未来の夢

ノーバディ

第1話

 また同じ夢を観た。

 淡雪のように消えてしまう未来の思い出。

 彼女の名前さえ思い出せない。

 まだ出逢っていない彼女の思い出。


 十一月も半ばを過ぎると世間は急に慌ただしくなっていく。

 彼女と二人、俺達は大きなリュックを抱え電車に揺られていた。

「見て見てあそこ、もうイルミネーションの準備してるよ。あ〜夜だったら良かったのにな。今度は夜にまた来ない?」

「そだね。電車の中から眺めるイルミネーションも楽しいかもな」

 駅に着いた。時刻は朝の十時。目的地はここから更にバスで三十分程行ったところ、そこがスタートだ。


「着いた〜!」

「何言ってるのここからがスタートでしょ」

「そうでした。よし行くぞ、思い出の地へ!」

 俺たちはズッシリと重いリュックを背負い登山道へ踏み出した。


「ふぇ〜、一年間ぶりだとこんなに体力落ちるんだ。つらー」

「もぉ、かっこワルいぞ。ほら後少しだからがんばって」

「へへ、大丈夫。地獄の就活を乗り切った俺だぜ。この程度で音をあげたり……していい?」

「ダメ。行くよ」

 彼女は笑顔のまま歩いていく。俺と同じくらいの荷物を背負ってるはずなのに疲れた様子は全くない。

「待ってくれよ〜、冗談だよ〜」

 彼女はかわいい。

 なんていうか、神秘的なのに庶民的で、クールなのに熱くて、浮世離れしているのに現実的だ。猫のように気まぐれで子犬の様に俺のそばにいてくれる。彼女のいない生活なんて俺にはもう考えられない。


「せ〜の、到着〜」

 二人で声を合わせて目的地にタッチした。

 山の七合目にある小さな山小屋。山小屋といっても管理人の居ない所謂避難小屋だ。雨風は凌げるがガスも水道もない本当にただの小屋だ。

 時刻は夕方の四時過ぎ。辺りはゆっくりと暗くなりかけていた。チラチラと雪が舞っている。

「懐かしいな〜。あの時のまんま」

 彼女はいつになくテンション高めだった。

「さむ〜。早く入ってあったまろう」

 中に入ると早速湯を沸かしカップ麺の作成に取りかかった。冬山で食うカップ麺以上に美味いモノを俺は知らない。隣に彼女がいるなら尚更だ。

 熱々のカップ麺を二人ですする。鼻水が垂れてくる。彼女を見ると

「やだ、見ないで」

 彼女も鼻水をすすってた。


「二年前、君はここであたしと出逢ったんだよね。冴えない君があたしみたいないい女に出逢えた事、君はどう思ってるのかね」

 彼女はカッコつけて話す時、俺のことを『君』と呼ぶ、俺を試す時のクセだ。

「どうかな〜。君こそ俺と出逢えて嬉しかったんじゃない?」

「なにそれ〜、ちゃんと答えてよ〜」

 二人だけの時間はゆっくりと、そしてあっという間にに過ぎていく。


「懐かしいよな。あの時も雪が降ってた」

「そうだね」

「遭難しかけた俺は命からがらこの小屋に逃げ込んだんだ」

「あたしもおんなじだった」


 二年前、まだ初心者に毛が生えた程度だった俺は身の程を弁えず一人でこの山に挑戦し、突然の吹雪に視界を奪われ、なんとかこの小屋にたどり着いた。

 誰もいない小さな山小屋、鳴り止まない風の音、なかなか着かないカセットコンロの火、全てが俺を不安にさせた。

 その時、突然扉が開いたんだ。立っていたのは真っ白い服を着た女性。

『雪女⁉︎』

 浮かんだのはそんな言葉だった。


「そうそう、あの時は驚いたな〜。昔話に出てくる雪女みたいだったもんな」

「ゆきおんな?」

「知らない? むかしむかし、ある山で道に迷った父子が雪女に出会うんだ。父親はその場で雪女に命を奪われてしまうんだけど子供の命は奪わず『この事は誰にも言ってはいけない』とだけ告げ雪女は去っていく。

 数年後、立派な青年になった男の子は美しい女性と出会い結婚し、女の子を授かる。

 ある雪の夜、男は何の気無しにあの雪山での事を話してしまう。『なぜそんな話をするの? 誰にも言ってはいけないんでしょ』そう問うと妻は雪女の姿になり女の子を置いて山に帰ってしまうんだ」

