終 チューニング

エピローグ 間宮カナメ

 大邑おおむらわたるがワイドショーに出ている。

 のを、間宮まみやカナメは自身の探偵事務所のソファに横になって眺めている。


 大邑自身放火事件の被害者であるにも関わらず誰もその話題には触れず、場を取り仕切っているタレントも、ゲストの俳優だかモデルだか良く分からん有象無象も、誰もが大邑に『九重海岸連続死体遺棄、殺人事件』についての推理をさせようとしていた。

 面長で色白、胡散臭い丸眼鏡をかけ、黒髪をきっちりと七三に撫で付けた大邑はいつも通りに鷹揚な態度で、


「あの殺し方は人間にできるものではないと思うんですよ」

「僕の推理では犯人は──九重海岸に住む人魚ですね」

「九重海岸には人魚の伝説が伝わっているんですが、実はあまり外部には知られていないんです。というのもなかなかに血みどろな物語なので……」


 と表紙の色がすっかり変色している単行本をテーブルの上に出そうとして、

「大邑さん、まだお昼やで! 空気読もうや!」

 などと司会にツッコミを入れられている。自分ならあの単行本の角で司会男性の頭を強打してテレビ局に一生出禁になるだろうなと妄想する間宮の目の前で、大邑は笑顔を絶やさぬままに本を鞄に片付けている。

 現場に足を運ぶこともなく、凄惨な遺体を目にすることもなく、九重海岸に秘められた過去に触れようともせず、転がされた遺体を単に被害者として憐れみ、被害者がいるのだから加害者も存在するはずだと偏った正義を振り翳し──どいつもこいつも良いご身分だ。これが平和というものなのだとしたら、できるだけそれをひっくり返してやりたい。警鐘を鳴らし続けたい。安心して生きられる場所などこの世の中のどこにもないのだ。右手の欠けた小指を蛍光灯に翳しながら、間宮は思った。


 警察による聴取をすべて終え、小野おの美佳子みかこ響野きょうの憲造けんぞうの三人で九重海岸を後にした。間宮たちの目の届かないところでヤクザの殺し合いが行われていたというが、詳細は知らない。九重海岸を去る直前に殺し合いの真っ只中にいたという箒木左門とルイス・リダンパーというふたりの男──中国人実業家・劉青峰こと殺し屋・立花たちばな寅彦とらひこの舎弟である彼らとも少しだけ言葉を交わしたが、互いが抱えている事情を開示し合う仲でもないため、当たり障りのない挨拶だけをして別れた。

「立花さんが」

 帰りのクルマの中で響野憲造が口を開いた。

「八房の跡取り息子──諸悪の根源である男を殺したのは、九番目の男。元厩番の男だろうって言ってた」

「九番目……久野くの不動産」

「あの人の良さそうなおじさんが?」

 間宮、小野の順で疑問を呈するが、

「恐らく間違いないす。俺たちが知ってる伝説と現実のあいだにはどうも齟齬があるらしくて、まずあの久野さんは双子人魚をふたりとも海に逃がしている」

 間宮たちが確認した大体の書籍や書面には、双子のうちの片割れ、男児を海に逃がした、という風に記されていた。

「ふたりとも逃がしたんじゃったら……大恩人じゃ……」

 小首を傾げる小野に、ところが、と響野が続けた。

「双子の母親である人魚を殺して解体し、食材にしたのも恐らく久野さんです」

 一瞬、車内の空気が凍った。吸っていた煙草を取り落とした間宮は慌てて火の点いた紙巻きを足元に叩き落とし、

「なにそれ!?」

「立花さん曰くですが、例のほら、人魚の短刀。あれを所持していたのが久野さんだったそうで」

 助手席の小野と一瞬視線を交わす。八房の跡取り息子に恋をした若い人魚を救うため、人魚の兄や姉たちが手渡したという伝説の、短刀。

「双子を逃がした罰として人魚殺しを命じられたのか、それとも逆の順番なのか俺には分かんないけど、とにかくあの人はまるで宝物みたいに短刀を隠し持っていた。人魚からしてみれば母親を手にかけた仇と自分たちを檻から逃がした者が同一人物ってぇのは複雑だったでしょうね。どうしていいやら、本当に」

「あの、うち……いちかちゃんと喋るようになって。いちかちゃんのきょうだいが、ずっとその刀を探しとるって話は聞いとって」

 間宮が警察と、響野が取材のために海岸を訪れたマスメディアやフリーの記者と情報交換をしている間、小野はひとり浜辺をふらふらと彷徨っていた──

 。小野は人魚に出会い、会話をし、互いの求めるものについて何度も話し合った。そうして。

 、双子の人魚──汐海と壱海の依頼を請け負った。

「で、その刀探しをしてる時に立花寅彦と知り合った、と」

 溜息混じりに言葉を吐き出す間宮に、すみません、と小野は肩を縮めて見せる。

 立花寅彦。カタギの人間ではないと、ひと目見て分かった。だが瞳の奥に銀色の炎が燃え立つような、野生の狼を思わせる精悍な顔立ちの老人を、すぐさま悪人だと決め付けることもできなかった。その時小野は既に人魚たちとのチューニングが合っていた。壱海だけではなく汐海とも言葉を交わしたし、ふたりが自分たちの母親を殺した八房の若旦那──今はもう肉体は滅びてしまったけれど、警察官の制服などを着て空っぽの交番に佇み他者を惑わすあの男をこの世から消してしまいたいと願っていることを知っていた。

 双子の人魚が見る景色は、小野の目にも宿った。小野は幽霊を見た。醜い男だった。嫌な匂いがした。それに較べれば、立花寅彦は、あまりにも。

 手を組んだ。情報を共有した。立花は刃物を扱う元殺し屋としてぜひ例の刀を見たいと言った。ひと目見ることができれば、刀そのものは人魚たちにすぐ返還すると約束した。汐海は人殺しの老人をすぐに気に入った。信用できると笑った。壱海は戸惑っていたが、汐海が続けている八房の八人殺しを止める気はなく、また、母親の形見である短刀が手元に戻るなら、と立花を受け入れた。

 立花は毎日まだ空が明るくなる前の時刻に、散歩だと言って宿を出た。街中で得た情報を人魚たちに預け、昼間小野がそれらを回収した。


 菜生俊哉殺しを一度止めたのは、

 あの刀で殺さなければ意味がない。せめて最後のひとりだけでも。


 小野美佳子が人魚たちの持つ明確な殺意を継承して動いていたなんて、考えもしなかった。恐ろしい娘だと思った。実際、響野憲造などは、

「あの人、正直要注意っす」

 と言い残して新宿歌舞伎町に去って行った。分かっている。小野美佳子は優秀な探偵だ。それでいて、目的のためには手段を選ばない。一度ふところに入れた者のためには、自らの命さえ賭す。

(でも)

 悪くはない。

 いつか、一度でいい。小野と本気の喧嘩をしてみたい。


 ワイドショーが終わると同時に、間宮探偵事務所のチャイムが鳴った。

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