2.ドラマチックな一歳児

 事故って頭打って天に召されたと思ったら凄く居心地のいいところにいて。で、そこが子宮の中で気づいた時には地球とは全く別の世界に転生していました……なんてことあるのだろうか。


 ……ある。大いにある。世界中の誰もが有り得ないと否定してきたとしても少なくとも俺だけはそう思っている。あるったらあるんだ。


「若様~こちらですよ~」

「きゃっきゃっ、まてぇ~」


 下を見れば、立っているにもかかわらずやたらと近い床、高級感溢れる絨毯。事故に遭う前の俺は身長が180と少しあったから両手を床に着かないとここまで近くなることはないし、一般家庭の育ちだったからこんなにも立派な絨毯を家の中で見たことがない。右手に見える天蓋付きのベッドなんて家の内外に関係なく見たことすらなかった。


「ふげっ………ふぇ…ふえ~~~~~~~!」

「若様!お怪我は……大変、お鼻が赤くなっておられます。ハッツェン、すぐにシスターを連れてきて下さい」

「はい!」

「ああ~~~~~~~!!!」


 そう、俺は転生した。しかも超お金持ちの家庭、ヴァンティエール家の長男として二度目の生を受けたのだ。

 この世界におけるヴァンティエール家の地位がどれ程のものかは分からないけど、決して低いものなどではないだろう。それは今いるこの部屋や、常時複数名の侍女さんがいること、一日に一度は俺のもとを訪ねる父と母の格好から分かる。

 これでうちはごく一般的な家庭よ?なんて言われた日にはこの世界の何を信じればいいんだ!となること間違いなしだ。


「うあああああああ~~~~!!」

「若様~、痛くないですよ~」


 ちなみに今いるところは俺の部屋だ。子供部屋とは思えないほどの広さがあり、華美とまではいかないけど、極めて質の高い調度品が部屋のあちこちにあって大変品の良い仕上がりとなっている。

 そしてそんな部屋のど真ん中でコケて顔面から床に不時着し、うわんうわんと泣き叫ぶ一歳児こそ、今世の俺――アルテュールだ。どうやら走っている最中によそ見をしたせいで足元がふらついてしまったらしい。

 大変だ大変だ!とてんやわんやの侍女さんたちには申し訳ないことをした。俺は大丈夫だ、そんなに慌てなくてもいいと彼女たちに言ってあげたい。俺が泣き止めばこの混乱はすぐさま収束するのだろうから。

 ただ残念なことに泣き止みたくても出来ないんだ。痛いから泣いたんじゃない、突然身体の一部に衝撃が加わったことでびっくりしちゃったんだ。言うなれば幼児の生理現象みたいなもの。当然自分の意思では止められやしない。


 「シスターをお連れしました!」


 そうこうしているうちに俺の部屋を出入りする中では二番目に若い人物、侍女のハッツェンが修道服を身に纏った老女を連れてきた。お世話になってます。今月で会うのは三回目です。ちなみに今月に入ってまだ四日目です。

 

「うぅ~…ぐすっ」

「アルテュール様、失礼致しますねぇ」

「ぐすっ…あい」


 侍女の太ももに腰を下ろし、ようやく泣き止んだ俺の目線と自身の目線が同じ高さになるよう膝を曲げ腰をかがめた年の割に元気な老女が微笑み、赤くなっているらしい鼻の前に手をかざす。それから祈りの句を口ずさみ始めた。


「―――――――、―――――――、―――――――――。―――――――。――――――」


 ここは地球とは異なる世界なので日本語などが話されているはずもなく。

 日常会話にはほとんど出てこない単語を知るわけない俺はこのお婆さん何言ってるんだろうと思いながら鼻前に出された掌を見ていると、いつものようにてのひらの先――今回は鼻辺りが温もりに包まれた。

 また視覚的にも淡い光が鼻を包んでいると分かる。同時に、僅かながらもヒリヒリしていた鼻先の痛みが引いていく。


 ある程度まともな思考が出来るようになった約半年前――。

 この摩訶不思議な現象が地球と今いるこの世界が全くの別世界であることを俺に教えてくれた。己は転生したのだとすんなりと受け入れることが出来たのは目の前にいる修道服の老女のお陰なのかもしれない。


