第一章 始まりの連盟集会
1.アルテュール爆誕
とても穏やかな気分でいることができた。
トラックに轢かれた後に頭を打ったせいか思考が纏まらず、自分が置かれている状況を何一つも分かっちゃいない。
でもここは安全だと本能が告げていた。ここは君の居場所だ、安心しなさいと教えてくれていた。
しかし、突然その平穏は終わりを告げる。
堰を切って溢れ出す身体を包み込んでいた何かに頭から流されていく中、俺は混濁する脳内で叫ぶ。
(いやだっ!まだここにいたいっ!)
必死に体と思われるものを動かす。しかし、願い虚しく体はどんどん流される。心なしか頭が締め付けられる感覚、そして息苦しさが同時に襲い掛かる。
(もうだめだ…―――)
そう思った瞬間、途轍もない解放感を感じた。しかし一向に息苦しさは解消されない。
(あ、そうか。息ができていないんだ)
口を開けた途端、無意識に声とも言えない音が出る。
「オンギャー!アー、アー、オンギャー!」
ひとしきり泣いた?俺はまどろみの中に落ちていく。
意識を手放す寸前、ここ数時間職務を放棄していた耳がようやく復帰し、わずかながらも音をとらえた。
「―――――!」
「――――――――――!」
バゴンッ
「――――――!?」
「―――――――――――!」
「――――――――!」
「―――――――――?」
「―――――。」
「――――――――――――♪」
(何言ってんのかわからん…日本語でしゃべってくれ)
聞こえた音は終始意味が分からなかった。俺の耳が耳として欠陥品になってしまったのか、そもそも言語が違うのか。
けれども音からは感情を読み取ることが出来た。雰囲気も何となく感じ取れた。
(悪くは…ないかな)
温かみと一瞬の浮遊感の後、俺はまた意識を手放した。
◇◇◇
(まだなのか…)
時は少しだけ遡り、アルトアイゼン王国北西部に位置する辺境都市スレクトゥ。都市の中心に聳え立つ城の一室で一人の男が組んだ手を額に当て床をじっと見つめていた。
その男の名はベルトラン・カーリー・フォン・ヴァンティエール=スレクトゥ。今は情けなく床に敷いてある絨毯の毛の本数を数えているが、アルトアイゼン王国北側の国境を守護する辺境伯家の当主、正真正銘の大貴族である。
国を支える柱の一人。そのような男が無意味に絨毯から生える毛の本数を数えることなどありえない。彼は立派な目的を持っていた。隣の部屋で出産中の妻を待つ間、不安で押しつぶされそうになる心を落ち着かせるという目的だ。
まさに今、死力を尽くして新たな生命を産み出そうしている妻の手を握り、誰よりも近くで励ましてやりたい。しかし獣のような声を上げ呻き苦しむ自分を最愛の人に見られたいと思う女性などいるはずもなかった。だから彼はただ待つことしかできなかった。
「…まだなのか」
「何度も申し上げておりますが、まだでございます」
心配のあまり痺れを切らしたベルトランが分娩室に突入しないように。彼の妻アデリナから監視を任されていたヴァンティエール家最古参の侍女がベルトランの何度目になるか分からない呟きに素気無く答える。
既に一女児の父であるのだから胸を張っていなさいと思ってしまう侍女であるが、ベルトランからすればまだ二回目なのだぞ、といったところだ。
(アナ……そしてまだ見ぬ我が子よ。どうか無事でいてくれ)
大きな期待と最愛の存在を同時に二つも失う可能性から来る大きな不安。
一秒が永遠に感じられる中でその時は唐突に訪れる――。
「……………まだなの「まだでございます」……そうか」
オンギャー!アー、アー、オンギャー!
食い気味に釘を刺されたベルトランの耳に産声が入ってきた。もちろん聞こえてきた方向は分娩室となっている隣の部屋から。聞くのは二回目だ、間違えようがない。
「っ…アナ!」
産声が聞こえると同時にベルトランの身体は信じられない速さで部屋の外へと出ていた。我が子は無事か、最愛の人は無事か。二つの心配が隣の部屋へと向かうベルトランの頭の中をぐるぐるぐるぐる。
ただその心配は大きな音を立てぶち破るように開いた扉の向こう。髪の毛を湿らせ軽く息切れを起こしながらも助産婦に抱えられていた我が子を見て微笑む妻の姿によって霧散した。
「旦那様、お静かに」
「っ…すまない」
「ふふっ…ベル、男の子だそうよ」
自分に続いて入ってきた侍女に窘められ、バツの悪い顔をする夫に我が子の性別を告げるアデリナの表情には喜びの他に安堵の感情も浮かんでいた。
「そうか、よくやった。そしてありがとう、アナ」
「ふふっ、どういたしまして」
ぬるま湯からあげられ真っ白なタオルに包まれた我が子を挟み、ベルトランとアデリナは互いの手を握りしめる。それからベルトランは生まれたばかりの我が子のくしゃくしゃな顔を見て口を開いた。
「アルテュール―――。
君の名前はアルテュール・ヴァンティエール=スレクトゥだ」
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