第2話

横から抱きしめてやってどれくらい経過しただろうか。ずっと背中と頭を一定のリズムで軽く叩いていたらやがて腕に力を込めた瑞貴が俺を押し戻してちゃんと前を向いて座った。


「…大丈夫か?」


「……ごめん、類。ありがとう。」


「いや、俺はなんもしてないけど。話せるならいつでも話して、ちゃんと聞くから。」


そう言うとおずおずと、話す事をそれでも躊躇しながら言葉にし始めた。


「……4日後さ、」


「うん?」


「4日後、……命日、なんだよ…、」


うん?命日?…誰の?話はなんだか思っていたよりもずっと深刻そうで、こんなの聞いていいものか迷ったが本人がわざわざここへ来てまで話しているのでもうそのまま聞き返した。


「命日?身内の?」


「違うよ。」


そこでまた言葉が止まり、話す事にとても躊躇や葛藤があるように見えて。…ちょっと、おいおい。これはちょっと。


「待て、その話俺が聞いても大丈夫か?」


「え…、」


「だってそんな顔してる。話したいってことだけはわかるけど、話す事に葛藤があるように見えるよ?」


瑞貴の方を向きながらその赤くなっている鼻を軽く摘んでそう言ったら、フルフルと横に頭を振って俺の手を解いて。


「葛藤、…は、正直ある。けど…、これ、俺一人で抱えんの、…もうキツい……、」


「………、」


なるほど、何か重たいものを背負っていて俺にその心の中を共有して少しでも楽になりたいということか。勿論それは全然構わないし抱えてやれるならいくらでも抱えてやろうと思うが、本当に聞いても大丈夫なんだろうか。そう思うから俺も言葉を選ばなくてはならなくて。


「ほんとに俺が聞いて大丈夫な話なら共有はしてやれるよ?それで瑞貴が楽になるんならね。」


「………。」


言葉を紡がない瑞貴の表情はやっぱり酷く葛藤をしているようで。チラ、と時計を見たら夜も20時半をしっかり過ぎていた。話が恐らく序章にも入っていないしまだまだ終わらなさそうなので、もう瑞貴は泊めてやろう。俺はソファで寝ればそれでいい。

続きをいつまで経っても話せない、そしてどこか怯えてもいるように見える瑞貴に痺れを切らした俺はその頭頂部に手のひらを置いてそのままぐりん、とその顔をこちらに向け、真剣に見つめて言った。


「ちゃんと聞いてやるから言え。聞いてあ、そうですか、なんて無責任なマネはしねぇよ。…ん?」


強制的に目を合わせてそう言ったら、瑞貴が目線をウロウロさせて、話したいはずなのに俺から逃げているからさらに顔を両手で挟んで固定してやった。


「ほれ、こっち見ろ。」


「………、」


「何怯えてんの?葛藤もあるんだろうけどどう見ても怯えてる。なんで?話すことが怖い?」


「……ッ、」


そう言ったら余計に目を逸らして怯えたような顔をするから、本当に心配になる。


「…ちょっと落ち着け、何をそんな怯えてんだ。」


言うとギュッと瞳を閉じた瑞貴が聞き取れるか聞き取れないか程度の小さな声で呟いた。


「…これ、話したら、…もしかしたら類に軽蔑されるかもしれなくて、」


「軽蔑?俺が?なんで?」


「………、」


なかなか言い出せない瑞貴。もうこっちから引っ張り出してやった方がいい気もする。思ってその顔を挟んだままグッとこちらの顔を近付けた。


「つまりは話したい気持ちはあるのに俺に軽蔑されるのが怖くて話す事を葛藤してるって事でオケ?」


「…、そう、です。」


「ふむ。ならとりあえず安心しろ。何を聞かされようが今更瑞貴を軽蔑したり嫌いになったりする事はねぇよ。」


「ーーーそれほんとに約束できる?」


「できる。」


もうスパッとYESを伝えてやった。でないとコイツはいつまで経っても俺を信用しないままで、ひいてはいつまでも話せないままだし、更に今後俺へ一切悩みも打ち明けなければ頼ってくる事もないだろうと思ったのだ。

パッ、と顔を挟んでいた手を離して再び距離を戻して頬杖をついて瑞貴を眺めてため息を落とした。


「…俺に嫌われるとか軽蔑されんのを怯えてるなら、まだ瑞貴は俺の事舐めてんな。言っとくけど今の俺は2年半前と違って瑞貴の事大好きよ?少しは信用して話してもらいたいもんだわね。」


「………、全部は、」


「ん?」


小さな声で言いかけた瑞貴の言葉に、耳の全神経を集中させて続きを待った。


「この話、全部は言えないんだ。ただ、今は、…言えないけど、…いつかちゃんと話すから、今は掻い摘んだ話だけでも聞いてくれる?」


お、ちょっと気持ちが前進したらしい。思ってニカ、と笑みを見せて頷いた。


「いいよ、それでも。それがいつになるかは分からんけど、今もその『いつか』も変わらず聞いてやろうじゃねぇの。」


そう、今も、『いつか』も。強調したのは今話すことで俺が瑞貴を軽蔑して離れていく事はないと伝えたかったからだ。そのあたりは聡い瑞貴の事だから汲み取ってくれてると思いたい。思いながら頭をガシガシと撫でてやったら少しは緊張がほぐれたようで、だけどまだまだ怯えは抱いたままの顔でポツリ、ポツリと断片的に話し始めた。


「…話に入る前に、念頭に置いててほしい情報だけを言うと、……俺は4年前に親友を殺した。」


「……はい?」


…待て待て、殺した、と言ったか今。

え、どういう事?

