4話 煤原信夫

 六人目の被害者・五阿弥ごあみ晴果はるかは、五人目の被害者である糸戸しのへりょうの恋人だった。人気YouTuberとインスタグラマーのカップルというのは一般的なものなのだろうか。煤原には良く分からない。煤原に何かとそういうどうでもいい情報を吹き込んでくる篠田も今は東京だ。篠田を除けば唯一与太話をする間柄である犬飼も、

「えっ知らない……でもこんだけSNSで大騒ぎになってるってことはファン公認カップル? みたいなもんだったんじゃないの?」

 とスマホアプリの画面を立ち上げて、目をぱちぱちと瞬かせていた。

 女性の被害者は、初めてだ。

 殺され方はこれまでの五人と同じ。顔を潰され、体を開かれている。内臓をすべて取り除かれて。


 遺体の第一発見者であるLiú青峰Qingfengは、参考人として取調室に座っていた。


 事情聴取を行うのは小燕警視正。煤原は記録係として部屋の隅に座った。

Liú青峰Qingfengさん──」

「それやと長いでしょ。りうで構いませんよ」

 と老人はにこりと笑った。

 銀色の髪、切長の目、深い皺の刻まれた肌は象牙色で、身分証として提出したパスポートに記された年齢より老けて見えることもなければ、過度に若く見えることもない。

「箒木左門、ルイス・リダンパーと共に九重市を訪れたそうですね」

「ええ。うちの従業員の左門が、親の三回忌で国に帰りたいというものですから」

 流暢な日本語で喋る。貿易会社の幹部をしているという話だった。ルイスと左門は部下なのだという。劉が口にする会社は確かに存在している。Liú青峰Qingfengという人間も、もちろんいる。彼は嘘を吐いていない。

(……刺青)

 交番の八房巡査と会話をしている時に現れた劉の、思えば煤原と劉の初対面はあの日だったのだが、とにかく一瞬の邂逅の際に目に焼き付いた色鮮やかな刺青を忘れることができない。中国でもあのような刺青を入れている人間は多いのだろうか。というかそもそも、裏社会と無関係の真っ当な人間があんな刺青を入れたりするだろうか? 最近はファッションタトゥーと称して手軽に墨を入れる人間も多いと聞くし、それ自体を否定する気持ちは煤原にはなかったが、劉のあの──あの刺青は──

「何度も同じことを尋ねてしまい申し訳ありません」

「いえいえ。それがお仕事やってことはこちらも重々承知しとりますんで」

「劉さんは、毎日あの時間に海岸を散歩している、とのお話でしたが……」

 小燕の質問に、劉は鷹揚に微笑む。

「ええ、はい、そうです。毎日完全に同じ時間、というわけではありませんが、明け方……五時から六時のあいだ……年を取ると、どうしても目が覚める時間が早くなってしまって嫌ですね。俺が宿を出る時には左門もルイスも夢ん中ですわ」

 機嫌良く喋る劉には不審なところがまるでない。それが逆に不審で堪らない。

 小燕も同じように感じているのだろう。劉の狼のような瞳をじっと覗き込みながら、

「部下のおふたりと同じ部屋で寝泊まりを?」

「ええ」

「なんというか……珍しいですね」

「そうですか? そうですかね。いや、俺より先にあのふたりが見付けてしまったでしょう? ご遺体を」

「!」

 息を呑む。その話に触れるのか。

 箒木左門とルイス・リダンパーが発見した四人目の遺体のことだ。

 双宮ふたみや北斗ほくと

「そんで……まあ、あのふたりが何かしたとは思えへんけど、町から出られんようになった。でも、ここいらにはビジネスホテルのひとつもない。で、左門の知り合いのあの民宿に泊めてもらうことになったんですわ。格安でね。そんな状態で、上司と部下だからって別々の部屋にしてもらうなんて贅沢……図々しいでしょう?」

 小燕が沈黙する。劉は被疑者ではない。この一件、五阿弥晴果の殺害に関しては被疑者と称しても良いのかもしれないが、他の五件についてはまったくの無関係と考えるのが妥当だ。彼にはアリバイがある。毎日同じ時間に宿を出て、三十分ほど散歩をして戻ってくる、という宿の主人の証言がある。更に言えば、左門、ルイスが双宮北斗の遺体を見付ける以前、彼ら三人は日本国内にいなかった。こちらも既に確認が取れている。

「驚かれた、でしょう?」

 小燕が尋ねた。劉が大きく瞳を瞬かせる。

「ご遺体を発見されて」

「ああ」

 ああ、と劉が繰り返す。

「まあ」

 心のない声だった。


 どこがとは言えないが、この男は怪しい。直接言葉を交わしはしなくても、小燕と煤原の意見は同じだった。

 だが、ただ怪しいという理由だけでいつまでも彼を取調室に繋ぎ止めておくわけにはいかない。ある程度の証言を取り終えたところで、劉を宿に戻すことになった。

「ご迷惑をおかけしますが、」

「ええ。分かってますよ。この件が終わるまでは、町を出ないでほしい──でしょ?」

 劉は笑っていた。上機嫌の笑顔だった。

 誰もが目を逸らすような、真正面からぶつかった人間が思わずその場で嘔吐するような状態の遺体を見付けた直後だというのに、ニコニコと笑っていた。

 この男は──

「劉さん」

「はい?」

 小燕とともに劉を警察署の玄関口まで送りながら、煤原は尋ねた。

「綺麗な刺青を入れてますね」

「……?」

 刑事ふたりよりも小柄な劉が、黙って首を傾げる。

「海辺の交番──覚えてらっしゃいます? 八房さんって巡査がいらっしゃる」

「……ああ、ああ、ああ。覚えてますよ。ああ。煤原刑事さん、あそこでお会いしましたっけ」

 記憶力は良いらしい。煤原は小さく頷き、

「あの時、甚兵衛のようなものを着てらして」

「ああ、あはは。見えました? 恥ずかしいな。若気の至りですわ」

 劉の表情は変わらない。取調室で話を聞いている時も、今も、どこからどう見ても完璧な好々爺だ。

「中国にいらっしゃる時に入れられたんですか?」

「いや──日本です」

 長いまつ毛を揺らして劉が答えた。

「俺は日本で生まれて育ったんですよ」

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