01 Ⅰ‐1





「……に、目覚めるの?」

 ──人の、声?

「そうだ、彼女の運命は確定している」

 ──〝運命〟?


 視界、が……。


 焚き火が音を立てている。洞窟の中みたいだ。私は毛布をかぶせられている。

 ──暖かい。身体も、吸う空気も。

 火の周りには、二人の人間が座っていた。

「本当だ!」

 黒髪の少年が、心配そうに私を見ている。見る限り、年は私より下くらいだ。でも、シリーよりは上だ。その隣にいるのは、それより大人っぽい男。作り物のように整った顔だけど、その眼は、とても冷たい。

「良かったぁ……。すっごい身体が冷たかったから、もうダメかと……」

 少年が私の両手を握った。人肌の暖かさが、こんなにもありがたくて安心できるものだなんて、思いもしなかった。

「わ、私の手……、冷たい、ですか……?」

 凍った唇で、精一杯の声をだした。少年は驚いて、握った手を離した。

「あ、だ、大丈夫です、大丈夫です! ……ごめんなさい」

 何で謝っているのかわからず、おかしくて少し笑ってしまった。固まっていた顔がパリパリとほぐれていく。

「微笑む程度には回復しているか」

 唐突に男が喋った。その声も何だか冷たく、氷柱が身体に刺さるようだ。

「身体が暖かくなってきたら、少しずつ身体を動かせ。あと、これもだ」

 男は革袋を取り出した。口先から湯気が出ている。

「……いいんですか?」

「身体の中もだ」

「ありがとう、ございます……」

 私は震えを抑えながら、少しずつ飲む。普通のお湯だ。でも、身体の内側から生きる力が蘇っていくようだ。


「貴重な食料だけでなく、予備の防寒具まで……。ありがとうございます」

 よれよれのシャツと地味なパンツという薄着だった私は今、真新しそうな獣毛のコートを着ている。こんな奇跡が起こるなんて、思いもよらなかった。震えはほとんどない。

「いえ、だって僕達はあなたを──」

「この近くに村があると聞いたが、もしかして、貴様はその村の出身か?」

「え、ええ……」

 近くも何も、ここには村が一つしかない。

「実はその村に寄ろうと思っているのだが、場所が分からない。案内してほしい」

「え、えっと、それなら……はい」

 頷く以外にない。

「そうか。それなら、動けるようになったらでいい、お願いしたい」

 男は無表情で私の顔を見ている。

 ──なんだろう、人と話しているとは思えない。

 心の中でモヤモヤを感じつつも、やっぱり頷くしかない。

「私の名はエイ、呼び捨てでいい」男は片腕を少年に向けた。「彼はテム、こっちも呼び捨てでいい」少年は丁寧にお辞儀をした。

「よろしくお願いします。リ──」

「貴様の名前は?」

 エイと名乗った男が、身を乗り出すように尋ねてきた。

「……リュネ、です」


 身体が完全に暖まるよう、全身をこすったり、お湯入りの革袋で指先などを重点的に暖めた。その甲斐もあってか、身体が正常に動かせる程になった。

 外の吹雪は、私が倒れる前よりはマシになっている。でも、防寒具があるとはいえ、油断出来ない。吹雪の恐ろしさはもう何年も味わっている。

 かつて森だった場所は、通り道を除いて雪に埋もれてしまっている。両脇にそびえ立つように積もった雪の壁の間をすり抜け、先へ先へと歩き、大きな通り道に着いた。山と村を繋ぐ唯一の道だ。

「そういえば、私が倒れていた場所は……」

「あそこだ」

 エイが指した所に来ると、幸いにも足跡や倒れた跡がちょっとだけ残っていた。吹雪も、倒れる前と比べて勢いが少ない。

「ここから左に真っ直ぐ行けば、村に着きます。ついてきてください」

 案内しようと一歩踏み出した時、ふと、気になる事があり、歩くのを止めた。私は振り向いて、二人の顔を見た。

「どうした?」

「そういえば、お二人は、どうしてこんな雪の中にいたんですが」

「え? えぇと……」

 テムの目が覚束なくなっているところに、エイが割って入ってきた。

「恥ずかしい事に、道に迷ってしまった。この辺りは初めて来たのでな」

 その表情は、あまり恥ずかしそうには見えなかった。

「そ、そうそう、迷っちゃって……」

「あ、いえ、気にしなくて大丈夫です。おかげで、助かりました」

「こちらこそ、おかげで迷わずに済みました。アハハ……」

 テムの笑顔が強ばっていた。無理矢理笑っているのが明らかだ。

「ですが、どうしてこのフロイルに来たんですが? だって、ここは……」

「竜を倒しに来た」

 私の言葉をぶった切っての即答。

「……本気ですか?」

「ああ」

 その瞳には、迷いがなかった。


 三年前に、このフロイルに二つの白い恐怖が支配している。

 一つは、この終わりなき冬。

 もう一つは、山に棲む、白く巨大な竜。

 魔石の採掘地として栄えていたこの地は、五年前の事故を境に枯渇し、追い打ちをかけるように二つの脅威によって衰えていった。

 竜が現れた後に、王国は国内でも屈強な兵士達を討伐に差し向けたり、褒賞金を出して傭兵達を向かわせたりと手を尽くした。しかし、向かった者達は誰一人として帰ってこなかった。いつしか国は諦め、この地方に生き残った者達を一つの村に寄せ集めて食料を配給するという、飼い殺しのような状態になっていた。最低限の生活こそ出来てはいたけど、いつ竜がここに襲ってくるか分からない恐怖が、村を支配していた。

