エピローグ 箒木左門
成田空港を出発した飛行機は、韓国、仁川空港に向かっている。
窓際の座席に腰を下ろした瞬間、ルイス・リダンパーは睡魔の手に身を委ねた。三列シートの真ん中に陣取る
ボスこと立花寅彦──新しいパスポートはまた別人の名義だが──の知人だという韓国人ヤクザを頼って、一行は飛行機で二時間ほどの隣国、大韓民国に向かう。ルイスは韓国語を少し話すことができ、ハングルを読むだけならほとんど問題がないという。逆に左門は日本語以外の言語はもれなく覚束ないので、頼れる相棒とすべてを度胸で解決してしまうボスがいなければ新たな逃亡先でもまた途方に暮れて終わるところだった。
(途方に暮れて……たなぁ)
両親と兄貴分たちが命を落として三年。墓参りがしたいなどと駄々を捏ねて故郷に帰ってみたら、生まれ育った土地は左門の記憶にあるような牧歌的で優しい場所ではなく、呪いと悪意に満ち満ちた地獄と呼ぶに相応しい場所だった。事件解決に奔走していたのは常に左門以外の誰かで、故郷、九重海岸に誰よりも縁があるはずの左門はただ茫然と彼らの活躍を眺めることしかできなかった。
何の役にも立てなかった。
「済州島に行ってみるのもええなぁ」
傍らから、不意に呑気な声がした。膝の上に雑誌を広げた立花が、優しげな目で左門を見上げていた。
「あ、……海が、綺麗な」
「せや。おまえには悪いけど、九重海岸はお世辞にもええ海やなかったからな。せっかく脱出できたんや、次の海ではのんびり釣りでもしたいわ」
立花に、見捨てられるかと思った。口に出さなかっただけで、何度も。
彼が探偵の小野美佳子と密約を結んでいたことを知らなかった。彼が立花寅彦以外の誰かのために人魚の短刀を探し回っていたことを知らなかった。彼が──
「俺は別に、誰かのために動いてたわけと違うで」
左門の心を読んだかのように立花が呟いた。
「おもろい方に進んだらああなっただけや」
本当にそうだろうか。
「ほんまや。信じろ」
「……はい」
「それで、海やけど──」
「もしかして、お兄さんたちも済州島に向かうんですか?」
不意に、潮の匂いが漂った。
立花が大仰に顔を顰める。涎を垂らして寝ていたルイスが飛び起きた。
通路を挟んで左隣、機内の真ん中に位置する三列シートのいちばん右側の座席。
皮膚の内側から青白い光を放っているかのように艶やかな肌、長い腕脚を紺色のスーツで包み、海の青と夜の闇の色が見事に混ざり合った長い黒髪を肩口でゆるく結えた美しい──男性とも女性ともつかない、美しい生き物がこちらをじっと見詰めていた。
薄いまぶたを縁取る長いまつ毛が静かに揺れる。その度に、懐かしい海の匂いが左門を包んだ。
「おまえも旅行か、汐海」
立花が言った。
「いえ?」
小さな顔を優雅に傾け、
「もう故郷に帰らない場合は、どう言えばいいんでしょうね?」
「家出?」
「出奔」
「
「どれでもいっか! ねえ済州島に行くなら一緒に行きましょうよ。私がいると、色々便利だと思いますよ」
座席から身を乗り出す八房汐海が、意外と強い力で左門の腕を掴む。慌てて旅の仲間を振り返るが、ルイスはブランケットを頭までかぶり、立花も雑誌を顔に乗せてそっぽを向いていた。なんて非情な連中なんだ。
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