唐突に物凄いパワーワード過ぎるし話の重量が一気に上がった。殺した?って殺害したってこと?瑞貴が?それともなにか別の意味があるのか。ただ、そんな事唐突に打ち明けられたら誰でも混乱するし俺もちょっとパニックになっている。

…でも待てよ、本当に瑞貴が親友を殺害しているのならそれなりに法で裁かれているだろうし、テレビでも週刊誌でも大騒ぎになっているはずだし、今音楽活動など出来ているわけがない。だから咄嗟に何かの揶揄か、と思った。


「……で?」


「で、って…、」


困惑した弱々しい瞳のまま俺を見つめて困っている瑞貴だが。


「それだけ聞かされても正直何が何だかわからんよ。『親友を殺しました』、それはわかった。で?」


「………、」


「それただの揶揄だろ。瑞貴がほんとに殺してるなら今頃瑞貴はこうやってテレビや雑誌に出る事もなく、まして音楽を作れる立場ですらない。で?なんで殺したって事になってんの。」


その『殺した』という言葉の裏にある事情はなんだ。そこが俺は知りたいのだ。


「…く、わしくは、言えないから、…ほぼ全部端折っちゃうけど、…俺13の時に親友を殺して、…そこから一度もお墓参りに行けてないんだよ。」


「待て待て、その殺したってワードがパワーワードすぎる。せめてやんわり亡くなったって言え。で、なんで墓参り行けてないの?活動が忙しくて?」


悲壮と言ってもいい表情で瑞貴が怯えながら紡いでいく言葉の一言一言を取りこぼさないように、丁寧に拾い上げていかなくてはダメだと思い返事をしていく。だが、相変わらず視線をウロウロ泳がせたままの瑞貴が言った言葉で俺の頭のネジが全て吹き飛ぶことになる。


「……、親友の、ご両親やご親戚に、来るなって、言われ、てて。」


「…は?」


泣くのを堪えているのか、途切れ途切れで単語をプツプツ発する瑞貴の言葉に耳を疑った。


「『うちの息子は、お前のせい、で死んだのに、…なんでその、お前が墓参り、出来、ると思ってるんだ』、って。……『人殺しが、墓地に、立ち入るな』って、言われてて…。同じ、理由で、通夜や葬、式にも、……ッ。」


そこまで言った瑞貴がどわっ!と涙を溢れさせた。

……泣く瑞貴の前で俺は静かにブチ切れている。

…は?はい?瑞貴のせいで息子が死んだから墓参り来んな?人殺しが墓に入るな?なにそれ。どういう経緯があってそういう事になってんのかは知らん。だけど瑞貴だ。瑞貴は絶対に悪意を持って自分の親友とまで言う人間をどういう意味でかは分からないが殺害したりしない。それだけは分かる。久しぶりに怒髪天を衝く勢いの怒りで全身支配されて無表情を保つのが精一杯だった。


もしこれが本当だとするならその言葉を背負い続けた瑞貴はずっと償わせても貰えないまま重い重い罪の意識に苛まれ続けて13歳からの17歳になった今に至るまでを生きてきたことになる。


「……そんなはずないとは分かってはいるけど、瑞貴が直接手を下したとかではないだろ?」


聞くと瑞貴はビクッ、と身体を強ばらせて俯いて首を横に振った。その横振りはYES?NO?どっちだろうかと考えあぐねていたら瑞貴が掠れた声で呟いた。


「……、あんなの、ーーーあんなの、俺がやったような、ものだ……、俺と関わったせいで、…あんな……ッ、」


ーーーという事は瑞貴が殺人をした訳では無いという事だ。それでいて『お前のせい』?どういう事だ。ハッキリ言って断片的過ぎて点と点が全部繋がらなくてモヤモヤするが、だとしても今の瑞貴にこれ以上を聞くのは酷だ。思って追求したい言葉をグッと呑み込んで、このまま放っておいたら自責で潰れてしまいそうな瑞貴を引き寄せて再び抱き締めた。


「…吐き出したいのはそんだけか?」


「ーーーッ……、」


「なんつー重荷を13歳のガキに背負わせんだよ…。俺は事情を全部知らないから突っ込んだ事は言えねぇし、瑞貴が話しても良いと思える時までは聞かない。ただ、それが辛くて一人で背負ってんのが限界になったわけだ。そりゃ、そうなるよな…。で、今の話だけでまとめると、瑞貴は墓参りに行きたいわけだ。」