 いや、それだけじゃない。あの男がいる。あの男が、村を支配している。

 本当は村に戻りたい、家に戻りたい。だけど、あの男が……。


「ここです」

 あっという間に村に到着した。倒れた所は、思ったより村に近かったみだいだ。

「何だか、物々しいような……」

 テムの言う通り、この村には不釣り合いな柵に囲まれている。鉄で出来ていて、とげとげしい。だけど、柵は穴とか変形やサビが酷い。

「あっ!」

 急いで木の中に隠れた。二人も私の真似をするように隠れた。

「どうしたんですが、一体……?」

 テムが心配そうに尋ねてきた。

「あそこ……」

 入り口前に二人の男が談笑している。あの男に味方している門番だ。

 ──まずい、見つかる訳にはいけない。

「ごめんなさい、あの……」

「あ、もしかして何か、まずいことでもあったんですか?」

「あ、いえ、それは、その……」

 私は俯いたまま、答える事が出来ず悩んでいた。

「村に入れない事情があるのなら、別にここでお別れしても構わない。私達だけで入ればいいだけの事だ」

「え?」

 エイの言葉に私は思わず顔を上げた。

「それに最悪、野宿でも問題ない。最低三日間は貴様を凍死しないだけの備えはある」

「……この村に宿は無いですし、この寒い中で野宿なんて自殺行為です。それに、助けていただいたお礼がしたいです。だから、是非とも私の家に……」

「しかし、貴様には家族がいる。余所者の私達をどう説明する」

「それは、私の方で説得します。だから……」

 私は小声で何とかお願いした。確かに村には入りにくいけれど、二人のお礼を何としてもしたかった。初めて出会った人間とはいえ、命の恩人を無下にしたくない。

「エイ、せっかくだから、ここはリュネさんの言う通りにした方が……」

 エイは上の空になって考え事をしたが、ほんの少しだけで直ぐに私の方に向いた。

「……なら、その好意、甘んじて受けよう」

「ありがとうございます」

 私は頭を下げた。

「でも、どうやって入るんですか? あそこにいる人達、去ってくれそうにないですし……」

「あっ」

 そうだ、どうすれば……。

「嘘で強引に乗り切る」

 そう言ってエイは、白い何かを取り出す。ロール状の包帯だ。

「エイ、どうする気? 僕達の持ち物や格好じゃ、隠せられないし……」

 エイは巻かれていた包帯を伸ばして、こちらを見てくる。

「リュネ」

「はい」

 突然の呼び捨てだったから、少し戸惑った。

「怪我人になれ」

「……えっ?」


「た、助けてください!」

 テムの叫びが耳の奥まで刺さる。見えないけど多分、あの門番達に必死になってせがんでいるはずだ。

「誰だお前たちは!?」

 そう言うのも無理もない。何せ、兵士以外の人間が来ることなんて、滅多に無かったんだから。

「仲間が頭に大怪我をして、このままじゃ、死ぬかもしれないんだっ! 助けてくれ!」

 テムの必死な演技が心に響いて、私まで影響されそう。

 ……って、何考えているの、自分。テムが必死になってるのは、私が大怪我してるからじゃない! ……フリだけども。

 今、私は頭を包帯でぐるぐる巻きにされたまま、エイに抱えられている。エイからは、力を抜かして動かないように、と言われている。だから、一体どうなっているのかは、耳で聴き取る以外に知る方法が無い。だって、今の自分には、今の空と同じような厚い雲色しか見えないから。

