3.お外デビュー
芸能界・スポーツ界・社交界。また、文壇・画壇などに初めて登場することを〇〇デビューと表現することが現代日本ではしばしばある。高校デビューや大学デビューも同じ類の表現だ。
そしてその表現の中には幼稚園入園前の幼児が初めて近所の公園に母親ないし父親と行って、初めて同世代の子供と交流する『公園デビュー』なるものも存在する。
…俺の場合は乳幼児を過ぎて初めて外に出る『お外デビュー』という極めて稀なデビューだけど……。
「アル!お姉ちゃんがおむかえに来てあげたわよ!」
朝一番。ショボショボとする眼を擦ってから、両手持ちのコップに注いでもらった水を飲み干したタイミングで幼女の元気な声が鼓膜を突き抜けていった。
朝日に照らされ光り輝く金色の髪、タイガーアイのように鈍く鋭く輝く金色の瞳、シミ一つない透明感抜群の白い肌。
服装は見た目よりも機動性に重きを置いた動きやすそうなショルダーベルトが付いた短パンにぱっと見で質の良さが分かる白シャツ。
ポーズは両手を腰に当てて仁王立ち。眼をキラキラと輝かせていて表情には一緒に遊ぼ!と書かれてある。
間違いなく育ちがいいお転婆なお嬢様。口を開かないで品よく座ればまごうことなき完璧美幼女。
それが俺の今世における唯一の姉、ヴァンティエール家長女のオレリアという少女だ。彼女は俺のことをアルと呼び、俺は彼女のことをリア姉と呼んでいる。
「アル!遊びに行くわよ!」
「オレリア様、廊下を走ってはいけません」
どうやら顔に書いてあった通りリア姉は俺と一緒に遊びたいらしい。
毎日のように俺の部屋に押し入ってきては遊ぼう遊ぼうと言って、俺の暇をつぶしてくれているリア姉。彼女の様子がいつも通りであれば「あい」とか言ってそのままおままごととか、絵本の読み聞かせが始まるのだが、今日はちと様子が違う。
いつもなら扉バンッからの「アル!遊びましょっ!」なんだけど、今日は扉バンッからの「迎えに来たわよ」「遊びましょ」とまるで室内ではなく、外で遊ぶかのようではないか。リア姉のあとを追って来た彼女専属侍女アグニータの手にもボールやらフリスビーやら外用の遊び道具が沢山握られている。
「…
「中庭よ!中庭!」
案の定、外で遊ぶつもりだった様子のリア姉。おお、楽しそうだ。是非とも裏庭とやらに行って遊びたい。
しかし、外で遊ぶ前に解決しないといけない問題が俺にはある。
それ即ち『俺、父上と母上から外出の許可貰ってないんだよねぇ』問題だ。
そう、この俺。アルテュールは生まれてこの方一度も外に出たことがない。もっと言えば自室から出たことすらない。年齢=外出したことない歴なのよ。
考え事が出来るようになった生後約半年の頃から今の今まで何度も扉のその先へ行こうとしたさ。時には侍女のスカートに隠れて侍女と一緒に出ようとしたこともあるし、夜にこっそりと抜け出そうとしたこともあった。
でもその全ての脱出計画は俺から目を離すまいと必死な侍女たちに看破されたよ。それでいて毎回のように
(あ~、遊びたいなぁ…)
あまりにも外での遊びがないものだから、ボールがスイッチに見えてきた。フリスビーはピーエスファイブだ。遊ぶものであること以外に何の共通点もないけど。
どうせリア姉の独断専行なのだろう。専属侍女のアグニータは付き合わされているだけに違いない。
「そと、でていい?」
「はい、構いませんよ。若様がご無理されないよう我々も付いていくのであれば、と旦那様と奥様からのお達しです」
ほらね?ダメでしょ?いくら俺が可愛いからといっても、ものには限度が…――
「へ?」
いいの?