トーンをできるだけ穏やかにしてそう訊ねたら、腕の中で小さく頷いた瑞貴が身体を強ばらせて泣くのを堪えようとしていて、俺まで胸が痛くなる。問題が問題なだけに簡単に、それも無責任に元気を出せだなんて絶対に言えないしこの話を聞いた以上は最初の約束通り俺は軽蔑なんて以ての外で、瑞貴の心に寄り添わないといけない。…軽蔑だなんて、そんな事。事件と称していいのかは分からないがこの事件で確かに親友は亡くなったのだろう。だけど瑞貴も「自分が殺した」などと言っているくらいに自責し続けて相当に削られたはずで、その削られた上から更にその親友の親や親族がカンナでゴリゴリ瑞貴の心を削っているのだ、辛くない訳が無い。

…しかし、ふむ、墓参りか。俺は他人だからそんなの勝手に行けばいいんじゃね?と思うけど、亡くなった親友の親から人殺しと呼ばれた上に墓に来るなと言われたらそれは呪いのように強い暗示になり、瑞貴が「絶対に俺が行ってはいけない場所」と思い込んでも仕方がない気もする。

だけどそもそもだ。そもそも、何人たりとも墓場に出入り禁止になんて出来ない。後悔だったり自責だったり、そういうものを抱えた人間が墓を前にして贖罪する事をなぜ禁止されなくてはいけないのかハッキリ言って意味不明である。俺ならむしろ来いとすら思うだろう。


…何かいい方法はないか。何か…。ただ単に命日から日にちをズラして勝手に行けばいいと言う問題ではないのは流石にわかる。多分そういう事を問題視しているのではないのだ、瑞貴が抱える痛みや苦しみというのは。


「…でもさ、瑞貴さんよ。」


「…ん……、」


「思うんだけどお墓って誰かに来るなって言われたところでその強制力が及ぶ所じゃないよ?法的に『ここに立ち入るのを禁止する』なんて事が言えるならその親や親族もそうしたんだろうけど、残念ながら墓に来るなっていう強制ができる法律なんてのはないもん。」


「……わ、かってる、けど、……、」


「言いたい事はわかるよ?そう言う問題じゃないって言いたいんだろ?」


「うん…、」


「ふむ〜〜ん、どうしたもんかねぇ…。」


長いため息を吐きながらそう言うと、まだ俺の腕に閉じ込められている瑞貴がふ、と顔を上げ、涙で潤んでいるその綺麗な瞳とバチッと視線がかち合った。

…その顔を見た瞬間だった。俺の心臓が一気に身に覚えのある切なくてギュッとなる感じに襲われた。


………う、わ。


だがすぐにハッとしてその動揺を悟られたくなくて瑞貴の後頭部に手を当ててまた俺の肩あたりに押し付けて事なきを得た。

…ヤバいヤバい、今のはヤバい。何がヤバいって俺がヤバい。こんな大事な話してる時に何してんの俺の心臓!?取り敢えず何とは言わないが多分バレてはいないしこんなのは気の迷いに違いないので再び頭の中をシフトして墓参りの件を考え出した。


ーーーその親友の親やら親族やらは多分、瑞貴に一生苛まれ続けろという意味で墓へ来るなと言っているのではないかと思う。だとしたら瑞貴にとってはそれはとても辛く抉られる事で。なんせ自分のせいで、自分が殺したと思ってるわけだから瑞貴からすれば手を合わせてちゃんと謝りたいし少しでも自分もその両親の心も軽くさせたいと言うのが本音だろう。確かにこれは重すぎるし、4年間もたった1人でその重荷に耐えてきたってのかよ。

…ああでも、だからか。急に腑に落ちた。何が腑に落ちたかと言うと、瑞貴の塩の結晶化の事である。多分だが瑞貴は恐らくこの事件がきっかけで極度の塩対応をすることで周りの人間を守ろうとし始めたのではないかと。どういう事かと言うと、深く自分に関わらせないためだ。自分と深く関わったらまた悪い事が起こるかもしれないとか、多分そんな事を考えてわざと遠ざけるような言葉を選んでいるのではないかと。だって瑞貴はつい今しがた「俺と関わったせいで」と言った。その言葉を紐解くに恐らくそういう事なんじゃないだろうかと勝手に予想して、そしてその上で思ったのだ。

なんだコイツ、めっちゃかわいいヤツじゃん、と。

出会ってから2年半目にしてようやくその感情を持つに至ったのもどうかと思うが、瑞貴が自分の事を他人に見せなさ過ぎなのだ。人と関わりたくても関わるのが怖くて自ら遠ざけて、そうしてでしか他人を、そして自分を守る術がなかったのだろう。だから他人に自分を見せないし悟らせないようにしている。考えが拙いと言えば拙いが、純粋ゆえの瑞貴の怖さなんだと思ったらもうかわいい。決しておかしな意味ではなく、人間として、の話である。




第2話 完

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