3話 煤原信夫

 傷害事件の被疑者として八房汐海は既に指名手配されているという。

 どうしても東京に戻ろうとする小燕の相手は署長を含む同僚たちに任せて、煤原はひとり会議室を出た。会いたい人間がいた。


 怪我をするまでは篠田が運転していたクルマを走らせ、海辺の交番へ。

 今日も、八房はちふさ平八へいはち巡査はひとりデスクの前でお茶を飲んでいた。

「こんにちは」

「おや、煤原巡査部長」

 なんだかお久しぶりですね、と八房は小さく笑う。

 。不意に思った。

「お久しぶり……かもしれませんね。最近どうですか、八房さん」

「私は相変わらずですよ。特に大きな事件も起きていない──いえ、起きてはいますが、私のところまで仕事は降りてきませんし」

 学校が休みになって暇を持て余している子どもたちの相手をしたり、数少ない観光客と言葉を交わしたり、日々その程度──おっとりとした口調で語る八房が、

「そういえば」

 と黒縁眼鏡の奥の瞳を細めた。

「YouTuberの方に会いましたよ」

「え?」

 五人目の被害者、糸戸しのへりょうのことだろうか。だとすると、被害者が殺害される直前に顔を合わせたということになるが。

「いえ。ご遺体を発見した方の方々です」

「ああ……」

 大仰な撮影機材を持ち込んできたくせに、実際遺体を目にした途端その場を吐瀉物塗れにした迷惑な集団。ろくに証言も取れなかったし、あんな連中がいなければ現場をもう少し綺麗に維持することができた、と思うと腹立たしさしか込み上げてこない。

 煤原の仏頂面に、ふふ、と小さく笑った八房が、

「五人目ですね」

 と言った。

「ええ、五人目です」

 その場に突っ立ったままで腕組みをする煤原を見上げた八房が、興味深いことを聞きました、と呟いた。

「この殺人は、まるで数え唄の殺人のようだ、とね」

「は? 誰に?」

「ですから、YouTuberの方々にですよ」

「数え唄の殺人……?」

 小首を傾げる煤原に、横溝正史、読んだことありませんか、と八房が尋ねた。

「ありません。推理小説は、あまり」

「そうですか。まあ、横溝正史でなくても構わないんですが。よくありますよね、その土地の歌だとか、伝承だとかになぞらえた殺人事件の小説が」

「はあ……」

 現実味のない話になってきた。今日は八房汐海について聞きたくてこの交番を訪れたのだが、アテが外れたらしい。

「この土地には、実際のところ数え唄なんてものは伝わっていないのですが」

「ないんですか?」

「ありません。ですがね、その、YouTuberの方ですか、その方々がこのようなメモを見せてくれましてね」

 八房が、デスクの上に一枚のメモ書きを滑らせた。曰く。


 ・1 村市

 ・2 双宮(フタ=2)

 ・3 山藤(、無理があるか?)

 ・4 糸戸

 ・5 ?

 ・6 陸形

 ・7 ?

 ・8 八房

 ・9 ?


「……なんです、こりゃあ」

 訝しげな声を上げる煤原に、殺された人たちの名前ですよ、と八房はさも当然のように応じた。

「若い方々でしたが、推理をしてみたと言っていました。それで、この土地に住んで長い私に、この順番に心当たりはないか、と」

 ボールペンで書かれた名前をまじまじと見詰めた煤原は、八房に断ってスマートフォンで写真を一枚だけ撮った。

「仮に、被害者たちの名前がこんな風に数字に変換できるとして……それにいったい何の意味が?」

「そうですよね。私もそう尋ねました。彼らも別に、その先を予想していたわけではないらしく、人魚の海辺の数え唄殺人事件、というタイトルを付けて配信したいのだというようなことを言っていただけです」

「……5、7、9が空いてますね」

 どうにか絞り出した台詞に、ええ、と八房はあっさり頷いた。

「まだ続くという意味でしょうね」

「八房巡査、あなたは……」

 何を知っているのですか、と訊こうとして飲み込んだ。

 八房平八の目が、水晶のように煌めいている、そんな風に見えたのだ。


 六人目の遺体が上がったのは、その日の深夜のことだ。

 顔を潰され、腹を裂かれてはいたが、なぜか免許証を所持していたため身元は他の被害者に較べるとだいぶ早めに判明した。


 五阿弥ごあみ晴果はるか、女性、人気インスタグラマー。


 遺体の発見者は、Liú青峰Qingfengだった。

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