「はい、終わりました。アルテュール様、もう痛くはありませんか?」

「…あい」


 ヒリヒリが完全になくなったタイミングで老女が掌を離す。と同時に、泣きつかれたのであろう。俺の瞼は無意識のうちに閉じていた。




 ◇◇◇




「お眠りになられましたね…」

「可愛いですねぇ」

「こう見るとやはり若様は天使のようですね。あぁ、きれいなお顔」

「あなた達、若様のお顔をそのようにじろじろと見つめてはいけません」


 泣き叫び疲れたアルテュールが寝落ちしたのを確認した後、その場にいる侍女たちは息を潜めてアルテュールを抱きかかえる侍女ジビラの元へ集まり、役得とばかりに寝顔を覗きにやける。

 この場にいる侍女の中では一番の年長者であるジビラも口では浮ついた後輩たちを注意しているが、だらしのない顔をしていた。


(若いねぇ…)


 そんな自分よりも二回り三回りも若いヴァンティエール家の侍女たちを修道女ゼルマは微笑まし気に見ていた。


 幼児の世話は常に緊張感と隣り合わせだ。場合によっては死と隣り合わせでもある。

 彼女たちは後者だろう、とゼルマはニヤニヤが止まらない侍女たちを見て大変だねぇと他人事のように思った。


 辺境都市スレクトゥにある教会より送られてきたゼルマが住み込みで働くここ――ヴァンティエール辺境伯家は王国北の国境を守護する武の名門である。

 侍女の腕の中で眠るアルテュールは当主の長男、つまりは嫡男であるわけだ。それはもう蝶よりも花よりも大切に育てられていることだろう。

 実際に今日のような、唾でもつけときゃ治る僅かな怪我でも、わざわざ回復魔法を使うことが出来るゼルマを呼び治療させている。アルテュールに万が一があれば、物理的に首が飛ぶのは世話係の彼女たちなのだ。


 まぁ仕事でもあるし、彼女たちの生首を見たいとは思わないし、お家存続のために幼いうちは嫡男を何よりも大切に育てるお貴族様の考えを理解しているからこそ、こうしてゼルマは嫌な顔一つせず呼ばれたら飛んでいくという行為をここ5年もの間、ほぼ毎日繰り返している。


「この際です。ハッツェン、若様を抱えてみなさい」

「へ?」

「若様は一度眠ったら滅多なことがない限り起きられません。あなたはまだ若様を抱えたことがないでしょう。私たちが傍についていますからやってみなさい」

「は、はい!分かりました。頑張ります」

「決して大きな声は出さないように…ね?」

「…はい」


(面白い娘たちだよ……はて、何か足りないような)


 アルテュールがほんの少し転んだだけですぐ自分を呼ぶくせに、アルテュールが寝たら寝たで彼が滅多なことでは起きないのを良いことに若い侍女の教育を行うその肝の座りようがどうしようもなく面白く、ついつい長居してしまったとゼルマは部屋をあとにしようと立ち上がり…何かが足りないと思ったが、歳だからどうせ考えても思い出せないと諦めた。

 そして侍女たちが自分にぺこりと首から上だけで感謝を伝えている気配を背中に感じながら退出し、さてどこに行こうかと考えたその時。ゼルマが足りないと感じていたその何かが静かに、しかし勢い良くアルテュールの部屋の前にやってきた。


「ここにいらっしゃいましたかシスターゼルマ。オレリア様が裏庭にてお怪我をなさいましたので、今すぐに治療のほど、よろしくお願いします」

「……何故お怪我をなされたのですか」

「……木から落下なさいました」

「……」


 そうだ、アルテュールの元へ治療へ行くとその後必ずと言っていいほどに、じゃじゃ馬が怪我をし、その使いが治療してくれと自分の元へ訪れるのだった。


(はぁ、忘れていたことはこれかい…っと、アレがもう一人増えるのかね?)


 最悪な思い出し方である。

 ついでに言えば、もう少しすればじゃじゃ馬じゃない方も怪我の程度が酷くなるかもしれない。ゼルマは頭を抱えた。抱えてないけれど。


 先月アルテュールは一歳の誕生月を迎えた。乳幼児の時期は時たま風邪をひいていたものの無事超えたのだからそろそろ侍女と共に裏庭デビューするだろう。

 そうなれば彼もまたオレリアのように日常的に木から落ちたりするのだろうか。


(…するだろうねぇ)


「分かりました。向かいましょう」


 まるで不出来な孫の世話を焼く祖母のような気持ちに畏れ多くもなってしまったゼルマは一つ苦笑してから、「こちらへ」と先を急ぐ侍女の背中を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る