「良かったですね、若様」
「あい!」
どうやら、外出の許可が下りたらしい。
◇◇◇
「お…おぉ~」
そろりそろり、恐る恐る一歩踏み出した俺は周りの景色に思わず感嘆の息を漏らしてしまった。今まで暮らしていた自室の調度品よりも煌びやかな装飾があちらこちらにされており、右に左にと伸びる青の絨毯を被った廊下は何処までも続いているのではないかと思ってしまうくらい長い。
子供部屋にしては十分すぎる広さがあり、日当たり良好、室温も快適だった自室自体に不満はなかったが、この光景を一度でも見てしまった今はあの部屋が狭く感じれて仕方ない。
(世界が広がるというのはこのことを言うのか)
たった一歩———自分の部屋から出ただけの一歳児は大げさにそう思った。そしてこの程度の感動は少し後のことを考えればまだまだ序章に過ぎない。
「アル、こっちよ!」
「まってよ、りあね~」
家の…いや、屋敷と言った方が正しい気がする。
屋敷の一階に俺の部屋あったため、本日の遊び場――中庭まではそれほど…ほんの十分ほどで着いた。広い。
「おお……おおお………おおおおお~~~!」
正面玄関ですか?と疑いたくなるほど立派な空間を抜け、外の世界へ。今世で初めて踏みしめる大地に敷き詰められた芝のさくッと乾燥した愉快な音が気持ちいい。
「ふあぁぁぁあ…!」
何度も何度もその場で足踏みをして懐かしくも新鮮な感触を確かめ、喜びを声に出す。
「アル、ここが中庭よっ。すごいでしょ!」
「うん!」
俺の反応がよほど嬉しかったのか。リア姉はまるでこの庭は私が作ったのよ!と言わんばかりのドヤ顔をしていた。
でもその気持ち、分からんでもない。ぐるりと見渡した中庭は中庭のようには思えないほど立派だったからだ。
四方を壁に囲まれているものの閉鎖感のへの字も感じさせない開放的なまでの広さ。ミリ単位で整えられた芝生。庭の中央を空けながらも寂しく見えないよう植えられた樹木。貴人宅の象徴といってもいい白いテラス。眩しすぎず暗過ぎずの適当な陽光。テンション爆発。
「うりゃ~~~~~~!」
「あああぁぁ若様!!!」
家の中から外に出る。たったそれだけで暴走しそうなのに、芸術の域にある庭を見てしまった。ありとあらゆる喜びの感情を爆発させ、足踏みしていた脚を今度は前に前にと運び、叫びながら中庭の中心目掛けて走り出す。
そんなちんちくりんを見て侍女たちが悲鳴に似た叫び声をあげるが、彼女たちの想像していた未来は訪れず。先に走り出していて待ってくれていたリア姉の元へとたどり着くことに成功した。良かった、今世も運動神経はだいぶ良いらしい。
「すごいじゃない、アル!さすが私の弟ね、ほめてあげるわっ!」
「
「ええ、すごいわっ!」
「
一歳児ならこんなこと言うのかな~という気持ち半分、リア姉を揶揄うと面白いのでという気持ち半分で聞いてみると、小さなお姉ちゃんは頬をピクリとさせた。
「そ、それはどうかしら。お姉ちゃんもすごいわよ?私がはじめて裏庭で遊んだときは…え~っと、え~っと…。アグニータ、私すごかったわよね?」
もちろん物心も付いていない頃の記憶はあやふやなようで、その時傍にいたであろうアグニータに確認する。お姉ちゃんの威厳を保とうと頑張ってる。かわいい。
「はい。裏玄関から飛び出して早々にお転びになり鼻血を出されていましたね。それはもうすごい血の量でした」
「ちょっ、アグニータ!…あっアル!これはちがうのっ、何かのまちがいよ!」
ただ思わぬところに敵がいたようで、お転婆娘に相応しい
アグニータを叱るべきか、姉の威厳を守るべきか。視線を身体ごとあっちにこっちに向け慌てるリア姉。かわいい。
「何よその顔!」
ニヤニヤとした細められた俺の眼が気に入らなかったらしく、その白魚のような綺麗な指が一歳児のもちもち肌に食い込み、縦に横にと引っ張る。
「
(力強いなっ…マジでほっぺ千切れる!誰か!)
可憐な見た目をした猿なのだろうか。思っていた以上に怪力だった我が姉のむぎゅむぎゅ攻撃から逃げるために周りへSOSの視線を飛ばす。
「「「「「~~~♪」」」」」
けれども俺たち姉弟の周りにいる大人たちは皆、目尻を下げ口角を僅かに上げて見守っているだけ。誰も助けようとしてくれない。
(お?泣くぞ?いいのか、泣いちゃうぞ?)
シンプルにして最強。奥義――
しかし思うだけで、実際に俺の眼から汁が零れることはなかった。何故なら目の前にリア姉がいるから。
あれはいつのことだったか―――。
「私があげたい!」と侍女からまだ人肌まで冷めていない熱々の哺乳瓶を口に突っ込まれて俺がわんわん泣き、それにつられたか罪悪感からかでリア姉が倍の声量でびぇぇびぇぇ泣き出すといったことがあったんだ。
周りの大人の慌てようがすごかったよね。口内を火傷させられた身だけど、何より可憐な幼女を泣かせてしまったことから来る罪悪感がまたすごかった。
あのような
だから泣かない。眼の裏側からゆっくりと涙が押し寄せてくる感覚があったけど表に出てくる前に俺は足元に転がっていたボールを指さした。
「りあねぇ…
「(むぎゅむぎゅ)…ん?あ、そうね、忘れていたわっ。早く遊びましょ!」
頬っぺた、ようやっと解放。リア姉は頬っぺたをむぎゅむぎゅしていた手でボールを拾ってから「ちょっと待っててね」と離れていく。
トテトテと可愛らしい効果音が付きそうな後姿にほっこりしそうになるが、俺は見逃してないかった。ボールを地面から上げるとき、片手で鷲掴みしてただろ。しかも指が結構めり込んでいた気もする。
当たっても痛くないようにとボールは布製だがぱっと見の質感的に間違いなく頑丈。大きさだってリア姉の顔よりある。彼女の小さなお手々片方で鷲掴み出来る代物じゃないんだ。
(…ヤバいかも)
距離にしておよそ10mと少し先。「い~い~?」とボール片手に手をいっぱいに広げ、ブンブンとこちらに振る我が姉の姿に嫌な予感を覚えた俺はジンジンする頬を擦っていた手を胸の前に。ちょうど両手の親指と人差し指で大きな三角形を作るようにスッと出して腰を落とす。
その姿勢に満足いったのか。リア姉は整った顔をふわりと綻ばせ「いくわよ~」と腕を大きく振りかぶり、右足を軸に左足を踏み込んだ―――。
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