆行為として生贄にしようとしたの。だから、私が身代わりになったのよ!」

 身体が熱くなっているのが分かる。炎と同化したみたいな感覚だ。

「生贄を運ぶ奴らの目を盗んで、必死で逃げてきた、必死で……」

「その後、どうするつもりだった」

「え?」

「ここに戻ってきて、どうするつもりだったんだ」

 無表情で見るエイの言葉に、私の身体が急激に冷えた。

「そ、それは、私が、お母さんと、妹を、守って……」

「それだけか?」

「……」

 上手く言葉が出なかった。どうするつもりだったのか、何も考えていない。その事に今、気がついた。

「話を聴いた限り、ブローグと言う男は、村のほとんどの人間を味方にしている。それに、もし貴様が戻ってきた事を知ったら、連れ戻すどころか、貴様の家族を敵として認定するかもしれない。それでどうやって守るつもり──」

「エイ!」

 テムが机を叩いて、叫んだ。一瞬、妹が来ないかと不安になったが、寝ているのか、幸いにも来なかった。

「……申し訳ない」

 エイは謝ったけど、その言い方に気持ちがこもっていないのは明らかだった。

「話を変えよう。そのブローグという男、具体的にどんな人間か分かるか?」

「どうして知りたいんですか?」

「そのブローグという男、もしかしたら私達が追っている存在かもしれないからだ」

「存在?」

 すると、テムは紙を取りだし、机の上に広げた。

「え……?」

 描かれていたのは、人の形をしているのは間違いなかった。だけど、黒いフードを被っていて、顔立ちは全く分からない。全身は黒く大きな外套で覆われ、袖から白い手袋をした手が見える以外、わからなかった。

「これだけ?」

「そうだ」

 エイは平然と頷いた。

「顔は?」

「それは無意味だ」

「無意味?」

「基本的に白いお面のようなものを被っているが、どんなモノにも変身する能力がある。顔で手掛かりを掴もうとするのは無意味だ」

 私は無言で、端から黙って見ていたお母さんに助けを求めた。しかし、お母さんも、言葉が見つからず困っていたのがわかった。再び両手の絵をじっくり見た後、エイに顔を向けた。

「……これじゃ、わからないです。何か特徴とかは……」

 するとエイは、その尋ね人の絵に描かれている右手と左手をトントンと叩いた。

 よく見ると、両手の甲に何かが描かれていた。


 〝Ⅳ〟


 右手にも、左手にも、そうくっきり描かれている。

「これだけが、変身しても変わる事がなかった、絶対的な手掛かりだ」

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