第19話・クランツの憂い(クランツ視点)
──まだ、太陽が昇り始めた早朝の王宮での一室。
机に山積みになった書類に驚くような速さで目を通し、これまた脇目もふれず、何かに取り憑かれたように? 寧ろ神懸かったか? のような勢いで黙々と仕事をこなしている一人の男性がいた。
この国の王子、次期王太子となるユリウス・バークレイの姿がそこにはあった。
「よし! 今日の分は終りだ! これであの小煩いクランツにも小言を言われる心配はないだろう。フフフッ」
そう彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「今日はいつもより少し早めに店に行ってみるか? 驚くかな?」
一人ニマニマしながら独り言を彼は呟いていた。
「そう言えば、菓子の贈り物をよくされていると、クランツの報告書にあったな? どこの、どいつだ? ふん。そのような輩の贈る物など。よし! 俺も菓子だ。今日は菓子を持って行こう!」
────「おはようございます? 殿下? 今日は随分とお早いですねぇ? おや? ここの書類全て終わったのですか?」
執務室に入って来たクランツは、まさか自分の主が部屋にもう居るとは思わず、少し驚いた顔をしていた。そして、机の上にあった山積みになっていた書類が綺麗に重ねられていることに、またも驚き、それを手に取り見ていた。
「どうだ? やれば出来るのだよ? 俺も?」
そう誇らしげに言う主人にクランツは、少し呆れた表情で言う。
「殿下……やれば出来るではなく、こうなる前に、毎日処理して頂けると、私としては助かるのですが?」
「クランツ。お前顔が老けたか?」
「は? 何をおっしゃるんですか? 殿下!!」
「ハハハハハッ。お前、そうやって眉間に皺ばかり寄せてると、老けるぞ?」
そう言って楽しそうに笑う主君の顔を俺は久しぶりに見た気がした。
ユリウス・バークレイ。バークレイ王の一人息子として幼い頃から様々な英才教育を受けて来た彼。
彼に初めて俺が会ったのは彼が5歳の時。あの時彼が俺に言った言葉を俺は今でも覚えている。
「お前は俺にとってどれだけ価値がある男か? 俺を満足させられるだけの才はお前にあるのか?」
真っ直ぐに俺の目を見てそう言ったガキに俺は正直驚いた。
俺は彼の側近となる為に、王宮に上がっていた。そして彼に挨拶をしようとした瞬間に、5歳のガキが俺に言い放った言葉。
それからと言うもの、ずっと彼には驚かされっぱなしだった。
子供の頃から、やれ秀才だの、神童などと言われ持て囃されていた俺は彼に出会って、その全てが崩れ去った。一度見たことは絶対に忘れない。教えたことは必ず一回で身に付け、そしてそれを活かし何通りにも応用してくる。生まれながらの天才。そう最初は思った。
だがそれは違った。それに気づいたのは彼の側に仕えるようになってから暫くしてからだった。
それは、剣術の稽古の後だった。
たまたま忘れ物を取りに戻った俺は、彼の部屋に灯りがついているのに気づいた。そして何やら物音が。時計はなかったが、既に深夜12時はゆうに過ぎていた。
俺は、まさか? 野盗? と思い焦って部屋のドアを開けた。
そして目に飛び込んで来た光景は……
布団を丸めて立て、そこに木剣を手にした少年が一心不乱に切りつけていた。
俺は思わず叫んだ。「殿下! こんな時間に何をされているんですか!」と。
そうすると彼は、にっこり微笑んで言った。
「今日の剣術の稽古で、なかなか上手くいかないことがあって、それで復習をしていたんだ。それよりなんでクランツが?」
そう言った顔は紛れもなく5歳児の顔だった。
これが俺が最後に見た彼の笑顔だった。
だが、手には豆が潰れた跡があり、赤く腫れ上がっていた。
いつからやっていたんだ? このガキ?
それからと言うもの、俺は彼への見方が変わった。
持って生まれた才能だけじゃなく、彼の今の才は、全て、彼のあの血の滲むような努力の賜物だと。
彼に仕えてから、早14年。
誰にも心を許すことがなかった彼が見せた先程の笑顔?
彼女の存在か?
もう一度彼女の周辺を調べ直すべきか……
他人に全く興味を示すことがなかった彼が初めて興味を持ち始めた……
彼の先程の笑顔を思い出し、俺はもう少し
──「しかし、思春期の少年のような振る舞いだな……これも見守るべきか? いや……少しはアドバイスしたほうが?」
主君の初恋? に思い悩む心優しい側近の姿があった。
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