 彼女は黙ってその話を聞いていた。

 下から照らすLEDライトの光だけでは彼女の表情は読み取れなかった。たださっきまでとは明らかに雰囲気が変わっていた。


「ねえ、もしあたしが……」

 彼女が呟くように言った。

「もしあたしが雪女だったら」

「へっ? どういう意味?」

 何かの例えなのか? 意味が分からない。

 彼女の声は無感情で無機質で、そこからは何も読み取れなかった。

「もしあたしが雪女だったらあなたはどうする?」

「雪女なんて昔話の中だけの存在だよ。実際いる訳……」

 彼女はじっと俺の目を見ていた。俺の心の中を見通す様に瞳を逸らさずに。

 何を言いたいのかは全く理解が出来ない。どういう意味なのかさっぱり分からない。

 でも彼女が真剣だということだけははっきりと分かった。

「もし君が雪女でも山姥でも構わない。俺は君が好きだ。俺は君のそばにいる」

 俺は彼女を強く、強く抱きしめた。


 何分そうしていただろう。ふっと彼女が笑った。

「な〜んてね。驚いた?」

 いつもの彼女に戻ってた。何だったんだ、今のは。


 ねえ、さっきの雪女の話。何でお父さんは亡くなったのに男の子は死ななかったんだと思う?

 結婚した雪女さんは多分幸せだったと思うんだ。なのになぜ知らないフリをせずしたんだと思う?

 なぜ雪女は男の命を奪わずに山に帰ったんだと思う? 分かる?

 あのね、雪女はね、自分への恐怖に支配された者の魂を凍り付かせてしまうの。自分の意思に関係なくね。

 だから雪女の事を知ってた父親は亡くなり、子供は助かったの。

 自分の正体を明かしてまで青年に聞き返したのは、それでも問わずにいられなかったから。『なぜそんな話をしたのか、もし自分があの時の雪女だとしても変わらずいてくれるのか』と。

 そして正体を見せた雪女は気付いてしまったの、男の心の奥底に芽生えた膨れあがっていく恐怖に。

 このままでは愛する人の命を奪ってしまう。絶望した雪女は幼い娘を置いて山へ帰ってしまった。

 それから数百年が経ち、あたしはお母さまの手で雪の結晶から生み出された。


 喫茶店でさっき観た映画の話をする様に彼女は明るく淡々と話した。

「君は……」

「そう、私は雪女。信じなくても良いよ。それが一番幸せなの。面白い冗談だと笑って、忘れて、明日からまた二人で楽しくすごそうか」

「それは出来そうにないや」

 彼女の目、彼女の声、彼女と過ごした二年間が彼女の話を真実だと告げている。

「じゃあ本当の私を見ても、あなたは私を愛せる自信、ある?」

「ある、愛する! 愛してる!」

「もし恐怖に支配されたなら命は無いんだよ」

「そんなのは怖くない。君が好きだ」

 この言葉に偽りは無かった。彼女を失ったらこの世にいる意味がないとさえ思っていた。

「信じていいよね」

「当たり前だ」


 彼女が立ち上がった。さっきまで降ってきた雪がやみ月明かりが彼女を照らす。

 真っ白いスキーウェアはいつの間にか白い着物に変わっていた。

 黒かった髪が美しい白銀に変わりダークブラウンだった瞳は澄んだ湖の様な青に、唇は血の様に濃い赤に変わっていた。

 これが本当の彼女なのか。彼女がサッと腕を振る。部屋が青に染まり全てが凍りついた。


「これがあたし……」

「きれいだ」

 俺の息が真っ白に凍る。

 彼女がゆっくりと俺に近寄ってきた。

 巨大な氷塊の様な冷気が俺を包み込む。

「抱きしめてもいい?」

 俺は聞いた。

「冷たいわよ」

 防寒具越しにも体温が奪われていく。

「流石に冷たいね」

「ホントにいいの?」

「うん、このままずっと抱きしめていたい」

「嬉しい……」

「さすがに少し寒くなってきた。元の姿に、いや人間の姿に戻れるかい」

「そうね、待っててね」

部屋の気温は下がり続ける?

「待って、止まらない! コントロールが出来ない、なんで?」

 彼女の声が遠く聞こえる。

「やだ、嫌だ! 待って! 助けて」

彼女の瞳から溢れた雫が俺の頬を当たって砕けた。

 指先から感覚が無くなってきた。さっきまでとても寒く感じていた身体がなぜかとても暑くなってきた。

 なんだかとっても眠くなってきた。

 彼女の腕の中で眠れるのなら……。

 このまま……。

 俺は…………。


ごめんなさい。あなた達はまだ出逢うべきではなかった。あなたは娘の腕の中で凍死しかけました。

 娘はそれに気付き絶望しました。そしてあなたの命を奪ってしまう自分雪女に恐怖したのです。私は娘を死なせる訳にはいかないのです。

 あなた達が出逢うよりずっと前に時を戻します。これは娘からの伝言です。

『君とは出逢わない方が良かったみたい。君は誰か別の人と幸せになって』と



 夢を観てた。

 どんな夢だったのか、今は思い出せない。でももう行かなきゃ。

 俺は今日初めてあの山に挑戦する。

 初心者の俺にはまだ早いかも知れない。

 でも登らなきゃいけないんだ。

 なぜなのかは分からないけれど。





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未来の夢 ノーバディ @bamboo_4

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