「おお、お医者さんは、お医者さんは!?」

「こら、離せ!」

 突き飛ばす音と、雪の上に倒れる音が聞こえた。テム、ごめんなさい……。

「おい、突き飛ばすな! 反撃されたらどうする!」

「……チッ、気持ちわりいガキが」

 門番の一人の声からは、本当に悪意しか感じられない。もう一人がまだマシな人で良かった。

「一体、どうしたんだ?」

「僕の連れが、顔に大怪我をしてしまって……」

「怪我だと?」

 私の近くに、エイではない誰かの気配を感じた。……見えないけど、間違いなくテムを突き飛ばした方の門番だ。

「……何だぁ、血とかないじゃねぇか」

 私の顔に何かが触れた。……マズい、包帯取られる! 身体が再び凍ったように硬直した。

「手を触れるな」

「グァ!?」

 男の悲鳴と同時に、触れていた何かが離れた。

「この子の顔は目を覆いたくなる程ひどく醜い状態だ。見せる訳にはいかない」

「あだだだ……。は、離しやがれぇ!」

 空気を切り裂いたような音が聞こえた。多分、エイが男の腕を掴んで離してくれたんだろう。私はホッとした。

「こ、この、薄汚い浮浪者が!」

「待て待て!」

 もう一人の門番がさっきの男を制したようだ。

「旅人達、残念だがこの村には医者がいない」

「そ、そんな……」

 もちろん私は知っていた。嘆いたテムにも、エイにも、その事を話している。だから意味が無いと止めようとした。

「なら、どこかこの怪我人を寝かせられる所はあるのか?」

「そ、それは……」

 そう反応するのは当然だ。余所者は基本お断りの村だ。それに怪我人を介抱する余裕がある程豊かじゃない。

「し、死にそうなんです! だから、だからぁ!」

「しかし……」

 テムが必死そうに演技しているけど、良い反応がないのが明らかだ。やっぱり──。


「──唸れ」

 ──え?

「苦しそうに、唸り声をあげろ」

 エイが小声で囁いてきた。胸を刺す程に、とても低い声で。

「早く」


「う、うう、あ、ああああああああああっ!」

 訳も解らず、必死に叫んだ。全く見えないのに、みんなが私に注目しているのが、肌で感じられる。

「おい、どうした。痛いのか」

 エイが冷静に呼びかける。演技しないのかと思ったけど、とりあえず叫び続けた。

「ああああ、ああ、ああああああああっ!」

 不安しかない。一体、どうする気なんだろうか……。

「容体が悪化しているかもしれない。緊急事態だ。この場は寒すぎるから、せめて村に入らせてくれ。場所はこっちで何とかする」

「こ、こら! 勝手に……」

「わかった、入れ」

「おい!? お前、ブローグ様に何されるか分かってんのか!?」

「もしここで死なれたら、困るだろ!」

「だからって、こんな怪しい余所者を……」

「お前達、入れ!」

「おい!?」

「何かあったら俺が責任取る、いいな!」

「……クソッ、早く入れ!」

 雪を踏む音が聴こえた。門番が退いてくれたようだ。

「……あ、ありがとうございます!」

「感謝する」


「はぁ……、ビックリしました。突然苦しそうに叫ぶんですから……」

 最初に見えたのは、テムの心配顔だった。私は謝った。

 門番達からかなり離れた所で、私は叫ぶのをやめるよう言われた。すぐさま降ろされると、頭の包帯を外してもらった。

「エイだよね、こんなことさせるように指示したのは」

「そうだ。良心を刺激させれば、理屈や正論などは無視してしまうのが人間だ。それに、敵を騙すにはまず味方から騙した方がいい。説得力が出る」

「えぇ……。でもだからって、僕まで騙して……」

「あっ!?」

 私は二人を急いで引き連れて、近くにあった家の後ろに隠れた。

「どうしましたか!」

「人が集まってきた。ほら、あそこ」

 みんなで、家の陰から覗いてみると、配給品を得ようと人々が殺到しだしていた。兵士達が持ってきた配給品をあの男の取り巻き達が独占し、従う人達にだけ渡している。従わない人は、無視され、除け者にされているのが露骨に分かる。取り巻きにお腹や顔面を蹴られている人もいる。近くにいる兵士達は面倒ごとに関わりたくないと知らんぷりだ。

「こ、これはマズいんじゃ……」

「やめろ」

 テムが前に出ようとするのを、エイが止めた。

「今ここで助けても、根本的解決にはならない。悪化する」

「だけど……」

「あの未来は確定している。貴様の望む結末にはならない」

「そんな……」

「だから、やめるんだ」

「う……」

 テムは歯を食いしばって、後退した。

「すまないが、」エイが私の顔を真っ直ぐに見て来た。「貴様の家まで、案内してもらいたい」

「あ、ああ、そうですね」私は何故か戸惑ったけど、すぐに気を取り直した。「ちょっと速足になります。足がもつれないよう、ついてきてください」

 私は配給品に群がる人達がこちら側に気がついていないのを確信すると、二人を引き連れて速足で次の建物へと移った。


「ここです」

 私の家だ。目の前にある。家に帰るのは、多分、丸一日ぶりだ。

「早く入りま──」

 突然、扉が開いた。思わず建物の中に隠れた。もし村人だったら……。

 そして、扉から人が現れた。その姿を見た時、涙があふれた。

「お母さん!」

 私が叫ぶと、お母さんが私を見て、驚いた。

「……リュネ、リュネなの!?」

「お母さん!」

「リュネッ!」

 走ってお母さんに飛びついた。その瞬間、お母さんが持っていた洗濯物が飛び散ったけれど、私は気にせず、抱きついて泣きじゃくった。

 懐、暖かい……。

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